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テーマ(笑) その1

 思ってたよりもずっと好評で一安心してます(笑)


 さて、前回予告した通りこのエッセイの進み方はとてもフリーダムな感じにいきます。


 今回のお題は『テーマ(笑)』。

 前回は単なる持論展開でしたが、題を見れば分かる通り再び不特定多数の方に喧嘩腰で臨みます。色々ご了承ください。


 さて、『テーマ』、ということですが、『文学』同様お読みのみなさんはテーマをどう定義しているでしょうか?

 私としては『テーマ』は『文学』を定義する上で避けては通れないものだと考えていますが、残念なことにこの『テーマ』も議論する上では定義を並べ立てなければなんとでも言えてしまうような「ベンリ」な言葉です。


 ちなみに、胸を張ることではないのですが、私には『文学』が定義しきれないように『テーマ』も定義しきれません。

 まあ、文学に比べればいくぶんましに語れる気はしますが、しかしその程度です。


 しかし、投稿サイトを始めレビューサイトや書評など、世の中には『テーマ』という言葉のあふれかえっていることあふれかえっていること……。


 私は自分のことを大した人間だとは思っていませんが、それでも平均でならせば人よりも『文学』について、『テーマ』について、考えて来た方の人間だという自負はあります。

 しかし、その私には『テーマ』がなんであるかを断言する自信がありません。

 文学んときと同じ流れで芸がないが、それでも聞かずにはいられない。


 あんたらの言う『テーマ』ってイッタイナニ?


 私自身全く使わないわけじゃないですけどね、それでもその危険性に無自覚なまま批評に「テーマ、テーマ」とバカのひとつ覚えみたいにさえずるの止めてもらえます?

 あんたがたが思ってるほどテーマって言葉は便利でもなければ格好いいもんでもないんだって。

 ちゃんと頭使ってよ。もっと考えて。


 テーマってナニ?


 テーマを定義しないでテーマで語る無意味さを自覚してほしい。

 だってあなたが思ってるテーマと彼が思ってるテーマと私が思ってるテーマ、それって本当に全部同じもの?

 私には定義の食い違ったテーマ談義によって徒労を味わったトラウマがあります。

 あなたはその徒労を、徒労とも気付かず繰り返していませんか?

 過去自分のしてきた批評を是非省みて欲しい。

 そういった意味で、批評文ごと作品の残り続けるなろうのシステムは素晴らしいと思いますよ。



 さて、テーマに関して言えば文学と違い私としてもとりあえずの回答を得ています。

 しかしその完成度もまだまだです。ここでその内容を示すことで反論をいただき、私としても持論を深めて行きたいと考えています。


 まず、私が『テーマ』という言葉を聞いた時に思い浮かぶ不安は三つ。


 1.メッセージ性と題材の混同


 2.メッセージ性特化による物語の質低下の危険性


 3.エンタメ技術とテーマ伝達の技術の違い


 まだあるのかもしれませんが、まあ今思い付く限りではだいたいこんなものでしょうか。

 全てを語るのがベストなんですが、それだととんでもなく長くなってしまいますので、とりあえず1の『メッセージ性と題材の混同』だけをこの章では扱いたいと思います。

 純粋に「テーマの定義」に踏み込むのも主に1だけですし。



 私はテーマという言葉を他人が使っているのを見て、その話が私の解釈からはとんでもない方向へ転がっているのを、たまにですがそれでも何度か見たことがあります。

 その話を冷静に見返してみると、大抵原因となっているのが、この『メッセージ性と題材の混同』です。


 話を進める前に、私自身のスタンスを明らかにしておかないと問題があると思いますので、先に私なりのテーマの定義を示しておきます。

 私にとってテーマとは『作者が意図して作品に込めたメッセージ性』を指します。

 また、『作者にとっての「テーマ」と読者にとっての「テーマ」は(私の定義では)明確に分離されます』。


 さて、これを私にとっての「テーマ」として話を進めます。

 ここでひとつの例示を持ってきます。

 ある人がこう言ったとします。

「私は今回の作品では、『野球』をテーマにして小説を書きました!」

 「へー、そうなんだ」、と一瞬納得してしまいかねないほど日本語としては一見間違っていません。

 ですが私の定義からすれば、これは妙な使い方です。

 テーマを定義を「作者が意図して作品に込めたメッセージ性」だとすれば、この場合「メッセージ=野球」ということになります。まったくもって意味不明です。

 笑ってしまいそうになるくらい妙な話ですが、これはあまり笑えない問題です。

 私の定義が絶対の真理だと言い張るつもりはありませんが、上のような発言者と受け手の齟齬は実に多くの場面で起こっています。

 こうした齟齬のある状態から始まった言葉のやり取りは、それが喧嘩であろうと議論であろうと無駄以外のなにものでもありません。


 私は上の例示の彼が言った「テーマ」を、テーマではなく「題材」という言葉で定義しています。

 明確な言葉にしてみます。

 題材=「物語を語るために用いられる部品」

 こんなところでしょうか。


 一本の小説を書くことを家を建てることに例えれば、大工が家を建てる上でのコンセプトが「テーマ」であり、それを表現するための大黒柱を始めとするさまざまな部品が「題材」にあたります。部品である以上重要度に差はあれど「題材」は無数に存在します。また、大工のコンセプトは家が完成したところで目には見えないように、「テーマ」は明確な形をとって表現されません。


 私のテーマ観の概要はこんなところでしょうか。



 あなたは、「メッセージ性」と「題材」を区別せずに『テーマ』という言葉を使っていませんか?


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