6.その日、少女は浮かれて男は背筋を伸ばす
なんだか、今までで一番素敵な彩花になった気がした。
花はいつもより小さくて、育ちも普通で、品種だって珍しいものじゃない。
それでも今までで一番、綺麗に色づいて輝いて見えた。
次の日来店したルディシオンは、何とか用意できた花束を見て目を見開いた。
驚いた顔をしながらも、ひどく満足げな笑みで頷いてくれたのだ。
ルディシオンはこちらに何も言わせず、いつも通りの代金をしっかり払い、いつも通りに颯爽と帰っていった。
一日たっても浮き足立つのは、客に満足してもらえて安堵したせいだろうか。
――いや、本当は分かっている。
男が真摯に仕事を手伝ってくれて嬉しかったのだ。
今までのような店の雑用ではなく、彩花を作るその瞬間を手伝ってくれたこと。
それが少女の中でずっとふわふわとした熱をもっている。
「……やっぱり、手、大きかったわ……」
自分の掌を眺めて彼の手の大きさを思い出す。
両側から覆われた手は少女の手を包みこむほどに大きい手。
魔力によって伝わる、力強いのに優しい心の揺らめき。
「あったかい手……」
ぽつりと溢れた言葉。
はっと我に返った少女の頬までもが熱を帯びる。
男性の手に触れて浮かれるなんて、さすがに気恥かしい。
あんなに近くで触れたのは初めてなのに。
「だ、だって、初めてなんだもの、身近な男性って今までいなかったもの」
言い訳がましいと思いつつ、頬をぺちぺちと叩く。
少女にとって身近な男性といえば最初に浮かぶのは父親なのだが、身内な上にすでに亡くなって久しいのでノーカウントだ。
次はといえば、ルディシオンのような客だったりギルド関係者。
だが彼らも仕事上でしか接したことがなく、そもそも店主として自ら一線を引いている。
友人に年の近い子はいても、女子とばかり遊んでいたし、学校が終わればすぐ店の手伝いに帰っていたせいか、ほとんど話したこともない。
疎いことは自覚がある。
そこまで鈍いとは思っていない。
――突きつめれば。
結局、辿りつく答えなんてたったひとつなのに。
「ただいま」
「おっ! おかえりなさいっ!」
「ど、どうした?」
「な……なんでもない、わ……」
少女のひっくり返った声に目を瞬かせる男。
男の帰宅にまったく気づかず、飛び上がった鼓動を抑えて少女は苦笑した。
店どころか、自宅側に入ってきたことにも気づかなかった。
「あの、ちょっと、採算のことを考えこんでしまっていて……」
手付かずで真っ白な帳簿を見られないうちに、棚の引き出しへしまう。
男は納得したのか心配そうに少女の言葉に頷いた。
気づかれなかったようだが、逆に心配させてしまったようでチクリと胸が痛む。
「ギ、ギルドの方は大丈夫だったの?」
「いやそれが、大混乱というか、大騒ぎというか」
花畑の騒動や荒らされた店のことがあったため、今日は店を開けていない。
だが男は、昨日の件がどうなったのかギルドに状況を確認してくると、ひとりで出向いていった。
仕方なく少女は留守番していたのだが、男の言葉にひやりと背筋が冷たくなる。
まさか、また何か起きてしまったのだろうか。
荒らされた花畑よりもひどいことが起きたのだろうか。
「犯人、捕まったらしい」
「……え?」
「剣警団だけじゃなく、城にいる騎士まで出てきての大捕物」
ぽかんとする少女に男は肩をすくめる。
「まあ、そういう反応になるよな……俺もルディシオン様に聞いてそんな顔した」
「ルディシオン様が……?」
「うん。ちょうどギルドにいたから、色々教えてもらえた」
すごい良い笑顔だった、と男は遠い目をする。
「何というか、色々情報提供したっていうか、しっぽ踏んづかまえたのがルディシオン様が仕える人らしくて、そこから剣警団と城に通報入って、大捕物になったらしい。相手が貴族だから結構な騒ぎになったけど、実際にはそこまで時間かからなかったって話だ」
疲れたようにソファに座る彼の姿に、慌ててお茶を淹れる。
ようやく一息ついた男は紅茶の香りに小さく微笑む。
「あまりにも損害が大きいから、城も速攻で動いたそうだ。とは言っても、ルディシオン様はあの貴族と店の前で鉢合わせた時から何かやらかしそうだと思ってて、情報を集めてたらしいんだが」
やはり黒幕はあの貴族の男。
もちろん分かっていたことだが、こんな事件にまで発展してしまうとは。
「ルディシオン様には本当にお手数おかけしてしまったわね」
「ん……『主のためでもある』って笑ってはいたけどな」
「お礼を考えないと……」
「……あの彩花がすごく効いたらしくて、お礼ならそれがいいって……」
男は少し視線をさまよわせて、ぽつりと言う。
少女は一瞬どの彩花かと考えて、また頬に熱が戻ってくるのを感じた。
今までで一番の仕上がりだと思っていた彩花が、購入したルディシオンだけではなく、癒された人にも認めてもらえた。
嬉しい、嬉しいが、そんな彩花をまた作るのならひとりでは無理だ。
あの彩花はひとりでは色付けできない。
「――なあ」
「は、はい!」
「……ちょっと、出かけないか」
どこか強ばった表情の男と連れ立ってやってきたのは、少女がよく散歩する公園。
嫌がらせが始まってからは気長に過ごすこともできなかったため、久々にゆっくりお気に入りの場所を歩めて気分が浮つく。
ぽつぽつと男と話をしながらいつものベンチへ向かう途中、夕焼けを反射する噴水に目を細めた。
そういえば今頃の時間だったはずだ。
花を受け取ったギルドの帰り、ベンチで頭を抱える男を見つけたのは。
「……ここで、初めて会ったよな」
同じことを考えていたと知って見上げると、男は苦笑してベンチを見ている。
男はベンチに歩み寄ってすとんと座る。
ぽんと叩いて隣を勧められ、少女も歩み寄って隣に座った。
「ここに来る前、俺、職場から逃げ出したんだ。働いてたとこ、ブラック企業――あ、えーと、ひどい環境のとこで。なんであんなに無理してたのかも分からないぐらいに、必死で働いててさ。でも、職場も、自分も、何も信じられなくなって怖くなって、逃げてきた」
噴水を見つめながら軽い口調で語る男。
少女には、男の言うひどい環境の職場なんて想像もつかない。
けれど男が命も精神もすり減らして、必死に仕事をしてきたことだけは分かる。
やつれた表情と顔色で、悲痛に叫んで、泣いていた男を知っている。
花束の半分を、一瞬で枯らせたほどの男を知っている。
そのあと早いスピードで残りの彩花も枯れた。
それでも疲れの全てを癒すことができなかった男を、知っている。
おそるおそる彩花に触れて驚いて。
魔法みたいだと、子供のようにきょとんとしていた男を知っている。
「もう仕事したくなかったし、会社行きたくなかったし、何もやりたくなかった。だけど、そんなのできるわけないと思ってたし、逃げられないとも思ってた。――でも全部、癒して助けてもらえた」
するりと噴水から少女に移る瞳が夕焼けに煌めいた。
ぐっと背筋を伸ばして、少女の名を呼ぶ。
「アーノリア・オルゾンさん」
「は……はい……っ」
「貴女の言葉を訂正させていただきます」
男がポケットから少女に差し出す手は少し震えている。
「家の手伝いするお婿さんじゃなくて」
差し出された手には、見覚えのある花々が使われた数枚の栞と。
「不束者ですが、鴻崎瑛介を仕事のできる旦那さんにさせてください」
2つの、サイズの違う指輪。
「よ――よろしく、お願いしましゅ」