5.その日、男はようやく口にして少女は笑う
店に用意していた花は全滅だった。
無事だったのは、裏手の庭に咲いていた数本だけ。
あまりのショックで泣いていた少女は、ただ無言で、震える手で、床に荒らされた花を拾い集める。
店が荒らされたこともあるが、花そのものを大切にしていた少女だから、余計につらいのだろう。
郊外の花畑が荒らされたのは、少女の店を襲うカモフラージュか。
そこまでいくとなると、すでに貴族の男の狙いは少女自身からは外れている。
傷つけられたプライドの腹いせだ。
姑息なまねを――。
憤る男の脳裏に会社でのことがよぎる。
ノルマをこなすためにはライバルと競うことが必要だと、上司が言っていた。
確かに間違ってはいないのだろう。
しかしそれはお互いを認め、高めあえる者同士ができるのであって、一方が相手を見下している場合には当てはまらないのではないか。
ライバルと言えた同期の男は、やっかみを受けて人望も信頼も得られず、会社からも蹴落とされたのだから。
「……ひどいね」
倒された看板を見つめていると、後ろからかけられた声に我に返る。
男が振り向くと、いつのまにかルディシオンが店を眺めていた。
ギルドでの話や店のことで失念していたが、通常ならルディシオンが花を受け取りにくる時間帯だ。
「ルディシオン様……いらっしゃいませ」
「こんにちは、婿殿。きみや店主は無事なのかな?」
「ええ、ちょうどギルドに出向いていた合間のことでしたので」
「それは良かったが……あまりにもやりすぎだ」
ぽつりとルディシオンがこぼす。
彼の顔はいつもの穏やかなものとはかけ離れ、ひどく険しい色を浮かべている。
特に目は鋭く、店の惨状を検分しているかのようだった。
「ルディシオン様!」
「やあ、店主。ご無事で良かった」
「ありがとうございます。――ですけれど、その、申し訳ございません。……準備していた彩花が……」
少女が鎮痛な面持ちで見上げると、ルディシオンも苦笑する。
「この様子を見れば仕方ないね。無事な花は、1本も?」
「いえ、ほんの数本だけ」
「ではそれで作っていただくとしようか。明日また取りに来よう」
「えっ?」
少女は目を見開く。
だが、すぐに弱りきった表情で慌てて首を振った。
「あ、あの、残っている花は私が育てていた花で……いつもルディシオン様に準備している花とは格段に育ちが」
「それがいい」
断言するルディシオンに少女は絶句する。
ルディシオンはすでに笑みを消し、真剣な表情で少女を見つめている。
「本当にどのような花でもよろしいのでしょうか?」
「もちろん」
気圧されて言葉をなくした少女の隣に立ち、男が口を挟む。
少女から男へと視線を移したルディシオンは、真剣な面持ちのまま頷いた。
ルディシオンは本気なのは明白だ。
彼が毎日彩花を求めているのは自分のためではなく、病弱な主のため。
どんな花だろうと彩花になるならば、彼はそれを求める。
「では、今回はこちらに残る花でご用意させて頂きます。けれど、申し訳ございませんが明日以降に関しては――」
「分かっている。花が育つにも時間がかかるからね。他から用意するにしても花畑の件がどうにもならなければ立ち行かないし、国としても問題だ。今は明日の花だけでいい」
「かしこまりました」
「よろしく頼む、婿殿。店主も」
最後に小さく微笑んだルディシオンは足早に店を後にした。
男は看板をひっくり返して閉店表示にし、呆然としていた少女を伴って店の中へと戻る。
少女があらかた片付けたのか、戻って来たときよりはひどくない。
しかし落ちつくことはできないだろうと、店を通りすぎてリビングへと向かう。
少女をソファへ座らせたところで、ようやく少女は我に返ったらしい。
困惑したようにそっと男を見上げた。
「勝手に話をすすめてすまない」
「いいえ、それは構わないわ。でも、うちの花だなんて……」
「毎日、ちゃんと育てているじゃないか。綺麗に咲いてる」
店に出している花の一部は、まぎれもなく少女が育てた花だ。
仕入れている大ぶりで華やかな花とは違って、小さいけれど可愛らしさがある。
だからこそ被害は少なかった。
男に急かされて、少女は裏手の庭から無事だった花を摘んできた。
「……やっぱり見劣りするわね」
いつもの花と比べてしまい、どうしても気後れする少女。
男はとっさに俯こうとする少女の顔を包んで上を向かせた。
「あのな、ルディシオン様はそれがいいって言ったんだ。どんな花でもいい、よろしく頼むって。お前は店主で、職人だろ? こう言っちゃなんだが、ルディシオン様ならこの状況でも染花を手に入れることができるだろ。いくら高いと言ってもだ。それをお前が作るものをと望んでいて、頼んでいる。出向いてきてまでだぞ。できないことはできないと言うべきだが、これはそうじゃない。お前は今できる全てを使って作るべきだ。それがお前の仕事じゃないのか?」
きょとんと男を見つめていた少女は、ゆっくりと瞬いた。
男に言われた意味を、じわじわと脳に浸透させていったのだろう。
少女はひどく泣きそうな表情を浮かべる。
それでも、包まれた掌の中でしっかりと頷いた。
「仕事……手伝って……?」
「ああ」
しっかりと男は頷く。
「俺はどうすればいいんだ?」
少女が実際に彩花を作る作業は見たことがある。
見たことはあるが、だからといってどうやってただの花を染花にしているのか、まったく分からない。
魔法のことなんて聞いてもよく分からないと思っていたし、自分も使えるのでは、なんて子供のように考えもしなかった。
だからこれは少女の仕事。
自分は少女に言われたようにすればいい。
分からないまま手を出して失敗だなんて許されない。
少女の助けになることを、望まれたことをする。
――それが今の俺の仕事。
「……彩花は、染花とは違うの」
花を一輪手にとって花を包み込む。
「作りそのものが違うわ……染花は種に魔法を付与するから色々と選べて、そのまま成長するから効果も大きいの。でも彩花はすでに成長しきった花に魔法を付与するから、花も魔法もほとんど選べないし、効果も小さいの」
少女は自分の手に、男の手を上からそっと重ねる。
「維持した花の生命力で魔法を相乗するから、癒しの付与が一番なの。癒しの魔法は治癒魔法よりも初級魔法で……普通に使ったら、ほとんどおまじないみたいなものよ」
くすりと自嘲ぎみに笑う少女。
けれど男は今日までその“おまじない”に助けられてきた。
「だから彩花は、魔法を付与するというより、気持ちをこめるの。……お願いだったり、思いだったり……癒してあげたいと、元気になってほしいと」
ふわりと掌の中心に熱がこもる。
それは柔らかくあたたかな、温もりのある、ひだまりのような熱だ。
少女の掌から男の掌に、熱が移っていく。
2人の熱を花がゆっくりと吸収して、花びらがほんのりと輝いていく。
男の目頭がじんと熱を持つ。
少女が包む花のように、掌の熱を吸収しているかのようだ。
初めて見たあの花だ。
種類は違うけれど、初めて癒してくれたあの花だ。
ほんのりと光ってゆらゆらと揺れていた花。
手の中にはラッピングされていない少女が育てた素朴な花。
花を包む細い指、細い腕、華奢な肩、淡く笑う表情。
きっと公園で会った時も、こんな風に彩花を作ってくれたのだ。
仕事したくないと恥ずかしげもなく大声でわめいた男に。
少女にとって都合が良いといっても、見ず知らずの変な男に。
男はようやく気づいた。
――あの香りは花じゃなかったんだな。
「ただ、そうやって気持ちをこめるの」
それなら俺も気持ちをこめてみよう。
助けてくれた少女が、きちんと仕事を全うできるように。
癒してくれた少女が、ちゃんと誰かを癒すことができるように。
そしてできるなら。
少女も、この花に癒されるように。
熱がパチンと途切れた。
はっと手を見下ろすと、少女の掌の中で一輪の花が咲いている。
なんだかいつも見ていた花よりきらきらと、ゆらゆらと揺らめく花びらの光。
呆然と花を見下ろす男を見上げた少女は、きれいに笑った。
「できました」