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出演者たちは知らない  作者: ひるや@さな
4/4

4/4話。お世話になっております。

 一連のイベントは、怒涛のように過ぎて行った。両親は実家に戻り、僕は部屋にひとりだった。

もうすぐ冬だった。特別休暇に有給を足していた僕は、どうにかこうにか気持ちを落ち着かせ、延ばしても仕方ない弟の遺品整理に取り掛かった。実家でのそれは両親が、ここでのそれは僕が受け持つことになっていた。

 M君は、スケジュールを書き換えてこっそりお葬式に来てくれていた。ありがたかった。参列してくれた弟の友達に、両親は涙ながらお礼を述べていた。その友達たちの中に、たぶん彼女もいたのだろう。僕がまだ聞いていなかったくらいだから、両親だって知らなかったと思う。本人がわざわざ「交際していました」と話すかもわからない。その彼女にとっては、弟はもう過去の人になってしまったからだ。結婚していたならともかく、学生同士で片方が絶対的に欠けた恋愛の次のステップは、新しい恋を見つけること以外にない。悲しいけど、そうしてもらったほうが弟も喜ぶしこっちも楽だ。

 置き晒しになっていた弟のバッグを開けた。内側のファスナーを開け、葉っぱ型の小銭入れを手に取った。これが一番思い入れがあった。

 入院生活を乗り越えて以来、弟が発作らしい発作を起こしたことはなかった。ということはつまり、その逆だってあり得る。それくらいの認識はあったのに、薬を飲み続けるというハンディキャップはあったけれど、弟はずっと元気でいるものと勝手に思い込んでいた。ある朝、M君が映っている情報番組を眺めながら、いつまでも起き出さない弟を起こそうと揺すった瞬間、寝ぼけ眼と脳が唐突に醒めた。僕はただ、運よく続いていた幸せな現実が、未来永劫に続いていくと錯覚していただけだった。

 残りの薬と合わせておこうと持ってきた。テーブルに葉っぱ型小銭入れを置き、その横に病院名の書かれた薄い紙袋を置いた。まだ結構残ってるな、となにげなく中身を出してみたときだった。

 紙袋に書き込まれた錠剤名は1種類だった。でも、紙袋から出てきた錠剤は、よく似た包装デザインの2種類だった。並べてみると、微妙に色が違うのもわかった。

 胸の奥がさざめいた。弟のバッグに戻り、片っ端から中身を出した。財布。タオル。筆記用具。免許証。お薬手帳。あった。ページを繰って、包装を確認した。紙袋に多く入っていたのが病院のもので、少し入っていたのが、なんだ。パッケージに印字されていた文字を、スマートフォンに打ち込んで検索した。市販の風邪薬だった。

 身体が動かなかった。目の奥で、小さな画面が放つ光が、その中の無為で短い説明文が、巨大化して僕を飲み込むようだった。なんとか視線を引き剥がし、手を動かして、葉っぱ型小銭入れのファスナーを開けた。引っくり返して出てきたのは、病院の薬でシート1枚、風邪薬でシート1枚だった。数が減っていたのは、風邪薬のほうだった。

 どういうことかわからなかった。薬は弟が定期的に処方してもらっているもので、常用しているのはこれだけだった。対して僕は、健康体そのもので、薬なんてほとんど飲む機会がなかった。まして風邪薬なんて、上京してから一度も買った記憶がなかった。じゃあ弟が? いや、弟なら報告するはずだった。彼女の話はしなかったけど、訊いてもいない学食のメニューまで教えてくれていたのだ。それに弟が自分で買ってきた風邪薬なら、常備薬と間違えて飲むこともないだろう。病院の薬と混ぜる理由もない。

 じゃあ誰が。この部屋に入ったことがある誰かが。頭の奥でちらついていた影が、どんどん濃くなっていた。屈託のない笑顔と奔放な話し口が、輪郭を克明にしていた。

『もしもし』

 なにをどう言おうかなんて、考えていなかった。出ないかもしれない、とも思っていた。意に反して、数回の呼び出し音の後、M君の声がした。

「あの……今回の件、なんだけど」

 弟が死んだ件とは言えなかった。直接的すぎる気がした。それをやった可能性があるのは、M君だけだったからだ。

 M君は、あまりピンと来ていない様子だった。僕の疑惑は更に深まった。直近お線香を立てた相手の家族から連想することなんて、普通はそんなにないはずだった。

『あー、あれか』

 やけに軽かった。ますます怪しむ僕に、M君は、とんでもないことを言った。

『ごめん、手続きが遅れちゃって。今日明日くらいには届くんじゃないかな』

「え?」

『本当は振込がよかったんだけど、口座わかんなかったからさ。現金書留で分けて送ったよ。したことなかったから勉強になった』

「ちょっと待ってよ。なに言ってるの? なんで現金なんか」

『タツ君が×、俺が○だったでしょ。結果×だったから、俺の負け。あれ、その電話じゃないの』

 ――えーと、で、結果はどうなの?

 ――え? だからわかんないんだって。

 そのやり取りが耳の内側で聞こえた。僕が渡した紙袋の上で露わになった1枚は、ジョーカーだった。

 突然のあのギャンブルは、最初からそのつもりで仕掛けたわけではなかったのではないか。

 ――○? ×? 

 僕が照れて答えなかったのを、急かしただけだったのではないか。トランプが目についていたからか、そんな訊き方をした自分に発想しただけのことだったのでは。

 ――じゃあ×で。

 ――×でいいの?

 あれは確認だった。ただし、M君にとっては、僕が弟とこれからも仲よくしていけるかどうかの質問の確認だった。

 トランプのゲームでは、ジョーカーはだいたい異種的な扱いをされる。でも、たぶん絵柄はなんでもよかった。ギャンブルにトランプは付きもので、そしてギャンブルには掛け金が発生する。

 僕は黙っていた。声が出なかった。電話をかける前から、ある程度ピースは繋がっていた。確かめたかったのは、そんなことをした理由だった。理由だけがわからなかった。発覚した真実は、あまりにもバカげていた。

『ごめん、呼ばれてるから切るね。しばらく忙しいから会えないと思う』

 弟が長く外しているとき、M君と僕はずっと一緒だったわけじゃなかった。M君がトイレに立つこともあったし、僕がトイレに立つこともあった。不運にも上司からつまらない電話を受けたことだってある。

 タイミングは、2回あれば事足りる。心の荷が下りて浮き立った僕は、M君の前で、弟の薬の保管場所をばっちり見せてしまった。最初の機会で薬の形状を確認して、次の機会で用意していた風邪薬と適量入れ替えてしまえばいい。なんの疑いもない僕はろくに見もせずに薬を葉っぱ型小銭入れに入れるし、弟もなんの疑いもなく服用を続ける。抜いたシートを順々に。効果のない風邪薬を一粒ずつ。

 であれば、殺したのは僕ということにならないだろうか。紛れもない殺人を前に、通報しかけた矢先に思い至った。脳天から、巨大な杭を垂直に打ち込まれたようだった。息が止まった拍子にスマートフォンが床に落ち、ごとりと響いた。

 葬儀は終わったし、弟は壺に収まっている。持病のあった弟の死は、悔しいけど実に納得しやすい死だった。事件性なんて欠片もなかった。飲まなくてはいけなかった薬を本当に飲んでいたかどうかなんて、誰が怪しむだろう。でも仮に怪しんだ人がいたとして、その人が行き着くのは僕ではないか。葉っぱ型の小銭入れの中身を準備していた僕に疑いが向くのは当然だ。実際その風邪薬を入れたのは僕だから指紋もついているし、紙袋の中に残っているものだって、例えM君が素手で触れていたとしても僕が上から触っていることだろう。

 ――俺があいつが犯人だって言ったら、本当にそいつが犯人なんだよ!

 知らず頬が持ち上がった。あれは冗談ではなかった。僕がいくら訴えたところで、世間はM君の味方をする。M君自身が僕たちと遊んでいたことくらいは認めたとしても、責任は年長者の僕に向く。そうして工程が進むごとに、世間は安堵を強めるだろう。頭のおかしい殺人者から、この子は正しく保護されたと。

いや、違う。まだ足りない。なにか思いつきそうだった。滑りそうになりながら立ち上がり、何度も遊んだトランプをぶちまけ、ジョーカーを探した。拾い上げたそれに、目が痛むほど食い入った。

あるゲームでは最強で、あるゲームでは最弱で、あるゲームでは省かれる。M君曰く、あの局面に相応しかった、なにが起こるかわからなかったこのカード。頭の奥に張られた糸が、ほどなく切れた。指からカードが滑り落ちた。

 きつく目を閉じた。その目に拳を押しつけた。バカな僕は、薬の効能までM君に話していたのだ。あの薬は発作を抑えるものではなく、起きてしまった発作の症状を可能な限り軽減するものだと。

 翌日。M君の言葉通り、分厚い封筒がふたつ届いた。100万ずつ入っていた。どうして分けたのかと疑問だったけど、なるほど確かに、専用の封筒がこれでは2束はきつい。僕も勉強になった。

 ギャンブルで勝ち取った200万で、例の工面に一気にケリをつけた。

既に少し返していたので、余った金額で部屋のテレビを撤去し、スマートフォンを解約した。ちょっと足して会社を変えて別契約し、電話番号も変えた。M君には教えなかった。近く、引っ越しも考えている。異動願は提出済みだ。

 音と温度の消えたこの部屋で、僕はひとり佇んでいた。テレビがあった場所を見つめていた。実物はなくなっているのに、そこだけ壁の色が綺麗なために、結局テレビみたいに視線を引いていた。

 見えないテレビは、見えない雛段を映し出していた。寒いのにノースリーブのアイドルも、四季着通せそうなワイシャツのベテラン俳優も、M君の無邪気な笑顔を取り巻いていた。あの笑顔の下に理解し得ないフィーリングが隠れていることを、出演者たちは誰も知らない。知らずに今も笑っている。



お付き合いくださり、ありがとうございました。

またそのうち。

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