承
2/4話。
運転は僕が代わった。M君は後部座席で前髪をいじりながら、趣味なのか知恵の輪に挑んでいた。
「あの」
どうするべきが迷った。というか、発進させるのがもう間違いだったと思う。流れのままに車道の波に戻ってしまったことを、僕は心底後悔していた。事故がどうとかよりも、いやそれももちろんあるけれど、一番はそこじゃなかった。
「さっきはありがとう。それでお金なんだけど……今はちょっと」
「あー、いいよ別に。乗せてもらってるから」
勝手に乗ったんだろ。ミラーに映ったM君は、お金よりも知恵の輪が大事みたいだった。仕方ないので僕は黙り、弟はちらちらと後ろを振り返っていた。
「ねえ、M君だよね」
「そうだよ」
わかりきっていることを訊ねる弟に、M君はあっさり答えた。
弟は首を戻し、きらきらと目を輝かせた。
「M君だって。本物だよ。M君が俺たちの車乗ってる」
「僕がローンで買ったんだよ。それよりわかってる? 借金したんだよ、そのM君に」
「別にいいんだって」
「じゃあ家どこ? 送るから教えて。大丈夫、SNSとかに載せないし」
お金のことは、M君本人よりもM君が所属する事務所に掛け合ったほうがいいのかも。多少面倒をかけることになるけど、あの感じだと、M君は、200円出す感覚で200万出した。超有名なM君のことだから、金銭感覚がおかしいのも無理ないのかもしれない。
「ねえ、もしかして事務所通してお金返そうとか思ってない? ……あ、解けた」
知恵の輪をリュックにしまうと、M君は、少し眉根を寄せて身を乗り出した。
「本当にいいんだってば。俺、そういうめんどいのって嫌い。それに、絶対うるさいオジサンとかに怒られちゃうじゃん。余計なことした自覚はあるよ? 普通に警察呼びそうだったもんね。むしろ今のほうが困ってるって感じ」
そこまでわかっていて何故に。車は赤信号で止まった。
「ひとりで退屈だったんだよ。お兄さんたちにちょっと遊んで欲しくてさ」
「遊ぶって?」
「だから今のこういう感じ」
テレビではそんな印象を受けたことないのに、ミラー越しのM君は随分奔放に思えた。タメ口だって聞いたことがない。この雰囲気だと、家にもあまり帰っていなさそうだった。
「ダメだよ。ちゃんと帰らないと」
車内のデジタル時計は、10時23分と出ていた。
「親御さんが心配するよ」
「兄貴」
太腿を突かれたのは、信号が青に変わったことに気付いていないからだと思った。が、違っていた。弟は僕の耳に口を寄せた。それではっとした。M君は養護施設出身で、今は都内のマンションで一人で生活していると確かに聞いたことがある。
M君は、窓の外のイルミネーションのような夜景を楽しげに眺めていた。後部座席とは一線を画した変な空気が。僕と弟との間に流れていた。
もしかして、M君は寂しがっているだけなのでは。子犬のように窓の外に興味を示している無邪気な横顔が、本当の感情を覆っているような気さえしてきた。そのくせ、テレビで見る笑顔よりも純真そうで、裏表のないようにも思えた。
実のところ、親がいない寂しさは僕も知っていた。家はあったけど、両親は空けがちだった。
「もう一回訊くけど、家はどこ?」
「教えなかったらどうなるの? 警察に保護してもらうの? 俺、お兄さんたちに襲われて、200万強奪された末に連れ回されたって言うよ。演技力には自信あるんだよね」
そうすると楽しいことになりそうだよね。M君はそう言って、あっけらかんと笑った。僕と弟は、横目で視線を送り合った。
その日、M君をやっと自宅に送った頃は、すっかり夜が明けていた。久しぶりに遊ぶババ抜きや神経衰弱は、案外楽しかった。
まだ続くよ。