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赤い聖母


そこにあったのは、真っ赤な海だった。

匂い立つ生臭い鉄の香り。真ん中にあるのは真っ赤なワンピースに身を包んだ女の体。

女は目を瞑って、優しく微笑んでいた。

穴の空いたお腹を抱え、そこに我が子がいるかのように。


まるで聖母像のようだった。


✳︎


噂の殺人鬼が我が町にまで出現したということで、学校中は大盛り上がりだった。

更に第一発見者は私で、被害者は同じクラスの狭山くんのお母さんだったから、みんなから抑え切れない興奮を感じた。


「有紗、聞いたよ。大変だったんだってね。」


真綾が爪をいじりながら面倒そうに聞いて来た。

面倒でしょうがないけど聞かないとこっちが悪くなるから聞いとくか、という考えが透けて見える。


「いやー、まさかって感じ……。」


「怖くないの?

けっこーグロかったって聞いたけど?」


真綾は目線を上げずに聞いて来た。

クラスのみんなが私の話に注目しているのがわかる。

みんな、人と話してるフリしてるけど本当は私の話を聞いてる。


「あんまりよく見てないんだ。

その、血の周りに人が倒れてるってわかったらすぐ通報したし。」


「ってかなんであんな場所に行ったワケ?

芋掘り?」


「んなわけないでしょ。

クロが散歩中に急に公園入っちゃってさ……。」


そこで教室のドアが開く、ガラガラと耳障りな音が聞こえて来た。

みんながそちらを見る。

私も見る。

先生だった。


「狭山、しばらく来ないっぽいよ。

ま、そりゃそうだよね。葬式とかあるだろうし。」


「あ、あー……。」


「しばらくってどれくらいだろうね。」


真綾はそれだけ言うと自分の席に戻って行く。

先生が教卓に立ったからだろう。

私は狭山くんの席を盗み見た。

置き勉をしない彼の机の中は空っぽだった。


✳︎


「ねー、やっぱり有紗が見たのも例の連続殺人鬼の犯行なのかなー?」


由梨がお箸を振り回しながら聞いて来た。

昼食時によくあの事件の話をしたいと思うものだ。

真綾も同じ気持ちだったのか、由梨のことを冷たい目で睨む。


「今までの4人は新宿方面だけだったのに、まさかこの田舎町にまでねえ。」


由梨は真綾の冷たい目線に気付くことなく話を続けた。

由梨には口で言わないと伝わらないということを、真綾は早く気付くべきだ。


「犯人の気持ちが変わったんじゃない?」


「えー?そうなの?

でも私色々調べたんだけどさ、サイコパスってなんていうの?定型に乗っ取るのが好きらしいんだよね。

順序?っての?こうと決めたら絶対みたいな。」


「由梨からサイコパスなんて単語を聞くとはね……。」


私は苦笑いしながらベーコンレタスタマゴサンドを食べる。

バイト先のカフェで安く貰っているやつで、出来立ては本当に美味しいのだが日にちが経つとやっぱり美味しくない。


「新宿に徘徊する殺人鬼のパターンは、大体12時くらいの被害者の帰宅途中に、背後からスタンガンで気絶させた後、その場でお腹をかっさばいて……」


「由梨、ご飯中だからそれ以上はちょっと……。」


「ああ、ごめんごめん。」


真綾の絶対零度の瞳が少しだけ和らぐ。

この瞳を無視できるのは由梨くらいなものだ。


由梨がお腹をかっさばいて、の後に続けたかったのはこうだ。

犯人は被害者の内臓だけを抜き取り持って行ってしまう。


まるで現代の切り裂きジャック!と報道機関は騒いだが、男の被害者が現れてからその説は消えて行った。


「サイコパスって被害者の繋がりがあるらしいけど、なんの繋がりなんだろうね。」


まだ連続殺人鬼の話を続けたいのだろう。

由梨はきんぴらごぼうを咀嚼しながら話す。

真綾はウィダーインゼリーをもそもそ吸いながら「どうでもよくね?」とつぶやいていた。


「ダメだよ!

だって狭山くんのお母さん殺した犯人なんだよ?

早く捕まって欲しいじゃん!」


「まだ決まってないし。

ってか、そういうのって警察の役目じゃん。ウチらがあーだこーだ言ったってしょうがなくない?」


「一般市民からの視点が事件を解決……」


「しないから。」


「えー、でもさ、」


「まあまあ、言い争ってもしょうがないよ。

そういえば、現国小テストだよね。

勉強した?」


私の問いかけに由梨と真綾は「まさか」期待通りの答えをした。



✳︎


授業を終え、私は真綾と由梨とダベることなく電車に乗った。


初めて降りた駅。

初めて歩く道。

ドキドキしながら目的地にたどり着く。


「岡庭さん……?」


背の高い筋肉質な青年がこちらを見て驚いた声を出した。


「狭山くん。」


狭山くんは家の前で青い顔で立っていた。

きっとマスコミの対応をしていたのだろう。

白いワゴン車が去って行くのが見えた。


「どうしてここに……。」


「お線香、上げに。」


私の返答に狭山くんは訝しげな顔をしながらも、黙って私を家に入れてくれた。


✳︎


狭山くんの家は、ごく普通の家だった。

新聞屋から貰えるカレンダーに、ビニールのかかったテーブル。

新聞入れにはチラシが積まれている。


ただ一つだけ、電話だけは普通ではなかった。

何故か傷だらけで、電話線が切られている。

嫌がらせをされているのかもしれない。

犯罪の被害者の方に嫌がらせをするしょうもない奴らがいると聞いたことがある。


狭山くんは私をリビングのテーブルに座らせると、ほうじ茶を出してくれた。


「……岡庭さんが、見つけたって聞いた。」


狭山くんは向かい側に座ると、てっぺんが黒くなりつつある茶髪の襟足を少し掻いた。


「あー、うん……。」


私はほうじ茶を啜りながら曖昧な返事をする。

なんとも居心地が悪い。


狭山くんは明るくて活発だ。

バスケットボール部に所属していて男女問わず人気がある。

そんな彼が真っ白な顔で虚ろな目をしてボンヤリ湯呑みを見つめている姿を見るのは居た堪れない。


間を保たせようと私は棚に飾られた写真立てを見る。

狭山くんと、弟と、お父さんと、お母さん。

こんなことになるまでは幸せだったのだろう。


そこで私はふと気づく。


「あっ、あれ……。」


「……どれ?」


「いや、その、右の写真立てのお母さんが着てる服さ……」


その写真立ては公園の遊具を前に並ぶ3人の親子だった。

まだ幼い狭山くんと彼の弟が母親を挟んでにっこり笑っている。

父親は撮影係だろうか。姿は見えない。


彼女が着ていたのは白いワンピースだった。

立ち襟で、膨らんだ袖の上品なワンピース。

そうだ、これは殺されていた時に着ていた服だ。


私が見た時は血が大量に溢れ出し、服をも染めていたために赤いワンピースを着ていたと思ったのだ。


「白い服だったんだね。」


「赤とか、派手な色嫌いだったから。」


「なるほど……。

……そうだ、その、ご家族の方に挨拶とかしなくて平気かな。」


「……今、爺ちゃん家に出掛けてる。」


「そっか……。

狭山くんは?留守番?」


「……何かあるかもしれないし。」


狭山くんのお母さんを殺した犯人はまだ捕まっていない。

彼は犯人逮捕の連絡を待っているのだろう。


「弟くんは学校は?」


「行けるわけないだろ。」


それもそうだ。


彼の弟は超難関校に合格したと聞いた。

今年の四月からの生活をきっと楽しみにしていただろう。彼の母親も。


「……見つけた時、その、どんな感じだった?」


「えっ……」


「第一発見者なんだろ?」


私は答えに詰まる。

なんと言えばいいものか。


「その……安らかな顔だったよ。」


狭山くんは私の答えに端正な顔を苦しそうに顔を歪めた。

あまりいい答えではなかったかもしれない。

私は慌てて話題を変えた。


「狭山くん、お昼食べた?

もし良かったらどっか食べに行かない?」


「……食欲無いから。」


「そっか……。」


普通、母親が死んだという状況でオムライス山盛りで!なんて元気はないだろう。

提案をミスったなと黙る。


沈黙が重い。


暫く無言が続いた。

その間に時計はカチカチ鳴り、水道の蛇口からはポタポタと水が垂れた。


「……狭山くん。」


「……なに。」


「狭山くんが、お母さん、殺したんだよね?」


私はボソリボソリと尋ねた。

聞こえただろうかと彼の表情を伺うと、真っ青な顔をしていた。

聞こえていたみたいだ。


✳︎


「なに、言ってんの。

そんなわけねえじゃん。

なんで俺がこ、殺すわけ?」


「……でも、狭山くんってお母さんの、その、公園にあったご遺体は見てないんだよね?」


「見てない……。」


私は唾を飲み込んだ。

ゴクリと飲み込む音が耳に響く。


「さっき、お母さんは赤とか派手な色嫌いだったって言ったよね。

私、一言も死んでた時赤い服着てたなんて言ってない……。」


「……それがなんだよ。」


「どうしてお母さんが赤い服着てたって私が勘違いしたってわかったの?」


「……まさかそれだけで俺を疑うわけ?

頭おかしいんじゃねえの?

疑うなら証拠なりなんなり出せよ。」


「証拠……は無い。」


狭山くんがホッとしたのがわかった。

でも、と続ける。


「お母さん、どうしてあの公園に、あの服着て行ったんだろうって思ったんだけど、その写真見てわかった。

もう一回おんなじ写真撮ろうって言ったんじゃない?

ほら、そのチラシ。」


私は新聞入れに入っているチラシを指差した。


「昔の写真の再現をしようっていうカメラ屋さんの企画。

これに参加しようって言ったんじゃない?だからあの人気のない公園に、あんな綺麗な格好して行った……。」


狭山くんは私の指差したチラシをグシャリと丸めてゴミ箱に投げ入れた。


「……新宿にいるっていう連続殺人鬼の事件に見せかけたかったみたいだけど、失敗したね……。

狭山くんは知らないみたいだけど、あの連続殺人鬼は内臓の中で、胃袋だけを持ち去るの。

狭山くんのお母さんは子宮を持ち去られてたんだよね。」


「……なら連続殺人鬼が犯人じゃないだけだろ。」


「……ねえ、知らない人に殺されたら、あんなに安らかな顔してるのかな。

少なくとも、ビックリした顔とか、苦しい顔とかしてると思うけど。」


狭山くんはギラギラとした目でこちらを睨んでいた。

ちょっと怖いけれど、構わずに問い詰める。


「狭山くん、抜き取った子宮、埋めたでしょ。」


「……気色悪いこと言うなよ。」


「ごめん。

でも、ああやって埋めたから私に見つかっちゃったんだよ。」


「……は?」


「クロがね、掘り返して食べちゃったんだ……。」


狭山くんの顔色は悪い。

段々申し訳ない気持ちになってくる。


「クロって犬か?」


「豚。」


ぶた?

彼は意表を突かれたのか、間の抜けた表情になって反芻した。


「黒いからクロ。

可愛いやつだけど、食い意地張ってて困っちゃうんだよね。

狭山くんのお母さんのその……中身を土から掘り返してた時も慌てて止めたけど少しだけ残っちゃってて。」


更に彼の顔色が悪くなる。

私だってこんな話したくない。

狭山くんの目を見れずに自分の手元を見つめ話を続けた。


「何食べてるのかなって思って調べたの。

危ないものだと困るし。

そしたら、その肉に、胎児が」


バァンと大きな音がした。

狭山くんが机を叩いたのだ。


「黙れ!

さっきから、意味わかんねえことグダグダ言ってんなよ!!

もう帰れ!」


「……さ、やまくん。

お母さんは、妊娠してた。

狭山くんはそのこと知ってたんだ。」


「うるさい……!」


「相手は、きっとお父さんじゃないんだね。」


「うるさい……!うるさい!黙れ!黙れよ!」


狭山くんは立ち上がり私に掴みかかって来ようとし、しかし、私を掴むことなく彼の腕がダランと下がった。


「……浮気、してたの?だから殺した?」


「……違う……。」


「狭山くん……。」


私も立ち上がり狭山くんの力無い腕に触れると、肩が大きく跳ねた。

指先が氷のように冷たい。


「……お母さんの浮気、そんなに許せなかった?」


狭山くんは憎々しげに私を見つめて、それから徐々に徐々に崩れて椅子にがたんと座った。

私は席を立って彼の横に立つと、か細い声が聞こえてきた。


「俺じゃなくても、許さない……。」


「……え?」



「俺の、弟と……」



狭山くんは最後まで言い終えずに泣き出した。


まさか、母親と、息子が?


「正也の受験で、2人が一生懸命なのは知ってた。ずっと2人で頑張ってた。

でも、まさか、そんな、あり得ないだろ。

俺、全然気付かなかった……バカみてえだ。

そんな気色悪いことなってんのに、みんなと飯行ったりして……。」


思いがけない告白に暫く呆然とする。

だってそんなの、近親相姦じゃない。


「お父さんは……?」


「離婚して、俺と暮らすって。

そうじゃねえじゃん。そんな、離婚とかそういう次元じゃねえだろ。

どうしたらいいかわかんねえから、俺、母さんに産まないでくれって、正気に戻ってくれって頼んだ。でも絶対産むって聞かなかった。だから」


彼は母親を殺したのだ。


「お前の言った通りだよ。

昔の写真の再現の企画に参加しようって言って、母さんを呼び出した。

……人気のない場所に呼び出したかったから。」


彼は少し黙って、また話し始める。


「母さんにもう一回頼んだ。子供を堕ろしてほしいって。

でも無駄だった。名前も付けてるって言われた。

だから隙を見てナイフで母さんの腹を刺して……」


狭山くんが鼻をすする。

私は大丈夫と伝えるために彼の肩を少しだけさすった。


「母さんは病院には行ってなかったみてえだけど、解剖されたら妊娠してることがバレる。

そしたら父親は誰だってことになるから、だから俺は腹を裂いて、子供、を、取り出した。

でも、取り出して、どうしたらいいのかわかんなかった。燃やしたら臭いで人が来るかもしれねえし、トイレに流して詰まったら困る。

だから土に埋めた。まさか、掘り返されるなんて思わなかった……。」


彼はボタボタと垂れる涙を裾で拭った。

私はそんな彼の手を握っていた。


「俺、どうしたらよかったんだろう……。

正也と母さんの関係に気付くべきだった?妊娠を受け止めるべきだった?生まれた子供を可愛がれればよかった?」


「……狭山くんは何も悪くないよ。」


「悪いだろ。人、それも母親を殺してんだぞ。」


「そうだね。でも全部の責任を狭山くんが背負うことなかった。」


狭山くんは真っ赤な目でこちらを見つめてきた。

私は勝手に引き出しの上にあったティッシュを取って、狭山くんの涙を拭う。


「何一つ、狭山くんの責任じゃなかったんだよ。」


狭山くんはまた泣き出した。

泣きながら「殺したくなんてなかった」と呻いていた。



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