俺の日常が壊れた日
初投稿ですよろしくお願いします
人を殺すとどうなるのか?それを考えたことがない人はいないんじゃないだろうか。
例に漏れず俺こと朝比奈蓮也もそんな事を考えていた。
俺、朝比奈蓮也は家から5分くらいの高校に通う普通の男子高校生だ。ちなみに今3年生。
俺は自分を普通だと思っているけれど、
普通と少し違うところがあるとすれば人の生死をよく暇を見つけるとよく考えていることくらいか。そんな俺は暇だったのでやっぱり人が死んだ後のことについて考えていた。
……英語の授業中に。
だからまぁ授業を聞いてないのがばれたんだろう。先生に問題を解かされる羽目になったのだが。
「おい、朝比奈。お前随分余裕そうだな?これ解いてみろ」
「先生、わかりません」
勿論即答でそう答えたんだがテストはちゃんとそれなりの点数を取っていたりするのとこれを指名された時毎回使っていたのでいい加減ばれてきたらしい。わからないは通用しなかった。
「いいからとけ!」
と結局解かされるはめになってましった。
仕方ないのでとりあえず答えを言う。
「私はいま初めてスタートラインにたった、です」
やっぱりわかってんじゃねぇかと悪態をつきながら授業を進める英語の先生で俺の在籍するクラスの担任でもある斉藤美穂先生。
彼女はいわゆるモデル体型の美人な先生で口は悪いものの面倒見のいい性格もしているためなかなか生徒たちにも好印象だ。
「さっさと答えればいいのによ、毎回毎回これやるのあきねぇか?」
と横から呆れたような声がかかる。声をかけてきたやつは高橋光輝、この家から5分くらいの高校に通う幼稚園からの付き合いのある所謂幼馴染ってやつだ。背も高くいかにもスポーツが得意そうなイケメンである。性格もいいときてるのでもてるが本人は俺とばかりつるむのでホモではないかという噂がたっているが普通の人だと俺は信じている、怖いので。
「いやぁ、わからないで済むならそっちのが楽だしほんとにわからないかどうかも向こうには判断つかないからね、こういったほうが通った時楽でいい。」
と言うと光輝はお前らしいと笑い昼休みまで寝ると言ってほんとに寝てしまったので俺はまたさっきの思考に戻る。
そもそも俺がなぜこんなに人の生死について考える様になったのかというと簡単な話だ。
昔、おばあちゃんっ子だった俺はおばあちゃんが老衰で亡くなってしまった時とても悲しんで本気でずっとなぜ人が死ぬのかを考えていたからその時のが癖になって未だに考えているってだけの話だ。
とそんなことを考えているうちに3限目も終わり斉藤先生が授業を終わらせて教室から出て行く。
先生が出て行ったので教室に弛緩した空気が流れ始め、休み時間特有の喧騒が教室を満たそうとした時にそれは起こった。
「うわっ、地震!?」
「結構揺れが大きいんだけど!」
そんな声が聞こえる中、その声を聞きつけた斉藤先生が戻ってくる。
「生徒は全員机の下に揺れが収まるまで隠れろ!」
そんな声が周りに聞こえた瞬間、地面が急に眩しく光った。よく見れば幾何学的な模様が見えたがそんなものをきにするようなやつは周りにはいなかった。光は強くなっていきクラスメイトの悲鳴や怒号が飛び交う。
そんな中で俺は更に強くなった光に視界を飲まれ、そのまま意識も光に飲まれた。
アドバイスなどがあったら教えていただけると有難いです