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探偵な二人

作者:

初投稿です。

何点か小説を書いてますが、推理小説を書いたのは初めてです。

サイトの使い方すら手探り状態。


論理的思考?

アイスクリームか何かでしょうか?(すっとぼけ)

 昔から、「(まどか )は物語の主人公みたいな人だね」とよく言われる。正直に言って、なんだそりゃ、といった感じだ。「かわいい」や「かっこいい」なら反応のしようもあるし冗談を返すことも出来るだろうに、その、褒めてるのか貶してるのか定かでない表現をされてしまうと反応に困る。それならまだ「無愛想」や「何を考えてるかわからない」と正直に言われる方がましだ。自覚もあるからダメージも少ないし、相手に気を使う必要もない。互いに納得して終わることが出来るというのに。

 そもそも「物語の主人公みたいな人」とはどういう人なんだ? 情に熱く、正義感が強く、弱き者の味方、というのなら良く聞く気がするし、微妙に納得出来る点もある。私自身、暴力もケンカも嫌いだし、不誠実なことだけはしないように心がけているつもりだし。

 しかし、物語の主人公というのが、必ずしも同じタイプの人間とも限らないんじゃないのか? 性格や生い立ちなんかは物語によって違う。根暗な主人公も、性悪な主人公もいる。つまり「物語の主人公みたいな人」という表現は、あくまでも個人的な印象論に過ぎず、他者に対する評価として参考にすら出来ないくだらないジョークということだ。教室の隅でどうしようもない話題で盛り上がる、あれだ。実にくだらない。休み時間の度に騒ぎ立てて得られるものがあるのか? それなら次の授業の予習をしてた方が得られるものは大きいんじゃないのか?

 ……などと言うと「だから友達が少ないんだよ」と小馬鹿にされる。友達、確かに重要なことには違いない。集団の中で生きて行くには協調性を磨くことは大事で、学校というのはそういう社会に進出する上で大事な人間性――つまり学問以外の要素を学ぶ場でもある。だからといって、無理矢理作られた友情に何の意味があるのだろう。社会進出に有利だから友達を作る、じゃあ友達とは言えない。それじゃただのただの道具みたいじゃないか。友達とは作るものではなく、出来るものだと考える。普段の生活の中で自然と生れた交流にこそ、選りすぐらない真の友情が芽生えるのだろうと。



 十六歳の春、私は高校へ進学した。期待と不安の入り混じった、白かピンクか曖昧な心模様を抱えながら、一つ大人への階段に足を踏み入れた。

 そこで私は痛感することになる。「物語の主人公みたいな人」というのがどういうものなのか。私は気付いていなかった。どんな物語の主人公にも、一つだけ、避けては通れぬ共通点があったことに。

 彼ら、もしくは彼女らはいつだって――トラブルに巻き込まれるのだということを。

 


 十六年の人生の中で、四月十三日は間違いなく過去最悪の一日だった。目覚まし時計の故障に気付かず、起床が三十分遅れた。いつもよりも遅い電車に乗る羽目になり、満員の社内で同じ高校の生徒に痴漢と間違われそうになった。学校へ向かう道中で散歩中の犬に足を噛まれた。朝の出だしが悪かったせいか一日中集中力を欠き、そんな日に限って授業中やたら指される。しかも狙い済ましたかのように答えに詰まる難問ばかりで、まだ出会って一週間足らずしか経っていないクラスメイト達から哀れみの眼差しを向けられてしまった。

 そして最後のダメ押し。帰路に着こうとした私は、宿題のプリントを忘れたことに気がつく。あわてて教室へ戻り机の中身を引っ張り出す。が、どこにも見つからない。少し考え、最後の授業で自習時間が出来たため宿題に着手していたのを思い出した。授業は音楽。音楽室は今いる教室棟とは別の、特別棟へ移動する必要がある。しかも最上階。

 どこまで最悪な日なんだよと悪態をつきたくなる気持ちを押さえ、二階の渡り廊下を使って特別棟へ入ろうとした、まさにその時だった。

 パリン! と突然、階下からガラスの割れる音。かなり激しい音だ。雷でも落ちたかのかと思った。日常的な環境音じゃないと察した瞬間、私の足は一気に加速する。廊下の窓ガラスが一枚、外側から割られていた。廊下に散乱したガラス片と、拳大の石。少し距離を置いて、教室の入り口にへたり込む形で女子生徒が一人。力を失って震えている。

「大丈夫か?」

 声を掛けると、女子生徒は錯乱した様子で教室の中を指差した。机がぐちゃぐちゃに乱れた教室の後方、腰の高さほどのカバンを入れるためのロッカーの最上段。通学用のカバンが一つだけ収められている。教室へ入ってカバンを手に取る。側面に一箇所だけ奇妙な穴が開いていて、中には、ビデオカメラが一台入っていた。

 そこでようやく、この部屋が体育館最寄の女子更衣室なのだと知った。



 教師の名前は 武藤司(むとうつかさ )。陸上部の顧問をしている男性教師で、生徒指導も兼任している。歳は二十代半ば程度。体育教師らしい屈強な肉体から、生徒間では「ゴリラ」と呼ばれることもあるらしい。というか、そうとしか見えない。

「正直に言え。お前がやったんだろ?」

 そのゴリラが標的にしているのは私、 日野円(ひのまどか )、十六歳。まだ入学ほやほやの、学園生活に支障をきたさないレベルで主要教師を覚えた程度の新入生。学内構造すら未だ曖昧な生徒に、今、盗撮の容疑がかけられている。ただ近くにいたからという理由だけでだ。勘弁してくれよ。

 生徒指導室は狭く、野獣のような眼光に支配されているせいか、かなり息苦しい。

「特別棟の近辺にはお前以外誰もいなかった。言い逃れは意味ないぞ」

「言い逃れも何も、それだけで私を疑うのは筋違いのような気がするんですが?」

 私は呆れるような口調で言った。実際呆れていたのかもしれない。さっきから似たようなことばかり言ってる気がする。なのにこのゴリラは私がやったと完全に決め付けているような態度で、まるで聞く耳を持とうとしない。世に聞く冤罪事件とはこうやって出来るのだろう。

 ゴリラの顔がみるみるうちに紅潮と憤怒をはらむ。

「貴様! 教師に向かってその口の聞き方はなんだ!」

 ……ダメだ、話にならない。

 武藤は一八〇近い巨漢。生徒間の風紀を司る役職に勤めているおかげなのか、風格や言動にはかなりの威圧感がある。並大抵の生徒ではすぐに根を上げて泣き出してしまうことだろう。ま、こちらの主張を聞かず一方的に怒鳴りつける生徒指導担当というのは、いかがなものかと思うが。

 相手にするのが面倒に感じ始めたところで、「まあまあ武藤先生」と合いの手が入った。武藤の隣に座っている初老の男性がなだめにかかったのだ。さっき自己紹介されたところによると、ご老人は普通科三年の学年主任をしている森田という教師らしい。物腰の柔らかい好々爺といった印象で、長年慈しみを説き伏せてきたかのような柔らかい貫禄がある。一応、彼が生徒指導の責任者で、生徒会の担当教員でもあるとかなんとか。ゴリラより上の役職にあるのは間違いない。

「彼女の言う通り、たまたま近くにいたというだけで決め付けるのは良くないんじゃありませんか? 明確な証拠もありませんし」

「たまたま近くにいたというのが怪しいんです。こいつは帰宅部の癖に、わざわざ特別棟へ行こうとしてたんですよ?」

「音楽室へプリントを取りに行くところだったと主張しています。現にプリントもありましたし、あなたがいう『カメラを回収に向かう』という理由よりは信憑性があるような気もしますが」

 正論だ。

「それも、こいつが計画的に仕組んだのかもしれませんよ」

 血走った視線が私をにらむ。言ってることが強引過ぎるだろ。どうあっても犯人に仕立て上げたいらしい。

「ですが、その証拠もありませんよね?」

 対して森田教員が柔らかい口調で言うと、ゴリラの気勢もわずかに薄らいだ。

「それもこいつに吐かせれば」

「先入観だけで生徒を疑うのは感心しません。我々が慎重さを失えば、それこそ真相究明は先延ばしになってしまいますよ」

 多少は冷静になったのか、ゴリラは口ごもる様子で体を引いた。

「で、では森田先生はどのようにするべきだと?」

「そうですね……。事が事ですので、すぐにでも警察を呼ぶのが妥当でしょう。後の判断は専門家に任せる方が良い」

「しかし、それでは生徒達が不安がるのでは?」

「止むを得ないでしょう。事態を放置しておく方がよほど不安を煽ります。教頭と校長には僕から話します」

「わかりました、先生がそうおっしゃるなら……」

 ゴリラはバツが悪そうに頭をかくと、すぐに毅然とした態度に立ち直って私をにらんだ。納得はしていないらしい。

「そういうことだ、お前はもう帰れ」

「はい」

 私は森田教員に軽く会釈をすると、淡々と教室を後にした。

 まったく、どこまでついてない一日なんだ。こんなことなら宿題なんて放り出して、忘れたとでも口実をつけてしかられた方が良かった。……まあ、結果論になってしまうし、宿題を忘れたなどという選択はこの学校ではありえないのだろうけど。

 昇降口で靴に履き替えていると、「ちょっと君」と、追いかけて来たらしい森田教員に呼び止められた。

「これを」

 森田教員はメモ用紙のようなものを手渡す。急いで書いたのだろう、読みづらい走り書きが短くまとめられていた。「理数科一年二組、月島明子( つきしまめいこ)」と書かれてある。

 ……誰? 

 人の顔を覚えるのは苦手な上に、学科が違う生徒のことなど知るはずもない。校舎も違うし。

「あの、この人は?」

「もし良かったら、明日にでもその子を訪ねてみるといい。きっと君の助けになってくれると思うから」

「え、いやあの……」

 なんと返せばいいか戸惑ってる内に、行ってしまった。助けになるったって、名前も顔もわからない奴をどう頼れってんだ……。

 私はもう一度メモの名前に目を落とすと、握り潰してカバンの中に押し込んだ。冷静に考えて、誰かに頼る必要なんてどこにある? 森田教員は警察へ連絡すると言っていた。後はプロの人がなんとかしてくれるはずじゃないか。私が困る状況になるとはとても考えられない。



 という考えが甘かったと痛感したのは翌日になってからだった。騒動がニュースに出たことで学校は騒然となった。朝から警察車両がいくつも関係者駐車場を出入りしているし、事件が発生した女子更衣室も閉鎖され、物々しい調査が行われているようだ。

 在校生には朝の緊急集会で詳細が語られた。校内で盗撮未遂事件が発生したこと。警察に何かを聞かれたら協力的に情報提供を行うこと。不安がらずにいつも通りの生活をすることなどを聞かされた。

 一限目の授業中に私も呼び出された。第一発見者としての情報提供が目的のようだ。昨日見たことをこと細かに証言すると、何の疑いをかけられることもなく教室に戻された。

 やはり専門家は軽はずみに疑ったりしないなと感心していたのだが、一般生徒にはそんな理屈も通用しないようだった。

 県立桜峰女子高校。「普通科」に加え、進学を目的とした特進クラスの「理数科」の二つの学科を持つ、県内有数の進学校。OBには有名政治家もいるらしい。生徒数は両学科・全学年合わせておよそ六百人。県内の公立校では最大級の部類に入る。

 そして、人が多ければ噂の流布も速い。

 普通科の特別棟で盗撮事件があり、犯人はどうやら、普通科一年一組の日野円という生徒らしい。登校した時点ですでに、私に対する敬遠の眼差し。警察に呼び出されたことが拍車をかけた。先行していた噂が現実味を増し、誰しもが私をそういう目で見始める。

 後は単純だ。廊下を歩くだけでヒソヒソ話。授業中に伝言容姿が回っていたが、私にだけは回って来なかった。移動教室から戻ると、机の上にカッターで「盗撮犯は死ね」と彫られてあった。トイレに入ったら妙な悪寒を感じ、個室のドアにへばりついたところ、便座の付近に大量の水が振ってきた。ドアの外で、誰かがバケツを投げ捨てて逃げ出す物音が聞こえた。

 まったく、やることが露骨すぎる。見えないところからじわじわと追い詰めて制裁を加える、いじめとして典型的過ぎる例だ。アリが遺伝子レベルで同じ行動をするように刷り込まれてるみたいな、そういうワンパターンなことしか考えられないのだろうか。まあ、単純であるがゆえに効果が高いというのもあるのだろうが。

 手を洗って外に出ると、人目を忍ぶようにして一人の生徒が駆け寄って来た。唯一私が友人と呼べる存在、春野真澄(はるのますみ )だ。小学校からの付き合いで、地元から離れたこの高校に一緒に進学した、貴重な同郷の好でもある。

「ね、大丈夫? 今何人か逃げるように出て行ったけど……」

 和み系女子である真澄の表情が不安に歪んでいる。私と違って、真澄は感情が表に出やすい。本気で心配してくれているというのが伝わって来る。

 だからこそ、私は冷たく繕って言う。

「大丈夫だから、しばらく私に近付くな」

「え?」

 真澄の表情が衝撃に満ちる。少し心が痛む。

「私に関わってると、お前までいじめの対象にされる。ほとぼりが冷めるまで話しかけないで欲しい」

「そんな、でも……」

 真澄はもじもじと視線を泳がせた。ダメだ、と感じた。こいつは優しすぎる。私のほうから無理矢理にでも距離を置かないと、このままずっと平行線だ。それに、もし私と同じことをされてしまえば間違えなく耐えられない。

「いいから、な」

 ポンと肩に手を置いてから、私は振り返ることもなく教室に戻った。昼休みになるとまた現れそうな気がしたので、四間目の授業が終わるとすぐに教室から抜け出し、体育館の裏に逃げ込んだ。体育館の反対側は山の斜面になっているので人目にはつかない。整備された壁に背中を持たれかけ、一つ息を吐く。

 さて、どうしたものだろう。今日のような嫌がらせを続けられたところで別にどうということはないのだが、問題はこのことがもっと大きくなり、実家に話が行ってしまうことだ。私はこの学校に進学するため、両親――特に父親の反対を押し切って地元を離れ、電車で三時間も離れたこの地で一人暮らしを始めている。携帯には母親の心配メールが一通。このまま生徒間で私が疑われている状況が続けば、いずれは親元に真実とは異なる情報が伝わってしまう可能性がある。そうなれば間違いなく、強制退学。それだけはなんとしても避けなければならない。

 ならばどうすればいいか。現状を打破する方法は一つ、事件の迅速な解決。私が犯人ではないという事実が証明されれば嫌がらせも自然と消失し、全てが元に戻る。

 一般人の私には警察の調査がどこまで進捗しているかがわからない。ならば、私自らが調査するしかない。下手に動くとかえって怪しまれる危険性もあるが止むを得まい。そもそも他人に頼るというスタンス自体、嫌いなんだ。自分のことは自分でけりをつける。昔からそうしてきた。

 問題はどうやって状況を打破するか、だが……。

 腕を組んで一人考えにふけっていると、ふと、体育館の縁に人影が立った。短髪で、小柄で、いかにも活発そうな少女がそこにいて、私をニヤニヤ顔で見ている。ああ、こんな場所にも冷やかしが来たか。ご苦労なことだ。

「いやはや、実に単純な発想だね」

 少女は笑みを崩さず、のそのそともったいぶるような足取りで近付いて来る。

「人目を避けるために体育館裏に逃げ込む。うん、実に模範的で原始的な逃避方法だよ。おかげで探すのも簡単だった」

 少女は私の前で立ち止まると、頭の先からつま先までじっくりと眺め回す。この時も笑顔はそのまま。ここまで堂々としてると、逆に清清しさすら感じる。

「なんか用? 今忙しいんだけど」

「そんな風には見えないけど?」

 少女はケロッとした様子で言った。確かに言うほど忙しくもないし、どちらかと言えば途方に暮れている感覚ではあったのだが、煽ったつもりの言葉を冷静に返されてしまうと、なんだか負けた気分になる。

「どっかの誰かさんを相手にする暇がないって意味だ。教室で自習でもしてろよ。時間の無駄だぞ?」

 軽くにらみつけてやるが、少女は柔和な笑みを崩さない。

「生憎と、その無駄こそがボクの仕事でして」

「損な人生だな」

「まあまあ。ボクは別に君を冷やかしに来たつもりはないから。そんな価値もなさそうだし」

「いや、十分ケンカ売ってるだろ」

「本音を言ってるだけなんだけど」

 少女は心底不思議そうな目で私を見る。偽りではないようだ。つまりこいつは、正真正銘の無神経。面倒なのに絡まれてしまった。

 自然とこぼれていた呆れ顔を見て、少女は慌てた様子で弁解した。

「あ、ごめんごめん! 今のは忘れて! ボクってば、昔から本音を隠せない性格なんだよ」

 人の感情を逆撫でする能力は高いらしい。お願いだから、早くどっかに行ってほしい。

「いいから、さっさと帰れよもう。本気で忙しいんだ」

 その場から離れようと歩き出すのだが、少女は後ろに着いて来た。

「着いて来んな」

「ねえねえ、さっきから冷やかしだのなんだのって言ってるの、昨日の盗撮事件のことなんだよね?」

「人の話を聞いてんのか!」

 足を止め、振り返りながら怒鳴る。頭一つ低いところで、少女は笑みを崩さずに言った。

「ね、ボクにも手伝わせてよ」

 一瞬、何を言い出したのか分からなかった。少し考えて、ああやっぱり人の話を聞いてないなと思った。

「手伝う? 何を」

「だから、その盗撮事件の調査。忙しいって言うのは、自分の身の潔白を証明したいって意味だよね?」

「いらねーよ」

 私は突き放すように視線をそらす。

「なんでテメエみたいなわけのわからんアホに手伝ってもらわなきゃならないんだ」

 そこまで落ちぶれた覚えはない。

「アホにしかわからないことだってあるかもよ?」

 開き直りやがった。なおのこと重症だな。

「お前みたいのに何が分かるってんだ」

「わかるかもしれないし、わからないかもしれないね。それは調べてみないとなんとも。でもね、ボクも事件を解決したいっていう気持ちは本物なんだよ? だからこうして君に接触したんだよ。それだけは信じてよ」

「信用ならない」

「お互い様でしょ? まだ君が犯人だって可能性は消えてないんだから」

「疑ってるのかそうじゃないのか、どっちなんだ」

「だから、調べなきゃわからないんだって。今ボクの手元にある情報は、君が犯人として疑われてること、そして、君を犯人じゃないと考えてる人がいること」

「何?」

 私の無実を信じてる奴?

「森田先生だよ。知ってるかな、普通科三年生の学年主任をやってる人なんだけど」

 昨日ゴリラと一緒にいた、生徒指導の担当者か。

「ボクは森田先生に頼まれて来たんだ。日野さんはウソをつくような人には見えなかった。事件をなんとか進展させて、彼女を楽にさせてあげて欲しいって」

「それは本当なのか? いや、待て」

 私は自らの言葉を遮って、少し頭を整理してから、

「森田先生がそう思ってるとして、なんでそれをお前に頼むんだ? そもそも誰だよ」

「そういえば、自己紹介がまだだったね」

 少女はにんまりと口元をほころばせ、

「ボクは理数科一年二組、月島明子っていうんだ」

 私はハッとして、制服のポケットに手を突っ込んだ。今、ここには森田教員にもらったメモ用紙がある。そこには確か、今名乗ったものと同じ人物の前が明記されていたはずだ。困ったら頼れと言われた、素性も何も分からない謎の人物。それがこのバカのことか。

「どう? 少しは信じてもらえた?」

 少女はニコッと微笑み、私の返答を待っているようだ。信じるか信じないかで言えば、やはり信じられない。というか信じる要素が今の会話にあったか? 自己紹介程度しかまともにしてねーだろ。

 それに、森田教員が味方であるという保証もない。こいつを使って、逆に私を陥れようとしている可能性だってある。学校側は早期解決を望んでいるだろうしな。私が犯人として見られたまま追い詰められ、自主退学でもすれば事件は一応の解決を見せて終息するだろう。

 ならば答えは一つ、この月島なる少女を追い返すこと。しかし、口に出ない。逆に、こいつを信じられないと断言する根拠もないからだ。

 私は現在、窮地に立たされていると言ってもいい。疑わしい奴であっても、利用出来るものは利用するべきだ。

「……勝手にしろ」

 投げ捨てるように言って、校舎へ向かって足を進める。月島はひょこひょこと、小鴨のような足取りで後に着いて来る。

「信用してもらえたってことでいいのかな?」

「んなわけねーだろ。本当に味方となり得るかどうか、お前の行動を見て判断させてもらう。それだけだ」

「用心深いんだね。一説では面倒臭い性格とも言える」

「一言余計だ」

 こいつとは絶対に友達になりたくない。私はそう確信した。



 普通科特別棟の周囲には生徒の姿も、警察の姿もない。問題の女子更衣室の前はいつにも増して閑散としているように思える。二つある出入り口には赤いカラーコーンが置かれ、『関係者以外立ち入り禁止』という張り紙が貼られている。警察ではなく、教師の誰かが設置したものらしい。

「うーん、やっぱり立ち入り禁止なのか~」

 張り紙を見つめながら、月島は少し落胆した様子を見せた。そして、顔だけこちらに向けて言う。

「で、ここで何するの?」

 固まった。別に何かをしようと思ってここへ来たわけではない。ただなんとなく、事件現場を訪れれば気付くものがあるかもしれないという浅はかな考えしかなかった。実際に来て見たところで何も思いつくはずもない。それもそうだ。私はあの事件に巻き込まれた被害者の一人で、概要も何も知らないんだから。

「……別に、ただ見てみたくなっただけだ」

「ふーん?」

 無機質にそうつぶやいた月島は再びカラーコーンを興味深そうに見つめ、おもむろに立ち上がると、更衣室のドアに手をかけた。

「ちょ、ちょっと待て!」

 あわてて静止すると、月島はきょとんとした様子で振り返る。

「何してんだ! 中は立ち入り禁止だぞ」

「見ればわかるよ」

 呆れたような目をされた。

「じゃあその右手はなんだ!」

 つい声を荒げてしまった私に、月島は悪びれる様子もなく、

「だって、中に入らないと調べられないし」

「抜け抜けと言うな! 勝手に入ったら怒られるだろ」

「当たり前じゃん」

 もうどこから怒ればいいのかわからない。呆れる私を尻目に、月島は女子更衣室のドアを開けようとするが、鍵がかかっている。当然だ。もう一方のドアも閉まっていることを確認すると、今度は廊下へ四つん這いになった。教室の壁には、足元に換気用の小窓が設置されている。そこから中へ侵入を試みているらしい。

 さすがに開いてるはずないだろうと思って見ていたが、一番奥側の出入り口の小窓が開いてしまった。ずさんな管理だな、おい。月島はこれ幸いとばかりに体を小窓にねじ込ませ、教室の中へ消える。すぐに手だけが出て来て、ちょいちょいと私を手招きした。

 もうどうにでもなれ。半ば自暴自棄になりかけながら、私も小窓をくぐり女子更衣室へ侵入する。

 室内は昨日のままになっている。更衣室と言っても部室のようにロッカーが大量に並んでいるわけではない。基本的なつくりは一般の教室と全く同じで、机とイスが規則的に並べられている。あくまでも体育館の授業前で使う簡易的な着替え場所で、他の設備と違って特別性はない。窓の外には中庭、普通科の教室棟が見えるはずなのだが、事件の影響からか全てのカーテンが固く閉ざされていて、昼だというのにかなり暗い。机がぐちゃぐちゃなのもそのまま。荒れた風景が、この場所を学校という概念から外れた別次元の風景のように思えて、妙に息苦しい。

「いや~、見事に荒れてるね~」

 月島が教室を見渡しながら言う。

「昨日もこんな感じだったの?」

「……まあ、そうだな。現場保存って奴だろ」

「ふ~ん?」

 月島は興味深そうに教室の後部に目を向ける。一般教室と同じカバンをしまうための、腰の高さほどの棚。上には物を置けるようになっている。

「カメラがどこに置いてあったか覚えてる?」

「棚の中央列。最上段の中」

「つまり、カメラはずっと正面を向いてたわけだね」

「棚の中にあったんだから前方しか映せねえだろ」

 私は教室の前方にある教壇を指差す。カメラのあった位置から映るのは、教室の中央部分のみ。

「ふーん?」

 月島は意味深に何度も頷きながら、教室の中をぐるぐると徘徊し始める。掃除用具の入っているロッカー、カーテンレール、机の中、教壇、チョーク入れ。様々なところを入念に調べているようだが、正直、何をしているのかさっぱりわからない。

「それでなんかわかるのかよ?」

 呆れて廊下側の壁にもたれかかる私に、月島は表情を悩ましげに引きつらせながら、

「なんでカメラをそんなとこに置いたのかな」

「あ?」

 なんでそんなことを気にしてんだ? 戸惑う私に、月島は淡々と説明を始めた。

「ロッカーの中に隠されてたとは言ってもさ、やっぱ、目には付きやすい場所だと思うんだよね。だからって隠し場所に困ったかと言えばそうでもないと思うんだよ。掃除ロッカーとか、カーテンレールの隅とか。一般教室と同じ構造なんだから、いくらでも考え付きそうなものだけど」

 確かに、盗撮は見つかりにくい場所にカメラを仕掛けてこそ。他人にばれたらその時点で終わりなのだから。わざわざ見つかりやすい場所に仕掛けたら、目的そのものが頓挫してしまうだろう。

 月島は続ける。

「それに、中央に、ってことも気になるんだよね。棚の中にあるんだから、撮影角度は一直線上だけになっちゃうよね? 被写体は出来るだけ多い方が、盗撮犯の心理的には得だと思うんだけど」

「考え過ぎだろ。女の裸が映ってりゃ、なんでもいいんじゃねーの?」

 盗撮犯の心理なんて知らないし、考えたくもないけどな。

「それからもう一つ、カメラが設置された時間帯の推測なんだけどね」

 と、月島は唐突に話題を変える。

「昨日も当然掃除の時間があって、この教室も普通科のどこかが担当してたはずだよね」

「当たり前だろ」

「じゃあ、なんでこの教室はこんなに乱れてるの?」

 私は言葉に詰まった。

「おかしいよね? 掃除のすぐ後なんだから、机とイスは整理整頓されてなきゃならない。誰か放課後に使った? それも考えにくいよね。ここは主に授業で体育館を使う人達が着替える場所で、部活動なら部室で着替えるはずだもん。つまりこの室内を荒らしたのは掃除の後ってことになる」

 熱い答弁を振るうように、月島は教室を横断しながら続ける。

「それにね、掃除をしてる時に忘れ物に気付かないはずがないと思うんだよ。よほどサボって手を抜いていたなら話は別だけど、さすがにクラスの一班、五人も六人も集団でサボってたら人目につくし誰かが気付いてたはずだよね。つまり、これらの情報から導き出される仮説はこうだよ。掃除はいつも通り真面目に行われた。そして掃除が終わった後、何者かがこの教室に侵入し机をぐちゃぐちゃに荒らして、教室後方のロッカーにカメラを隠した」

「ちょ、ちょっと待て」

 私は我に返り、月島の仮説を整理しながら口を開く。

「掃除が終わってから私がここに来るまで、終礼を挟んでたとしても十五分前後だったはずだ。終礼の終わる時間はクラスによってまちまちだとして、そんな短時間でカメラを持って移動出来るもんか?」

「それはなんとも言えないね。一つ言えるのは、この説が正しければ、君の無罪が証明されるってことだよ」

「……ん?」

「当然君も昨日どかかの掃除を担当してたよね? 班ごとにやるはずだから、君は誰かと一緒に行動してたはず。ほら、アリバイが出来たじゃん」

 放心してしまった。今の私は、海岸沿いに佇むモアイのそれだった。

 まさしく私の掃除担当は自分の教室で、その後すぐに終礼に参加したため教室からは出ていない。同じ班の面々もそう証言してくれるに違いない。

 なるほど。仮説とはいえ、一応話の筋は通っている。

 少ない情報の中で自分なりの回答を導き出し、物事を順序立て、論理的な根拠を次々と繋げて一つの物語に仕立て上げてしまう考察力。

 ひょっとするとこいつ、ただのバカじゃないのか?

「ま、それにはまずボクの推理が正しいと証明しなきゃいけないんだけどね。当面考えなきゃいけないのは、なんで教室の中を荒らす必要があったのかってことと、なんでこの教室を盗撮の舞台に選んだのかってことかな」

「どういうことだ?」

「放課後に盗撮を狙うなら、使われる見込みの少ない女子更衣室より、運動部の部室を狙うんじゃないかな、普通」

 まあ、確かに。授業じゃないのにここを使う奴は少ないだろうな。

「思うに、この犯人はよほど入念に計画を練っていたんだと思うよ。それから、たぶん盗撮の目的は……」

 濁すように言うと、月島は突然しゃがみこみ、入って来た小窓から廊下に出て行った。行動に整合性のない奴だ。

 後を追って廊下へ出ると、月島は廊下の窓をジッと観察している。昨日、事件の直前に割れていた窓ガラスだ。事務員が直したのだろう、今はすっかり元通りになっている。

「なんでこの窓ガラスは割れたんだろう」

 月島は真面目な表情で尋ねる。

「そりゃ、外から石が投げ入れられたからだろ。そこは運動部の奴らが部室棟へ向かうための近道だからな。ふざけて石蹴りでもしてて、それが飛んで来たんじゃないのか?」

 普通科特別棟の裏手は山になっており、沿っていくと体育館にぶつかる。さっきこいつと出会ったのもその山肌のすぐ真下。さらに体育館の裏手に沿って行くと隣接する形でプール。さらに進めばグラウンドにぶつかり、ちょうど敷地の隅にあたる二階建てのプレハブ建屋、部室棟がある。普通科の校舎は山側、理数科の校舎はグラウンド側。理数科の運動部員はそのままグラウンドを突っ切る形で部室棟へ向かうが、普通科の生徒はグラウンドを経由する者と体育館裏を経由する者、二通りの選択肢があるらしい。距離的にほとんど差はないのだが、体育館裏から回りこんだ方が早いとする説があるようだ。

「それにしたって都合が良すぎない? 盗撮が発覚する直前に、現場のすぐ横のガラスが割れたんだよ?」

「単なる偶然が重なっただけだろ」

 私達が調べようとしているのは盗撮事件。こんなものが関係あるとは思えない。

「……ま、そうだね」

 月島がそうつぶやいたところで、昼休み終了十分前を告げる予鈴が鳴った。

「ボクはもう行かなきゃ」

 そう言うと、東雲は唐突に昇降口のある教室棟へ向かって走り出した。理数科の校舎へ行くには、一度外に出なきゃならないからな。

「放課後になったら普通科職員室前で待ってて! 話を聞きたい人がいるから!」

 そう一方的に言い残すと、月島は通路の奥に消えてしまった。……というか待て。いつの間にか私があいつに合わせる形になってないか? 本来なら私があいつを利用する手はずだったような気がするのに……。

 いや、まあいい。この際、お互いの立場などに頭を使っている場合じゃない。経緯はどうあれ、月島の手によって新しい可能性が見え始めている。

 認めざるを得まい。おそらくあいつは、私の味方。事件解決を楽しんでいる節があるのは若干癪に障るが、突然現れた唯一の協力者を手放すわけには行かない。付き合ってやろうじゃないか。



 放課後。職員室の前で合流した私は月島の後ろに続き、ある教師の席へ向かった。生徒指導のゴリラ武藤だ。

「すいません、少しお話よろしいですが?」

 机の上でプリントに目を通していた武藤は、月島に反応して面倒臭そうに顔を上げた。私を認識するなり眉間にしわを寄せる。なんだよその顔。

「理数科一年の月島といいます。昨日の盗撮事件に関して、先生に少々お話を伺いたいのですが」

 ゴリラの意識は話し掛けている月島ではなく、私に向いていた。状況を整理したのか、短く鼻で笑う。

「なるほどな。不安でしょうがないから自分に都合がいいように話を盛ろうって魂胆か?」

 言い終わるなり、ゴリラの目つきが野獣のそれになる。

「その件なら警察に一任してるはずだぞ。生徒が遊び半分で首を突っ込むんじゃない」

「決して危険なマネはしません。あくまでも一学生による情報収集程度のことですので」

 と、月島は全く動じることもなく答えた。結構肝が据わってるんだな。

「ふん」

 私達がひるまなかったことが不服だったのか、ゴリラはムッとした顔で「話してみろ」と短く言い、腕を組む。太い手首に巻きついた、値の張りそうな腕時計が光を放つ。

「ありがとうございます。盗撮に使われたカメラなんですが、もう警察に提出してしまいましたよね? どんなカメラだったか覚えていますか?」

「別段変わったところもない、一般的に売られてる普通のカメラだ」

「型番とかは覚えてないですよね?」

「そんなの覚えてるはずないだろ」

 ゴリラは面倒臭そうに月島をにらむ。

「そうですよね、失礼しました」

「話は終わりか? さっきも言ったと思うが、俺は忙しいんだ」

「あ、ではもう一つだけ」

 月島は緊張感のない笑みで、

「事件発覚の直前、現場近くの窓ガラスが割れましたよね? あの犯人は見つかったんですか?」

 ゴリラはなんでそんなことを聞くんだ、という目をした。私も同様。またその話か。

「盗撮事件の話を聞きに来たんだろ? そんなの聞いてどうする」

「いえ、単なる興味本位です」

「その件に関しては目撃者がいないから詳細はわかってない。ま、どうせ運動部の連中がふざけて割ったんだろうがな」

「そうですか。ありがとうございます」

 月島は軽く会釈をする。結局何を聞きたかったんだこいつは。これで終わりかと思った私は、すぐさま体を反転する。疑われてる身として、大量の教師陣の中に長く居座るのは居心地が悪い。

 そんな私の心情を察することもなく、月島は唐突に「あっ」と言ってゴリラの机を指差した。まだ新品と思われるノートパソコンが閉じた状態で置いてある。

「それ、もしかして最新型ですか?」

「わかるのか?」

 さっきまで邪険に振舞っていたゴリラの態度が、突然柔らかくなった。

「実は私も近々買い換えようと思ってるんです。まだ出たばかりでは、結構高かったんじゃないですか?」

「まあな。なけなしの小遣いを貯めてようやく買えたんだ」

「小遣いと言いますと?」

「去年結婚したんだ。八月には子供も生れる予定でな、お金が必要だからって、せっせと節約してるんだ」

 ゴリラを好む女性がいたのか。動物園にでも住んでるのか?

「なるほど。建設的ですね」

 月島が事務的な笑顔で返すと、ゴリラは「いやいや」と謙遜気味に笑った。財力を見せびらかす機会が出来て嬉しいのだろう。まあ、万人受けするタイプの人間じゃないだろうし、こういう人より上にいるんだってアピールで自己を保ってるんだろう。小さい奴。

 私は机の上へ視線を移す。パソコンの他には書類の綴じられたファイル、小型の卓上カレンダー、湯飲みや筆記用具などなど。多種多様な物が置かれており、全て整理整頓が行き届いている。見た目に似合わず几帳面な性格のようだ。

「ではすいません、今度こそ失礼します。お時間をとらせてしまってすいませんでした」

 再度礼をする月島に続き、私も職員室を出た。放課後とあって廊下には多くの生徒が往来している。何人かは私を見て不快感を露にしている。中には、私達が出て来た出入り口を素通りして、わざわざもう一つの入り口へ遠回りする奴もいた。どうやら同級生のみならず、先輩達にも私の噂が流れているらしい。面倒臭い奴らだな。

「なんであんなこと聞いたんだよ」

 そう言うと、月島は「へ?」と目を丸めた。

「ガラスの件だよ。何をそんなにこだわってんだ」

「なんか、ちょっと気になるんだよね~」

「どこが?」

「んー、どっかが」

 ため息がこぼれた。適当に受け答えしてないか、こいつ。

 と、その時不意に右手に衝撃。職員室に入ろうとした生徒とぶつかってしまった。目つきの鋭い、貫禄のある女子生徒、胸元の校章が緑色。三年生か。

「邪魔! 出入り口でいつまでもぼさっとするな!」

「すいません」

 そう言いながら頭を下げると、先輩は怒り混じりに鼻を鳴らして職員室に入って行った。

気性の荒そうな人だ。確かに悪いのは私だが、あそこまで怒る必要はないのに。

 また同じようなことに遭うのは嫌なのでドアから一歩横にずれると、月島がいつになく真剣な眼差しをしている。

「よし、今の人と話してみよう」

 なぜそうなる?

「なんで?」

「んー、なんとなく」

 またそれか。こいつはいつもなんとなくで日常生活を送っているのか? 桜峰はなんとなくで受かれる偏差値ではないんだが。

 半ば呆れていると件の女子生徒が出て来た。すかさず月島が声を掛ける。

「あの、ちょっとお話よろしいですか?」

「はい?」

 先輩は不機嫌そうに月島をにらむ。

「……どちら様?」

「理数科一年の月島といいます。昨日の盗撮未遂事件について調べています」

「盗撮事件……?」

 少し考えた後、先輩は納得したように私をにらみ上げ、

「ああ、こいつがカメラを仕掛けたって奴でしょ?」

「日野さんのことをご存知なんですか?」

「当たり前じゃない。もう普通科の生徒じゃ知らない奴はいないでしょ? 犯人がわかってるのに何を調べてんの?」

 やはり先輩方も私が犯人だと信じきっているのか。

「実はそれに関して新しい情報が入りまして、ボクがその調査を」

「そうなの」

 少女は興味なさそうにつぶやき、

「で、私に何か用? これからすぐ部活なんだけど」

 この時私は若干の疲弊を感じた。この先輩が自分を見る目は、月島を見る目とは違う。軽蔑や敬遠ではなく、明確な怒りを持っているような気がする。

「ああすいません、すぐ済みますので」

 対する月島は一切ひるむ様子もなく、

「先輩のクラスとお名前をお伺いしても?」

「…… 菅沼千尋(すがぬまちひろ )。三年ニ組」

「これから部活ですか? ちなみに何部なんでしょう」

「陸上部」

 ゴリラが担当してる部活か。体付きは細身に締まっていて、見るからに足が速そうだな。全て第一印象から来る偏見だが。

「もしかして、部長さんですか?」

 要所を突いた質問に、先輩は眉をひそめた。

「なんでわかるの?」

「それ、手に持ってるのは練習メニューのようですから。てっきり責任者じゃないのかと」

 先輩はプリントを隠すように上着のポケットにしまう。

「だとしても、あなたには関係ない」

 もういいでしょ。菅沼先輩は強引に話を打ち切ってその場から離れて行った。その姿が消えたのを見計らってか、月島は唐突に、

「じゃ、ボク達も行こうか」

 と切り出す。

「行くってどこに」

「昨日、女子更衣室前で動けなくなってた子のこと、知ってる?」

「いや、全然」

 言われてみればあの子はどこの誰なんだ? 自分のことに手一杯で、相手のことなんて少しも気にしていなかった。

「実は森田先生に依頼をもらった時、一緒に聞いておいたんだ。女子生徒の名前は 秋川里穂(あきかわりほ )。普通科一年四組。部活動は、陸上部」



 陸上部の活動は主に第ニグラウンドと呼ばれる場所で行われている。学校の敷地内には第一と第二の二つのグラウンドがあり、第一は学校から道路を挟んだ反対側にある。こちらは主に野球部とソフトボール部しか使用せず、関係無い生徒はほとんど訪れる機会はない。第二は全校生徒が利用する一般的な場所で、グラウンドの隅にはテニスコートが八面。メインで使うのはサッカー部で、陸上部はグラウンド脇の直線スペースを使っているようだ。

 私達が陸上部の集団に近付いて行くと、「おい!」と呼び止められた。部室棟に向かっていたらしい菅沼先輩が、急な方向転換をして早足で近付いて来る。

「部外者がなんの用?」

「すいません。秋川さんという子に少しだけ話を聞きたいんですけど、ダメですか?」

「ダメだ」

 菅沼先輩は目つきを鋭くし、

「その一件で、あの子は疲れてる。活動にも支障をきたしかねない。お引取り願おうか」

「どうしても、ですか?」

「さっさと帰れ」

 取り付く島もなさそうな雰囲気。よほど部活熱心で仲間思いな人らしい。こりゃ、この人がいる限り部員に近付くのは難しそうだな。

 諦めようといういう意思のアイコンタクトを送ると、月島はため息混じりに肩を落とした。上手く通じたんだと思ったのも束の間。校舎へ戻り始めていた私達だが、少し歩いたところで、月島は再度急転回して陸上部の集団に向かって全力疾走。あっという間に私の手が届かない距離に進んでいる。先輩が部室棟に入るタイミングを見計らっていたらしい。

「おい!」

 という言葉も届くはずがない。こいつには他人への配慮というものがないのか。そう悪態をつきながら後を追う。

 後ろに着いた時、月島はすでに陸上部の集団に達しており、群れを裂くようにして一人の女子生徒が出て来たところだった。その顔を見て、思わず「あっ」と声を漏らしてしまう。間違いなく、昨日女子更衣室で脅えていた少女だ。長い髪をポニーテールに結っており、表情は冴えない。先輩が言っていたように、まだショックが癒えていないのがわかる。

「あなたが秋川さんですか?」

 秋川は不安げな声で、小さく「はい」とだけ答えた。大人しそうな子だ。秋川は後から追いついた私を見ると、わずかに身をひるませた。なんと声を掛けるべきか逡巡する間もなく、月島が次の質問を投げかける。

「ボク達は昨日の盗撮事件について調べている者です。単刀直入に伺いますが、秋川さんは昨日、なぜ女子更衣室に行ったんですか?」

 秋川は不安そうに目を泳がせながら、

「それは……先輩と一緒に特別棟の裏を歩いていたらゴミが落ちていたので、先輩に女子更衣室からチリトリを持って来てと言われて……」

 特別棟の一階には、体育館へ繋がる渡り廊下がある。出入りは自由に出来るため、校舎裏から最寄の掃除用具入れは問題の女子更衣室ということになる、ってことか。

「その先輩というのは誰ですか?」

「部長です。さっき話されていた、菅沼先輩……」

「その時、周囲に人は?」

「いませんでした」

「間違いないんですね?」

 秋川は自信を持って頷く。月島は部室から菅沼先輩が出て来ないのを確認し、

「菅沼先輩とは仲が良いんですか?」

「えっ?」

 なんでそれを? といった感じで、秋川は目を丸める。

「いえ、なんとなくそんな気がしたものですから」

「確かに先輩とは小学校からの付き合いです。桜峰を選んだのも、先輩がいるならって」

「そうなんですか。じゃあ最後にもう一つだけ、現場近くの窓ガラスが割れた件なんですけど……」

 そう言いかけたところで、凄まじい殺気を含んだ怒号が遠くから響いた。私達を見つけた菅沼先輩が部室棟から肩を怒らせながら歩いて来る。表情は般若のようにおそろしく歪んでいる。

「じゃ、じゃあボク達は失礼します! ありがとうございました!」

 月島は叫ぶように言いながら、全速力で校舎に向かって逃げ出した。私は秋川に対して一言、「真犯人は必ず見つけてやるから!」と伝えてからその場を離脱。一人取り残された状態で般若の相手をしたくない。

 先輩は追って来るつもりはないようだ。理数科校舎の角を曲がったところで月島と合流し、揃って乱れた息を整える。

「お前さ、もう少し慎重に動けないの?」

「えへへー」

「褒めてねーよ。で、なんであんなこと聞いたんだ」

「あんなこと?」

 月島は首を傾げる。とぼけやがって。

「菅沼先輩と仲が良いのかって質問。どうしてそう思ったんだよ」

「うーん、なんとなく」

 東雲は校舎の壁に背中を預け、

「秋川さんの話をした時、菅沼先輩は『あの子』って言い方をしたんだ。昨日今日の付き合いじゃないんじゃないかなーと思って」

 へえ。たったあれだけの会話でそんな細かいことにまで気付けるもんか。やはり観察力と洞察力は、私よりずば抜けて高い。

「日野さんもボクのこと名前で呼んでくれていいんだよ? お前とかてめえじゃなくて」

「昨日今日の付き合いだから良いんだよ。事件さえなんとかなりゃ赤の他人だろ」

「冷たいなー。この出会いが楽しい学園ライフの始まり! とかいう発想はないの?」

「ない」

 即答した。多少は見込みのある奴だとは思うが、この一癖も二癖もある面倒臭さを差し引くと大きくマイナスになるからな。

「もう、かわいげがないんだから~」

 月島はへらへらと笑うと、ふと、何かに気付いたかのように視線を左手へ向けた。理数科の教室棟と特別棟をつなぐ渡り廊下があり、さらにその先には学校の正門がある。花壇と木が整備して植えられており、開けた土地は教職員の駐車スペースになっている。そこではちょうど、ゴリラ武藤が自分の車のドアを閉め、校舎へ引き上げるところだった。

 姿が見えなくなると、月島はまたも脈絡なく駆け出す。私は無言で後を追った。この動きに慣れ始めている自分が怖い。

 ゴリラの車は黒塗りの軽自動車。最近CMなどで頻繁に宣伝されている、燃費がどうちゃらとかいう最新型だ。教師はお金持ってんだなあと思いながら見つめていると、月島は大胆に窓ガラスに手を当てながら車内を覗き込んでいる。

「おい、ばれたら怒られるぞ」

「ばれなきゃ合法だよ」

 犯罪者の手法である。もはや止めまい。いざとなったらこいつだけ突き出して自分は無罪を主張しよう。そう言い訳の算段をつけていると、月島は「あっ」と言って車内を指差した。見ると、助手席の座椅子の上に腕時計が置いてある。

「あれ?」

 私は首を傾げる。

「武藤の奴、さっき腕時計してたよな?」

「職員室で見たのとは別の種類みたいだよ。しかもこれ、市販の安物だね」

 確かに座椅子に乗っているのはホームセンターなどで良く見かける、いかにも量産品といった安っぽい作り。職員室で身に付けていた物より格段に値が落ちる。

「ま、腕時計を二つ持ってることぐらい良くあることだろ。そんなことより、次はどうすんだよ?」

 と尋ねると、不意に東雲の様子が変わった。口元に手をあて、虚空を見つめる。

 その眼差しに、私は寒気を覚えた。

 深い。そして暗い。

 へらへらと不敵な笑みを絶やさないおとぼけ野朗だったはずなのに、今はどうだ。張り詰めた視線。殺気すら感じさせてしまう深淵の眼。さっきまでを光と称するなら、これは闇。不明瞭な色。色すら感じさせない色。全てを飲み込み、自分の色に塗り替えているかのようだ。身じろぎ一つしない。恐ろしい集中力で何かを考えている。かろうじてその程度はわかった。

 何秒、何分そうしていたか。月島は不意に顔を上げると、理数科の校舎につけられた壁時計に目をやった。時刻は午後四時半付近を指している。

「おい、どうかしたのか?」

 おそるおそる声を掛けると、月島はニカッと歯を見せた。

「わかったよ、なんとなく」

「何が?」

「この事件の犯人とか、そんな感じの」

「ほんとか?」

 思わず声が上ずってしまった。

「で、誰が犯人なんだ?」

「まだそう決まったわけじゃないよ。あくまで仮定だから」

「仮定でもなんでもいい。教えろ」

「……教えたら、どうするの?」

 不吉な気配でも感じたかのように、月島の表情が怪訝そうに歪む。

「決まってんだろ。そいつのところに行って直接問いただすんだ」

 犯罪行為をしたばかりか、全く関係のない私まで巻き込みやがって。直接会って文句の一つでも言わなきゃ気が済まない。

 月島は呆れたようにため息を吐き、

「ボクが考えてる人が犯人じゃなかったら、どうするの?」

「は?」

「言ったでしょ? ボクのはまだ仮説で、確定じゃない。そんな状態で本人を問い詰めでもして違っていたら、君は冤罪をかけたとみなされてますます立場が悪くなるよ」

 ぐうの音も出ない。私としたことが、犯人がわかるかもしれないと聞いて気持ちが逸ってしまった。それはいい。それは認めるが、月島の上から目線な態度はなんか腹立つ。

「じゃあどうすりゃいいんだよ」

 どうすれば仮定が確証に変わるのか。それさえ出来れば私の無罪が証明出来る。

 月島は中庭の時計にもう一度目をやりながら、「情報を集めて欲しいんだ」と言って向き直る。

「今ボク達に足りないのは、その人を犯人と断定するための決定的な証拠。でも、それは今はいいよ」

「どっちだよ」

「証拠の方はたぶん、なんとかなると思うから。いや、ボク達じゃどうにも出来ないって言った方が正しいかな?」

 言ってる意味がわからない。

「理由はその時が来たら話すよ。今必要なのは犯人を追い詰めるための情報なんだ。手伝ってもらえる?」

「当たり前だろ」

 手伝う側ともらう側が逆転してしまってるのは多目に見よう。今はこいつの推理にかける方が断然勝率が高い。それに必要だというのなら付き合ってやる。例え嫌いな人間相手だとしてもな。

「じゃあ、今から言うことを全部調べて来て」

 月島は、我が子を愛でる母親のような温かい笑顔で、言った。

「出来れば、三十分以内に」



 息を切らせながら月島の指定した集合場所、普通科特別棟二階の家庭科準備室に入ると、月島はすでに中にいた。三十分間必死に走り回って情報を集めて来た私にねぎらいの言葉もなく、「あ、どうだった?」と端的に尋ねて来る無神経さ。出来ることなら一発殴りたい。

「ふざけやがって……」

「? ボクは真剣だよ?」

「もういい!」

 私は近くにあったイスに力任せに腰を落とし、時計を確認する。五時少し過ぎ。口約通り三十分で戻って来る辺り、我ながら律儀な性格だと思う。

 私は月島に、集めて来た情報を全て教えた。すると月島は笑みを消し、辛辣とした表情で「なるほどねぇ」とつぶやく。

 気になることがある。今回の情報収集で調べた内容は、ある特定の人物に関する情報だった。

「なあ。お前が考えてる犯人って……?」

 そう言いかけて、口が止まる。廊下から人の気配を感じる。足音がした。誰かが家庭科準備室の外を通り過ぎる。ガチャガチャ、という金属がかち合うような音。隣の家庭科室の鍵を開けようとしている。

「行こっか」

 月島が小さくつぶやき、準備室から家庭科室へ繋がる内ドアの前に立って、耳を澄ませる。

「行く、って?」

「犯人に会いに」

 私は咄嗟に体を跳ね起こした。「犯人がここにいるのか!」と声を荒げそうになったが、それに先んじて月島の人差し指が口元に当てられている。私は物音を立てぬよう、そっと月島の後ろに着いた。

「なあ、どういうことだ? お前は犯人がここに来るってわかってたのか?」

「もちろん。だから隣の家庭科準備室で待ってたんじゃん」

 室内の空気が一気に重くなる。こんな急展開、聞いてないぞ。

 さすがの私も緊張を隠せない。熱くもないのに背中を何かが伝う。心拍数が異常警報を示しているのがわかった。

 家庭科室の電気がつく。中で、何か物を動かしているような音がする。

「行こう」

 月島の手がドアノブに触れる。

 糸のように張った緊張感。鉛となってノドを落ちる唾。

 未知の興奮と脅威が武者震いを昂ぶらせ、そして、弾けた。

 月島が勢い良くドアを開ける。その人物は、突然現れた私達にかなり驚いた様子。動揺が顔に出ている。

 家庭科室の長机が規則的に並ぶその奥で、教室の後ろで、その人物は食器棚に設置しようとしていたビデオカメラを背後に隠した。

 もう遅い。すでに目撃してしまった。

「――」

 やっぱり、なのか……。

「やはり、あなたが犯人でしたか」

 放心する私と全く同じ言葉を、月島はその人にかけた。

 陸上部部長、菅沼千尋先輩は隠していたビデオカメラを表に出し、キッと目つきを鋭く尖らせる。しかし、冷静なのは目だけ。行き場に困るようにカメラを持つ手を前後に迷わせ、今さら隠すべきか否か葛藤しているらしい。自然に振舞おうとし過ぎるあまり、逆に不自然さが際立ってしまっている。

「突然何?」

 開き直ったのか、菅沼先輩はカメラを持ったまま腕を組んだ。混乱冷めぬ私に構わず、月島はズバリと斬り込んだ。

「菅沼先輩が盗撮の犯人だった、ということですよ」

 そう言いながら家庭科室の教壇に立つと、得意げな笑みで推理を披露し始めた。

「昼休みに初めて会った時、おかしいと思ったんです。廊下にいた生徒達は日野さんを敬遠し、これみよがしに避けていました。なのにあなたは違った。日野さんが犯人と疑われていたのを知っていたはずなのに、近くを何気なく通り、そしてぶつかってしまった。出入り口に邪魔な生徒がいると認識した時点で、日野さんの存在には気付いたはずですよね?」

「それは……背中越しで顔が見えなかったから、彼女だとわからなかったの」

「それは、ですか」

 月島はニヤリと口角を上げた。

「今の発言はつまり、あの状況で日野さんを意識していた、認識していたと認める発言ですよ」

 それは、という説明口調を使ってしまったことで揚げ足を突いたか。嫌な性格だ。菅沼先輩の「しまった」という顔も、見逃しているはずがあるまい。

「そう、廊下の子達があれだけあからさまな反応を示していたんですから、気付かないはずがないんです。ではなぜ、盗撮犯の側をわざわざ通るという、他の人と違う行動を取るに至ったか。そう考えた時、一つの仮説が生れたんです。もしかすると先輩は、初めから日野さんが犯人じゃないと知っていたから、平気だったんじゃないかとね。だとするなら考えられる可能性は二つ。他に真犯人がいると知っているか、もしくは、自分自身が犯人であるからなのでは、と」

「……面白いことを言うね」

 菅沼先輩は強気に笑いながら、

「じゃあ聞くけど、なんで私が女子更衣室を盗撮しなきゃならないわけ? それをエサにして一儲けしようとでも思ってるっての? 馬鹿馬鹿しい」

「それに関してはボクにも疑問なんですよ。ボクの考えが正しければ、カメラが設置されたのは掃除が終わってから終礼が始まるまでの間です。しかし、その後あの部屋を使う人は滅多にいない。着替えの映像なんて撮れるはずもない。だからボクは考えたんです。そもそもボク達は、更衣室の盗撮=着替えの盗み撮りだという先入観に捕らわれていたんじゃないか、と」

「どういうこと?」

 不快そうに眉をひそめる菅沼先輩に、月島は目を細めて言った。

「着替えではない、別の何かを撮るのが真の目的。そう考えれば、不可解な時間帯の盗撮に、納得の行く理由がつけられるんですよ」

 菅沼先輩の表情が再び曇る。

 私は発声も忘れて、月島の推理に聞き入った。

「秋川さんが言ってましたよ? 部室に向かう途中でゴミが落ちていて、それを片付けるためにチリトリを持ってくるよう先輩に指示されたと。考えてみれば妙ですよね。掃除の直後のはずなのに、どうしてゴミが落ちていたんでしょう。そんなに目立つものだったら、担当者が気付いて撤去していたはずですよね? 調べてみたら、普通科特別棟周りの掃除担当は三年ニ組。そして今週の担当は、先輩のいる班でした」

 それを調べたのは私だ。月島に言われ、周囲の痛い目にさらされながら三年の教室と掃除当番を全て調べて回ったんだ。

「ボクの考える仮説はこうです。先輩は掃除中にわざとゴミを落としておく。掃除終了後すぐに部室まで走り、あらかじめ細工を施しておいたカバンを取って戻り、女子更衣室に設置。そして秋川さんと共に通りかかり、ゴミが落ちているからと最寄の女子更衣室へ誘導した。そこで運悪く秋川さんがカメラを見つけてしまった。この条件なら、掃除後すぐに女子更衣室へ忍び込んで機材を設置するのは簡単です。カメラ入りのカバンは、あらかじめ部室に隠していたんでしょう。教室へ取りに戻るより遥かに早く、誰かに見つかる恐れもない」

「……違う。そんなこと、私はしてない!」

 菅沼先輩は声を荒立てる。

「そこまで疑うんだったら証拠の一つでも見せてよ! 私が犯人だってわかるものを!」

「残念ながら、盗撮に関しては決定付ける根拠はありません。これはあくまでボクの推理ですので」

 菅沼先輩の表情が不気味に豹変した。逆転勝ちを確信したらしい。

 だが、

「でしたら、窓ガラスはどうですか?」

「「へ?」」

 私と菅沼先輩の声が同時に重なった。窓ガラスとは、こいつがずっと気にかけていた、廊下の窓が割れた件か?

「ゴミを見つけ、秋川さんが女子更衣室でカメラを見つけるまでの間は一分にも満たない。窓ガラスが割られたのは事件発覚とほぼ同時。外で待っていたはずの先輩なら、誰が割ったのか目撃しているはずですよね?」

「それは……そう、確かソフトボール部の奴らが」

「ソフトボール部の、誰ですか?」

「そんなのわかるはずないじゃない」

「いいえ。本当に顔を見たというのなら覚えているはずです。先輩は三年間も部室棟に通い、運動部の顔や所属はほとんど網羅しているはずです。ソフトボール部だったという曖昧な回答ではなく、それが新入生か上級生かぐらいは判断出来るはずなんです。簡単な話ですよね。顔がわかれば上級生、知らない顔なら新入生と答えるだけでいいんですから。それを明言出来ない理由は一つ。先輩はウソをついているからです。それは秋川さんの、他に生徒はいなかったという証言が全てを物語っているんですよ」

 先輩の目が大きく揺れた。

「考えてみればその証言も疑問なんですよね。外で先輩が待っているはずなのに、どうして秋川さんは誰もいなかったと言ったのでしょう」

「ち、違う! 彼女は気が動転してて記憶が曖昧になってるだけで……」

「そうなんです。動転してるからこそ、必死に状況を把握しようと周囲のものを記憶した。盗撮カメラを発見し、畳み掛けるかのようにガラスの割れるけたたましい音。もしボクが秋川さんと同じ立場なら、まずは一番近くにいる人に助けを求めようとするはずです。しかし、廊下へ出ると待ってくれているはずの先輩の姿はなく、どうすればいいかわからなくなって力が抜け、その場に崩れてしまった。だから彼女の言う『誰もいなかった』という証言には、確かな信憑性があるように思えるんです」

 菅沼先輩は気勢を一気に削がれたようだ。さっきまでの毅然とした姿はすでにない。

「そもそも、なぜ一番に現場に駆けつけたのが先輩じゃなかったんでしょう。窓ガラスが割れた音は、渡り廊下にいた日野さんですらはっきりと聞き取れるほどの大音量でした。それを彼女より近くにいたはずのあなたが気付かないはずがない。なのに、現場に急行したのは日野さんと武藤先生だけで、あなたはそこにいなかった。つまり、先輩は秋川さんを置いてその場を離れなければならない理由があった、ということでしょうか?」

「……そういうことか」

 後輩思いで、私達が話を聞こうとするだけで過剰に反応していた菅沼先輩が、ガラスの割れる音を聞いて現場に急行しなかったのはおかしい。仮にその場にいたのなら犯人を見ているはずで、すぐに教師の誰かへ密告しているはず。なのに今日の昼の時点で、ゴリラ武藤はまだ犯人が見つかっていないと言った。

「ではなぜ、先輩はウソをつかなければならなかったのか。それは、先輩こそがガラスを割った張本人であり、それが明るみに出てしまうことで関連する別の事実を悟られたくなかったからです。そうですよね?」

 菅沼先輩は観念したかのように頭を垂れた。

「盗撮事件とガラスが割れた一件は関連しているということです。ここで重要になるのが、ガラスを割る理由。規律を重んじ、部長職を務めるような方が取る行動とは思えません。考えられるとすれば、自分以外のため。何かを守るために衝動的になってしまった。そうじゃないですか?」

 沈黙があった。

 時計の秒針が規則的に流れる。時間は平等だ。どれだけ流れても答えを待ち続ける。悪しくも、正しくも、真実が覆ることはない。

「……凄いね」

 やがて菅沼先輩は、搾り出すように言う。

「あなた、超能力者か何か? 心の中、全部見透かしてるみたい」

 いや、もう全部お見通しか。そう付け足しながら、先輩は自嘲気味に笑う。

「それは自白ととってもいいですか?」

「いいよ。どうせ……もう、終わりにしようと思ってたし」

 菅沼はようやく顔を上げた。引きつった、辛そうな笑みだ。かすかにだが目が赤くなっている。

「あなたの言う通り。ガラスを割ったのも……カメラを仕掛けたのも、全部私」

 菅沼は深々と頭を下げた。謝罪。潔く、痛々しい。

 犯人がわかった。私の無実は証明された。なのになぜだ。嬉しいはずなのに、少しも晴れやかな気分にならない。

 この時、私はどんな顔をしていたのだろう。先輩は私をじっと見て、安心させるように優しげに微笑む。

「あなたには悪いことをしたと思ってる。巻き込むつもりはなかった。たまたま近くにいて、犯人扱いされて、連行されて……怖くなって、名乗り出ることが出来なかった」

「なんでですか」

 口をついたのは疑問。

「なぜ、どうしてあなたがこんなことを?」

 謎はまだ残っている。先輩はあの時、あの部屋で何をしようとしていたんだ。その全てが明らかにならなければ、私の事件は終わらない。

「その答えも、もうすぐ明らかになるよ」

 答えを発したのは先輩ではなく、月島だった。時計に目をやるのに釣られて視線を振ると、針は五時半を差そうとしている。

 ふと、廊下から誰かが近付いて来る気配を感じた。ドアは、なんの抵抗もなく開かれる。本来なら鍵がかかっているはずなのに、初めから開いていると知っていたかのような軽さだった。

 そこに立つ人物を見て、私はまたしても言葉を失った。

 相手も室内の状況を見て大きく動揺している。

「な、どうしてお前らがここに……?」

「先生が来るのを待っていたからですよ」

 月島は微笑みながら、呆然と立ち尽くす男性教師、武藤に対してそう告げた。

「昼にお伺いした時、卓上カレンダーが目に入りました。今日、四月十四日の木曜日、そこには『1730・S・家』と書かれてあったんです」

 私は耳を疑う。たった数分話しただけで、そんな細かいところまで見ていたのか。

 私が呆然と口を開く一方、ゴリラ武藤は不快そうに眉を寄せる。

「一見すればなんてことのない記号かもしれませんが、ボクが注目したのは昨日、十三日の欄です。そこには『16・A・女』と書かれてありました。そこでふと思い至ったんですよ。記号はそれぞれ『時間・名前のイニシャル・会う場所』なんじゃないかって」

「なっ……」

 つまり、『16・A・女』は十六時に秋川と女子更衣室で。『1730・S・家』は十七時半に時に菅沼と家庭科室で、ということか? だからここに先輩が来ることを予測できたってことか?

「ちょ、ちょっと待て」

 私は声を詰まらせながら、

「女子更衣室に行くように誘導したのは菅沼先輩のはずだろ?」

「教師が生徒を直接呼び出したら、何かと他の人の耳に入りやすいからね。たぶん、先生が指示を出したんですよね? 菅沼先輩に、秋川さんをこの時間に女子更衣室に来させろ、と」

 つまり、どういうことだ?

 ゴリラは人目に触れることなく、秋川と二人で、何かの話をしたかったってことなのか?

「……はは、おいおいちょっと待ってくれよ」

 武藤は空笑いしながら部屋に入って来る。そして、後ろ手にドアを閉めた。

「お前達はなんの話をしてるんだ? カレンダーに書いてあったのは打ち合わせの時間だよ。秋川も菅沼も陸上部だぞ? 別におかしなことなんてないだろ」

「確かにそうですね」

 月島はケロッとした様子で応じてから、

「では話題を変えましょう。先生は最近、ずいぶんと金回りが良さそうですね」

 武藤の表情が、固まる。

 月島は左手首を指差す。

「例えばその腕時計、外国製の高級メーカーのものですよね? 机の上にも高そうな万年筆がありましたし、車も買い替えたばかり。さっき拝見しましたが、次の車検までずいぶんと期間があるみたいですね」

「それから」と前置きし、月島は携帯を取り出して画面を見せる。いつの間にか知らないが、武藤の車を写真に撮っていたらしい。明らかな違法行為のはずだが、武藤はそこに追及する余裕がないようだった。口を真一文字に結び、険しい表情で月島をにらんでいる。

「その時見つけたんですけどね? 車の中にもう一つ腕時計があったんです。それも先生が今しているものとは違って、ホームセンターなんかで売ってる量産品の安物です。なんで二種類の腕時計をお持ちに?」

「そりゃお前、スペアに決まってんだろ」

「いくらスペアとはいえ、値段が大きくかけ離れすぎじゃありませんか?」

「何が言いたい」

 武藤の口調が次第に強くなる。相当な剣幕でにらみつけられているにも関わらず、月島へらっと笑っている。

「ボクの見立てでは、スペアではなく両方本命なんじゃありませんか? 用途ごとに使い分けているんでしょう。外出する時は高級時計、家族と接する時は安物の時計を」

 私はようやく、東雲が何を言いたいのかわかった。昼休みに話を聞いた時、武藤は「お金のやりくりが大変」と言っていた。しかし、実際は身の回りのものにかなりの金をつぎ込んでいる。

 そこまで考えた時、全ての線が一本に繋がった。先輩が撮ろうとしていたもの。武藤が秋川を呼び出す理由。家庭と職場での生活の違い。

「……まさか」

 心を見透かしたかのように、月島が「そう」と相槌を打つ。

「先生がここへ来た理由は部活の打ち合わせじゃない。菅沼さんからお金を受け取るためです」

 その瞬間、張り詰めた何かが切れたかのように菅沼先輩がその場へ泣き崩れる。さっきまでの毅然とした態度はそこにない。ただの、一人の少女。

「ち、違う! 俺はそんなことやってない! な、そうだろ菅沼? おい!」

 同意を強要させるような言い方に、先輩は嗚咽を漏らすだけで何も答えない。必死の自己弁護も、彼女の様子を見れば真偽は一目瞭然。

 瞬間、怒りが一気に頂点へ達した。

「テメエ、教師のくせに何やってんだ!」

「うるせえ!」

 武藤は逆上して怒鳴る。追い詰められた状況にあっても、その声量と質には迫力があった。

「悪いのは全部そいつなんだよ! 部長のくせに万引きなんかしやがって! お前一人のせいで俺らにどんだけ迷惑がかかると思ってる! そう説教してやったら、なんでもするから警察だけはやめてくれってわめきやがって!」

「それで金を取ったってのか!」

「ああそうだ、そうだよ! 本当になんでもやるってんなら、やってもらおうじゃねえかと思ってな!」

 だからと言って、生徒に金を強要するやり方は教師として下劣極まりない。拳がわなわなと震える。今にも掴みかかりそうな雰囲気を察したのか、すっと横合いから月島が間に入った。いつになく、真剣な表情で。

「確かに万引きは窃盗罪、犯罪に当たりますね。決して許される行為ではありません。だからこそ先生は、強引にでも警察へ一報を入れるべきだったんじゃありませんか? 生徒を正しき道へ導き、更生させ、罪の責任を理解させ償わせるのがあなたの職務であるはずです。教師の身分でありながら道を逸れたあなたの罪は、もっと重いですよ」

 語調がいつになく強い。こいつなりに怒りが溜っているようだ。

「高校生一人当たりから搾取出来る金額には限界がある。大方、『先輩を守りたければ金を払え』とでも言って秋川さんを脅すつもりだったのでしょう。秋川さんだけじゃない、菅沼先輩の名前を使って、他に何人も手玉に取っていた。カレンダーには、今月だけで十人近いイニシャルがありましたから」

「クズ野朗だな」

 私達の冷ややかな視線を浴びて、武藤は自暴自棄にでもなったかのように高笑いする。

「なんだよ、なんだよ! せっかくここまで上手く行ってたのによ! お前らのせいで全部台無しだ!」

 武藤は、月島を視界に捉える。

「お前さえいなければ!」

 気勢が弾けた瞬間、武藤は月島に掴みかかる。

 しかし、手が届く寸前のところで私がその手を掴む。

 体格差は圧倒的に不利。力で敵うはずもない。

 しかし、怒りで我を忘れている人間ほど扱いやすいものはない。直線的な動き。武藤の体重移動に合わせて、私は手をひねり足を払い、投げる。巨体が宙に浮き、床に胸から落ちる。私は間髪入れず背中へ馬乗りになり、後手に右手を極める。苦痛と悶絶の短い悲鳴が醜く漏れる。

「あんまり乱暴にやると過剰防衛だよ?」

 と月島がしれっと言う。高見の見物かよ!

「わかってるよ! 動きを封じてるだけだ!」

「クソ! 教師に向かって手を出すとは、わかってるんだろうな!」

 諦めずにもがき続ける武藤。この状況であっても凄い力。気を抜けば逃げられてしまうんじゃないかと思う程の圧を感じる。

 すると、不意に月島が武藤のすぐ横にしゃがみ込み、武藤の顔をまじまじと見つめながら、

「今のあなたは教師じゃありません。ただの犯罪者です」

「なんだと!」

 気勢を緩めない武藤に、月島は静かに続ける。

「さっきボクがいなければと仰いましたが、ボクらが介入しなくても先生は終わってたと思いますよ?」

 初めて、武藤の動きが止まった。

「菅沼先輩が本当に撮りたかったのは恐喝現場。これ以上の搾取から逃れるために、これからの苦痛から逃れるために先生を告発しようとした。そうですよね?」

 菅沼先輩は鼻をすすりながら、小さく頷いた。

「女子更衣室の机が乱れていたのは、複数の机の中にビデオカメラを設置するためでしょう。あなたがどの位置で秋川さんを恐喝するかわからなかったから。菅沼先輩はそこまで入念に計画を練っていたんです。つまり、自分の罪を公にする覚悟があった、ということですか?」

 菅沼は目元を拭い、顔を上げる。

「今さら虫が良すぎると思ってる。けど、これ以上、私のことで後輩達を傷つけたくなかった。自分の犯した罪は、自分で償う」

 それを聞いて、武藤が再び暴れ始める。

「菅沼、お前裏切るつもりか! 今までさんざん温情をかけてやったのに! 恩知らずが!」

「裏切ったのはあなたの方ですよ」

 不意の一言であれだけ暴れていた武藤が大人しくなる。

 月島は笑わない。

「教師でありながら、多くの人の心を裏切ったんです。もはや人格者とすら言い難い」

「だったらなんだ。結果的に俺は、ここまでこの阿呆を救って来たんだ。俺は、俺なりに生徒を守るために正義を貫いたんだ」

「だったら、なぜ先輩は泣いてるんですか!」

 初めて、月島が激昂した。静まり返っていた室内が微かに震える。

「正義という言葉を、開き直りの材料にしないで下さい。よく人によって正義の価値観は違うと言いますが、あんなのは気休めですよ。他者を傷つけることでしか満たされぬ正義など、ボクは絶対に認めません」

 月島は一つ息を吸うと、最後の言葉を浴びせた。

「あなたがやっていたのは地上で最も醜い正義。絶対に足を踏み入れてはならない、自分に溺れてしまった者だけが陥る大罪です。ぜひ、しっかりと償って下さい。そのための時間はたっぷりと用意されるはずですから」

 スッと武藤の力が抜ける。ようやく観念したらしい。静まり返った室内に、先輩の鼻をスする音だけが悲しげに響く。

「話は終わったかな?」

 と、不意に廊下から声を掛けられた。気付けばそこには他の教師が何人も駆けつけていて、先頭に立つ森田教員は、緊張感のない笑みで武藤を見つめている。

「ついさっき警察へは連絡しました。武藤先生、それから菅沼さん。二人とも、いいですね?」

 最終通告。先輩がこくりと力強く頷く。武藤は顔面を床に押し付け、力任せに絶叫した。

 他の教師に武藤を渡して立ち上がると、ぽんと私の頭の上に何かが乗る。優しく、暖かい熱。森田教員の手だ。

「二人とも、ご苦労様でした」

 その瞬間、私は全身の力が一気に抜けてしまい、その場にへたれ込んでしまった。私としたことが情けない。こんなことで放心してしまうとは。

 ……いや、今ぐらいはこの安堵感に浸っているのもいいか。

 長かった最悪の一日が、ようやく終わりを迎えたのだから。



 この事件は翌日の朝刊で大きく報じられた。『高校職員の不祥事』『生徒から金銭を恐喝』。県内に留まらず全国的にも波及している。地上波のニュース番組では、昨晩に行われた校長や教育委員会の方々の会見の様子が繰り返し報じられている。それだけ衝撃的なニュースだったということだろう。

 内容によると武藤が金銭を巻き上げていたのは、在校生では二七人。全て担当する陸上部の生徒。取調べの中で、過去の卒業生達も何人か恐喝したという旨の供述をしているらしい。記者の調べでは二十人前後にまで膨れ上がるのではないかということだ。

 学校では二日連続となる全校朝礼が行われた。内容は教職員の罪を校長自らが謝罪するというもので、今まで通りの学校生活を行って欲しいというものだ。登校する段階で高慢前には何十人ものマスコミが詰め掛けていて、在校生にインタビューを行っていた。混乱が冷めるまで時間がかかるのは間違いない。

 朝礼後教室へ戻った私は、先日疑ってかかっていた級友達から「申し訳なかった」の大合唱を受けることになった。中には絶叫しながら額を何度も床に叩き付ける者もいた。何をしてるんだか。自分が痛いだけなのに。

 謝罪に付きまとわれるのも面倒だったので、とりあえず謝りに来た奴ら全員の頭を小突く。謝りに来なかった奴らは……まあ、どうということもない。今まで通り、意味のない付き合いはしないだけ。触れず触れられずの距離感がベストなんだ。

 下校の終礼が終わると、今度は担任教師に呼び出された。内容は「すぐに生徒指導室へ行け」というもの。猛烈に嫌な予感。なんの乗り気もしないまま生徒指導室のドアを開けると、ああやはり的中した。

 部屋の中では、すでに月島陽子がイスに座って待っていた。

「あー、やっと来たー」

 月島は机に体をへばりつけ、さも退屈でしたと言わんばかりの無気力さを見せる。やる気がないのはこっちだっての。偏頭痛に頭を悩ませながら、月島の位置より斜め前方にずれた位置に座り、頬杖を突く。

「なんでお前がいるんだよ」

「私も呼び出されたからだよ。森田先生に」

「あ?」

 ってことは、私を呼び出したのも森田先生ってことか?

「なんであの人が私達を?」

「さあねー」

 月島は軽いノリで答えながら、

「とにかく待とうよ。その内わかるでしょ」

 そう言うと、カバンから何かを取り出す。百円ショップなどで売られている小型の将棋だ。一緒にやろうと誘っているらしい。

「やらねーよ」

 なんでお前みたいな奴と交友を深めなきゃならない。今すぐにでも逃げ出したい気分なのに。

「ええー? 楽しいのになー」

 月島は露骨に残念がり、しばらく私を見つめていたのだが、頬杖を突いたままそっぽを向き続けることでようやく諦めたらしい。大人しく一人将棋を始める。

 駒を動かす音だけが単調に響く。後何分こうしてなきゃならねーんだと思い至ったところで、そう言えば一つだけ聞いておかなければならないと思い出す。

「一つ聞いてもいいか?」

 私は可否も待たず、

「お前、いつから菅沼先輩が怪しいと思ってたんだ」

「しいて言うなら、秋川さんに話を聞いた時からか、な!」

 月島は楽しそうに駒を動かしながら言う。

「あの話から、ガラスを割ったのは菅沼先輩だと確信した。すぐに逃走した理由は、その場に居座ったら不都合な展開になるから。その状況で先輩にとって一番不都合なのは、盗撮事件と関連があると疑われてしまうことだよね。つまり、そういうこと」

「……そうか」

 やはり、こいつは凄い。普通の人間だったら、あの話を聞いただけでそこまでの想像を膨らませることは出来ない。この未来を見て来たかのように。菅沼先輩が超能力者と称していたのも頷ける。

「ただ、ボクにも一つだけ府に落ちない点があるんだよね~」

 月島の手の動きが止まる。

「複数のカメラを仕掛けてたら、当然それも全部没収されてなきゃおかしいじゃん。日野さんが武藤に連行された後、あの部屋はすぐに立ち入り禁止にされた。何台ものカメラを回収する暇なんてどこにもない」

「つまり?」

「先輩は机だけ乱して、思いとどまってやめたってこと。実際カメラも一台しか押収されなかったみたいだしね」

 良心なんだろうね~。月島はしみじみと語る。

「すんでのところで、自分の目的を達成するよりよりも、後輩を苦しませたくない。そう思っちゃったのかな」

「だが実際、先輩が窓ガラスを割った行為によって、秋川の混乱に追い討ちをかけた」

「たぶんなんだけど、恐喝を迅速に行うために、武藤先生は階段かどこかで秋川さんを待ってたと思うんだ。校舎の外からなら特別棟の中が見えたはずでしょ? 当然、武藤の動きも丸見えだったと思うよ。そこで菅沼先輩は、二人が引き合うのを阻止するために足元の石に手を伸ばした」

「咄嗟の判断だったわけだ」

「確かに混乱を大きくさせちゃったかもしれない。けど実際は物音に気が付いた日野さん駆けつけたおかげで、恐喝を防ぐことに繋がった。もし君が来てなかったら、どうなってただろうね」

「ガラスが割れりゃ誰だって急行するだろ」

 私はたまたま近くにいただけで第一発見者になり、巻き込まれてしまった。誰でも良かったというのなら先輩も十分に悪人だ。……まあ、その辺も踏まえて謝ってくれていたんだろうけど。

「その辺がいまいち釈然としないんだよねー」

 月島は納得いかなそうに眉を垂れ下げ、

「先輩は長い間苦しんでいて、秋川さんを囮にするという苦渋の決断までした。なのに、なんでそこで良心を優先したんだろう。あと少しで解放されたはずなのに」

「さあな」

 とは言うが、心当たりはある。クラスの奴らが話していたが、秋川と先輩は小学校来の付き合いだったらしい。桜峰に来るよう、秋川を誘ったとかなんとか。私と真澄みたいな、いわゆる幼馴染みに近い関係だったんだろう。心の距離が近しい関係だったからこそ、利益よりも感情を優先したくなるのかもしれない。

 いずれにしろ、菅沼先輩の処分は免れなかったはず。ほとぼりが冷めるまで、という名目で無期限謹慎処分になったらしいが。武藤の被害者とはいえ、拡大するもともとの発端は先輩にあったし、本人も罰を受けることを覚悟した上で今回の計画を立てたって言ってたしな。

 ま、私達には一生かかってもわからないだろう。他人に興味がない人間と、他人のことを全く配慮しない人間がいくら考えたって、宇宙ひも理論を解くぐらい途方もない月日がかかることは間違いない。

 要するに、わかる奴にしかわからないってことだ。

 腕を組み、真剣に考えている月島を傍目に見ていると、ようやく森田教員が部屋に入って来た。

「遅れちゃってゴメンね」

 そう言って、愛嬌のある顔で軽く会釈。思えばこの人、もの凄くいい人だったんだよな。私に月島を尋ねるよう助言したし、月島に私を助けるよう頼んだらしいし。疑ってた自分が恥ずかしい。

 ……そういや、先生と月島ってどういう関係なんだ?

「今日はどうしたんですか?」

 月島が尋ねると、森田教員は息を整えながら座った。

「実は二人に提案があってね」

 なんだ、急に改まった話だな。ま、こいつと一緒に呼び出された時点で、楽しい話をされるとは露ほどにも思っていないが。

 森田教員は私達の顔をじっくりと見て、孫を愛でるような優しい顔になる。

「君達二人を生徒会予備委員に推薦しようと思うんだ」

「予備委員?」

 思わず聞き返してしまった。聞き慣れない単語だ。

「この学校では毎年、生徒会担当の教員が新入生の中から生徒会の仕事を補佐する人を決める事になってるんだ。まあ、委員会活動の一環だね。で、今年から担当になった僕に、その任命権が与えられたというわけ」

 それって、おい、結構でかい話なんじゃないか? ここは県内有数の進学校なわけで、学内競争も同然熾烈を極めるわけで。その中で生徒会役員という肩書きを得るには並大抵のことじゃない。国公立への進学を目指す者なら、そういう内申書で絶対的有利に立てる要素は是が非でも手に入れたいはず。

「それを、私達に?」

「うん、そう。どうかな」

 どうかなって、そんなの決まってる。

「嫌です」

 即答した。

 森田教員は「え」という顔をしたが、私の意志は揺らがずハッキリしている。部活とか委員会とか、そういう皆でわいわい共同作業みたいなのは嫌いだ。加えて、今私の正面でワクワクの衝動を隠しきれてないアホとやるなんてなおさら。面倒の上乗せになるのは目に見えている。

「私なんかよりもっとしっかりした奴は一杯いますよ。他を当たって下さい」

 肩書きなんて興味はない。私みたいな一見して反社会的にしか見えない奴より適任な奴は腐るほどいるだろう。

「これは君のための提案なんだよ」

 森田教員は私に席を立たせる暇を与えないようにするためか、多少早口で言う。

「……どういうことですか?」

「武藤先生が真犯人として捕まり、君の容疑は晴れただろう。しかし、全てが根こそぎ払拭されたわけでもないよ。互いの顔もよく知らない新入生達の中で、相手を判断する上で一番重要なのは『第一印象』と『先入観』。一度疑われた君のことを、快く思わない人がいてもおかしくないんじゃないかな」

 確かに、私や月島みたいに事件の全容を知ってるならすぐに飲み込めるかもしれないが、報道や人づての噂話でしか認知してないという人間も多い。

 ……とは思うが、

「それがどうして私のために?」

「単純な話だよ。生徒会予備委員も、立派な生徒会役員の仕事。君がそういう仕事を任されるような人だ、という印象を持たせる事が出来れば、少なくとも今付いてる悪いイメージは減らせるだろうね。時間さえ経てば噂は風化する。悪いイメージを書き換えるチャンスなんじゃないかな」

 そりゃ、まあそうだが、別に私は他人の目なんて気にしない。噂なんて人の勝手。好きに言わせておけばいい。私は、私が成すべきことを成すだけなのだから。

「お言葉ですが、余計なお世話ですね。好意だけ受け取っておきます」

「欲の無い子だね」

 森田先生はふう、と肩を落とした。感心してるのか、呆れているのか。

「ボクは興味あるんだけどなー」

 と、月島は両手で頬杖を付きながら私を見つめる。なんだ、その浮かれ顔は。

「興味があるんだったらお前だけでやれよ。私は降りる」

「違うよ。興味があるってのは、日野さんのことだよ」

 鳥肌が立った。

「気持ち悪いからそういう冗談はやめろ」

「冗談じゃないよ」

 月島は真顔で言う。

「なんとなくだけど、ボクと日野さんは似てるんじゃないかと思うんだよね。だから、もっと日野さんのこと知りたいな」

 なんという不名誉。名誉毀損で訴えてやろうか。

 ……だが、似ているという一点において、私は否定することが出来ない。武藤を説き伏せている時の「他者を傷つけることでしか満たされぬ正義」という言葉は、私にも思うところがある。

 武道の家系に生れた私は、幼い頃から飽きるほど聞かされ続けて来た理念がある。曰く、「力とは振るうものではなく、行使するもの」だと。ただの暴力なら赤子でも出来る。しかし、何らかの力を持った者は、その使い方を考えなければならない。

 そこまで考えた私の中で、ほんの少し、揺らぎが生じるのを感じた。このアホで能天気で秩序の欠片もないバカと似ているなんて認めたくはないが、まあ、多少の見込みはあるかもしれない。

 自分でもおかしいなと思う。こんな感情は生れて初めてだ。一日バカに当てられて、私も焼きが回り始めたのかもしれない。

 私は呼吸を整えると、森田教員に向き直る。

「それ、任期はどれぐらいなんですか?」

「次の生徒会選挙が行われるまで。とりあえず九月を目処に、半年ぐらいかな」

 半年。高校生活のおよそ六分の一。

 はっ。まあ、それぐらいなら付き合ってやらなくもないか。

「……すいません。その話、やっぱり引き受けさせて下さい」

 森田教員は一瞬目を丸くした後、

「突然の心境の変化は、どういった理由で?」

「別に」

 私は微笑む月島をにらみつけながら、

「今までやったことのないことを経験してみよう。そう思い直しただけです」

 そう、これはまさに未知の体験。

 未来すら予想出来ない、どう転ぶか予想も出来ない、決められたレールの外を走る行為。それこそ、私が目指す新しい世界。

 スッと、月島の右手が伸びた。握手を求めているらしい。

「改めてよろしくね」

 それを一瞥し、払い除ける。短い、乾いた音が静寂に引き戻す。

「私は私の目的のためにやるだけだ。お前と馴れ合うつもりはない」

「もう、釣れないな~」

 月島は膨らませた頬を一瞬で緩め、言う。

「楽しい学校生活になりそうだね」

「お前さえいなければな」

 二つの異なる視線が、交じり合うことなく宙に溶けた。

 何かの始まりか、あるいは終わりか。

 四時を告げるチャイムが空しく響いた。

続編的な他のエピソードもいくつか考えてはいますが、推理小説として成り立つか不安なので妄想停滞状態。

とりあえず今回は単発ネタです。

ないとは思いますが、盛り上がるようなら書いたり、書かなかったり、ラジバンダリー。


あ、ちょうちょ。

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