おとぎの国の王子様
鬱々とした分厚い雲。まるでそれは俺の心情を物語っているようで。そんな心情を神様に見透かされているようで気分が悪い。
おとぎ話の世界では悪役にさらわれたりしたところを王子が華麗に助け、結婚し、ハッピーエンドだ。
先刻、『俺』と言ったが、俺は紛れもなく男である。それでは何故おとぎ話の世界のことを言ったかって。それは俺の前の席にはそれこそ王子がいるからだ。決して俺が夢見る痛い男の子であるわけではなく事実としてそれがあるだけだ。
学園の王子様として全校生徒(特に女子生徒)から慕われているヤツは容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能、財閥の次期社長。とまぁ、完璧すぎるのだ。
さて、話を戻そうか。何故俺の気分が沈んでいるのか。それは文化祭も終わり、お祭り気分から一気に現実に引き戻された上に1限目から大嫌いな数学の授業である。こうなったら誰でもやる気を失うだろう。
なんの生産性もないことをぼんやりと考えていたらいつの間にか3ページほど授業が進んでいた。
「それじゃあ問26を……。葉山、前出て解いてくれ」
やば。なにもやってないのに当ってしまった…。
俺があたふたしていたら前のヤツがスッとノートをこちらに寄越した。そのノートには『ここからここまで書けばいいと思う』と書かれた付箋が付いていた。
まじで神かよ。こういうことがさりげなくできるからこいつは王子って呼ばれるんだよなーと感心していたら、
「葉山、早くしてくれないか」
右手に持ったチョークを弄りながら左手の人差し指で教卓をカタカタと叩きながら先生は冷たく言い放った。
「あ、すみません…」
僕は前へ出る前にヤツに小声で「サンキュ」と声をかけた。ヤツの頬が心なしか紅潮していたのは気のせいだろうか。
「葉山、完璧だ。素晴らしい」
僕が席に着いたところで答え合わせが終わり、次の問題に移った。
キーンコーンカーンコーン…。
授業の終了を告げるチャイムの音。廊下が徐々に騒がしくなってきた頃、ヤツが後ろを向いた。
「良かったね、ちゃんと答えられて」
「本当に助かったわ、王子」
「だから何度も言ってるじゃん、王子って呼ばないでよ」
「だってお前学園の王子様って呼ばれてんじゃん。他の生徒たちからも王子って呼ばれてるからいいじゃん」
「それは女の子たちが勝手に言ってるだけだって!」
「でも宇治は王子だよ」
「むぅ…」
王子はむすくれてうつむいてしまい、表情が見えなくなってしまった。
「下の名前で呼んで欲しいのに…」
「何か言ったか?」
「なんでもないし!」
俺は王子とが何故怒っているかわからなかった。
うっすらと雲の切れ目から日差しが見えてきた木曜日の2限目であった。
*
もういいかげん王子と呼ばれるのには慣れた。女子生徒たちは喜んでくれるし、男子生徒たちとも仲良くやれてる。
毎日毎日王子と呼ばれ続けて、抵抗なんてとうの昔になくなっていたはずなのに今になってあいつだけには呼ばれたくないと思ってしまった。
みな男子も女子も最初から「王子」と呼んでいたが、あいつだけは違った。
高校に入学して、王子の噂も学校中に知れ渡った1年の5月の終わりのこと。あいつに廊下で初めて声をかけられた。
「あ、王子じゃん!ってか王子の本名は?」
「え…。宇治梨沙子です…」
「へぇー!梨沙子ねぇ…」
「なに?なにか?」
「いやいや……」
「あっそ…」
「なに?宇治って男子には冷たいわけ?」
「いや、そーゆーわけじゃないけど……」
「まぁ、いいや。僕、葉山優太。いきなり話しかけてごめん、王子と話してみたかったんだ。よろしく」
「うん、よろしく」
私は高校に入って初めて下の名前で呼ばれ、柄にもなく心臓がはねた。
*
葉山と2年になって同じクラスになり、不覚にも浮かれていた4月から半年が経ち、王子と呼ばれ続けて1年半。
王子がこんなにふらついててどうする。自分の気持ちを自覚してからだいぶ経っていたが、必死に蓋をした。していたはずだったのに。彼はそんな素振りしなかったし、いい友達。それ以上は意識しないようにしていた。
そんなある日。いつも通りの放課後。私は自らが所属する演劇部の活動に行こうと教室を出ようとするとホームルームを終えた女の子たちが周りに寄ってきた。
「宇治くん!」
「宇治くん〜今日は私とデートしよ?」
「宇治くんは私とデートする予定なの!」
「宇治くん、パフェ食べに行きましょう!」
「まぁまぁ、お姫様方、喧嘩しないで」
これが私の日常。たくさんの女の子たちに囲まれるのは悪い気はしないし、楽しい。
「おーじ!」
後ろを振り向くと頬を赤らめた葉山が立っていた。
「なに?私にやきもちでも焼いちゃったのかな?」
ふざけながら返すと、葉山はいきなり私の襟を引っ張ってずんずん歩いて行った。私はそれに引っ張られる形となり、引きずられないように必死に歩いた。
いきなりのことで理解が追いついていない私を無視して葉山は人通りの少ない校舎裏へ足を早めた。
「なに、いきなり」
葉山は険しい顔をして見つめてきた。
「おーじ、相談があるんだけど」
「ん?言ってみ?」
「あのさ、俺、D組の相本さんに告白されたんだ」
私は衝撃を受けた。確かに葉山は優しくて爽やかでモテないはずがなかったのに完全に油断していた。
「それで?」
私は演劇部で鍛えた演技力で平然を装いながらその先を聞くのが怖かったが聞かざるをえなかった。
「もちろん断ったよ。だって俺……」
ほっとしている自分に驚きが隠せなかった。
「俺、おーじ…。いや、梨沙子が好きだから」
は…?え、うそだ。
「なにそれ、いきなりすぎて理解できないんだけど」
「だから、俺は梨沙子の事が好きなの。ずっと前から好きだって言ってる」
ずっと前から?そんなの知らない。そんな素振りなかったじゃない。いい友達としか思ってないんじゃないの?
ぐるぐるめぐる思考を一旦止め、葉山に向き直った。
「それってほんとに?」
一瞬、時が止まったようにも感じた。腰を引き寄せられたと思ったら間髪入れず唇に熱い感触がやってきた。
「これでもわかんない?」
私はきっとすごい熱っぽい顔をしているだろう。耳まで真っ赤な気がした。
「おーじのこんな顔、俺しか見てないよな…。宇治、好きだよ」
「私も葉山の事好き。多分葉山より前から!」
「なにそれ、嬉しいけど悔しいんだけど。俺、ここの入試説明会の時に一目惚れして、入学しても最初ビビって声かけられなくて、超勇気を振り絞って声かけたんだよ、あのとき」
それには本当に驚いた。入試説明会のときなど記憶にもない。実際成績的には余裕だったし、家が近いからという理由だけで選んだ高校で、説明会はほとんど聞いていなかった。
「え、ごめん、それには負けたわ。でも、ファーストコンタクトのときに名前で呼んでくれたじゃん?それで意識し始めたんだよ。でもそのあと好きとかそういう素振り全くなかったじゃん」
私は少し怒りを含んだ口調で言った。
「だって、それは宇治は学園の王子様で、あまりにイケメンで、紳士的だし、その輝いてる姿を遠くから見る方がいいかなって気持ちに全力で蓋してたからだよ」
「そんなの知らない。私、王子である前に女子だからね。私だってお姫様になって、王子様に迎えに来て欲しかったんだから」
「遅くなって大変申しわけありません。お迎えに参りました、お姫様」
葉山はおどけながら跪いた。
「もう、遅いよ。どこへ連れて行ってくれるのかしら、王子様」
「お姫様のお望みのままに」
そこで2人して耐えられなくなり、笑いあった。
*
翌日、いつも通り登校すると、なぜか学校中の噂になっていた。
教室へ向かう廊下でお姫様方にとことん捕まり、普段なら3分で行けるところを30分もかかってしまった。
「宇治くん、彼氏できたって本当!?」
「宇治くんが構ってくれなくなるなんていやー!」
「宇治くんよかったね、彼氏さんと仲良くね!」
「彼氏さんが嫌になったら私たちのところにいつでも帰ってきてね!」
「ありがとう、お姫様方。彼氏ができてもお姫様方とは一緒に過ごす時間は減らさないと思うから安心して」
「きゃぁああああああ!宇治くんかっこいいいいいい!」
「それじゃあ、そろそろ教室に行ってもいいかな?」
「うん!また今度!」
あー、今日のお姫様方はすごく良心的でよかった。普段ならもっと長く捕まっていただろう。
教室に入ると、クラスメートから祝福と同時にからかいを受けた。
「おーじと葉山おめでとう!」
「前から2人はお似合いだなぁって思ってたんだよ!」
「葉山よりおーじのほうがイケメンだな!」
皆、口々に祝福をしてくれた。
「そんなの当たり前じゃん?私、これでも一応学園の王子なので。葉山よりイケメンな自信しかないから」
私は得意げに話すと、葉山は
「俺だって男だし!宇治はイケメンだけど、宇治の王子は俺だし…」
『ひゅー!!!!』
よく熟れたリンゴのように顔を真っ赤にした葉山。そんなそぶりの一つ一つがとてもいじらしく、愛おしかった。
「もう、お前らやだ…」
こうして私たちの関係はまた一歩進むことになった。
華のセブンティーンだ。青春を謳歌せずになにをする。私は今まで好きになれなかった自分自身に少し自信が持てるようになったのかもしれない。そしてそうしてくれたのは紛れもなく葉山だ。
今後、2人の関係が末永く続くことを願っている。
おとぎ話のように私にもちゃんと王子様は訪れたことが素直にうれしかった。
手に入れたばかりの幸せをかみしめて…。
こんにちは。高橋夏生です。
このたびは最後までお読みいただき、ありがとうございます。
つい先日投稿した中学生の憂鬱はお楽しみいただけましたでしょうか。笑
さて今回は青春の恋愛でしたが、私もこんな恋したいです…。
だいぶ前から書き溜めていた作品だけあってとても思い入れが多いです。
少しでもお楽しみいただけたら幸いです。
今後ともよろしくお願いします。
2015/11/26 高橋夏生