事件後の会議
小鳥遊さんがじんましんを起こした直後、あたりは大騒ぎになった。
挙句は警察沙汰にまでなったのだ。
まさかその場で110番するとは思わなかったルナ子は仰天した。
アレルギー患者にアレルゲンを与えるのは傷害罪が適用されるらしい。
ルナこの用意した食材は、すべて証拠として持ち去られた。食べられなかったデザートも。
しかし、こっそり卵を混ぜるといっても。ルナ子もそれは考えていたので、できる限り疑われないような献立にしていたのだ。
オリーブオイルで焼いた野菜や、透明なエビゼリーに卵がこっそり交る恐れはなかったし、こっそりやれそうなのは、マスタードソースのみ。
それは鑑識で、卵は混入していないとあっさり立証された。
当然だ。あの日のために、ルナ子はキッチンの食材を洗い直し、卵並びに卵の加工品はうっかり使ってしまわないように別の場所に移し。調理器具は丁寧に二度洗いし、大掃除までしたのだ。
これで料理に卵が混入するわけがない。
それに、ティールーム用のお菓子も、その日は貸し切りだから作っていなかった。
現場検証の結果、現場検証、そう、わざわざ警察が来たのだ。
ルナ子は御近所の目がいたたまれなかった。
いったい何事と思われただろうか。
小鳥遊さんはどうやら相当のおうちのお嬢様のようで、これでその騒ぎになったらしい。
それに、彼女の卵アレルギーは相当のようで、量次第では死亡していた可能性も示唆された。
しかし、幸いルナ子の作為も失策も立証されず、警察は引き揚げた。
もしどれかが立証されていたらそのまま留置所送りになっていたかもしれない。
縁起でもないと、ルナ子は身震いする。
小鳥遊さんの横にいた斉藤さんと設楽さんもこってりと取り調べられたようだが、結局証拠不十分で釈放されたそうだ。
本日二人はティールームにて、お菓子をやけ食いしている。
「でも、本当に何だったんでしょうね、先日の騒ぎは」
ルナ子はそう言ってミックスハーブティを淹れる。
先日の騒ぎは確実に客足に影響を与えた。本日来ているのは同じ痛みを分かち合おうとやってきた斉藤さんと設楽さんだけだ。
「本当に、警察ったら人を犯人扱いして」
「そうですよね、本当に警察って失礼です」
ルナ子は大事なお鍋をいじりまわされたのが癇に障っていた。
「だいたいデザートを持ち去る必要はないじゃないですか、まだテーブルに出してもいなかったのに」
そう、警察はオーブンで温めていたデザートも持ち去ったのだ。添えてあったチョコレートソースごと。
「もう食べられないでしょうけど。せっかく用意したデザートの大半がごみになったかもしれないと思うと」
ルナ子は胸を押さえた。
ああ、おいしそうなフルーツをよりすぐったのに。
規律に厳しい日本の警察官があれを食べるとは思えない。ならば廃棄処分か。
ああ、農家の方達御免なさい。
ルナ子は果物生産農家に心から謝った。
「ルナ子さん、仕入先には問い合わせたの」
斉藤さんが不機嫌に言う。
「問い合わせましたとも。でも、リストを見た限りでは抜けも余計も一つもない」
そして、アシスタントとして、オーブンの番をしていた、酒井ちゃん。
きっちりと編み上げたお下げと黒縁めがねが野暮カワイイを演出している女の子。彼女も最初に卵アレルギー患者のためのお食事だから、何か気が付いたら何でも言ってと言ってあるし、たぶんだが、小鳥遊春香さんとは初対面。
それにこの不景気に失業の危険を冒すとも思えない。
「それにしても、小鳥遊様と月見里様はどうお友達なのでしょうか」
ルナ子は何となく気になっていたことを尋ねた。
斉藤さんは、ナプキンペーパーに小鳥遊と書いた。
「これがタカナシさんの漢字」
ルナ子はまじまじとその字面を見詰める。
「これ、たと読む漢字もかと読む漢字もなと読む漢字もしと読む漢字も入っていませんね」
初見の人は絶対、まともに読めない。
そして、斉藤さんは小鳥遊びと書いたその下に月見里と書いた。
「これがヤマナシさん」
「以下同文ですね」
ルナ子は読みと全く異なる字面を眺めていた。
「珍名さんつながりですか?」
「まあ、きっかけはそうかもね、小鳥遊さんのお父さんの会社の、従業員の娘さんが、月見里さんなの」
斉藤さんの説明に、なんとなく最初に感じたお友達同士? という違和感の理由が分かった。
「ああ、そうだったんですか」
なんとなく白けた気分で、ルナ子は話題を変える。
「それで、お茶のお代わりはいかがですか」
「それはそうとルナ子さん、どうやったら、春香さんに卵を食べさせることができると思う?」
設楽さんが強引に話を元に戻す。
「ルナ子さんもやってない、そして私達もやってないということは、事前に春香さんは卵を食べていたのよ」
設楽さんがそのまま続ける。
「きっと、カプセルに卵パウダーを入れて春香さんに飲ませたのよ」
「確かにそれは可能かもしれないけれど、春香さんはアレルギー以外に、薬を飲まなければならない持病はないわよ」
設楽さんの説をあっさりと斉藤さんが却下する。
「こっそりと何か入れることが可能な位置にいたお二人は絶対入れていないんですね」
「酷いわ、ルナ子さん、私達を疑うの」
「こっそり入れることが可能な人員の一人が私ですよ」
ルナ子はため息をつく。
斉藤さんが犯人なら、店としては痛いが、そのほうがあっさりかたがつく。ルナ子は疑われているのだ。
膠着状態に陥った三人の元に田中さんが来店してきた。
月見里さんと同じく、犯行不可能な場所にいたということで、容疑も薄く、さして取り調べられなかった田中さんはあまり楽しそうじゃない。
「ルナ子さん、お好みシューをちょうだい。ホイップクリームにブルベリージャムね」
お好みシュートはルナ子さんのお店のお任せシュークリーム。
空のシュー生地に、定番のカスタードから、チョコクリーム。生クリーム、各種ジャムと選ぶことができる。
注文のシューといつもの定番ハーブティーを用意したルナ子はいつもの席にいつものように座った田中さんに笑いかけた。
「ねえ、アレルギーって感染るのかしら」
唐突にそんなことを言う。
「聞いたこともありません」
斉藤さんと設楽さんもきょとんとした顔で尋ねた。
「それいったい何」
田中さんはシュークリームを一口頬張る。
「実は、あの後、手の甲が腫れあがって、皮膚科に行ったのよ」
「は?」
「それで卵アレルギーになったのかと思って、だからカスタード抜きよ」
「あの、田中様」
ルナ子は頭痛をこらえて言った。
「シュー生地の作り方は、ミルクにバターと小麦粉を加え、練り混ぜたものに、卵をさらに練りこんで作るんですよ」
田中さんの食べる手が止まった。
「ええと」
「アレルギーの発作が起きますか」
田中さんはまじまじと手の中のシュークリームを見下ろす。
「なんともないみたい」
そして田中さんは手の甲にまかれた包帯を触る。
「じゃあ、どうして腫れたのかしら」
「田中様は卵アレルギーではないですし、ほかの原因があるでしょう。心当たりがありますか」
「別に化粧品を変えたわけじゃないし、あれって合わないとかぶれることはあるけど」
田中さんは再びシュークリームを食べながら考えこむ。
「それに食べ残しの料理は、警察も調べて、卵が入っていないって確認済みでしょう。もしかしたらほかの食材でアレルギーが出たのかも」
斉藤さんの発言に田中さんは手を打つ。
「そうかも、ルナ子さん、食材のリストを見せてくれる。お医者様に確認してもらうから」
「かしこまりました」
ルナ子は店の仕入れ用のパソコンを開く。
ランチタイム用に仕入れた食材は別枠に入っているので簡単に特定できる。プリンタで印字してそれを田中さんに持っていく。
「まあ、でも一番最後に使ったのはこの店のレモン石鹸よ、そんな物でそうそうかぶれないわよね」
田中さんがルナ子から紙を受け取りながらつぶやく。
「そうですね」
そんな言葉を聞きながら、ルナ子はしばらく考え込んだ。
次は真相解明編です、ヒントは出そろいました。