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 いつものように、魔力を高めるための瞑想を行おうとして。

 やけに城内が人々があわただしいことに、そこで私は気づいたのでした。


「どうしたの? 何か、あったの?」


 目前を速足で通りかかった良く見知りの騎士に声をかけると、ふわりと彼は笑って私へ首を振ります。

 いいえ、姫様。貴方様がご心配になるようなことはなにもございませんよ、と。


「ただ、今になってひとつ、召喚のための道具の不良が見つかったのです。今はその不備をなくすため、私も含めて皆、動いております」

「まあ、そうなの? そんなことがあったのなら、私も何かするべきではないのかしら」

「いいえ、姫様。どうぞ臣下の者どもにお任せ下さいませ」

「そう?」

「ええ。姫様はどうぞ、明日の儀に備え大事になさってください」


 目の前の騎士―――幼馴染でもあるリヒトの浮かべる表情は、いつも私に向けてくれるものと何も変わらない笑顔でした。

 彼がかんたんに嘘をつくような人間ではないことは、幼いころから彼と一緒にいた私がきっと一番よく知っています。裏表のないまっすぐな彼に、憧憬、思慕の感情を抱く多くの女性たちの存在も。

 けれど今は、そのようなことをぼんやりと考えているような場合でもありません。

 向けられる穏やかでやわらかな笑みに、私もまた小さく笑顔を浮かべて頷いて見せました。


「…そうね。わかったわ。呼びとめてごめんなさい、リヒト」

「とんでもございません。私こそ、瞑想のお邪魔をしてしまいましたか」

「いいえ。始める前にあなたがこの扉の前を通りかかったのよ」


 喚び姫と騎士。お互いの立場を崩すことはできなくとも、私にとって彼との会話は、他の誰と交わすものよりも気安くやわらかいものになります。

 歴代をしのぐ魔力を持つと、それゆえにきっと今代召喚される勇者様もまた、歴代を軽く凌駕するような素晴らしいお人であるに違いないと。

 そんな噂が常に消えない、私をただ私として見てくれるのはきっと、彼を除いてしまえばその数は優に片手で挙げるには足りてしまうのでしょう。この国の第一王女、そして今代の喚び姫という私の立ち位置と責務は、おいそれと他人とともに立ち会話を交わすことも、決して容易にはさせてはくれませんので。

 けれどその事実を、つらいと思ったことはあまり、ありません。

 確かに修行は厳しく学ぶべき事柄は多く、その過程において苦痛を覚えた経験も少なくはありません。でもそれ以上に彼のように、私を支えてくれる人々の心根はやさしく、誠実で、私を際限なく甘やかすということはしないものの、誰もが私を本当に大切に扱ってくれていました。あるときには、自分のつらさやかなしさをその水面下にひた隠してまでも、です。

 その理由について尋ねたことも、一度や二度ではありません。

 そしてそのたびに返るのは、私たちはあなたを信じていますから、という笑顔の一言でした。だからどうか喚び姫様、どうぞ先にお進みください、と。

 この国の誇る歴代の、お伽噺の昔から続く喚び姫がたに決して劣らぬ姫に。いつの時代にも現れてきた勇者を、また今代にも召喚し世界を救う、その偉業を成し遂げることができる人物に―――。

 ふっとひとつ息をついて、目の前の幼馴染にまた私は声をかけました。


「ねえリヒト」

「はい」


 その名を呼べば彼はすぐ、私にまっすぐに、決して不敬にはならぬ程度の絶妙の節度を持って返してくれます。

 その目の光にいつもと変わらぬ安心をおぼえながら、私は私の中に浮かんだ言葉を続けました。


「明日いらっしゃる勇者様は、どのようなお方なのかしら」


 それはずっと考えながら、しかし私自身は、誰にも口にしたことはなかった言葉でした。

 少しだけ驚いたような顔をして、リヒトが問いかけてきます。


「急にどうされたのですか、姫様」


 対する彼の反応は、私の予想と違わぬものでした。

 それは今更何を心配するのかという意味でもあれば、どうして今になって、これまで一度もおくびにも出さなかったことを口にするのかという意味でもあるのかもしれません。私もきっと逆の立場であったのなら、このリヒトと同じような反応を相手へと返したことでしょう。

 私が明日、この世界へと呼ぶのは勇者様です。私たちこの世界に生きる者たちは決してその足元にも及ばぬ、膨大な魔力と絶大なる膂力(りょりょく)を持つ、唯一無二の存在として世界を脅かす元凶、魔王とも対等に戦うことができる尊い、お方。

 静かに閉塞し斜陽に向かう、私たちの世界のたった一人の、救い手。


「小さいころから、ずっと考えていたの。私がお呼びする勇者様は、どんなお方なのだろうって」


 これはきっと今目の前にいるのが、他の誰でもないリヒトであるからこそ口にできる言葉なのでしょう。リヒトもそれを分かってくれているのか、静かに私を見守る目で、私の言葉を黙って受け取ってくれています。

 私は喚び姫だからこそ、幼い時分より考えなかったときはありませんでした。

 私が私の力で呼ぶ、勇者様はどんなお人であるのだろうと。歴史書や伝説に語られる勇者様はどなたも素晴らしい方ばかりだけれど、だからこそ少し、今代の召喚を担う私は不安にもなってしまうのです。

 もし今代の勇者様に、何か粗相をしてしまったら。勇者様にとっての私が、未だ至らぬ点の多い、弱く、不完全に過ぎる存在であったとしたら。

 それは魔王という世界に目前に迫る、破滅的で壮絶な脅威とは比較するまでもなく些細な不安であることは私にも分かっています。いくら不安を抱いたところで、思考が止まるだけでありそれに従い魔法への集中もまた妨げられるだけであり、ただ不安だという感情に留まり何もしないことは、誰にもなんの良い結果をもたらすこともありえないのだと。

 けれど私は、どうしてもまだまだ未熟で。

 全ての不安を押し込めるには、どうにも心力が至らぬ、のです。


「姫様」


 そこまで少し考えたとき、不意にリヒトは私を呼びました。彼から視線をそらしてしまっていたことにそこで気づき、はっと再度彼へ視線を向けると、リヒトはおもむろにその場に膝をついて私の手を取りました。

 彼の手はかたく大きい、男の人の手でした。幾度も傷を負い、それでも決して折れずに切磋琢磨を続けてきた強い、したたかな人間の手です。

 ああそうだ、私は改めて思い出します。彼自身のことを。幼馴染である彼が、今までこの国のなかで行ってきたことを。

 リヒトは勇者の召喚ののち、この国を旅立ち魔王の討伐へと向かうこととなる私たちと、共にその道を歩むひとりなのです。

 力でかなうことはなくとも、少なくとも勇者の傍らに在る、その事実に恥じぬだけの実力は持ちたいのだと。

 幼少のころよりリヒトはずっと、そう願って時には私とともに、時には自分の倍以上の年の者たちとともに。

 己を鍛え己を研磨し、常に前だけを見据えて歩んできた人間、なのでした。


「御心配にはおよびません、姫様。歴代に名を連ねる勇者様は、どのお方もそれぞれ素晴らしい救世主でおられますから。…それに」

「それに?」

「今代の喚び姫は姫様。あなたでございます」

「…リヒト」


 向けられるのは或いは、痛みすら感じそうなほどの純粋な信頼でした。

 けれどそれはきっと私が、リヒトに向けるものともそう変わらないのだろうとも思います。私が今ここに喚び姫として存在することができるのは、私を信じてくれる多くの人々を私もまた、心から信じているからにほかなりません。

 彼に取られたままの手から、自分とは異なる温度を感じました。私とは違う脈を打つ、私とは違う呼吸をする差異の感覚を抱きました。

 自分と違うということは、時に不安で、同時にこれほどに心強く優しく、大切にしたいと願うものであるのかと。

 折に触れ、私は考えることがあります。きっとそれを当然と切り捨ててしまえば、私は私としての役割を完璧に果たすことはできなくなるのだろう、とも。

 だから私は目の前の、リヒトへひとつ、笑って見せました。


「確かに私も、信じているわ。信じているの。私自身に宿る力も、私を支えてくれる王宮の魔術師たちの力量も、儀式を滞りなく行うため守りにつくあなたたち騎士団の技量もなにもかも、すべて」

「ええ。…まあ姫様は少し、初対面の人間に対して引っ込み思案なところがございますから。先ほどおっしゃられたご心配も、わからないことはありません」

「リヒト」


 あんまりと言ってしまえばあんまりな言い草に、思わず睨むような視線を向けると彼はまた笑いました。

 からかわれたのだということは分かっていますが、しかし誰だってそんな言葉に対し、良い気分になることなどできません。彼の言うことが私にとってまったくの事実であるからこそ、余計にむっとしてしまうのです。

 あからさまな不満の表情を向ける私に、リヒトは改めてやわらかな笑顔を浮かべて、首を横に振りました。大丈夫ですよ姫様、と。


「なにも心配はいりません。明日は絶対に大丈夫です、絶対に成功いたしますよ、姫様。あなたが我々を信じて下さるように、我々もまた皆、あなたを信じておりますから」

「ええ」

「ですからきっと明日、我々の目の前に姿を現して下さる勇者様も、また」

「ええ。…そうよね」


 向けられる、優しい言葉と信頼。それが決して彼だけのものではなく、今この王城で国のため働く大勢の人々の、意思であることも私は知っています。

 だからこそ私もまた、己の小さな不安を押しとどめて信じようと改めて思えるのです。世界を救うために。この国を守るために。人々をまもり、その平安を決して崩さぬために。

 明日お呼びする勇者様は、どんなお方なのでしょう。 

 先ほどのような不安ではなく、希望と未来への展望を込めてもう一度、先ほどと同じことを私は静かに一人、考えたのでした。

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