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 さあいざ明日へと征かんと、人々は歓喜の声とともに召喚を待ち望む。





「見ねェ顔だな。新入りかい?」

「ああ。まあそんなところだ。…心配せずとも金はきちんと払う。安心してくれ」

「そうかい」


 目深にフードをかぶったままの、しかも良く見れば手の指の足りない客に胡散臭さを感じたらしい店員を軽く追い払う。

 しかしやはりどことなく胡散臭い目を向けてくる亭主に、ぴん、と金貨を一枚無造作に私は放って見せた。今ここにいる全員に一番上等の酒をおごっても、おそらくおつりがくるくらいの額なのを知っていて、あえてそうした。

 小さく笑って、一番良い酒とつまみを、そう注文する。ついでに釣りはいらないから、ここにいる奴らにおごってやれとも付け加える。

 元より酒精で陽気になっていた酒場の空気は、予想外に登場した私という太っ腹に一気に威勢を上げて声も張り上げた。


「なんだィにィちゃん、ものすげー太っ腹じゃねぇか!」

「これはあれか、あんたもやっぱり、勇者様召喚の件か!」

「魔王が復活したってんでどうなることかと思ってたけど、明日だろう? 勇者様さえ来てくれりゃあ、もう俺らは安心だぁな!」

「おうともよ! それに何しろ今代の喚び姫さまは、あのお美しさでなおかつ、歴代を圧倒するくらいの魔力持ってるって話だぜ」

「なぁんだそりゃあ、ホント最強じゃねぇか! な、にィちゃんもそう思うだろ?」

「ああ。…そうだな」


 既に酔った人々の、浮かれ切った言葉に曖昧に応じていく。次から次へと置かれていく、酒にその匂いだけでも少しめまいがしそうだった。

 そして更に私を酩酊させる気がするのは、異世界の勇者に酔う人々の熱気だった。いよいよ明日に迫った召喚の儀のことは、既にこうして市井にまで完全に知れ渡っている。人々は俄かに、沸き立っている。

 とうとう明日と迫っても、下手をすれば自分が召喚とともに命を落とすかもしれない、どんなに己の魔力が大きくなったところでその可能性は決して零にはならないと分かっていても。私の胸の中に、恐怖や怯えといった、一切の負の感情は湧くことはなかった。

 むしろ死ねるのならそれは大歓迎だ、と。そうも思っている。

 昔から何度も何度も何度も、数え切れないくらいに私は死にたがったのに、一度たりとも誰もそれを私に許してはくれなかったのだ。私が喚び姫の、影の部分を担う存在であるが故に。召喚の核として、決して失ってはならないものであるが故に。

 私も、そしてあの光の姫君も。

 どちらも決して十六となるときまで、いっときも欠けることを許されず、刹那も弛むことを許されず。

 常に何もかもに追い詰められ、国や世界や人々や他人や己や、なにもかもに雁字搦めになった状態で現在という時間軸をぎりぎりに、生きている。


「よしみんなァ! このにィちゃんの太っ腹と世界を救う勇者様に、乾杯だ!!」

「おおぉうっ!!」


 そんな私の、明るくない思考などいざ知らず。とりわけ陽気な一人が杯を上げ、彼に呼応するように一斉に酒場にいる全員が声を合わせ、めいめいの杯を高々と突き上げた。

 酒と、騒ぎと、高揚の感覚が満ちる空間。からりと手の内のコップを揺らして、氷の音を聴きながら一口、ふたくちと酒へと口をつける。一番の上等とは言え場末の酒場だ、その味にあまり期待してはいなかったが予想外に、ふわりと口腔に広がる酒の味は今の私に、妙に心地よいように感じられた。

 一杯を干せば、誰かから腕が伸ばされ注がれる酒。決して途切れることのない会話、つまらない話や根も葉もない噂、価値のあるものもないものも、何もかもがないまぜになってこの空間には雑然と混在している。

 それらはこうして魔法ですべてのおつきを撒き、ひとりで勝手に下町へと忍び込まなければ感じることなどできない独特のものだと私は知っている。王城の固苦しさや貴族らのどこか張りぼてめいた静寂と気取ったくだらぬ喋りはなく、ただ純粋に人間そのものがその内側が、酒という道具を借りてべろべろとひけらかされるなんとも、奇妙な空間。

 明日に控えた召喚の儀のことを思えば、下町に独りで出るなど言語道断なのは分かり切っていた。

 しかしどうにも今日はなぜか、あの広くひどく狭い王城の中で、ひとりでいたくはなかったの、だった。


「ほれっにィちゃん、これうまいぜ! なァんかにィちゃんやけに細っこいじゃねぇか、ちゃんと食べてんのかあ?」

「ご心配どうも。いただきます」


 小さく笑って受け取る。差し出された串揚げは、気取らない素朴で、少しべたついて脂っこく塩辛い味がした。

 さらにひとつ応じて取ってしまったのが悪かったのか、あっちからもこっちからも、これ食えあれ食えとどんどんと皿に食べ物を盛られてしまう。

 明らかに自分の胃の許容量以上を盛られた皿を前に、肩をすくめて私は思わず苦笑した。これでかれらには一切悪気がないというのだから、本当にある意味、どうしようもないくらいに性質が悪いと思う。そんな強引さも決して、嫌いではないのだけれど。

 大々的な国事を直前に控えての、今の自分の行動はただのばかばかしいわがままでしかないことなど、当然知っていた。

 けれどそもそも私というのは、この国そして世界という我が儘に常に、押しつぶされひしげられ、とうの昔にどこにもいなくなってしまった存在、なのだから。

 私は既に、あらゆる書類、記録媒体の上では王女などではない。どこともつかない場所から数年前にこの国へと流れてきた、幼いが有能であるが故にこの国に拾われた魔術師、というのが、現在の私の、対外的なこの国での立ち位置である。

 そして実のところをざっくりと言ってしまえば、明日までの私は、勇者の召喚のための道具。

 そうして一度宿命の明日が過ぎれば、明日を過ぎて死ねなかったなら私は、この国というものに対する体裁の良い都合のよい戦闘殺戮人形、だ。


「……っ」


 また気づけばコップへそそがれていた酒を、半ば無理やりに私は一気に呷った。

 一瞬のどが焼けるような感覚、かっと、熱が腹の底へと落下するような錯覚。なんて残酷なうえに無意味な人生なんだろうかと思った。

 幼少のころから今までずっと、何かを少しでも自分で選ぼうとすれば、すぐにそれは最悪の結果となって私自身に何倍にもなって返ってきた。

 はめられた重すぎる枷を引きずり、御膳立てされ綺麗なあとのつけられた(くびき)の上を、あまりに多すぎる生命と魂とその血肉とを背負ってずっと、私は歩き続けなければならない。

 かつては妹と呼べたあの姫君が歩くのが光の路なら、私が足を引きずり歩くのは常に影しかない夜闇の、漆黒の路だ。

 そんな生涯しか、結局のところ私には用意されてなどいない。抗えすらしない。抗おうという意思も既にない。

 どんなに現在の状況を私という個人が苦痛に思ったところで、私はこの国の人間を傷つけるどころか、己の命を絶つことすらできないのだ―――そんな強力な術式が、私には何重にも常に常に、かけられ続けている。そのひとつでも解こうとすれば、その先に在るのは見え透いた地獄だけだ。

 たったひとり、託したいと希ったのぞみを預けた彼ももうこの世にはいない。彼はきっと、私の最後の希望であると同時に私という存在を有機的に世界に保つ、一番大きく大切であたたかい核だった。

 けれどそんな核を、私は既になくして。今この手に在るのはずたぼろで醜く誰にも正面から見せられなどしない風貌、そしてその醜悪さにおそらく似合うんだろう、おぞましいまでに膨張した強力な魔力だけだ。

 ほんとうにあと、もう十日だけ生きていてくれれば。

 私の力の増幅などまったく、何の意味もなくなっていたと言うのに、…どうして、きみは。


「…って、あ」

「いーィ飲みっぷりじゃねぇか! 飲め飲め、もっとのめボウズ!」

「いや、自分はもう…」

「あぁっ? 俺の酒が飲めねえってのかこの野郎!」

「ああいや、…そう、じゃなくて…」


 全ての理由など、いまさら筋道を立てて問いただしてみたところで誰も世に戻ってはこない。

 確かなのは私の負ういのちがまたひとつ増え、私の魔力が更に増大してしまったこと。彼を殺す以前から既に私の力は歴代を或いは越すとも言われていたのに、それでも遠く亡命した彼を敢えて追い、そして国益の名のもとに殉死させたのは結局―――小心な処のあるこの国の王らしい、と言ってしまえばそこまでか。

 王は父だが、父と考えることはなくなって久しい。現国王はそれなりに優秀な方であることは知識として知っているが、己が子を進んで生き地獄へ投げ込む親など親とは、どうしても思いたくはないのだ。

 彼を失ってしまった私の心は、もはやどうしようもないくらいに完全に凪いでいる。悲しいでもつらいでも苦しいでもなく、本当ならば流動性を持ち熱も持っていたはずの己という存在それ自体が、マグマのように冷えて、固まってしまったかのような奇妙な感覚があった。

 生まれたときから宿命として、与えられた役目は、果たそう。なぜなら私はそうすることで、ようやく、死というこの世界からの解放を得られるかもしれないのだから。

 役割を放棄する気は、ない。放棄しようとすればまた、死よりも辛い生き地獄が目の前でそのあぎとを開くであろうことなど目に見えている。

 でも、だから、今日一日くらい。

 少しくらいの我が儘を押しとおしたところで、今更こんな力を持ってしまった私を殺しに来る人間がいるとも思えない。来たところで簡単に返り討ちにしてしまえる、何とも残念な自信も私の中にはある。

 …と、いくら身勝手な理屈をずらずらと並べ立ててみたところで。

 だいじなだいじな喚び姫が、こんなところにいてもいい理由にはならないのはまあ、当然のことなのだけれども。

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