il ne manquait que toi
いつもよりほもほもしいです。おっさん同士の恋愛とか興味無いし訳が分からないよと言う方は逃げて全力で逃げて。主に私しか得しませんので。
「…何でこんな所で寝てられるんだ。」
目の下までかかる赤毛で右目を軽く隠している男はドアに手をかけたまま休憩室で文字通り爆睡している男に向けて呆れたように呟いた。
気持ち良さそうに寝ているその男はアイビーグリーンの軍服を着ていたが、赤毛の男とは少し仕立てが違うようでこの軍部内にいる軍人の中では下士官にあたるものだった。それに比べて赤毛の男は下士官よりも若干仕立ての良い士官の軍服を身に纏っている。階級はどうであれ、この惰眠を貪る男の上官とも言える階級であることは確かなようだった。気配にすら気付かずに爆睡している男に赤毛の男は溜息を洩らしながら言った。
「おい、起きろ榊。他の人の邪魔になる。」
「んん……?え、あ、すいませ…って何だ、グランさんじゃないですか。」
何だとは何だとぼやきながらグランは榊と呼んだ男の横へと腰を下ろす。それを見ながら男は身体を起こし、少し困ったように笑った。
元々、榊と呼ばれた男は榊守衛仁という名前ではあったが、さすがに「さきもり」と四文字で呼ぶのも中途半端に長くて少々呼びづらい上に下の名前で呼ぶのも周りの目が気になるため榊守の上の字を取って皆の前では「榊」と呼ばれていた。必要とあれば衛仁の階級である軍曹を入れ「榊守軍曹」と呼ぶことはあったが、普段の生活でそちらの名前ではめったに呼ばれない。
衛仁がグラン、と呼んだ男はこの国からしてみると異国人であり、名前も本名はグランヴェール・ド・シュヴァリエというものだが日本人の衛仁にしてはグランヴェールですらも長すぎるため短縮して「グラン」と呼んでいた。もちろん相手に許可は取ってある。というより彼がそう呼んでもいいと言ってくれたので衛仁はそう呼んでいる。尤も、正式な場では「グランヴェール大佐」と呼んでいるし仮にも上官である故に普段からも「さん」付けは欠かさないが。ただ二人だけの時は前に「お前の敬語は聞くに堪えない」と言われてからさんも付けずに呼び合っている。
彼とは今はもう解体されてしまっている臨時軍部施設であった「箱庭」からの付き合いで、何かと敵を作りがちな彼を見て衛仁自身にあるお節介心が働いたというべきか、それともまた別の想いが働いたのかは今でもよく分かっていないのだが。お世辞にも少し近付き難い彼に歩み寄ったのがそもそもの馴れ初めだった。
部下に対しても上官に対してもたまに言動が皮肉っぽくなる節があるようで、それが彼に反感を抱く人の大方の理由だとは思うのだが、それら全てを本当に蔑む意味で言っている訳でないということを衛仁は知っている。憶測でしかないが、この人は不器用で恐らく人に対してあまり素直になれないだけなのだと思う。
彼の過去については自分から詮索することは無かったが前に一度、二人が自分の腹を割って心の内の蟠りを話したことがあり、その時にちらとそれに触れたことがあった。複雑な事情はあったんだろうと前から思ってはいたが、想像以上に彼の抱える闇が深かったことを覚えている。
その事があってからだった、衛仁が彼を「支えたい」と考えるようになったのは。彼に様々な感情を抱くようになったのは。
「そこかしこで寝るな…他の迷惑になるだろう。」
「すいません、でも此処ってそもそもあんまり人来ないじゃないですか。それに日も凄い照ってるんでこれは昼寝するのに丁度いいなって思って、」
「お前の昼寝事情は聞いてない。」
それが単なるお節介心なのか、恋愛感情なのか、はたまた友情なのか、そんなことは以前だったらどうでもよかったのだが。今考えてみるとお節介心と恋愛感情の狭間なのかもしれないと思い始めていた。もちろん友情を忘れているわけではないが、でもそれもいいと思っていた。
もう三十路も半ばを過ぎていて、完全に婚期に見放されていると言っても過言ではない衛仁は別に異性に興味が無いわけではなかったのだが、ただなんとなく昔のことを忘れられないでいて今の今まで恋愛感情を抱かず生きてきたまでだった。遠い昔に好きになった彼女には自分よりも相応しい相手がいるだろうという変な謙遜心と、自分が軍人という立場なこともあり。離れていく際にはっきりと伝えられなかったその後悔は心の奥で今も蟠っている。
だからこそ、まだ幼さの残る彼女から告白された時も「きっと若気の至りだろう、彼女には俺よりもっとふさわしい人がいる。」という考えから、その想いを受け取ることはできなかった。それと同時に自分のはっきりとしない行動の所為で彼女に誤解させてしまったことに対して申し訳ない気持ちを抱いていた。
今まで誰に対しても平等に接してきたつもりだった。自分ではあまり特別扱いをしている人はいないと思っていた。つい最近になって気付いたが、それは自分の勘違いだった。
やはり親密な仲になっていくと無意識にそうなっていくらしい。着実に作戦をこなす優れた上官でありながらも素直に表には出さない優しさを持つあの少佐も、普段は年相応の明るさで元気いっぱいに振る舞いながらも軍人として戦う術と覚悟を心得ている彼女も、目の前にいるこの不器用でどうしても敵を作りがちな性格ながらも本当は優しく、それでも実は大切なものを失うことを誰よりも恐れているこの大佐も。平等に、では括りきれない程の関係になっていた。
「……………。」
「…どうした?」
そんなことを考えていたらいつの間にか会話が途切れていて自分から変な沈黙が流れていたらしく、グランヴェールが怪訝そうに顔を覗き込んでくる。はっと我に返った衛仁は恥ずかしさからか歯切れ悪く応え、何か話の続く話題はないかと頭を巡らせた。
「あ、いや、ごめん話聞いてなかった……あ、ああそう!そう言えばグランって背高いし顔立ち綺麗だよな。」
「……はあ?何だ、唐突に。」
「それに比べて俺は背低いしおっさんだし髭だし目立った特徴も無いし何か年々体力落ち続けてるし周りの知り合いみんな結婚するし……。」
何でもいいからと早く話を進めようとするあまり自身に対する本音をつらつらと述べてしまい、なんだか言っていて自分で悲しくなってきてしまった。それが自虐になっていることに気付いたのは口から出た言葉の半分以上を過ぎた頃で、段々と声量が低くなっていき仕舞いには言葉が途切れて俯いてしまった。
別に結婚がしたい訳ではない。言い寄られたい訳でもない。ただ相手にとって自分が見るに堪えない人間だったら、と思うと何故か気持ちが重く沈む。今まで口には出さないだけで思ってはいたが、いざ口に出すと結構なダメージになることに今更気付いた。
一人でショックを受けてる衛仁を見たグランヴェールは呆れかえっているようで何も言葉を返してこない。恥ずかしさと自己嫌悪に苛まれながらここからどうやって切りかえそう、と考えていると唐突にグランヴェールが溜息を吐いた。
「…はぁ、衛仁。お前は自分を悲観しすぎだ。」
その言葉に緩慢な動きで顔を上げると、いつもより更に眉間に皺を寄せたグランヴェールが目に入る。思わず「ごめん。」と言いかけた衛仁を遮ってグランヴェールは続けた。
「お前は部下思いだし、現に慕ってくれている者だって多いだろう?それは、決して上司だからではない、お前だからだ。お前だからこそ、皆命を預けてもいいとそう思うのだ。それは紛れもないお前自身の魅力に惹かれたからでのことだ。」
今度は衛仁が何も言えなくなる番だった。唖然としたまま目の前のグランヴェールを見つめる。褒められている、というのは分かるのだがそれが素直に心の中へと落ちてこない。その言葉に対しての驚きが羞恥よりも勝っていた。
不意に手が伸びてきて頬に添えられる。それに対しても驚いた衛仁は微かに肩を揺らした。
「お前に…魅入らせられたからこそ、私はこうして今お前の傍にいる。お前の傍にいて、もっとお前に触れたい。お前を感じたい。お前の声、お前の笑った顔、お前の全てを見てみたい。だから、そんなことは言うな…。私の大切な人を悪く言うのは、たとえお前自身でも許さない。」
至極、真剣な顔でそう言われる。
衛仁はその後もたっぷり2秒はぽかんとしていたが言われた言葉の全てを理解した途端、今度こそ羞恥が訪れた。顔が熱い。かなり熱い。身体の内側から熱くなっていく感覚に、何故だか箱庭にいる時に夏風邪を引いた時のことを思い出した。
「あ、わ…分かった、ごめんって……分かったからその、…。」
顔から火が出る、とはこのことを言うんだろうと何十年振りかに感じる感情に衛仁は狼狽しながら頬に添えられた手を掴み、グランヴェールの腕を下ろそうとする。
他の人に話すと意外だと言われるが元来、衛仁は褒められ慣れていない。褒められることをする以前に階級が低いので誰かの上に立ち、指揮をしたりすることが少ないのだ。その上、新しく入ってくる後輩や上に昇り詰めようと努力する同僚などのサポートに回ったり基礎知識を教えたり、あまり表立って軍に影響のあるような仕事をすることが少ない。賛辞や明確な軍に対しての貢献を求めている訳でもなく行動する故に誰かからこんな言葉を、しかも面と向かって言われることなど今までほとんど無かった。
「…分かればいいんだ。」
グランヴェールは衛仁がしどろもどろになる姿を見てふっと笑う。その時頬に添えられたグランヴェールの手を掴んでいた手が、逆に掴み返された。驚く衛仁を他所に彼はまるで騎士が忠誠を誓うかのようにその手の甲へと口付ける。
「…Je t’aime.」
想像だにしなかった行動に思わず固まった衛仁にグランヴェールは静かに言った。僅かに髪に隠れた深紅の右目と金色の左目で、真っ直ぐに見つめながら。
結局のところ。その時はあの言葉の意味が分からなかったが、何かとても大切な事を言われたようで暫く黙った後、衛仁はグランヴェールにその意味を訪ねてみたが「…自分で調べろ。」の一点張りで直接教えてはもらえなかった。
何を言ったのかが気になったので図書館から本を借りて意地でも調べてやる、と意気込んだ衛仁がとある本のある項目に書かれていたその異国語の日本語訳と意味を見つけた後、嬉しさや恥ずかしさであの時の羞恥心が思い起こされ、頭を抱えることになったのはまた別のお話。
すかいぽネタから。褒められ慣れてなどいない、中の人共々だ!!
グランさんを借りる許可と褒め殺されるシーンの台詞は澪兎さんからいただきました。本当にありがとうございました!
ちなみにグランさんが言った「Je t’aime.」はフランス語で「愛している。」という意味らしくて、澪兎さん曰く「フランス人は意外と、軽々とはこの表現を使いません。かなり重い表現のようで、発するにはかなりの責任と、自分の気持ちへの自信が必要なようらしい。」とのこと。私はしんだ。
それとタイトルの「il ne manquait que toi」の日本語訳は「君さえいてくれたら」です。こちらもフランス語でした。