8話
おかしい。村に入ってすぐ、エイルはそう思った。
ひとがいない。すでに陽は暮れかけているとはいえ、誰も外を出歩いていない。
辺りを見れば、立ち並ぶ家はどれも古びて、なかには蔦の這ったものまでざらにある。ひとが住んでいるとは、思えない。
これではまるで廃村だ。だが、ここは確かに、あの少年のいた村だ。建物自体には見覚えがある。
しかし。
どうして、ひとがいないのだろう。
「……」
なんだか、嫌な予感がした。
風が。吹いていない。
静まり返っている。
不気味な沈黙のなかに、ただひとり、エイルだけが立っている。
早く出ていけ、とエイルに言った、あの少年の声が耳によみがえる。
あれは、このことを予言していたのだろうか?
「…、仕方がない」
早くこの場から立ち去りたいのはやまやまだが、エイルには本来の目的がある。
婚約者の方を確かめるのは後にしても、まず、剣は取り戻さないといけない。これから先、愛剣が手元にないまま旅を続けることはできないから。
エイルは、いままで使わなかった“秘密兵器”を使うことにした。
注意深く周囲を見渡し、誰もいないことを確認する。それから、懐から指環を取り出し、握り締める。
天界人は、地上にあってさえ、空を飛ぶことができる。それは、いくら外見上はさほど違いがなくとも、天界人の本質がそうであるからだ。
だが、その事実は、地上の人間から見れば、異常―――普通ではない、と判断される。
ゆえにエイルは、天界を旅立つ際、くれぐれもと念を押された。
よほどのことがない限り、地上では容易に“力”を使ってはならない、と。
これは特別事態だろう。それに、近くには誰もいない。“力”を使っても、それを目撃する人間はいない。そう判断した。
だが。
その声は。
とうとつに背後から聞こえてきた。
「―――あの」
「!!」
ぎょっとしてふりかえる。はたしてそこには、ひとりの少年が立っていた。
ただし、エイルが先ほど会った、あの少年とは違う。
あの少年は、なんの特徴もない茶色の髪をしていた。
この少年は、みごとな漆黒の髪の持ち主だ。
「旅人さんですか?」
少年は、エイルにそう訊ねた。
しばらく経って、エイルはその質問の意味を理解し、答えようとした。
わずかに唇を開きかける。
だが、そこから言葉が出てくることはなかった。
おそろしいほど強い力で、エイルは襟首を掴まれ、後ろに引きずり倒された。
「よお。―――また会ったな」
さかさまになった視界に、その顔が覗き込んでくる。
今度こそエイルは硬直した。
「出てけ、って俺は言ったよな。お前は出てくって言ったよな」
少年は再び、エイルに剣を向けた。
「知ってるか? 平気な顔して嘘をつく人間は、どのみちこの世界じゃ生きていけねぇんだよ」
だから。
ここで殺してやる、と。
重々しく、少年はそう告げた。