6話
「お前―――」
とっさに剣を握ろうとして、しかし、それが取り上げられていることに初めて気付く。
いま、エイルは完全な丸腰だ。手元に武器があってもこの少年に勝てるかは怪しかったが、それでも、あるのとないのでは大違いだ。
「何が目的だ」
視線を少年に固定したままエイルは言った。
「そう怒るなよ。話をしにきただけだろ」
少年はわざとらしく、両手を上げてみせる。まったくもって信用ならない。
「話?」
「取り引きって言ってもいい」
言って、少年は手に持っていた何かをエイルに放った。
反射で掴み取ったそれを見たエイルは、驚いた。
取り上げられた指環だった。
「返す」
少年は言った。
「だから、さっさとここから、出てってくれ」
「は?」
何と言うか、それは言いがかりなのではないか。
エイルを気絶させて、この小屋まで引きずり込んだのはこの少年だ。
「おれをここまで連れてきたのは、お前だろう」
「怒ってるんなら、あやまってやるよ。だから、早く出ていけ」
あやまってやる、ときた。上から目線にもほどがある。
もともと負けず嫌いの傾向があるエイルは、そのようなことを言われても、はいそうですかとすぐには頷けない。
だが、エイルの反論を抹殺するかのように、少年はおそろしく鋭いまなざしをよこす。
「出ていかないつもりか?」
もしそうなら殺す、とでも言いたそうな顔だ。それも、本気である。
武器を持たないエイルの方が、圧倒的に不利な状況だ。承諾せざるを得ない。いくらなんでも、こんなところで死にたくはない。
「……分かった、出ていく」
「本当か」
「出ていけと言ったのはお前だろう」
すると少年は、何か奇妙なものを見るような目付きで、エイルを見た。
この時、少年の瞳がひどく明るい空の色をしていることに、エイルは気付かされた。
ひどく懐かしい色だった。天界で暮らしていたエイルにとって、空とは身近な、それがあることが当然という存在だった。たとえるなら、地上の人間における大地のようなものだろう。
第一印象の悪さから、どうあっても好印象など抱けない相手だが、その瞳のうつくしさだけは、無条件に認められる。
だが、じっと凝視されていることを不快に思ったのか、少年はいささか乱暴な歩き方で背を向け、壁際に移動した。それから無造作に足を振り抜き、壁を蹴る。
ものすごい、形容しがたい音がして、木材でできた板の一枚が吹っ飛んだ。これが、出入り口の正しい探し方なのだろうか。
「早くしろよ」
それに従うのも癪だったが、エイルは黙って歩くと、その壁の箇所から外へ出た。
冷たい空気が、頬に触れた。ゆるやかに吹き抜けた風が、エイルの、いまは平凡な茶色に染められた髪を舞い上げてゆく。
天界の風とは違う。
地上の風だ。緑風、というのだろうか、湿ったような土の香と、水気を含んだ植物の香り。
「その先をずっと歩けば、お前が進んできた道に出る。そこを直進しろ」
エイルは、すぐには動けなかった。あまりに鮮烈な印象の風に驚いて、立ち尽くしていた。
少年が苛立ったように声をあげる。
「―――聞いてるのか、おい!」
「…あ、ああ、聞いている」
「さっさと行けよ。ここから一番近い村でも、大人の足で歩いて四半日かかるんだ」
「そうなのか?」
「そうだよ。だから、さっさと行けってさっきから言ってんだろ」
そんなにエイルのことを追い出したいのだろうか。
エイルが見ると、少年はもはや殺意と呼んでいいほど強く、エイルを睨んできた。
何回でも言うが、このふたりの出会いはそうとうに、印象が悪かった。
「分かったよ」
わずかな苛立ちをわざと込めて、エイルは言った。
そして歩き出す。少年のことなど、ふりかえりもせずに。
背後で、ちいさく少年は何事かをつぶやいた。
だが、それも聞こえない。
すべては、この森を吹き抜ける風のなかに、まぎれてゆく。