第一話「思い出の店」Part.1
何でもないある日の深夜。
そろそろ客も途切れ、バーテンがグラスを拭いていたその時。
----キィィ・・・・・
静かな音を立て、木のドアが開かれた。
入ってきたのは、しっとりした雰囲気の黒いスーツ姿の女性。
「こんばんは」
バーテンは微笑みを浮かべて答えた。
「いらっしゃいませ。こんばんは。お好きな席へどうぞ」
女性は真ん中の席へ腰を降ろした。
「どうぞ」
バーテンは、お通しが入った小さな器をコトリと置き、温かいお絞りを広げて差し出した。
「ありがとう」
柔らかな微笑みを浮かべる女性に、バーテンはにっこりと笑みを返した。
「何になさいますか?」
「ピーチフィズを」
「かしこまりました」
バーテンは頷き、席を離れていった。
残された女性は一人物思いにふけりだす。
(ああ、こんな店に彼と来たかったな)
落ち着いた店内は、彼女が知る彼の好みにぴったりハマっているように思えたし、静かに流れるジャズも、耳障りにならず心地良かった。
「お待たせしました」
女性の前に静かにグラスが置かれた。
「ありがとう」
グラスに口をつけると、爽やかな甘味が口に広がった。
「美味しい!」
本当に、びっくりするほど美味しかった。
「これ、本当にただのピーチフィズ?」
女性が尋ねると、バーテンは優しい微笑みを浮かべて答えた。
「ええ。当店自慢の、幸せになれるカクテルレシピで作ったピーチフィズです」
バーテンの言葉に、女性は興味深そうに尋ねた。
「幸せになれるカクテルレシピ?そんなのがあるの?」
「ええ。お客様を幸せにする魔法のレシピです」
「まあ、素敵ね」
確かに、目の前にあるカクテルはいつも飲んでいるそれよりも遥かに美味しくて、女性は幸せな気分になった。
「こんな素敵なカクテル、彼にも飲ませたかったわ」
女性は遠い目をして呟いた。
「今日はね、別れた彼と初めて逢った日なの・・・・」
女性はふぅと小さく溜息を吐くと、懐かしそうに目を細めて語りだした。
十年前、駆け落ち同然で彼氏と東京に出て来た事。
最初は一緒にいるだけで良いと思っていたのに、段々と貧乏な暮らしに堪えられなくなって来た事。
いつの間にか衝突が多くなって、ついには喧嘩別れしてしまった事・・・・。
「あの人と初めて逢った今日、思い出の場所を一人で歩きたくなったの」
ゴールデン街は、二人が最後に訪れた場所。
だけど、その時行った店はもうなくて、さてどうしようかというところにこの店を見付け、何となく入って来たのだと言う。
「つまらない意地はっちゃって、店を飛び出してそれっきり・・・・ね」
女性は寂しそうに言った。
「まあ、最後の思い出の店はもうなかったけど、そのおかげでこんな美味しいカクテルが飲めたんだから、かえって良かったのかもしれないわね 」
そう言って微笑む女性は、やはり何処か寂し気だった。
「ごちそうさま」
会計を済ませ、店を出ようとした。
その時だった。