第五話「夫婦」Part.2
「・・・・子・・・・奏子?」
誰かが自分を呼ぶ声がして、奏子は目を開けた。
「えっ!?」
そこにいたのは大知だった。それも、今のではない。若かった、大学時代の大知!
――――どういう事!?
奏子は驚きのあまり目を見張った。
店の中にいた筈なのに、今奏子が立っているのは、さっきとは全く違う場所だった。
思わずキョロキョロと辺りを見渡す。
――――ここは、大学の教室!?
「・・・・どうした?急に慌てて」
誰もいないだだっ広い教室の中、様子のおかしい奏子に、大地は気遣わしげに尋ねて来た。
奏子は戸惑いながら、思い切って尋ねてみた。
「あ・・・・えっと・・・・大知、だよね?」
「は?当たり前だろう。俺じゃなかったら誰だっていうんだ?」
何を馬鹿な、と言わんばかりに大知は首を傾げた。
間違いない。目の前にいるのは、あの頃の、大学時代の大知だ。
自分は夢を見ているのだろうか?奏子は目をしばたかせた。
「疲れてるのか?そういえば、目が赤い。ちゃんと寝てないんじゃないのか?」
大知は心配そうに奏子を見つめた。その目に、奏子は懐かしそうに目を細めた。
――――ああ、そうだ。大知はいつだってこうやって私を気遣ってくれた。
そんな大知だから、奏子は彼を好きになったのだ。
けれど、そんな大知が、10数年後には奏子以外の女の人と楽しげに宝飾店を訪れたりするのだ。あの光景が頭をよぎり、奏子はたちまち居た堪れない気持ちになった。
途端に顔を曇らせた奏子に、ふいに大知は真剣な顔で言った。
「なあ奏子、お前さ、大河内にプロポーズされたんだって?」
その言葉に、奏子はハッとした。
――――この会話、まさか・・・・!
「その顔・・・・。やっぱりそうか。大河内から聞いたんだ。お前にプロポーズしたって。まさかって思ったけど、本当だったんだな」
ふぅ~と大きく溜め息を吐く大知に、奏子は確信した。
――――やっぱりだ。あの時と、同じ!
遠い思い出の中にあるそれと同じ会話が、目の前で繰り広げられている。
その時奏子は、同じ大学で経営学を専攻していた大河内財閥の御曹司、大河内 崇史に一目惚れしたのだと告白され、悩んでいた。
家柄も普通。見た目も普通。成績も人並みでしかないし、将来だってきっと普通のサラリーマンになるだろう大知。だけど誰よりも優しくて、いつだって奏子の事を考えてくれる大知。ずっと一緒にいるのに、なかなか恋人にはなれない大知。
一方、家柄も見た目も最高に良い崇史。頭脳も明晰。将来は財閥を継ぐ事が決まっている。サークル活動で知り合って以来猛烈にアプローチして来て、ついには奏子に正式に結婚前提で付き合って欲しいと告白してきた崇史。
慣れ合いの関係で恋人にさえなれない大知より、告白してくれた崇史を選んだ方がずっと幸せなのかもしれない。そんな事を思いながらも、やっぱり大知への想いが捨てきれず、当時の奏子はろくに眠れなくなるほど悩んでいたのだ。
「で、奏子、お前、どう返事する気なんだ?」
あの時と同じ真剣な顔で聞く大知に、奏子は息を飲む。
「・・・・どうって・・・その・・・・」
言い淀む奏子に、大知は何かを考え込むように黙り込んだが、やがて決意したように口を開いた。
「・・・・奏子、俺達さ、今までただの幼馴染で、これからもそれは変わらないって思ってた」
ゆっくりと、一つ一つ、丁寧に言葉を紡ぐ大知の目は、怖いくらい真剣だった。
「・・・・だけどさ、アイツがお前にプロポーズしたって分かって、俺、愕然とした。もうお前の傍にいられない。そう思ったら俺、堪らなくて・・・・」
大知はそこで言葉を切った。奏子の肩を掴み、まっすぐにその瞳を射抜き、再び口を開く。
「お前が好きだ!他の誰にも渡したくない。俺と、結婚してくれ!!」
あの時と同じ大知のプロポーズに、奏子の心臓はドキリと跳ね、胸いっぱいに広がる甘い痺れに、思わず酔い知れそうになる。
けれど、そんな奏子の脳裏に、“あの光景”が蘇った。
どんなに嬉しくても、この先にある未来を思うと、どうしも素直に喜ぶ事が出来ない。
奏子は決意して口を開いた。
「・・・・・・ごめん大知。私、大知の事はそんなふうに見れない」
嘘を吐いた。
これが夢でも、選ぶなら違う未来を選びたかった。
――――あんな想いはもう、したく、ない・・・・。
奏子の心は、深い悲しみと痛みに支配されていた。大知への愛情を凌駕するほど・・・・。
「・・・・・・そう・・か・・・。分かった。ごめん、変な事言って」
深く傷付いたような目で、それでも大知は笑顔を浮かべた。
その泣き笑いのような表情に、奏子は心臓をギュッと掴まれるような痛みを覚えた。
「ごめん・・・・・・」
「気にしないでいい。あ、もしアイツと結婚するつもりなら、俺もちゃんとお祝いする。気兼ねなんてしないでくれよ」
そう言って、くしゃりと奏子の頭を撫でた。
こうして奏子は、かつての自分とは違う道を選んだ。
夢ならいつか覚める。そう思っていたのに、いつまでたっても覚める事はなかった。
これは神様がくれたチャンスなのかもしれない。
そう思い、奏子は崇史へYESの返事をし、大学時代からの人生をやり直そうと決意した
――――あれは、夢だったのかな?
大知と結婚し、子供が生まれ、平凡な主婦として幸せだった筈の日々。
月日が過ぎていく中、奏子はいつしか、自分が長い夢を見ていたのだと思うようになっていた。今の自分が現実なのだ、と。
奏子はそのまま崇史と婚約し、大学卒業と同時に式を挙げた。
ついこの間まで大知の妻だった筈の自分が、今は崇史の妻として生きている。
その事に違和感を感じつつも、新しい人生を歩み始めたのだった。
<作者より一言>
第五話「夫婦」。もう少し続きます。
出来あがり次第UPしますので、また覗きにいらして頂けたら嬉しいです。
どうぞ宜しくお願い致します。