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ここは幸せ一丁目  作者: 七瀬 夏葵
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第五話「夫婦」Part.1

奏子(そうこ)は普通の主婦だ。大学一年の秋に幼馴染の大知(だいち)からプロポーズされ、電撃結婚した。それからもう12年。子供にも恵まれ、それなりに幸せな時を過ごしている。共働きではあるが貧しくもなく、優しい旦那と可愛い息子と3人、明るく平和な家庭で、何の不安も無かった。

今年で小学5年になる息子、和樹(かずき)は利発で、この頃は会社から帰る頃には晩御飯の支度をして待ってくれている。奏子はとても幸せで、何も不満はなかった。

ある光景を見るまでは――――。



その日、少しだけ早く仕事を切り上げた奏子は、街中にある大きな宝石店を通りかかった。


(あら?あれ、あの人じゃないかしら)


夫である大知らしき男性が店内にいるのを見て、奏子は思わず店に入りかけ、ぴたりと足を止めた。


(――――――――っ!?)


それは、確かに大知だった。

来ているスーツも、ネクタイも、確かに今朝奏子が大知に出してあげたものだったし、何より見なれた愛する夫の顔を見間違える筈もない。

しかし、奏子は声をかける事なく、足早にその場から立ち去った。


「はぁはぁはぁ・・・・・・」


思わずめちゃくちゃに走って来た奏子は、大きな公園のベンチにぐったりと座り込み、息を整えながら、先程見た光景を思い返した。

あれは確かに大知だった。そして、その隣にいたのは・・・・。


「あれは、誰?」


大知の隣には、見知らぬ女性がいた。若く、可愛らしい女性が、笑っていた。

女性の方は私服だったから、仕事関係とは思えない。

プライベートな付き合い。それも、親密な。

女性が手にした宝石を見て、照れ笑いを浮かべていた大知。

あんな夫の姿を、奏子はしばらく見た事がなかった。


「どうして・・・・・・」


自分がもう若くないから?母親になってしまったから?

知らず、涙が溢れた。


「大知・・・・・・」


夫の名を呟き、ひとしきり泣いた後も、ボーっとその場に座ったまま動けなかった。

公園がライトアップされ始め、カップルが集まり出す頃、奏子はようやく腰を上げ、思い立ったように駅に向かった。

そのまま歩きながら携帯電話で自宅へと電話をかける。


「もしもし和樹?ママ、今日は遅くなるけど、一人でご飯大丈夫?」


『うん大丈夫。パパもきっともうすぐ帰ると思うし、平気だよ』


健気に笑う息子を思うと胸が痛んだ。しかし、このまま家に帰って夫と顔を合わせる勇気は無い。今会えば、息子の前でも構わず問い詰めてしまいそうで・・・・。

奏子は、「お仕事頑張ってね」と電話を切った息子に心の中で詫びながら、今夜は少しだけ飲んで帰ろう、と思うのだった。


駅に着いた奏子は、電車を乗り継ぎ、新宿へと向かった。

結婚前、大知と二人でよく行ったお店が確か、新宿のゴールデン街にあった筈だ。

記憶を頼りに、奏子はその店を探した。


「無いわね・・・・」


あちこち探して回ったが、どうも、記憶にあった店はもう無くなってしまったようだ。

仕方ない、この際どこでもいいか。そう思い、目の前にあった店の扉を開けた。


「いらっしゃいませ」


黒服のバーテンが、グラスを磨きながら笑顔で出迎えてくれた。

そこは、カウンター席しかない小さな店だった。

静かに流れるジャズが耳に心地よい、どこかほっとするような店内の空気に、奏子は緊張を解き、バーテンの真正面にある真ん中の席に腰を下ろした。


「どうぞ」


温かいおしぼりとお通しの小さな器が差し出された。


「ありがとう」


奏子は受け取ったおしぼりで手を拭くと、ふぅ~っと大きな溜め息を吐いた。


「あの、何か甘くて、ちょっと高級感があるようなカクテルってありますか?」


「甘くて、高級感がある物ですね。少々お待ち下さい」


バーテンはすぐに二つの瓶と生クリームの入ったパックを取り出し、氷と共にシェイカーへと入れて振り始めた。

リズミカルにシェイクする音が響き、やがて綺麗に磨かれた逆三角形のグラスにその中身が静かに注がれたかと思うと、サッと何かの粉が振りかけられ、奏子の前にコトリと置かれた。


「どうぞ」


それは、薄い琥珀色と乳白色を混ぜたような色のカクテルだった。

中央に茶色の粉がちょこんと乗っている。

初めて見るそのカクテルに、奏子はおそるおそる口をつけた。


「美味しい・・・・!」


びっくりするほど美味しいカクテルだった。

滑らかな舌触りの中にある柔らくも深い味わいと、癖になりそうな甘さ。

それは、カクテルというより、まるでどこか知らない異国のデザートのようだった。


「これ、何てカクテルなんですか?」


「アレキサンダーです。英国王エドワード7世とデンマーク王女アレクサンドラのご成婚祝いとして献上されたカクテルなんですよ」


そう聞いて、奏子の胸は一気に高鳴った。


「うわぁ!そんなカクテルだったなんて!凄い!!」


まさしく自分のオーダーにぴったりのカクテルに、奏子はうっとりと目を細めながらそれを飲みほした。


「美味しかったです。もう一杯、頂けますか?」


「かしこまりました」


バーテンはすぐにまたシェイカーを振り、同じカクテルを出してくれた。

このカクテルが幾らかは分からないが、今日は少しだけ自分を甘やかして贅沢をしたい。

さきほど見た光景を頭から追い出すように、奏子はカクテルを飲み続けた。


「ふぅ・・・・」


何杯目かのカクテルを飲みほした時、奏子はもう随分と酔っていた。

酔いの回ったふわふわとした頭で、ぼんやりと考える。

あの人が浮気するだなんて思ってもみなかった。こんな事なら、あの時プロポーズを受けるんじゃなかった。

夫、大知にプロポーズされる前、奏子は迷っていた。

何故なら奏子は当時、ふとしたきっかけで知り合ったある財閥の御曹司に告白されていたのだから。

ずっと幼馴染の位置から抜け出せない大知との仲に疲れ始めていた奏子にとって、その告白はあまりに甘い誘惑で、どうしようかと随分悩んだものだ。

そんな時、大知から告白と共に指輪を渡され、プロポーズされたのだ。


「あの頃に戻りたい・・・・」


呟いて目を閉じ、グイッとカクテルを飲みほした。

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