第8話 赤と灰──レッドウルフ
好青年さんの言われた通りの道を往く。
何度か大丈夫かと貧民街の人達から声を掛けられた。
前言ったことを謝罪したい……みんないい人だ。しかしそんないい人でさえ「ランガルさんのところに行く」と言えば苦い顔をする。
貴方は何をしたんですか、ランガルさん!
『一匹狼のランガル』、『孤高のランガル』なんて呼ばれてるらしい。
異名はどの時代でもかっこいい。僕も異名欲しいな。
『脱獄のムート』、『逃亡のムート』とか……功績が脱獄しかないから録なのじゃないな。それも功績と言えるかどうか……。
それと少し驚いたのが、僕よりも少女の方に優しくする人が多かった。
幼女趣味……というわけではなく、亜人族であるからというのが理由らしい。
北方大陸は人族の大陸と呼ばれるほどで、亜人差別も他大陸に比べて酷い。
理由は多岐だが……1番はやはり『聖皇国アスタルティア』の存在が大きい。
名前で分かる通り、かの英雄『聖皇』アスタル・リスタが治めている……というわけではなく『魔神大戦』勝利を記念して人族が『聖皇』の栄誉を称え建国した……人族の国。
聖皇国アスタルティアは人の国であると同時に北方大陸最大の国。
170年前の『亜人戦争』の戦火の中心にあった国。
170年前より消えぬいざこざを抱えている。
そんな最大国が亜人を敵対視しているとどうだろうか?どの大陸よりも被害が大きかった北方大陸は現在も亜人を敵視している。
それなのに、ここの人たちはみな彼女に優しかった。
僕はそこまで亜人差別というものを理解していないから、感動は薄かったがそれでも自分事のように嬉しかった。
大丈夫や心配ないと言った励ましの言葉から、ちょっと固い麺麭や嗜好品の飴菓子までもいただいた。
本人は食べていいのか、という顔をしていたが僕が進めるとお腹が空いていたのかよく食べた。
飴菓子を舐めた時の笑顔は……今までで1番だった。彼女の笑顔一つであるここに来た甲斐があったと思えるほどに。
おっと、封印されし天使よ、鎮まれ。
貧民街の人達にとって亜人である彼女は同じはぐれ者、誰からも見捨てられた同類……そんな風に思われたのだろう。
それは僕も同じか。やたらとおばあ様方に好かれたし。
あれやこれやしている間にすっかり夜の月が中天に位置し始めた。
寒さもおばあ様方に貰った擦り切れたマフラーで温かみ抜群。あとはランガルさん宅に押し入るだけ……というところで、見つけた。
確かに綺麗だ。
この貧民街で1番綺麗なのだろうが、新築かと言われるとそうではない。築20年と言ったところか、年季が入ってき始めている。
ここの人たちにとってはこれも新築に見えるのだろう。
自分の生まれに感謝しながら、何も知らなかった怠慢を心の中で詫びる。
僕も少しくらいこの貧民街に協力できることがあればしたいな。
マフラーは頂いたがそれでも寒さは相当だ。
早く上がらせてもらおう。僕はいいが、少女の方が心配だ。手が冷たくなってきたな。
「こんばんはー、ランガルさんいらっしゃますかー?」
無遠慮に扉を叩いて家主を呼出す。
1秒、2秒……10秒過ぎても何もなく、30秒経つ頃には静寂がだけが残る。
居ないのだろうか?道具屋が居ないなんて有り得るか?店仕舞いしているのなら、そうだが……まだ早いだろう。
居留守か。
「押し入るか。……君はここで待ってて。何かあるかもしれないし……ん?」
「……………」
手を強く握られた。
離そうにも離せられない。
これはアレか……私の手を離さいで!ずっと一緒に居てよ!というアレか。
可愛い奴め、天使が暴走してしまうぞ。
「わかった。じゃあ一緒に入ろう」
手は繋ぐ、離さない。この子の手を離すようなことはしない。
そういえば、今日は面接(仮)で置いて来たことが多かった。
約7日間一緒に居たのに急になくなる喪失感は、まあ嫌だろうな。そちらの立場なら僕も甘えたくなるかも。
あ、やばい。急に僕も離したくない欲が湧き出てきた……もっと強く握ろう。そうしよう。
「……っ」
痛かったのかな、ちょっと喉から呻いた、ごめん。
「……じゃあ入ろう。……返事はないけど、お邪魔します!」
扉が簡単に開いた。
まあ道具屋が閉めてどうするんだって話にはなるな。
中は灯りが数個、天井からぶら下がり全体的に暗めだが商品が見えないということはない。
「ごめん。離すよ。ここで待ってて」
おお、喪失感……でも理解してくれ。僕は君の安安全が第一なんだ。
だから……そんな悲しい顔しないで!すぐに握るから!
彼女はちゃんと扉の前で待ってくれる。
ありがとう、僕も安心できる。
「……普通の物もあるけど……これって魔法具かな?これ、道具に生命力を詰め込んでるんだよね。どうやるんだろ」
買いはしないが商品を手に取って観察する。
一見すると宝石のような丸い赤玉。何も起こらなそうだが、これを特定の方法で扱うと詰め込まれた魔法なりが開放される仕組みのはず。
どうなっているんだろうか……魔導具作成師に直接話を聞いてみたい。
ランガルさんの知り合いにいたりしないか
「金もねえで品物物色してんだ、小僧」
またか……足音も気配もなかった。
振り返ろう……とした首に銀色の何かが掛けられる。鋭い、剣が。
一歩でも動けばその首を断つ、そんな距離だ。
「……………」
かくいう僕は……動けない。動こうなど思うはずがない。
確実なのは、下手な行動をすれば鋼の剣は僕の首を斬ることだけ。
「もう一度聞くぞ。小僧、ここで何してる」
それを背後に立つ何者かはさも当然のように問うてくる。
緊張してるんだけど、もう少しだけ時間はくれないだろうか……駄目か。
彼女の安否が気になるが、今は言葉を尽くすのが良いか。
「ランガルさんにお会いしたく」
「あン?オレに何の用だ」
では後ろにいるのは噂のランガルさんか。
怖いな。怖がれるのが当然な気だ。
気が緩むと失禁してしまうかもしれない。そんな圧力だ。
「その、僕たち2人をここに……住まわせてください」
「何のために?オレにメリットは?お前らをオレの縄張りに入れて何になる」
「ここで働きたいんです」
ピクリと、空気が変化した。
今だ。
「僕たちは行く宛ても働く先もありません。それで、この貧民街に流れ着いてランガルさんのことを聞きました。ここなら働けるかもしれないと。……僕たちは、僕は故郷に帰りたい。扉の前にいる彼女も、帰してあげたい。だからそのためにお金が必要なんです。ランガルさんのところで働かせてください!」
脅しの剣に屈せず、僕は後ろに振り返る。
そして礼だ。直角90°完璧な礼だ。
頭をあげる勇気はないので、そのままでいる。
ランガルさんの許可がおりるまで、下として振る舞い続ける。
就職失敗はできない。
これが最後だと思って当たった方がいい。
僕は無職を卒業して、必ず労働者になる!
なんか目的が間違う気が……。
「お前……」
「ぃ!」
髪を捕まれ無理矢理顔を上げさせられる。
これは、不採用か!?それとも暴力癖がある面接官なのでしょうか?
「……………わあ」
しかしその反応も一瞬だけ、次の瞬間には僕の目は輝いた。
「獣族だぁ……」
口から覗く立派な犬歯。
灰色の毛並みは風に揺られ
赤黄色の眼光は鋭くも凛々しい。
腕の先、研がれた刃のような爪。
狼のような犬耳に尻尾、そして全身に纏う野生の風格。
『獣族』。
牙と誇り、力の種族。獣の力を受け継いだ、獣の子。十種族の中で僕が最も会いたかった人。
つまり、モフモフ。
「おおぉ……」
近い。
伺うように、穴があきそうなほど直視する。
縦に開かれる瞳孔……こちらを選別するかのように、鼻から息を吸いながら臭いで判別する。
時々、モフっとした毛が鼻先を擦る……嬉しい。
抱きつきたい衝動は、我慢して今は大人しくする。
「お前、何者だ」
「ムートです。家名はありません。種族は人族。産まれは西方大陸のサミエントという国で……」
「そんな事は聞いていない。お前はなんだ?なんだ、その眼は」
眼?特に変わったことは……左眼だろうか?
布で覆っているのによく分かるな。そういうことも獣族は分かるのだろうか、凄いな。
臭いと感覚で眼の不自然さに気づけると。
僕はすぐさま布を外す。
あの子の治癒魔法でも治らなかった異常な瞳。赤眼を晒す。
それと同時に……視界に入る、赤と紅。
眼前の灰色の獣でさえ、赤にしかならない。
あまり開けていたくない。観たくない光景が嫌でも入ってくる。
「この眼は、つい先日こうなったものです。僕にもよく分からなくて……」
「瞳の色はどうでもいい。その眼はなんだ?」
「??」
これ以外となると……思い当たらんな。
僕の目に魔人でも宿っているのか、獣族であるランガルさんはそれを感じ取って……
「その眼……何を視た?何を視てきた?その眼はなんだ。この時代にそんな眼をする奴がいるはずがない。それは、オレの時代にもなかった。あの戦いでもそんな眼をする奴はいない、生まれなかった。……………何故そんな、地獄を視てきた眼をしている」
「……………」
なんの、事だろう……。
分からない、けど……頭が痛い。
左眼を開いているだけで頭が痛い。
染み付いて取れない赤が、無遠慮にも自分の意識を支配してくる。
……ドクン。
と、心臓の音が聞こえてくるほどに、頭が……。
「……………何を言っているか、僕は分かりません。でも多分……そうなんでしょうね。ぼんやりしていますが、ランガルさんの言う通りなんでしょう。でも僕には分からない
「……………」
沈黙が、煩い。
1秒でも早くこの時間が終わってほしい。
そう思い、何にもならない声を……
「あ……」
上げようとしたする前に、
「……出ていけ。お前のような人族と馴れ合うつもりはない。同種ならこの貧民街に沢山いる。そいつらと勝手につるんでろ」
宣告を受け入れるしかなかった。
*
夜の月は雲に隠れ、顔を見せてくれない。
今日は曇り空で星の1つ見えない寒空。
手に温かさはない。1人だ……1人だけとぼとぼ歩く。
彼女はランガルさんの所に泊めてもらえるようになった。ランガルさん曰く「人じゃないならいい」という事だった。
まあ、いい事だ。彼女との別れは、あんまりいいものではないが、僕と居るよりはマシだ。きっと。
ここから何処に行くか、長老さんの家に行くしかない。
職は……力仕事はあるらしいし、それをするしかない。筋力は足りないか、鍛えて地道にやっていくしかない。
「長老さんの家ってどこだろ……聞いておけばよかった。聞いても教えてくれなかったか」
よし!切り替えよう。
人生切り替えよな。いつまでもうじうじと女の子の事引っ張るな。
とりあえず当たって砕けろ。
全ての家にお邪魔します、全ての家を当たって長老を探す。目下の目標は長老探し。
待ってろ、長老。泊まらせてください。
「……あれは……?」
目の前に、灯りが見え始めた。
ゆらゆらと風に吹かれる灯り。
2つ、洋灯ではない松明だ。
この時間で出歩くのは、有り得ないことでは無い。ちょっとした用事、散歩、なんでもあるだろう。
丁度いい、長老宅を教えてもらおう……とした、足が止まる。
あれには近づいてはならない。
腰に辺りにかかった革とそこから突き出た突起……何かわかる、剣だ。剣、ロングナイフの方だ。
嫌な思い出だな。あれと同じようなロングナイフで足を裂かれた。死ぬ思いをした苦い武器だ。
次に、足が少し下がった。
松明に照らされた人影は2つから3つに……後ろに1つ増えた。
「嘘、だろ……」
たじろいで、更に下がる。
見覚えがある。見覚えしかない。
足の付け根の傷が疼く……治っているはずが、幻傷として痛める。痛い、痛い……痛い。
息を飲む、脂汗が流れる。
松明のせいで橙色を纏った青髪……それを見た瞬間、近くにあったボロ屋に身を隠した。
なんで、ここまで追ってくるんだ。
街を離れたというのに1日足らずで追ってきた。
どんだけ執着しているのか、あの少年少女趣味変態剣士は。
それとも、逃がさない理由がある?
例えば、買い手が見つかったとか……それなら簡単に逃がさない理由にもなる。
奴らにとって奴隷を提供できなければ面子が潰れ、信用問題に関わる。
貧民街は危ない……この街が安全ではない。
逃げるとすれば、サラキア王国を離れる他ないのか……それとも、魔の手は何処までも追ってくるのか。
とりあえず逃げよう。
奴らが来たところから逃げる。あちらは捜索済みなのだから2度見も早々ないはず……時間は稼げる。
ここで一旦やりすごして逃げる。
「……………いや、本当にそれが正解か?」
何を勝手な解釈をしている。
もしも、もしも買い手が見つかったのが僕ではなくあの子だとしたら……狙われているのは、あの子だ。
ランガルさんの所にいるからといって、安全とは限らない。
あの子が危険な目に遭う……最悪は、それだ。
僕の命が失われることが最低じゃない。
あの子の自由が奪われること、それが最も避けるべき事柄だ。
頭を動かせ、ムート。
お前ならやれる。逃げ切れる。一度は成功した。
だから、あれをもう一度やれ。
足元に転がる石……それを、奴らに向けて投げる。
「……?」
警戒してか少し止まるが……石と分かった瞬間、身構えも解く……次に確認するのはその石の出処、僕の方へと視線が向けられる。
その瞬間……いや、それすらも前に僕は走り逃げる。
方向は来た道を戻る感じで、全力の突っ走りで距離を開けていく。
「追え!!」
聞き覚えのある男の声。
やはり少年少女趣味変態剣士だ。
剣士の方が偉いのか、号令を聴いた松明を持った男たちが僕を追って飛び出す。
しかし時間差、ある程度の距離は稼げている。
このまま逃げ切る。
体力の低下が息を切らす……それでも走る。ただ走る。
幸いなのは、貧民街には灯りの類がかなり少ない。
この夜闇の中で、小さな子供を見失わず追いかけるのは難しいだろう。
その隙に逃げる。
途中……ランガルさんの店が見えたが、無視だ。
何も知らない振りをする。
こちらの方に逃げれば奴らはここにあの子がいるなんて早々思うまい。
「はぁ、はぁ……!どうだ……」
後ろをチラ見……居ないな。
目視では見えないのだから、何とかなるかもしれない。
貧民街を抜けて街中に……しかしここらは人通りが少ない。せめて人がいる場所に行かなければ逃げきれない。
身を隠すなら人混みの中だ。
路地裏を素早く移動し最短最速で人通りの多い中央道に向かう。
今日1日歩きづめたから道は全て把握している。
油断はない。大丈夫、僕は何も間違っていない。
……あれ?デジャブ?
空気を纏った何かが落ちる音……視認する暇もなく、
「ぐがっ!?」
背中を強打される。
そのままうつ伏せに倒れ、起き上がろうと体勢を直そうとした。
「っぃ!!」
背中を押さえ込まれ、むせ返りと共に激痛が襲う。
背を何者かに押され地面と密着する形……押さえつけが激しくなるにつれ圧迫感が全身を殴打してくる。
頭を上げようと必死にしたが、
髪の毛を掴まれ、地面へと叩きつけられる。
鼻骨から軋み、頭蓋が割れかけ頭部から少量の血が流れ出す……。
「手間をかけさせる」
この声は……青髪剣士か。
後ろにはいなかったとすると……可能性は上か。
屋根を飛んできた、それなら障害物に邪魔されず僕よりも速く移動できる。
その可能性を、なぜ僕は考慮しなかった……失策だ。
「ぐ、っ……」
「……貴様。なぜ足が治っている。俺が刻んだはずだが」
「お生憎様、治させてもらいましたよ。この通り完治です」
「ほう。その歳で最上位の治癒魔法まで扱うのか……。それで、もう1人の方は何処に行った?」
「知りません。どこかに1人で逃げましたよ。僕なんて信用ならないってね」
「……そうか。まあ買い手がついたのは貴様の方だ。最悪貴様だけ連れ帰るだけでいい。運が悪かったな。2聖金貨の取引だ、逃がす道理はない」
どうやら買われたのは僕のようだ……あの子でなくてよかった。
しかし2聖金貨か……200万ゴルか。僕はさながら200万の男というわけだ。
少し嬉しい……評価されているようで、でも複雑だ。嬉しいがいい気はしない。
「それは良かったですね。……僕の主に伝えておいてください、損してますよってね!」
左手に生命力を注ぎ込む。
失敗するかもしれないが、一か八かでやるしかない。
『風撃』よりも『火炎』だ。至近距離でぶちかまして顔面焼いてやる。
だが、
「ぃがぁ……!ぐっう、あぁ!」
そんなこと読まれていた。
ロングナイフの塚頭が食い込むほどに押し込まれる。
一瞬の集中の欠け……それが魔法の勢いを散らす。
「分かりやすい。何度も同じ手が通用すると思っているのか。確かに頭の方は良いが、戦闘慣れはしていない。戦士の思考で考えていない。それが貴様を殺す」
対抗手段、対抗手段……まだいける。
何とかなる。僕は、まだ負けてない。
ここから1発でも魔法を撃ち込めば、逃げれるはずだ。
なら、その魔法をどうやって放つ。
隙を見て……もうこの剣士に隙はない。
賭けで……それはいま成功しなかった。
考えてくれ、最適解を……乗り越えるために、考えろ。
僕はまだこんなところで終わることは……勝ち目はある。今は見えないだけ、勝ち目は、勝ち目は……………
勝ち目なんて、ない。
何をしても無駄。
どう抵抗しても更に強い力で捩じ伏せられる。
手札はもう見せきっている、逆転できる札はない。
やばい……どうしようもない。
考えて考えて……それで僕にできることは、何をしてももうこいつには通じない。
「ごめんなさい……許してください……解放、してください……」
頭が混乱している。
こんなこと言っても無意味だ。
それでも僅かな確率を信じて……頼み込んで、逃げる。これしかないんだ。
「……精神がいっぱいにいっぱいになると、頭が動かなくなるタイプか。典型的なガキの例だ。所詮お前も1人の子供、現実を見ろ。逃げ場なんてどこにもない」
言う通りだ。
信じたくないものを受け入れるしかない。
運命を認めろ。
これが僕の運命……ここで、こんなところで終わるのが僕の運命?
嫌だ。抗いたい……けど、もう何もない。
ムートという少年に残されたものはない。
「戦意喪失。まあいい、さっさと元の場所に戻るぞ」
だが、剣士は動かない。
「……………しかし、アイツら遅いな。何をしている。場所すら把握できないのか無能どもが」
悪態をついた青髪の剣士……部下である2人の賊が一向に現れないことに苛立ちを覚え始める。
路地裏の入口を見ながら、耳を澄ませる。
足音はしない。『五命感知』を使っても感じ取れない。それだけ遠くにいるなど何たる怠慢か……切り捨てることすらも厭わない剣士は路地裏の入口に集中する。
……押さえていた少年が居なくなっていることにも気づかず。
「!?」
異変に気がついたのは、1秒もあとのこと。
すぐさま視線を入れ替え続け、その姿を見つける。
自分の目の前……20mは離れたところに膝をついた少年と、その少し前に立つ獣の姿を。
現れたのは、月夜で輝く灰色の毛を夜風で揺らす獣。
「……ランガルさん?」
「獣族……なんのつもりだ。そのガキを渡せ」
さもないと、お前から切り捨てると言わんばかりに剣を構える。
隙がない。剣を知るものだからこそ出来る一縷の隙もない構えだ。
しかし、獣は動じない。
「オレはこの小僧に用がある。貰っていくぞ」
「何を勝手なことを、血に飢えた獣風情が人族に対して偉そうに。戦うことしか能のない、知恵のひとつすら絞れない貴様らが人族に命令する権利があると思うな」
舐め腐っているわけではない。
実際に獣族のポテンシャルの高さは評価していた。優れた聴覚と嗅覚、そして野生の勘があることを知っている。
故に剣士は懐から魔法具である赤玉を取りだし、地面に投げつける。
赤玉から溢れ出す炎……そこに瓶を投げ込みさらに火力を増させる。
「この臭いは……油?」
(これで嗅覚は封じた。聴覚も『無音立踏』を使えばどうとでもなる。気付かぬうちに『閃剣撃断』で両断してやる。それにあの右脚、義足にも満たぬ棒だ。自慢のスピードも死んでいるだろうな)
剣士に油断はない。
圧倒的な余裕をもって、獣を狩る自信を見せる。
手足のうち1本を失った獣を逃がすはずがないと。
どちらでもない者が息を飲む……僕だ。
何が起こったのか分からない。
どうやってあの状況から解放されたのか……確認する暇もなく、戦いが始められようとしていた。
後ろから見たランガルさんは余裕そうに見えた……。煙管を蒸かしながら、剣を構えるわけでもなく立っているだけ。
相手の剣士も余裕と言った感じで笑みを浮かべる。
どうなるか、是非見届けたいという思いから……準備のために、瞬きをする。
その刹那。
1秒も要らなかった。
瞼を閉じて開けた瞬間……1つの命が消えていた。
青髪の剣士の頭部が、首から落ちた。
「え……?」
何が起こったのか、分からない。
ただ事実は残り続ける。
「闘法『瞬動速』」
ランガルさんの勝ちと相手の負け。
ランガルさんは刹那にも満たぬ時間で首を切断し、一撃で絶命へと追い込んだ。
視認不可能なスピードで切断したのだ。
神速。そう感じさせるだけのスピードで……。
相手とて上位剣士……弱いわけではない。
ただランガルさんがそれを上回った。
最上位……最上位剣士の実力でも上位剣士を圧倒できるか……………ランガルさんは、それ以上のレベルにある。
最上位などではない。
上級階位──『聖位』。
「お前は阿呆か。戦うことしか能がない、それは認めてやる。生涯戦いに生きる戦士だからな。だが、忘れるな。オレたち獣族は『亜人戦争』でお前たち人族を最も多く殺した……戦闘種族だ」
血に濡れた剣を振い落とす。
自らの毛に飛び散った血を獣さながらに身震いし落とす。
血に濡れた獣は灰の毛を赤く染めて、勝利を謳う。
なんか、いい。
すごく、かっこいい。
惚れた……。
「……………」
「あの……」
声をかける寸前で押し止められる。
ランガルさんは眼前に、目と目を合わせる。
ガチ恋じゃないですか……そんないい顔覗かせないでください。
「お前……何故、街の方に逃げた」
真剣な顔と目……応えることしか出来ない。
問答無用、僕の意思はそこにはなかった。
「……人がいるので、逃げやすいと思いました。身を隠すなら人混みの中とも言いますから……逃げ切るためにはこうするしかなかったんです」
「逃げ切るため……?なら何故、オレのところに居るあの小娘を売らなかった。逃げるためならば、それをするのが道理だ。常設だ」
道理、常設……そうかもしれない。
逃げ切るためなら、それをすればいい。
でも僕はそんなこと思いつきすらしなかった。あの子を見捨てるくらいなら、僕1人の犠牲で済ませるつもりだった。
それを伝えよう。
ちゃんとした気持ちを伝える方がいい。
人生正直者がわりを見る……わけでは決してないが、正直な方がいい。あとから差異が出にくい。
「そんなこと考えてませんでした。僕は、あの子を助けたかった。自分勝手に手を取ったから、せめて少しでもそのおかげで幸せになってほしい。……彼女をここで切り捨てるのは、自分自身の理想に嘘をつくことになる。それは駄目だ」
「……………」
「それに、ランガルさんのところなら平気かなと思いました。だってランガルさん、あの子を見る時の目は優しかったですから。ランガルさんは、ああいう子を見捨てない人だと思ったので……貴方に託しました」
本音だ。全て真実だ。
彼女を見捨てはしない。だから、地獄は見ないでほしい。
ランガルさんになら任せられる。そう本気で思ったから、僕は1人で行く道を選んだ。
ここで僕の運命が尽きたとしても、彼女の運命はまだ幸福に手が届く。
それだけで、よかった。
「……………小僧。オレが、どう視える」
意味は、よく分からなかった。
けど思ったことを言えばいい。それだけでこの人は納得してくれる。
「まずかっこいいですかね。強いですし、簡単に人を見限らない精神性も凄くかっこいい人です。あとモフモフ!機会があれば触りたいくらい良い毛並みで、正直言うと大好きです!」
ぶちまけてやったぜ。
モフモフは正義。是非触らせてください。
寒い時期なんかは特に、1日10回はお願いします。
さて本音をぶつけたが……ランガルさんはどうか?
反応は良いものか分からない。
能面で、表情ひとつ変わりはしない。
でも多分悪い気はしていない……気がする。
「……僕からもひとつ聞いていいですか?」
「……………」
沈黙は肯定とみなす。
「その脚……どうしてそうなったんですか?」
彼の右脚……コートを着込んで足は見えにくいが、最先端から僅かに覗くのは木製の棒。
生きた血が通っていない、偽りの足。
いや、足と言うには不十分な補助棒だ。
「……相手の気持ちを考えられないのか?」
「何となく、理由は分かります。でも知りたいんです。それを無視して貴方と交流するのは違う。罪から目を背けることはしちゃいけない」
根負け……といった様子で、息を吐く。
心底ウザったい奴だ、とでも言いたげだがランガルさんはそれを言わなかった。
ただ、一言。
「……人族にやられたものだ」
人族の罪を、責めることなくただ口にした。
「……………ごめんなさい」
無遠慮に聞いた事もそうだが……
人族の罪を僕は謝罪した。
それで許されるものではないと知っている。
罪は罪、生き続ける限り消えることはない。
獣族……ひいては亜人族にしてきたことは、消えはしない。
僕ができる贖罪は謝ることしか出来ない。
なら、謝るしかない。
「……小僧が何を一丁前に頭を下げてる」
優しく、頭を滑る程度に掌の感触が包んだ。
「お前が頭を下げたところでなんの意味もない。やるだけ無駄、時間の無駄。人族なんぞに時間を費やすのは無駄でしかない。さっさと行くぞ」
何事もなかったように踵を返すランガルさん。
ん?これは……いいということだろうか?
着いて来い的なそういう……。
「何してる。早く行くぞ」
「いいんですか?」
「お前が居なくなった瞬間、あの小娘がうるさくなった。オレは子のお守りなんざしたことねえから、お前がしろ。ガキ2匹、抱えるだけで長老からの小言がなくなるなら安いもんだ」
それ以上語るのは時間の無駄と歩きを続ける。
ランガルさんは受け入れる姿勢を見せて……ただ家に帰ろう、と言ってくれている。
何が彼の心を動かしたのだろうか……大層なことを言った気はしている。
そのどれかがあの人の心に響いたのか。
定かではない。
多分、聞いても教えてくれないんだろうな。
でも、それでいい。ランガルさんはこうして心を開いてくれた。
それだけでいい。
本当に単純にあの子がうるさかっただけかもしれないしね。
僕も、彼の後を追う。
予想だにしなかった人との生活。どうなるかは運命次第。
でも悪い運命じゃない。
運命を認めるよ。
いま僕はいい道を歩んでいる。他人から見たら、そうではないように見えたとしても、僕はそう信じている。
一匹狼は、もう一匹じゃない。
ちなみに1ゴル=1円です。
貨幣は
石貨1ゴル。
鉄貨10ゴル。
銅貨100ゴル。
銀貨1000ゴル。
金貨10000ゴル。
白金貨100000ゴル。
聖金貨1000000ゴル。
ムートくんは200万の男です。