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第57話 おかえり

ふと、気がついた。


──ああ、これは夢なんだ。


肉体が存在しない浮遊感に包まれ、思考に霧がかかったのか纏まらず、起きたら忘れてしまいそうなか細い断線。

それでも夢と認識できているのは、脳だけが本質を処理できているから。


夢は、記録として蓄積された記憶が睡眠時に処理されることで、脳内で映し出される脳内運動のことを指す。

夢とは記憶。

自分自身の記憶が流れる。

覚えのないものを視ることはない。


──なら……なんで、この光景を視ているの?


鼻をつんざく鉄錆の匂い。

時間の経過と共に腐敗が充満し、生臭さが滲みていく。

大地を隠す赤色が、紅色に埋め尽くされ、朱色が覆い隠す。


目を疑いたくなる、惨殺の風景。

海闊天空な様をみせる赤くも滲んだ溜まりを視ていると、血の海という単語が頭を過ぎる。

死海だ。

命が作り出したというのに、命がまったく転がっていない。


夢で視るはずがない光景。

初めて視た、雄大な空と地の下地となりつつある沢山の命だったモノ。


それに混乱はなかった。

それよりも頭にあったのは状況の整理しようという心がけがあった。


──ここは、今よりもずっと昔だ。


完全な年代を特定することは適わずとも、現代ではありえない事だけは解る。

多少、勘の良い者なら解ると謙遜するも生命力(オーラ)の本質を理解している1部の魔術師にしか悟れない。


豊富な生命力(オーラ)が蓄えられた生命のスープ(鮮血)が散らばりながら、生命力(オーラ)が完全に世界のものに塗り替えられていた。

紙上の絵の具を乾かした後に、新たな色を塗り完全に元の色が消えている。

つまり、世界の生命力(オーラ)がそれだけ膨大だという事を意味している。


現代ではありえない。

世界の衰退が起こりつつある現代において、濃密で燦爛(さんらん)にはならない。


──じゃあ、年代はいつ頃?100年以上は確定として、300年くらい?


残念ながらハズレだ。

特異的な才能をもってしても、子供なのだから細かな計算ができなくて当然。


500年前、正確に言うなら500ともう数十年ほど遡ったあたりの記録。

人々が『魔神大戦』と呼んだ、100年の戦争の真っ最中。


──これは、わたしの記憶じゃない。ううん。記憶じゃない。夢にしては、もっと曖昧。正確に言うなら魂に刻みつけられた記録、かな?


おおむね、考察としては当たり。

そう、この記録は実際には自身のものではない。

だって視たことどころか考えたこともない情景を視せられても、脳のバグだと疑ってしまう。


肝心なのはなぜ彼女が他人の記録を覗き視ているかということ。

誰の?どうして?


夢が起こった出来事を処理する一環なら、この記録は大切なモノ……もしくは、忘れてはならない出来事のはず。


眼を覆いたくなる悲惨な一望なのに……先程から一切、眼の行く先が移ろわない。



──なんでこの人は、眼を背けないの?


……頭部から飛び出た眼が、風に煽られ転がった。

赤く、紅く、朱く、赫く、緋く。

一色に染った眼が、生気を失いながら、自分の眼と交差………………





その瞬間、意思が強制的に目覚めさせられた。


「……はあ!」


荒い息を吐き出して、汗でびっしょりとなった悪い寝覚め。

寝起きは良い方だが、今回は過去最悪なレベルだった。


「リーシア、大丈夫!?」


即座に隣にいたムートが声をかけてくれた。

ムートは自分のことのように心配な顔をしながら、飛び起きたわたしを気遣って寄り添ってくれる。


「……大丈夫。変な夢を、視ただけだから」


「悪夢でも見た?魔族好きの変態にでも追いかけ回される夢とか」


「そんな夢じゃ……なかった、かな……」


ゆっくり深呼吸して、激しくなった心臓を落ち着かせる。

現実と夢想を差異を頭で処理し、寝起きの脳を刺激して動かす。

ここは現実。夢じゃないのは、あらゆる観点から見ても明らかだ。


次いで、夢の内容を整理する。

普通なら夢というのは幻同様にすぐ消えてしまう霧露(むろ)のようなもの。


けど、夢の内容はたまにヒントをくれる。

現実ではないからこそ通常ではありえないやり方で奇跡のような事象が起こり得る。

それを無駄にしないよう、記憶を管理する脳細胞が夢を手放さないため、精神に関与する魔法で無理やり引っ張り出す。


(あの夢は……わたしのじゃなかった。もしかしたら、そうなのかもしれないけど……)


転生、または前世というものは実在する。

死後に魂は世界の生命力(オーラ)へと返還されるが、その生命がどこに行き着くのは不確定。

自然と一部となるか、第2の生となるかは完全に順不同。

死後にまた生に生まれ変わる事例はない事ではない。


それが今の生命学の見解で、わたしもそれに同意している。

もしかしたら、さっにの夢はわたしの前世の記憶だったのかもしれない。


(記憶なのは確か……ただの妄想でもなかった)


思い出すと、繊細に蘇る情景。

視覚も嗅覚も聴覚も、何もかもが鮮明で些細な零れひとつもなかった。

回想。

過去の記憶。


「とりあえず水でも飲んで。俺のことは気にしなくていいから、もう2時間くらい寝てていいよ」


寝てていい。

ゆっくりと周囲を見渡すと、まだ周囲は暗い。

簡易の屋根で空への道が遮られた岩山の麓。

真上は見通せないが、斜めに視線を向けると満天の星空がどこまでも広がり続けていた。


あ、っと声を上げかけた。

順番で見張り番をしていて、ムートが見ててくれてたんだ。

どのくらい経ったか分からないけど、自分の負担をさらに増やしてわたしを気遣ってくれている。

心配してくれるのは嬉しいけど、やっぱり申し訳ない。


「本当に、大丈夫……目が()めちゃった」


手渡された水筒の中身を口に入れる。

乾ききった喉に降って落ちた潤いを感じ、もう一度落ち着くために息を吐く。


「ムートの方が寝るべきだよ。眠気なんて全然なくなっちゃったし、見張り交代するから」


「……そう言って襲うつもりですね?」


「それはまだはやいよ!?」


「まだ、ですね。そのまだを楽しみに待っておきましょう」


うう、ムートはたまに意地悪だ。


「俺も眠くないから本当に寝てていいよ。俺は特訓の続きもしないといけないから」


ムートはいつも寝る間も惜しんで訓練をしている。

でもムートは充分強い。わたしなんかすぐに倒してしまうくらい強いんだから、無理する必要はない。

目指しているものが大きすぎるから、一体どれくらい強くなりたいのかあんまり分かっていないんだと思う。


「それにルートもしっかり記録しておかないとね。地図上では近く見えても、少しのズレで大幅に方角が間違うことなんてあるからさ」


広げられた地図には、今まで通ってきた道が線で繋がっていた。

多少の差はあるかもしれないが、街と街を繋ぎ、微調整をしていくことで方向に狂いをなくしていく。


目的地……ナークライ森林までの距離は、地図上では目と鼻の先。

1ヶ月間走り続けたのだから、辿り着くのは分かっていた。日々近づいてきているという感覚がある。


わたしの故郷。


そして、旅の終点に。





聖皇歴518年──夏季序盤。



代わり映えしない岩と砂の大地を走る。

もう飽き飽きしてきた。

どこを見ても同じ風景にしかならない。旅の楽しみが全くといいほど削がれている。

2週間に1回見られる森が唯一の救いか……。


乖離大陸は中部へ進むにつれ人の暮らしが乏しくなる。


栄ようがない。

土に栄養がないので育たず、川や湖は滅多にない。

作物を育てようにも通り雷によって全て蹴散らされる始末。


では肉を、となっても食べられるのは肉は魔物くらい。

その魔物も獰猛な強敵で、家畜としては見込めない。

ほとんど詰みである。


街は港町か魔都の近くにちらほらある程度。

あって集落。

族ごとの集落が時折あるくらい。



『魔族』と一括りにされるが、種族によって全く異なるし、種族が一緒でも族名が違う。

魔眼族のクリア族とか、魔眼族のソリステ族とか、魔眼族のシルムード族とか。

まあとにかく多い。

同じ種族でも生活が真逆な場合もある。

覚えるのは一苦労。

全国の家名を覚えるようなものだ。


メルアストラン族は、霊生(れいしょう)族であるらしい。

霊生族とは生物よりも生命力(オーラ)の塊である精霊なんかに近い性質の種族。

肉体の半分が生命力(オーラ)によって形成され、半分は霊体のようなものであるから霊生。

精霊が肉体意思を持ってしまった妖精。妖精から派生した妖精族(エルフ)に似ているのは起源が似通っているからのようだ。

メルアストランは霊生族の中でも精霊に近しく、妖精族(エルフ)と酷似している種族。


アルフィリム様も仰っていたが、メルアストランは妖精族(エルフ)の紛い物という認識が強く、妖精族(エルフ)から忌み嫌われている。

霊生族は知らなくてもメルアストランだけは知っている事もあるそうだ。

知れば知るほど、妖精族(エルフ)の名前を付けてしまった俺が馬鹿みたいだ。実際馬鹿か。


悪精族(ダークエルフ)ともまた異なる。

悪精族(ダークエルフ)は、妖精の無邪気な心に悪性が宿ってしまい悪妖精に変質したモノが派生した種族である。

なのでメルアストラン族とはそこまで共通点がない。



と、これがウェストリンさんが調べてくれたメルアストラン族についてだ。

本当にあの人は優秀すぎる。

流石は王女の護衛。

見習いたいくらいの完璧っぷり。

テルネアもウェストリンさんがいれば王への道も見えてくる。


同時に、調べられる事なら俺が調べるべきだったと後悔する。

金がないやら言い訳して、情けないばかりだ。

大事だといいながら後回し。


リーシアしかいないのに……いいや、考えないでおこう。

それはきっと、もうすぐ直面する事態だ。



「ムート、あれ」


リーシアに導かれ、彼女の視る景色を視界に収めた。


痩せこけた大地に佇む、複数の影。

どこまでも続くと錯覚するほどの群れが、薄黄色の葉っぱを揺らしている。

望んでいた緑ではない。

求めていた場所ではあった。


しばらくその光景を目にし、今度はリーシアに目をやる。


リーシアを視る。

吹き通る向かい風に晒され、白い髪が美しく揺らめく。

妙に様になっている。

この土地が彼女と合致するのか、あまりにも自然体であった。


夢見の様に儚くも、晴れきらない顔。

ただ懐かしむように、遠くの景色を視続ける。





ここからは歩いて行きたい、という提案をされ馬車を降りた。

見覚えがあるのだろうか、周囲を見回りながらゆっくりと森に足を進めた。


リーシアは決して笑顔にならない。

晴れやかではないが、穏やかではあった。

何を想っているのかは知りえないが、沢山の事が彼女の中で渦巻いているんだろう。

あまり会話はせず、彼女が懐かしむ時間を作る。



森に入ると出迎えたのは秋の様式を感じさせる薄黄色の葉っぱ。

ナークライ森林の姿は錦秋(きんしゅう)に程近い。

乖離大陸でも数少ない絶景スポットなのではないだろうか。

趣向さえ凝ればガーデンなんて名がつきそうだ。

どれだけ美しかろうと乖離大陸の木なのでアサシンパクには要注意だけど。


美しい。

リーシアを正面に置きながら見る風情ある景色は最高だ。

彼女がこの秋の森に棲まう妖精のようにキラキラ輝いていた。

まあ実際に妖精に近しい存在ではある。



そう、しばらくもしないうちだった。

体感では3分も掛からなかっただろう。


村があった。

村と言ったが集落と呼ぶのが自然だ。

十数軒の民家を囲い込むちょっとした畑、目を引くとすれば養牛が飼われていることくらい。

噂の魔陸牛かな。


門はない。

流石に声かけなしで入るのはまずいかな、と思っているとリーシアが踏み込んだ。

自分のホームとはいえ行くなあ。

俺もトゥールを引き連れながら入る。


「キュー」


「静かなところですね」


静かすぎる、と言ってもいい。

森のざわめきの方がまだうるさい。

とても人が生活しているとは思えない。


無論、いないわけではない。

リーシアに似た色素がない髪色をした小柄な長耳が居る。

彼らは近寄ってこず、こちらを遠目でチラチラ見ていた。

人族が珍しいのか俺に……というよりも、その視線はリーシアに向けられているものだ。


同族のはずが奇妙な視線。


しかしリーシアは一切動じず、集落の中を歩いて行く。

動物の帰巣本能は時にあらゆる事態を先送りにしても優先される。

目的地ははっきりしていた。



そこはひとつの民家。

木が大量にあるからか乖離大陸には珍しい木造。

扉なんて上等な物はなく、成人男性がしゃがめばギリ通れるだけの穴しかない。

メルアストラン族は小柄なのだ。

2mもない高さで事足りる。


「……………」


彼女は何も言わず目の前にして立ち止まった。

俺でも分かる。

この家がリーシアの帰るべき場所だという事が。


立ち竦む。

彼女が何に対して恐怖しているのか、なんとなくだが理解できた。


もしかしたら、もう居ないかもしれないという思いがよぎったのだろう。

俺を目の前で視てしまったから、要らぬ不安があった。

手が少しばかり震えている。


俺は、何をしているんだ。

怯えがある。

自分一人で抑えられない時、誰かが支えないといけないと、他でもないリーシアから教えてもらったはずだ。


消せなくとも、和らげるくらいの事は俺だってできる。

彼女の手の震えを……



「アウロラ……?」


声の方向に、リーシアは目をやった。

次いで俺も後ろに目を向けた。


年若い。

まだ18にも満たないであろう少女。

腰辺りまで伸ばされた白銀の髪、薄くも輝きがある金の瞳。

幼さが残った大人の階段半歩上がりかけな童顔。

リーシアが成長したらこうなるんだろうな、という理想が詰め込まれていた。


リーシアを視ている。

俺は眼中にもない。


「キャウ」


エルンに指摘され、俺はトゥールと共に横に移動し、2人の間にあった障害物を退かした。

小動物の癖に配慮が出来てやがる。


リーシア似の子はなんとか口を開き、声を上げた。


「似た、生命力(オーラ)をしている子が来たからって……言われて、急いで帰ったら……本当に、アウロラなの?」


端々に涙がかかった消えりそうな声。

それを受け止めたリーシアも、微かに口を開け。


「お母さん」


ただ1人の、母親を呼んだ。



瞬間、リーシアの母親が彼女に抱きついた。

身長差はあるが姉妹にしか見えない。

それでも親子。

リーシアの母親は、我慢していたであろう涙を流しながらリーシアを離さないよう抱き寄せた。


「おかえり……おかえり、おかえり。よく帰ってきたね。沢山言いたいことがあるけど、無事に帰ってきてくれて……ありがとう、アウロラ」


「お母、さん……」


リーシアも、目を潤ませた。


「っ……お母さん……あいだ、かったよっ!ずっと、ずっど、あいだがったよ!もう、会えないかと、思って……たら、なきたぐなって、怖かった……!もう、2度と……会えないって……」


「うん、うん……大丈夫よ、アウロラ。お母さんは、ずっと待ってたからね。おかえり、よく帰ってきてくれたね」


数年間の決別を、取り戻すように言葉を交わす。

積もった不安を公にして、涙は堪えず歓喜の涙で頬を濡らす。

ずっと続いた雨雲に光明が差し込んだ。


幾多もの困難の最後にあった、安らかなひと時。

あるいは、浄土の如く永遠の安息。

彼女は取り戻した。

当たり前にあった幸せを。



その眩しすぎる光景を視て、俺は安堵した。


そうだ。

リーシアには帰るべき場所がある。

ここが彼女の居場所だ。

俺なんかとは違う。

それはそうだ。

俺とは程遠い存在。

俺と同類であるはずがなかった。



やはり、俺と彼女は、一緒にいるべきではないんだ。

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