第5話 はじめての牢獄生活
「んご……ぶぅぐっっ……んん!」
目覚めは唐突。
顔を覆うなにか……冷たい。
体が冷えきっているのか小刻みに震えている。
酸素を求めて息をすれば、入ってくるのは謎の冷たさ。
逃れようと顔を背けたいが、何かに掴まれ困難。
ゴツゴツとした感触はまるで岩。
無骨な何かに掴まれて、頭を動かそうなど……行なおうとすれば首を取られてしまいそうな力。
というよりこの冷たいの……水だ!
それも氷で冷やした氷水!
「ぶ、は……」
やっと空気を得られた体は予想以上に苦しく重たい息を吐きだし、それを上回るために酸素を深呼吸の要領で吸い込む。
さながら水を得た魚だ。
いまであれば何を口に入れようが美味いと言ってしまいそうだ。
この世のすべてに感謝するがごとく、重い重い深呼吸をする。
現状とは真逆なほど清々しい。
そろそろ目を空けても文句は言われまい。
暗い世界とはおさらばよ!グッドモーニング、新世界!
「え……?」
すんなり開いた瞼……後悔はない。
自分がどんな目にあったのか、なんとなく理解していたからだ。
飛び込んできたのは薄暗い部屋、冷気が染み付いて部屋の寒さが可視化できるほどの白、自分と似たような子供たちが冷水で目を覚まさせられる、泣声に怒声……自由意志を失った子が次々と階段の下へと消えていく。
誰がどう見ても、攫われたとわかる光景。
わかりやすすぎて、逆にアピールでもしているのか。
予想はできていた、できていた……が……
「え……っと、僕の眼……どうなって……」
右眼だけを閉じて確認する。
焦っていたが我ながら冷静な判断だった。
もしくは平穏離れした出来事だらけで一周回って平常になったのか……
赤、紅、朱、緋、赫……一色だけ他の彩がない。
左眼で視る世界が赤く染まっていた。
濃厚で新鮮な赤色は血を連想させる紅……何もかもが気持ち悪い赤色で映る。
可能性の模索──何故このような不可思議がおこっているのか、吐き気をもようしそうになる視界を潰す……前に、
「目が覚めたんならさっさと歩け!」
「うっ!」
後ろから小突かれる……そう感じたのはそれをした男だけで、やられたほうは普通に痛い。
この、顔覚えたかんな!
怖そうな面しやがって、丸刈り南方人顔のお前。
「すみませんでした。すぐ行きます!」
しかしだ、しかしムート怒るな。ここは従順になれムート。
反感は買うな、媚びを売れ。
いまのこいつらは僕のご主人様、ペットが逆らえば踏みつぶされるのがオチ。
あらゆる困惑を振り切って、下として徹底した態度を取り続けろ。
「ならさっさと動けやガキが!」
「ぐ……!」
怒りすぎでしょ。
頭の中真っ赤なのか……いや僕の視界では頭どころか全身が真っ赤に映ってるけど。
何が驚いたって……下手な冗談をする余裕がある自分自身に驚きだ。
人攫いにあった、左眼の視界が真っ赤になっていた。
起きてこうなっていたら普通の人はどうなっていたのだろうか……周りを見ればわかる。
不安と恐怖から縮こまり何かをするわけでもなく、泣き喚くことしかできない。
可哀想だとは思うが、自分ではどうにもできないことだと理解しているからこそ僕は従順になる。
これが力ある英雄なら助け出せていた……そんな後悔がないわけではない。
「余所見すんな!さっさと歩け、ガキが!Bランク判定されたからって調子にのんな!」
「うぐ!」
こいつは何がなんでも○してやろうかな。
*
牢に入れられて、早3日。
3日と言ったが3日とは限らない。
閉鎖された牢獄の中では時間感覚がなく、外灯りもない。
けれど出される食事と見回りの量から3日と判断した。
無論食事の間隔があやふやになっているだけで1日2食の可能性もあるし、警備の輩も昼夜逆転して見張っている可能性はある。
そうなれば僕の見立ては恐ろしいほど当たっていない。
毎日聞こえる泣き声で眠れていないので、そういう事もわかる。
僕はどうやらBランクと位置づけされているらしい。
どれくらいすごいかというと……E、D、C、BのBだ。
上はAしかないので上から2番目、まあ良い方だろう。
顔も悪くないし、何より左右で違う瞳の色珍しいから平民にしてはランクの高いBとされたようだ。
嬉しいかと言われると、少し複雑ではあるが、全う以上の評価をされたというのなら別に悪い気ではない……奴隷としての評価だが。
そう驚いたことといえばこれだ。
僕の眼は変化していた。
左の視界が赤く染った時点で予感はしていたが……眼の色すら変わっていた。水で洗おうとも取れない赤さ……。
慣れは……していない。
未だに視界全てが赤いのは気持ちが悪い。
極力左眼は閉じて対策する他ない。
それに使い続けていると頭が痛くなる……得なんてない、悪いことだらけだ。
攫われる前……人攫いに頭を殴られその血で視界が真っ赤になった。
そのせいか、血が目に染み付いたのだろうか、考察の余地あれどそもそも僕は目に関して詳しいわけではないので分からない。
少し──噂の魔眼というやつではないかと思ったが、悪いことしかないので、魔眼とは別と結論づけた。
僕が解放できていないだけですごい力が眠っているやもしれない。
そう考えるとニヤけてしまうが、看守に見つかった瞬間に罵声を浴びせられるので封印中。
余裕もないし、医療機関が充実してはいないので無視する他ない。
「ここから出してよ!おうち、帰りたいから出してよ!」
「ままあ……ぱぱあ……ぐずっ、言うこと聞くから……早く、会いたい……」
今日も牢は阿鼻叫喚で騒がしい。
ここには子供しかいない、子供だけ。
大人の奴隷はおらず、子供……自分とそう大差ない子しかいない。
中央の通路を挟み込むようにして作られた無数の牢……奥までの覗き込めばこの通路だけで30以上の牢がある。
通路は2m少しあるかないか、必然的に前側の子供の顔も声も分かる。
隣とは薄壁1枚ある程度、耳を当てずとも隣の声は聞こえるし……そもそもスカスカな鉄格子ではどのような音も隠すことは出来ない。
まったく反吐が出るほど、いい趣味してるよ。
子供は奴隷として最適。
幼き日にこそ調教が活きる。
言ってしまえば主となった者の趣味ひとつで何にでも変えられてしまうということだ。
娯楽小説でもよく描写があるからわかる。
「落ち着いて。騒がしくしたら酷い目にあうだけだ。それに体力も温存しておいた方がいい。麺麭の端切れ程度じゃ栄養も取れない、少しでも体が消費する力を抑えて。そんなふうじゃ助けが来るまでに死んでしまう」
自分に出来ることは落ち着けという言葉をかけるのみ。
それでも同年代の子供に諭されただけでは効果など見込めるものは少量。
助けが来る、とは言ったが助けなど期待できない。
まず全大陸に共通して奴隷制度は一般化している。
奴隷市場なんて物もあり、取り締まるということをしないし、たとえ取り締まろうともそれはできない。
何故なら大手買取先……たとえば、貴族だとか王族だとかも絡んでる可能性が大いにあるからだ。
そういった相手が裏に糸を引いていては、なんやかんやで揉み消される……それか、実行犯を害することだって厭わないだろう。
だから助けは絶望的だ。
都合のいい正義の味方が来ればまた別の話だが、果たしてそんな物好きはいるだろうか……僕が強ければそうしていたかもしれない。
「でも、たすけなんて……来るの……?」
先程まで父と母に助けを求めていた少女……自分の牢からはちょうど正面に位置する牢の中に入れられた少女は、目尻を赤くして鼻水を垂らしながら問うてきた。
お前の言っていることは正しいのかと。
「それは分からない。けど、生きていれば外に出られる可能性はある」
それが例え奴隷として買い手が見つかったとしても……
「希望はまだある」
「なんで、そんなに……おにいちゃんは、つよいの?わたしと歳はかわらない、よね?」
強い……強いか?
冷静であるのは認める。
他人よりも状況把握ができて、的確な判断ができているとは思うが、これをはたして強さと言っていいのか。
では、この子の言う強さは、そう見えているだけの見せかけだろう。
「僕の強さというよりも……守るべきものがあると人は強く見せたがるものなんですよ」
精一杯の笑顔で和ませながら、自分の牢の奥に移動する。
壁にもたれかかりながら、ゴツゴツとした床に座る。
長時間座り続けたら、尻が痛くなりそう……てか、痛い。Bランクの牢屋は同居人がいるというのに薄い毛布1枚の不親切設定。
Aランクならもうちょっとましな対応もしてくれたんだろうな。
お母さん、お父さん、もっと僕をイケメンに産んでくれても良かったんですよ。
さすがに欲張りすぎか。
「また冷えたきたな……多分、夜になってきたのか。大丈夫?毛布1枚じゃ寒くない?」
同居人に声をかける。
「………………」
返事はない。
もう慣れたし、推測だけど言葉がわかってない気がする。
覚束無い北、南、東の言葉を使ってみるが反応はなかった。
僕が知らない言語しか知らないのか……『魔神語』か『古世語』、もしくは言語という概念すらないのやもしれない。そういう種族だって少数だがいるだろう。
なので何とか身振り手振りで伝える。
伝わっているかどうかは──────分からないけど。
……首を横にブンブンと振るくらいはしてくれるようになったし伝わっていると信じたい。
「そっか。ならよかった」
笑顔で誤魔化す。
同居人は無表情……表情変化が乏しい。
感情がないわけではない。
ただそれを表情に出すのが苦手なだけ、そう捉えている。
名前もわからない同居人。
自分よりも小さな存在に、保護欲にも似た感情が僕には湧き出ていた。
この生活ゆえか痩せ細った手足。
雪のように溶けて消えてしまいそうな白髪。
ろくな手当てもされていない欠けた耳。
妖精を連想させる儚い顔立ち。
最っ高!
失礼、ちょっと感情が昂った。
美人は3日で飽きるとかいう輩もいるが、この可憐な少女を見て3日で飽きるはない。
せめて5日にしてやれ。
「……?」
見つめすぎると首を傾げるところまで、動作一つ一つが小動物のように可愛あざとい。
おそらく種族は噂に聞く妖精族だろう。なんせ耳が尖っている……その尖った耳も片方は途中からなくなっているが……。
妖精族は森奥に住むことが多い……まあ、俗世離れしすぎて言葉が理解できていないのも無理はない。
僕は妖精族というだけで興奮しっぱなし。鼻息が荒くなって……いないはず、1日目だけだったはず、今はなってないはず……はずだ。
同居人補正というのもプラスして働いているのだろう……例えば目の前の牢にいる少女ですら、同じ牢に入ったら同じ感情を抱いていたかもしれない。
*
監禁生活5日目。
本当に5日目かは定かではないが、多分あっているはずだ。
変わったことはない。
牢は狭いし麺麭は固いしスープは薄いし水は汚いし寒すぎるのに毛布は1枚だし、基本的な権利の侵害すぎる。
ちょくちょく他の奴隷が牢屋から出されることはあった。
買い手が見つかったのか、それとも売れないと判断されて処理でもされたのか。
どちらにせよ決して胸の内が晴れることはない。
「飯と水だ、さっさと食え」
定例通りの時間に届けられる麺麭とスープと水、必要最低限の量しかない。
こんなのでは1ヶ月で餓死してしまうのではないか?
「あの……もっと、量を増やしてくれませんか?」
数回に1回の賭けだ。
1度やってしまえばそう通用はしなくなるので、始めて給仕に来る奴用の手段。
「あン?飯食わせてもらってるだけありがたいと思え……!」
鉄製の格子を蹴る音はよく響く……それもあって他の子供は震え上がる。
閉鎖された通路では奥まで反響して、さらに恐れを増幅させる。
だが僕は実に冷静だ。
当たり散らかすだけで、こいつらは商品に手をつけることを躊躇っている。
傷物にしてしまえば、価値が暴落することを理解しているからだ。
脅しで上ということを主張してくるが決して感情に任せて手を出す阿保ではない。
「この子、おそらく妖精族ですよ。妖精族は高値がつくとか。だというのにこんなにやせ細って……餓死してしまえばどうしましょうか。大損害、餓死させたのはどいつだと責任追及されるのは間違いないですね」
と、口上でペラペラ。
この子は最初から細いし僕の分の食事も分けているから餓死なんて到底しない。
するなら僕の方が先だ。
しかし、ダシにするのは悪いことじゃない。
生き残るための常套句。
「……チッ。口が回るガキだな、いつか痛い目みるぞ」
「忠告ありがとうございます!」
皆さんお優しい!
麺麭の端切れくらいはくれるから、くれないやつはとことんくれないけど、器がちっせえっての。
僕の行動を見て真似る子もいるが……賊の顔は1度まで、2度目の慈悲などありはしない。
すべて突っ撥ねる。
自分でも狡いことは把握している。恨まれようが、僕も子供だ。
生き残ることに必死で、こんな状況で他人を思いやれるのは1人まで。
1人だけでも思いやれるだけ僕は余裕があるな。
「どうぞ」
「………………」
「君の力あっての報酬だから、僕はいらないよ」
全ての報酬は同居人の少女に分配する。
なるべく、肥やしておいたほうがいい。動きについて来れないほど痩せ細っていては助けることを断念するからね。
食って寝る子はよく育つ!食べて力をつけなければ元気にもなれない!
え?何しようとしてるかって?
……そりゃあ、まあ、脱獄を。
いつまで地獄にいるわけにはいかない。