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第52話 バーストアウト

『愛楽の魔王』バレンステン・ヘインデンの台頭は今より800年前ほどに遡る……。


夢魔族──人の精神を糧として生きる魔族。

男を籠絡(ろうらく)させ、生を吸い取る淫魔(サキュバス)

女を夢見に落とし、生を搾取する妖魔(インキュバス)

バレンステンは夢魔族に産まれた淫魔(サキュバス)の1人でしかなかった……。


特段、美しかったわけではない。

男を誘うためには必要最低限の美貌は備わっていた。


特段、魅了の才能があったわけではない。

精神を堕とすための技術は身についていた。



バレンステンを魔王までのし上げた要因は誰もが持ちながら、成功させられるのはひと握りの諦め悪い者にしか掴み取れないもの──



──()()

美しありたい。自分のものにしたい。愛されたい。


知的生命体なら誰もが持つ当然の感情だが、夢魔族はそうではない。

夢魔族は感情を食らうが人の感情を理解してはいない。

一個人が最高峰の料理の食材や過程の全て把握しないように、食すものにとって重要視されるのは味だ。


結局は味。

気になれば調べもするかもしれないが、大抵のものは美味しかったと思うだけだ。

調達された食材(記憶)も練り上げられた過程(記録)も、夢魔族にはどうでも良く、その末に出来あがった料理(精神)にしか興味はなかった。

それが夢魔族。心を持たない種族。



しかしバランステンは異端にも、欲求を持って生まれてきた。

感情を持ちえぬ夢魔族でありながら強欲だった。

人と乖離しきった魔王を名乗りながら……夢魔族の中では誰よりも人らしい魔王。


美しさが足りないのなら、磨けばいい。

夢魔族は魅了があるから表情も作法も誤魔化しがきく……だから?何?

誰もが見惚れる顔で魅了を使った方が何倍も効果がある。

思わず目を留めてしまう所作を身につければ容易に奪える。

愛さないから相手も愛さない、ならば自分が誰よりも愛す。


誰よりも1番になりたいという欲求こそ、魔王バレンステンを魔王へと押し上げた要素。


同時に……1番になるためには、何を愛せばいいか。

誰を、どのように、愛せば、何もかもを魅了したことになるのか。


故に、『人族好き』なのだと。

どの種族よりも心を理解している種族を堕としてこそ……真の『愛楽』が成せられる。





眼前には、目を疑ってしまうほど美しい天花(てんか)が一輪。

この世ならざる絶対性を帯びた()の降臨に、頭どころか魂すら追いつかず肉体の機能全てが停止してしまう。

現実離れしすぎた女……女神が舞い降りたと錯覚する荘厳さが目頭を暑くする。


胸に込み上げるのは、圧倒的な歓喜──のみで十分。

それ以外の感情全てが無駄と言われ棄てられていく。

彼女にこの場で会えたこと自体が、奇跡だと言わんばかりに、全ての感情を一瞬で蔑ろにされる。


人の気持ちなど考えもせず、蹂躙のように心を踏みにじる──『愛楽の魔王』バレンステン・ヘインデンが、真に魔王である根拠だ。



殺し屋と僕を遮るように立った魔王。

その立ち姿すら美しい。

どこから捉えても最上の絵になる、彼女こそが真の美だと表明していた。


逃げなければいけないという考えはある。

しかし恐れを覆い隠すほどの歓喜が、足を動かそうとはしてくれない。

テルネアも同様に……動こうという気がなくなっていた。


ひらりと身を翻し、こちらに視線を向ける魔王は唇を滑らせる。

そんな誰でも出来そうな動作すら美しいと感じてしまうのが恐ろしい。


「そんなに怯えなくていいわよ。私が傍にいるのだから貴方を傷つける者なんてこの世界に1人たりとも存在しないわ」


声一つを取っても、まるで惚れ惚れする交響曲(こうきょうきょく)のように鼓膜(こまく)を支配する。

不思議な安心感に包まれた心は世界に愛されたと錯覚するほど満たされていた。


けれど、まだ警戒は残っていた……


「魔王、バレンステン……」


「あら、喋れるの。精神支配に耐性でもあるのかしら。いいわ、珍しいのは好きよ、珍しいってことは特別ってことだし、特別なモノを私のモノにすれば私はもっと特別になるでしょ?」


興味ありげな眼をしながら、妖艶(ようえん)な微笑みを浮かべる魔王バレンステン……一挙手一投足に至る全てが優美であり、精神を乱す心の毒となる。


「そっちの子も特別綺麗な眼をしているよう──ん?」


テルネアは意識を向けられかけたが、寸前でまたも僕に意識が向けられた。

勘弁してほしい、このままだと心変わりしてしまいそうになる。

僕は、リーシアが好きなのに。


「貴方、面白い眼をしてるわね」


地べたに尻つく僕に合わせたのかしゃがみこむバレンステン……先程よりも近くなった顔にドキってしながらも精神を強く保つ。

気を抜けば虜になってしまいそうだ……それはそれで良いかもしれないが、先に好きな人がいる以上は裏切れない。



しかしそんな覚悟を嘲笑うように、愛楽の魔王(バレンステン)は左頬をそっと撫でた。


「──ッ!!」


それでいい。

それだけでいい。

そんな小さな接触でいい。


流れ出てくる涙、脳髄から引きずり出された思いが彼女へと向けられた。

直接的な接触で行使された『魅了』は僕の心を彼女の彩へと塗り替える。


なんという、傲慢……己の都合を押し付けているだけだというのに、愛を求めてしまう。

1度味わえば逃れようのない全身を駆け巡る愛というなの熱と興奮を伴った快楽……即ち、『愛楽』。


細く冷たく、けれどずっと触っていてほしいと思える美しい指が……触れてはならない左眼にかけられた。


瞬間……暗黒が振りむけられた。

その光景は一瞬で現実へと引き戻される……助かったと言えば助かったけど、敵はまだいる。


「バレ……」


「愚かにも私の名を口にしようとするなんて、本当に特別な子なのね」


一切の関心を向けなかったバレンステンの細すぎる首元に刃が突き刺さる。


だが何もなかった。

首が落ちることも血が落ちることもなく、刃が空中で完全に停止するのみ。

まるで見えない壁でもあるかのように漆黒の剣が止められた。

その光景を目の当たりにしたミリドは黒衣の下で憎み口を叩く。


「人の獲物に割り込んで、魔王が恥ずかしくないのですか?」


「言葉を改めなさい、半魔。私のモノに手を出そうとした愚かさ、どう償うか決まっていて?」


魔王バレンステンの眼が横に流される……すると、黒い装束を纏った暗殺者は自由を失い夜闇に放り出され、見えない手で持ち上げられたのか空中で投げ飛ばされた暗殺者の体躯が廃墟へと転がった。


その光景は息を飲まざるをえない。

人を空想的な力で動かすことは可能だ。

微力の振動を重ね合わせ世界に干渉できる『力』を生み出す衝撃魔法ならば、使い手によっては遠距離から人を殴り飛ばすほどの『力』を発生させることはできる。

しかし遠くにあって重いもの、一瞥だけで持ち上げるだけの『力』を生成する魔術師が、はたして何人いるが。

魔王バレンステンは、型破り的な『力』で抵抗のチャンスも与えず征してみせた。


「ごめんなさいね、半魔には興味ないの。私が愛するのは弱いのに知恵と心が堅い人族だけ。だから全部、曝け出しなさい」


一瞬であった。

左眼を覆う眼帯の感触がいつの間にか消え、眼前には赤黒い光景だけが広がる。


酷い、頭痛が襲う。

ラクガキされた世界の彩は酷いほど赤だ。

赤しかない。赤い、血を連想させる彩しかない。

すぐにでも壊れてしまいそうな赤、胸焼けがするくらいチカチカとしている赤、いつか誰かが通るかもしれない赤。


この世は結局、ひとつの彩しか視せてはくれない。

それが僕の在り方だと言わんばかりに。


「へえ」


一瞬で、現実へと引き戻された。

手放しかけていた精神が呟きで覚醒する。

眼前にいるのは赤色の魔王。その美貌を損なうほど赤い。

けれど、どれだけ汚されようとも取り切れぬ輝きは、確かにあるのだと分からされる。


ただ表面の色だけで作品は語られない。

計算された配置や作成に費やされた過程は尊べきものだ。

たとえ、一色に染まろうとも造り上げられた芸術の全てが損なわれるわけではない。


バレンステンの眼が妖しく光った気がした。

眼光の深部に隠された本心を覗かれている感覚とでも言うべきか、伝説に曰く神や悪魔などと眼を合わせてしまうとろくなことが起こらないと聞く。

今の感覚がそれなのだと直感的に悟りながら、眼を離すことができなかった。


左の視界に映る赤い魔王は、興味ありげに首を傾げた。


「貴方の眼──()()よね。こんな赤さ、普通じゃ絶対だせないもの。どうして貴方がその眼をしているのかしら」


魔王の質問は強制力が籠った言霊。

喋る意思がなくとも喉が勝手に言の葉を紡ぐ。


「バレンステン様が何を言っているのかは分かりませんが……この眼は気づいたらなっていて……」


「嘘おっしゃい。そんな面白可笑しくおっかない眼に気づいたらなっていた、なんて安心して眠れなくなるじゃない」


「いえ、本当になっていて……恐らく血が染み付いてこんな風になってと、僕は思っています……」


「嘘──ではないようね。なら尚更不思議。貴方、本当に何者?名前は?」


何者……ただの少年だ。生まれも普通、両親や先祖が特別でもない、おかしいところなんて戦闘好きで眼が赤いことだけだ。

誇れるところは知り合いに聖峰教会のお偉いさんとか獣族の神様とかがいるだけだ。

魔王様が興味を引く芸の才能なんて持ってない。


「ムートです……」


「普通ね」


魔王公認の普通の名前でもある。


魔王バレンステンは両腕を組んだ考える仕草のまま一考し、閃いたように腕組みを解き、僕に目を合わせた。


「いいわ。ムート」


名を呼ばれただけで全身の神経が逆立つ。

まずい、中毒になりそうなほど多幸感が耳に詰まる。ほじくりださいと手遅れになってしまう!


「趣味は悪いけれど嫌いではないわ。その眼は何より、貴方が特別である証。血だまりのようにおどろしくとも、光を当てれば輝く瞳。私の傍にいれば特別な貴方は私を煌びやかにする宝石になる。気に入ったわ、ムート。貴方を魔王の威光を示す大使にしてあげる」


はい?

思わず聞き返したくなる身勝手な決定事項。

話の通じなさは世界トップの器だ。


否定したいがバレンステンの中では決定してしまった事柄。世界は彼女中心に回っていると言わんばかりの自己中心的な性格、拒否してしまえば反感を買いかねない。

返事ははいかワン。いいえは言えない。


「まだ幼いし、育てようによっては何にでもなれるから安心なさい。私の城は教育機関もしっかりしてるから。人族の城より充実してるわ」


安心できない。

そんな気さくに話しかけられても、上半身くらいしか渡す気にはなれないからな。


将来安定の魔王秘書になるか、夢の英雄を目指すか。

駄目だ、安定の道を行きたくなってしまう。

魅了されるな僕、リーシアを想い続ければ外付けの愛には屈することはないはずだ。


愛は愛に屈しない!

僕が覚悟を再度固めた瞬間……バレンステンが忌々しげに呟く。


「魔王の逢引を覗き見するなんて礼儀知らずじゃない」


次の瞬間、肌身を灰にするほどの業火が過ぎ去った。

的確に、魔王バレンステンだけを包む炎が走る。

直撃。掻き消すこともせず、回避することもなく、攻撃を受けいれた。

まるで攻撃そのものも()すように……。


見覚えのある火魔法、放たれた先に視線を向ければ見知った顔がある。

今1番会いたいけど、会ったらまずい人1番。


「リーシア……!?大胆すぎない!?」


「あ、駄目だった?」


「駄目……かどうかで言うなら、すごく駄目だけど僕的にはかっこよくて最高にありがとうだけども、やっぱりこの上なく駄目だね!」


あのリーシアが魔王相手に先制で魔法を放つ……昔からしたら想像もつかないな。

成長なのだけど、成長と言いにくい。


そもそもリーシアはバレンステンを魔王と判断しているかも怪しい。

近くにいて危なそうだからとりあえずぶっぱなした可能性も……それはそれでリーシアが凶暴で悲しくなる。


「なんか邪悪な気配がしたからいいかなって……」


邪悪……まあ魔王だからな。

闇の衣とか纏っててもおかしくない。

その場合、少し危険かもしれない。

そういう闇のオーラ系は大抵がパワーアップに繋がっている。


炎は治まらず、魔王を燃やし続ける。

火柱の如く立ち昇った炎に身体はまとわりつかれてる。

普通ならば即死だ。数秒としないうちに灰となり、灰殻(はいがら)さえも落ちる以前に尽きてしまう。


しかし、未だ炎が形を保っているということは……


「派手なのは好きよ。でも花がないのは残念。ただの炎だなんて、煉獄のものでなければ私には焼け石に水がお似合いよ」


魔王バレンステンの身体が形を保っているということ。


陽炎から優雅な1歩で歩き渡るのは、月夜の如き魔王。

まるで不死鳥。

不死鳥は炎よりいでた灰より復活すると言い伝えられるが、()()()の1点だけで不死鳥の奇跡を彷彿とさせる。


人体を根こそぎ焼却する熱量──華奢(きゃしゃ)な身体を満遍(まんべん)なく屈辱に堕とさん猛りはなんの意味もないことを証明した。


(なに……あれ……)


魔法の領域を直感で認識できているリーシアの顔がゾッと青くなる。


魔王バレンステンの周囲を取り囲む、世界。

彼女の周囲、直径5mが歪んでいる。円状となった世界が防御壁のように敷き詰められていた。

魔法の世界において、マナと呼ばれる世界が内包する生命力(オーラ)が彼女の周囲5mに展開されている。


つまり、それは……


無駄と分かりながらも、魔法を放つ。

最上位の風魔法『比翼(ダブルエア)』。左右両側から敵を切り裂く風の刃。


だが、それは無意味。

魔王バレンステンには当たらない。

回避という行動を必要としない。まるで見えない壁に阻まれたかのように直前で弾かれる。


認めたくない結論にリーシアの顔から更に血の気が失せる。

認めたくないが、結果は結果だ。認めがたくとも起こってしまった事象なのだから受け入れるしかあるまい。


魔王バレンステンは……



世界を()()につけていることになる。

有り得ない。濃密なマナの質量体である神や精霊ならば、可能性の一欠片はあるかもしれないが、ただの生命体の範疇を凌駕している。

魔族の中でも頂点に立つ魔王であっても、世界を思い通りにできるわけがない。

できていいはずがない。


魔王バレンステンは攻撃されようが一切の敵意を向けてはいない。

羽虫の(さえず)りという認識すらなかった。


何もしなくても、世界が勝手に処理してくれるのだから魔王バレンステンが行動する必要性は全くといいほどない。


──魔王バレンステンが他者に向ける意識はただひとつ。

敵意や殺意などではなく……純粋な愛。

敵意を向ければ逃げてしまう。殺意を向ければ死んでしまう。

外的要因を排除するために思案される認識は、魔王バレンステンには不要なものであった。


『愛楽の魔王』バレンステンはただ、愛するだけでいいのだ。



「ごめんなさい。魔族には興味がないの。貴女たちは毎度つまらない心しか持ち合わせない。人族を見習ってみたらどう」


リーシアに対して使われた言葉なのに、僕の耳の裡で響く。

それでも、身体は動くのだから崩牙を手に収める。

敵は魔王。生半可な覚悟では敗北どころか永遠の隷属を誓わされかねない。


無駄でも、納得できない終わりを無理矢理にでも納得することはできない。


辺りの状況を闘法で感覚で捉える。

まずテルネア、建物の影で動けていない。何とか隙をついて連れて行けるならそうしたいが、魔王から逃げ切れるかどうか。

殺し屋ミリドの方は、とっくに気配がなくなっていた。どこかから不意打ちもありえる。

魔王と向かい合っている最中で狙われでもしたら逃れようがない。


リーシアが証明したとおり、魔王バレンステンには攻撃が通らない。

戦っても無意味な相手。

なら……三十六の計略あれど、逃げる時は逃げるべし!


「リーシア、待機!」


「え……!?」


僕とリーシアの間には魔王バレンステンが居る。逃げるにせよ、リーシアをまず連れ出さなければ話にならない。

逃げるためには2度は必ず、魔王バレンステンとぶち当たる必要がある。


「へえ、来るのね」


驚きの行動に魔王は口角を上げた。


「『伸びろ、蛇尾』!」


崩牙の方が威力は出るが、近づく危険を鑑みれば王鱗剣(スネークソード)の遠距離攻撃の方が何倍も賢い選択と言えるだろう。

分解された刃が、1本の鉄線にて連なり大剣の如き広範囲を一閃した。


左腕、左横腹、右足。

それぞれに刃が飛びかかったが、肌身を切り落とす手応えをが与えず弾かれた。


不確定な軌道を描く蛇腹剣の剣戟を、涼し気な顔で打ち落とす魔王。

無論、全力で振っている。

閃光闘気といかずとも、振り抜かれた刃に付与された生命力(オーラ)は極致の端布は噛むほどの力。


しかし届かぬ。

あらゆる攻撃は、魔王バレンステンに届かない。

不公平なほど強く、無慈悲なほど圧倒的、魔王なのだから仕方ないと高を括らざるを得ない。


「『戻れ』……!」


蛇腹剣での牽制(けんせい)を終了し、元の状態に戻す。


「あら、もう終わりかしら?」


愉しげに、歌うような声の魔王は次なる一手をご所望だ。

と言われても多分何をしようが無理だ。

リーシアの魔法が通用しなかった時点で、僕の攻撃全てが意味を持たない鼠の訴えにしかならない。

それは魔王バレンステンもよく理解しているはず。


しかしそれは眼前のものを敵と看做(みな)していない、その1点には付け入る隙がある。


取り出すのは、崩牙。

あらゆる防御を貫くと謳われた金狼の牙。

幻獣という生物としての格だけなら、魔王と同格の化け物の牙。

全ては使い手次第だが生命としての階位は劣っていない。


短い(つか)を両手で握りしめる、大量に注ぎ込まれた生命力(オーラ)が夜闇に輝いた。


『閃光闘気』。

せっかく覚えたのに使い所がなさすぎた剣士の奥義。

生命の密度が限界値にまで到り、刀身を光で染めあげた。


本来生命の息吹を発さぬ剣を()()()()にする闘法。

剣と完全一体となるなどと称される光の剣は威力、速度を倍加させ、想像以上の力を発揮する。


更に……光の上に付与(コーティング)された炎を視て、魔王バレンステンはらしくもない訝しげな顔を作った。

闘法であり魔法。

閃光闘気と共に魔法の発動を併用するのは難しく生命力(オーラ)の消費も激しいが、切り札となりえる必殺技はいくらでも作りたいのが男子の(さが)だ。

何よりこの技は、今放てる最高の一撃。


「『火竜閃』……!」


単純な焔の斬撃という魔闘法だが、閃光闘気も乗せれば威力は計り知れない。

消耗や威力の面から、魔物相手にも使いたくない奥の手中の奥の手。


しかし、それすらも……


カン、という弾かれた音のみ。


全力の一撃が弾かれたことについては悲しいが、極光の眩きが間に侵入する。

目眩しにもならない粗雑な強襲。


「なに、いまの?」


それでも気を引くには充分な攻撃であった。

決心し魔王の横を通り過ぎる……魔王を横切るなど生きた気はしないが、脚はついているし呼吸は止まっていない。

安堵の息を吐き捨てる暇もなく、高められた呼吸が平静を乱す。


多少……と侮っていれば足を引っ張られる。

最悪な状況で冷静になれなくとも最適解を当てなければ生き残れはしない。


近づく僕の意図を汲み取ったのか、リーシアもこちらに飛び込んできた。

息はピッタリ、彼女を手の中で抱え全速力で振り返る。


「闘法と魔法の同時使用、いいえ、闘法に魔法を付与したもの。生命力(オーラ)の概略をよく掻い摘んだものね」


暗黒の象徴でありながら白月の女は再びこちらに興味を示した。

珍しいを好むバレンステンは、彼女の認知していない事柄を提示すれば一瞬だけ思考をずらせる。

興味が、視線が珍しい物に向き、こちらに構わず自分だけの世界に入り込む。


一瞬だけだ。

2度はもう見たものとして判定され、彼女の興味が薄れてしまう。

魔闘法では魔王バレンステンの気を引くことは適わない。また魔闘法の使用は生命力(オーラ)を大幅に消耗させる。

これ以上の使用となると、確実な逃げの保証がなくなる。


重要なのはここからだ。

僕が持っている手札で、バレンステンの気を引ける物がいくつある。

魔闘法以外に有用な手札がない。

最終手段は左眼でもほじくって投げてみよう。ちょっとは興味をもってくれるかもしれない。


「でも、おしまい。私はそこまで気が長くないの」


それは魔王バレンステンが見せた、愛情であり……明確な敵意の証。


「左、に避けて!」


リーシアが叫んだ……が、遅い。

まるで、空気に存在する生命力(オーラ)が揺らめいたような錯覚に想える現実。

現実として起こりえた、空間を奔る不可視の断裂。


「じゃあね」


その言葉は魔王バレンステの最期の愛──その言葉より早く、僕の服から白い毛玉が飛び出した。


「は──?」


世界が裏返った光景を見たかのような間抜けな声。

魔王バレンステンが発した声が、何者かに潰された。

その光景を視て……誰もが驚きを隠せない。


夜空にひとつしか存在しえない月の如き女。

生きている全てを魅了する彼女、触れられぬ高嶺の花……そんな魔王の顔面に白い毛玉が飛び乗っていた。


見覚えがある姿形……魔王城に住み着いていた小動物が、城の主たる魔王に一矢報いる。


「ちょっと、離れなさい……!女の顔に泥を塗る気!?」


一瞬の隙だった。

しかし、その一瞬があれば満足だ。

無遠慮に顔に張り付いた獣をひっぺがす刹那もあれば、魔王を横切る無礼も見られない。


「──()()()()を見つけて良い気にならないことね番犬。見離されて寂寥(せきりょう)な飼い犬に牙なんて似合わないわよ」


バレンステンは憎たらしさを声に込めて、小動物を勢いよく投げ捨てる。

それが丁度、僕の方だった。


「わ!?」


リーシアが見事に掴み取る。

力は弱いが動体視力は悪くない。僕の動きにも対応してくるほどには眼がいいからなリーシア。


「キュユ……」


ブーメランの如く回転したのか、分かりやすく目を回す銀獣。

リーシアからすれば突如として現れた謎の獣だが、救われたという事実は変わりない。

壊れ物を扱うような優しい手つきで銀色の毛をさっと撫でる。その姿はまるで天使。

やはり天使(マイエンジェル)しか勝たない。


「ありがとう。ちょっとここで我慢してね」


そう言いながら、服の中にしまい込んだ。

僕も小動物に生まれたかったな。変身魔法とかあると聞くし、いつか試してみたいな。


なんて魔王と対峙している時に考えるべきではない思いを馳せながら走る。

テルネアを回収して、このまま逃げ切る。

不可能ではない。

銀獣が時間を作ってくれた。


途中にあった眼帯は回収する。

本当にお金に困ったら『金神』お手製の魔法具(マジックアイテム)として売れるからな。


建物に身を隠したテルネアの場所は把握している、左手で抱きかかえ、瞬時に離脱する。

右手にリーシア、左手にテルネア、両脇に花だ。

柔らかな感触が身を包む。自体は大変なのに身は溶けるほど甘ったるくなっていた。


「……は!?驚きすぎて30分くらい固まってた気がします!」


「面倒なことは時間経過が遅いですよね」


「そう!好きなことしてる時は早いのに嫌なことしてる時だけは遅いの。あれなんなんだろうね?」


体感は魔王邂逅より3分も経っていない。

3分もあれば存在としての格がどれほど違うか、大いに理解させられた。

今の僕では絶対に勝てない。一矢報いことすら適わない超越者だ。

だから逃げるしか──



その時、背筋に悪寒が通り、

魔王バレンステンから表情が消えた。


()()──()()──()()──貴方、何者……?」


疑念からの問い。

そこにあるのは、動揺と苛立ち。

魔王バレンステンが初めて見せた感情。

残響のように木霊する昔の声、噴き出さんばかりに膨れ上がった気分。

そして抱いたことのない、珍しさへの気持ち悪さ。

眼前の少年は、バレンステンがまだ見ぬ希有な存在であると同時に異常な存在。


しかし、彼女はそれら全ての感情を押し潰した。

自己を介さず、『愛楽の魔王』としての権能を発動する。


「いいえ。なんでもいいわ」


その瞬間、空気や音……世界が彼女に魅了された。

光が向いた、音が集約された、匂いが渦巻いた、生命力(オーラ)が彼女の周囲へと集まり、月光を浴びて光を奏でる。


1点に凝縮された()()

半端ではない密度、空間には暴騰する生命の息吹。

魔王バレンステン周辺の生命力(オーラ)だけで、高次元の魔法数十発に及ぶ質と量。

見るものが見れば、失神しかねない見る暴力。


よく分からないが、僕もやばいということだけはわかる。

魔王様の自信満々な表情からも、次の攻撃で邪魔者を消し飛ばすという意気込みが見て取れる。


身震いするほどの生命力(オーラ)

威圧感だけならラリアス様以上……思わず膝をついてしまいそうな重圧は魅了の効果か。

頭痛のせいで思考が乱れるから僕には魅了の効果が薄いんだろう。案外左眼もいいことがある。



「死なない程度に崩壊させてあげる」


「それはもう死も同義ではないでしょうか!?」


「そうね。死んだ後に治してあげるのもできないことではないから。塵さえ残っていれば、私の魅了で残存生命を掻き集められるから安心なさい」


「それわたしもちゃんと入りますよね!?」


「残ればね♡」


とびっきりの笑顔。

でもそれってリーシアは残らない感じのやつだ。

残っても、バレンステン様のお眼鏡にはかなわないかもしれない。


莫大で膨大で強大。

叩きつけられる生命の量は圧倒的。

魔王バレンステンの魔王たる所以、かつて『魔神(エオルゼア)』にすら破壊と破滅を届けた終焉の一魂。

そんな少年少女に放つべきではない、魔王の一撃が放たれる。


と、思われた──


「……?」


生命力(オーラ)が一斉に霧散した。

魔王バレンステンの周囲に渦巻いていたマナが唐突に元の形、つまり世界へと戻った。


何が起こったのか分からないが、きっと神様が与えてくれた好機だ。


「『晴命(アジャラマ)』ッ!?」


「あ、成功した」


まさか、天使(マイエンジェル)の恵みだったとは。

これには『愛楽の魔王』も驚愕を隠せない。

自らの全力が、気にも止めていなかった存在に邪魔されたのだ。

バレンステンからすれば道端の小石が脚に噛み付いてきた不可思議な状態に陥っていた。


そして、その一瞬……魅了が途切れた一瞬で魔王バレンステンの視界が完全に白に染った。

濃霧(ディープミスト)』、魔法による目眩し。


「こんなものすぐに散らして……」


魔法自体の効果を魅了しようとした……その時、魔王の直感が警鈴を鳴らし、脚を後ろへと滑らせる。

直感は当たりと言うべきか、先程まで立っていた地点に剣が突き刺さった。

鋭さからわかる、相当な手練。魔王バレンステンの生涯で幾度も見てきたことがある強さだが、それでも決して生半可ではない強さ。


それと同時に、魔王バレンステンは感じ取っていた。

自分が見定めたモノが遠ざかっていっていることを。

全速力なら追いつける、がしかし、目の前の障害を無視して愛するモノに逢いに行くなど魔王としてはダサい。

街に入られれば、全力の捜査をしても街を支配しているわけではないのでたかが知れる。


「はあああ……」


深く、深く息を吐き出す。

本気の憂鬱、せっかくの上物2人に思いがけない1人の収穫。

それを逃がしてしまったのだ。

憐れみすら感じさせる不満を垂らした表情をしてしまっても仕方あるまい。


「ま、仕方ないか。今回は1枚だけ上手だったと認めます。それに私だって自惚(うぬぼ)れていたわ」


独り言、だがそれは世界に対しての宣言のように大地に響き渡る。


「やっぱり『金神(ルイズワック)』の魔眼殺しなのね。千里眼は使えない、か。……でもね、諦めないわよ。1度は手に治めた宝石、簡単に逃してなるものですか。だって世界全てが私のモノよ。誰であれ、何であれ、私が手にすべき輝き──」



「待ってなさい、ムート」


誰の心も揺らめかす、それが無生物であっても心の臓を響かせる、最大の微笑みを少年に向けて……魔王は自らの愛を高らかに歌うように世界へと晒した。


赤に染った、白は誰にも魅せず。

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