第4話 起
今回から本編といった感じです。
興味が薄れた人大半だと思いますが、まだ付き合ってやるぞー!という方は是非読んでみてください!
これは英雄譚には語られなかったひとつの始まり。
歴史において『聖皇』アスタルは女神の加護を受けた聖姫が身に授かり、戦火から遠ざけるべく川へ流しひとりの娼婦が拾い上げたという。
娼婦に拾われたアスタルは幼きながら自らの使命を理解し、ただ平和のために戦った。
アスタルは数多の苦難を乗り越え、『魔神』を打倒し『聖皇』と呼ばれることになった。
『聖皇』は神の祝福ありき聖姫の子であり、娼婦に拾われた……諸説あれ、現代で聞きに見る内容。
だが、それらは英雄譚だけの話。
忠実の基づかれていない都合の良い飾り付けに過ぎない。
本人が耳にすれば馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばしただろう。
否、だろうではなく実際に笑い飛ばした。
──真実を避け、大衆が信じる轍の跡のみを記すなど、都合の良い人らしい。……?指摘はせん。それで希望を持つのもまた人だ──と、らしくもない悪い笑みを浮かべ語っていた。
まず、アスタル・リスタは『魔神』を倒すなどという使命は持って生まれて来なかった。
現代の人が聞けば、虚言として笑い飛ばされるだけだが……事実は栄花だけなはずがない。
彼を産んだのは聖姫でも神でもない、伝説においては娼婦の立ち位置で登場した奴隷娼婦こそ真の母親である。
戦争で荒れた兵から欲望のはけ口として扱われた奴隷娼婦の少女……アスタルを身ごもった年齢は10の半ばであった少女。
『魔神大戦』で両親を失った少女に生きる活路などそれしかなく、父親不明の少女はひとりでアスタルを産み落とし、痛みと苦しみで体を壊しながらも出産直後でも自らの体を使い続け、アスタル生誕より1年も待たずして誰の眼にも止まらず歴史の欠片にも残らず、唯一の家族であるアスタルにのみ看取られた。
それは英雄譚には記されなかった『聖皇』アスタル・リスタ始まりの一幕。
『聖皇』アスタル・リスタが戦うことを選んだ理由の一つである。
その話を本人の口から聞いたとある男は興味深そうに口を開いた。
『では君は公平さもなく己の意志のみで戦ったと?ふむ。それは名を返上すべきでは?聖霊に則した正しき皇帝こそ由来ならば、相応しき者は他にいるだろう』
打ち付けられた正論に本人はいっそう真面目な面持ちで答えを出した。
『相応しきなら、他にいるとも。アースであれば最も──ああ、いや、最近は少々怠惰が過ぎるが、動かざろうと自らの正しさを崩さない限り彼女の方が適任だ』
『あの冷徹な女が怠惰とは……?』
『脱線だ。聞きたくば本人の口から聞け。語る語らないは当人の自由に託される故、顔に穴を開けることになるがな。……なに。大衆の想いなど容易く流される。オレが公正の天秤を掲げているなどと奴らを被弾したつもりはない。オレはオレの正しさと怒りに従い戦った。憤怒を掲げた時より世の正しさはなかったとも。名を返上したいが、それを許すほど生きやすい世界ではない。英雄は彼らの理想にしか生きられないもの。誰かに運命られるものでしかない。正義と叫び誰かのために災害へ立ち向かう者は愚者にしか見えないだろう?賭ける命は同じながらな、英雄には見えん。結局、オレは災害に対する力があっただけに過ぎんとも』
その志に男は賞賛を送った。
理解しながら、その民衆の理想を被り続ける者への心からの礼儀であった。
『正しくその通りだ。能力を持たない勇者は英雄にはなれない。力こそ真実を捻じ変えられる。ならばやはり君こそ相応しい』
以上、『聖皇』アスタルが友である物好きの魔王との茶会で同席していた記録係の手記より一部参照──
*
聖皇歴514年──春季。
雪解けの時期はとっくに終わりを迎え、世間は春風が立ちこめる空気になっていた。
冬を乗り越え、元気に花を見せる草木は街を彩ってくれる。
自然と鼻唄が飛び出してきそうな穏やかな空気感……というか鼻唄は既に飛び出している。
いい天気に空を見上げれば目が痛くなりそうなほど、昼の太陽は輝いている。
行き交う人々をささっと通り抜け、目的地へと向かう。
春だからか人が多いので道に迷う、ということはない。
この道は何度も通ってきているし、お気に入りだから覚えようと思わずとも覚えてしまう。
勉強もこれくらい覚えやすければいいのにな。
目的地に近づけば近づくほど、鼻腔をくすぐる焼き菓子の匂いは強くなる。
空腹感を刺激する魔性の食べ物の気配の方へと赴き、お店に入る。
(お腹すいてきた……)
様々な菓子類が混合している空間に揺蕩う甘い香り。
人の空腹を呼び寄せるには充分すぎる魅力だ……目に映るすべてが食欲を増進させるが、無視。
狙いは1つ。
ただ1つのみ。
「こんにちは。ゲベーク、今日もありますか?」
「あや、こんにちは。いつもの焼きたてゲベークね。ちょっとお待ち」
もはや常連、店主のおばあちゃんとも仲良くなってきた頃合い。
ゲベークという言葉だけで個数も把握されるレベルである。
ちなみにゲベークとは西方大陸や中央部で親しまれる焼き菓子のことだ。
焼き菓子の生地に牛乳を染み込ませ、焼き菓子ほど焼かずちょい焼きくらいにし、その上にミルク砂糖をかけた……いわゆる甘味の塊である。
美味しさについてはもう、一言いうだけで済むだろう。
美味しい。
しっかりとした食感がありながら、ふわっとした中生地に染み込んだ牛乳の風味とミルク砂糖のダブル甘味はまさに病みつき待ったなし。
「お待ちどうさま。ゲベーク5つで、620ゴルだよ」
1個あたりだいたい124ゴル。
なんとも経済的な値段だ、ありがたい人にはとことんありがたい。
「1000ゴル銀貨からお願いします」
「はい。銀貨からね。まだ小さいのにひとりでお使いなんて偉いねえ」
「いえいえ、お使いというか僕が食べたいだけなので。いつもありがとうございます。いただきます!お婆さん!」
世間話も早々に、お釣りをもらい店を出る。焼きたてを維持したゲベーク。
香り、満点。
ゲベークをおかずにして麺麭を食べれてしまいそうなほどいい匂い。
必死に手伝いをして手に入れた銀貨で買った嗜好品、労働の対価は必要になるもの。
菓子類など下らない、などと言う人もいるが一般市民からしてみれば数少ない娯楽のひとつだ。
「いただきます」
感謝の礼もして、待ちきれなかった思いもプラスして口の中に放り込む。
うん、美味い。
焼きたてってのもあるのかな、香りが鼻腔をとおりぬける感覚……次に来るのは、舌の上で感じる甘い風味。一口噛む事にひろがる甘味が、絶品たらしめる要因だろう。
「5個が精一杯だけど……買ったものは仕方がない、この5個は味わって食べなけば」
貯金もしているのでこれでギリギリ。
しかし買ってしまったものに罪なんてないない、そう言い聞かせながら2つ目のゲベークを口の中に……
『……………!』
「!」
微か……耳に入った悲鳴。
音の聞こえ方的に路地裏で間違えはない。
すぐさま判断が求められる。ゲベークを食べている暇などない。
至高の時間を邪魔された怒りはない。
ただ冷静に俯瞰する。
あらゆる可能性……揉め事、喧嘩、カツアゲ、人攫い……わからない。悲鳴だけで判断できるほど耳が危機に肥えていない。
衛兵を呼ぶのが最善手にも思えるが、この穏やかな街には残念ながらいない。
衛兵の代わりに冒険者が警備巡回するが、時間的にいまは休憩中。
おそらく計画されての犯行……揉め事、喧嘩の線は消えるか。
ではどちらか……最悪の想定が体を動かした。
もしも、もしも……一目見なければ判断がつけられない。
極限まで足音を出さないように注意しながら、路地裏に入る。
僕は賢いが馬鹿だ。
大人と行けばいいものの、足数が増えれば気取られる可能性を配慮して呼ばなかった。
後悔するだろうか……後悔はさせない。
これが最善、僕は決して間違った行動はしていない。
正義のためにことを成している。
鼓動だとか体温だとかそういうものが熱く高ぶると同時に高揚していた。
今までなかった新鮮な危険が僕の心を揺さぶる。
壁に沿って身をかがめ曲がり角を横目で確認しながら奥へ進む。
子供から見ればこんな小さな町の路地裏ですら迷路のようだ……僕は道をきちんと覚えているけど。
「ん……」
横目に見えた人影……ひとつ、倒れている。
更に目をやる。
女の人……いや、子だ。
髪が長く顔は見れないが僕とほとんど変わらない、いったとしても10にも満たない。
人の数はひとつだけ、放置されているということは人攫いではないのか……そんなこと今はどうでもいい、あの子を助けることが先決だ。
「……息はある、死んではない……。眠っているのは……なにかの薬のせいかな?」
諸々確かめるが、外傷らしい外傷はない。
顔に見覚えは少しある程度。
小さな町だ、どこかですれ違う事なんて何回もあっただろう。
とりあえず無事。
いつ誰が来るなどわからない。急いで路地裏から出る、そうすれば危機は完全になくなる。
「……バック。メモと財布……お使い中だったのかな。嫌にになるよね、頑張っていったのに酷い目にあうなんてさ。繊細な子供の気持ち考えろよー!」
もはや勝ち誇りモード……いや待って、おかしくない?
金品を目的とした強盗なら財布を奪うはず……。
懐少ない子供を狙う意味は?
成功しやすいから?
論外……リスクに対してのリターンがあまりも違いすぎる。
過ちに気が付いたのはこの辺りから……何故この子は放置されたのか。
第三者の接近に気づき、身を隠したとすれば……その第三者が子供とわかった者はどうする──
「が……っ……」
答えは頭部に走る痛みが教えてくれた。
今までに感じたことのない痛み。
言い表せようがない。
痛みと痛みが脳内を支配する感覚。
痛いと叫びたいのに言葉では出てこず、代わりに心がそう訴える。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛……
呼吸すら忘れ痛みを訴え続ける。
視界が真っ赤に染まる……それが自分の頭部から流れた血で眼が朱色に変わっていったのだと……痛みしか感じられない思考ではわかりようもなかった。
「おっとと、やっちまった……死んだかこれ?」
「死んではないが、商品を傷ものにするな」
「めんごめんご~でもさ、元から数になかった勇敢少年だし勝手に死んでも損害ゼローってわけ!」
陽気な声……やった蛮行に対してどういう精神なのか反省の色ひとつたりとも浮かび上がらない。
死にかけの思考回路では、聞き取れても覚えることができなかった。
まず言葉が聞こえるだけの機能が失われつつあった。
「回収す……ノル……………で……も……………ん………………」
「……いよ……………も仲……………奴隷入り……な!」
何が間違えていたのか……馬鹿馬鹿しい力なき正義の心のせいか。
大人を呼んでいればよかったのか。
わからない、わかりようもない、既にそれを考える頭が死んだ。
感覚全てが消失し、闇に消える。