第42話 森の中の賢者
聖皇歴517年──冬季。
獣族生活4ヶ月目。
時は来た。
いつものように早朝から、神の間に足を運ぶ。
通い慣れた道……獣族の戦士たちが慌ただしく、ガルシアの大森林の警護に当たるため走っていた。
彼らがいてくれるおかげで大森林は今日も平和だ。
平穏が流れているが、緊張するな。
4ヶ月間ずっとラリアス様に特訓をさせてもらったが、今日ほど張り詰めた空気はない。
僕のそんな空気を読んだのか、リーシアが手を繋いでくれた。
冷たくも人肌の温もりを感じられる。
安心するな。
獣神の里でも一際大きい屋敷。
『獣神』の御前……何度も訪れたはずなのに、すごく息が荒くなる。
ずっとそのままにしておきたいけど、流石にそういうわけにはいない。
ラリアス様の前でイチャイチャを見せつけるのは無礼だからな。
名残惜しいがリーシアの手を離す。
「……リーシア」
「何?」
「服装とか大丈夫だよね?襟が曲がってるとか、シャツが入ってるとかない?」
「ないない。さっきも言ったじゃん」
でも何かあったら嫌だから何回も言いたくなる。
神様の前なんだから礼儀正しくやりたいじゃん。
神様なんだよなラリアス様。
あんまり感じないけど、俗世とは離れた超越存在だ。
本当に見えないけど。
獣族の中でも偉いだけの人としか思わない。
ランガルさんのお兄さんだし。
神様というのも形式だけのものかもな。
まあ敬うべき存在だ。
礼儀正しくするのは当然の事。
きちんと服装を整えるリーシアが良いと言っているのなら良いだろう。
今日の僕は王族にも堂々と前に出られるほど身なりが整っている……わけじゃないな、服とか薄汚れてるし。
まあ僕ができる最大限の見ごしらえだ。
「よし」
覚悟を決めて、踏み出す。
「失礼します」
神の間。
中央に座るのは『獣神』ラリアス・ルシアン。
右壁側には順に爺様と呼ばれていた先代戦士長、戦士長リュカス・ルシアン、戦士カニス・ルシアン、戦士ベラン・ルシアンが揃っている。
緊張するな。
「戦士ムート、参りました」
神聖な場に踏み込み、片膝をつき頭を下げる。
リーシアも即座に膝をついた。
すると、端にいた戦士一同も頭を下げる。
「上げろ」
ラリアス様の威圧感がある命で全員が頭を上げた。
普段とは異なる威厳ある言葉だ。
心臓を鷲掴みにされるような感覚に冷や汗が飛び出る。
緊張感が更に高まる。
「立て」
それは僕に向けての言葉だ。
他の者には届いていない。
特殊な言霊は僕の魂を振るいあげ、背筋を真っ直ぐに立ち上がせた。
言葉はない。
ラリアス様が腰から剣を引き抜いた。
純粋なる魔剣、白牙。ラリアス様の愛剣。
さしたる会話は不要。
剣を交えるのみで、戦士は言を済ませる。
つられて僕も、剣を構えた。
打壊の魔剣、崩牙。戦士ランガルが扱い、僕の手に渡った相棒。
短い持ち手を両手で握りしめる。
鉄鋼が軋むほど、強く握りしめた。
最大まで高められた握力が必要だ。
沈黙が通り過ぎる。
恐らく、僕が動くまでラリアス様は動かない。
先手は僕に明け渡すつもりだろう。
最初と同じだ。
ならば最高を打ち込もう。
真正面に敵を置いた正眼の構え。
剣にかける圧力を増やし、掌の接着面をなるべく増やす。
必要なのは生命力、闘気。
剣に闘気を伝えるに十分な身体との接触。
剣を強く握るという事は、より身体と剣を一体とする行為。
闘気は極限まで薄くする。
刃と完全に密着するほど薄く……けれど厚くだ。
矛盾しているかもしれない。だがより剣を大きくするために、薄く厚く闘気を纏う。
しかしこれだけでは足りない。
より大きな闘気をつぎ込み、更に形状を細かく指定する。
剣に重ね合わせ、先端を尖らせ、刃の鋭さを高め続ける。
高め、高め、限界など指定せずただ高める。
極限まで圧縮された闘気は、目に見えぬ力から光として映る力の塊となる。
それが──閃光闘気。
刹那。
勝負がついた。
最上位以上の剣士の勝負に1秒も要らない。
終わる時は一足による一打ちで勝負は決する。
振りかざされた魔剣は、光り輝く閃光の刃となりて敵を討つ。
交差された刃。
互いの閃光が乱れ、僅かに切っ先が掠れ合う。
僕の頬が裂けた。
ラリアス様の毛束が落ちた。
全力によって解き放たれた光は、確かに『獣神』の生命を切り落とした。
毛が落ちた程度では赤子の手を捻るにも至らない。
しかしそれで十分。
『獣神』の命ひとつを地に伏せさせた。
戦いの決まりに則り、この試合の勝者は固まる。
「上出来だ、ムート」
僕の勝ちだ。
*
4ヶ月間ひたすらに頑張った成果が実った。
ルストに勝った僕が『閃光闘気』を扱えない道理はないと努力した結果、『閃光闘気』の会得に成功た。
そしてついにラリアス様の毛を切り落としたのだ。
体毛を斬ったくらいで何だと昔の僕なら言っただろうが、今の僕にとってはその行為は感慨深い。
色々あったが、勝ち取った。
僕は当初の目的を達成に近づけたのだ。
そこからはトントン拍子に事が進んだ。
崩牙を正式に獣神様より許可を頂き、全知全能のアルフィリムへの謁見許可など、欲しいものを全て頂いてしまった。
くれるというのなら遠慮なく貰う。これは僕が勝ち取った報酬だ、タダで貰ったものじゃない。なら貰わなければ逆に失礼だろう。
ベランたち戦士組は見届けた後、賞賛をしてさっさと戦士としての勤めに出てしまった。
もうちょっと祝勝ムードでいてくれてもと思わない事もないが、これが獣族だ、仕方あるまい。
ちなみに忘れ去られたミッテルだが、まだ腐敗病の対応に追われている。
一応今急いできているという話だけど……多分間に合わない。
まあミッテルは別にアルフィリム様の知恵を求めていないし、間に合わなくても支障はない。
しかしラッキーであった。アルフィリム様に知恵を借りたいと言っても屁理屈捏ねて断られ、ラリアス様ですら会う事ができない事もある自由人のようだ。
気まぐれ。
その時の気分が嫌なら嫌だ、いいならいい。
本当に気まぐれなのだ。天の動向が良くなければあれこれ理由をつけて謁見を断ってくる。
だが今回は二つ返事での了承だったという。
機嫌が良かったのか、何故だか理由は分からないが、日頃の行いのおかげだな。
全知なんだ。善い行いはちゃんと知ってくれているのだろう。
アルフィリム様の使いの人が案内してくれるという事なので、その人が来るまでベランの家で寛いでいる。
僕は頭部にある優しい温かみを感じながら、眠気に抗っていた。
押し寄せてくる眠気は本当に強いが、ここで寝るわけにはいかない。
勿体ないからだ。
リーシアの膝枕という至福の時間を1秒でも長く堪能したい。
なし崩し的にやる事がないのでとりあえず要求した膝枕が現実になるとは思わなんだ。
全く、これだからリーシアは最高だぜ。
ひんやりとした素肌が僕の体温でちょっとづつ同じ温度に変わっていく。
男ではありえない、女の子らしい柔らかい太ももは……ハッキリ言って最高。
太ももと言えばミニスカートの魅力のひとつ、絶対領域から覗く太ももの白い素肌が最高なんだ。
そして首を動かせば、上には天使のご尊顔が。
はーーー膝枕最高かよ。ずっとこうしていたい。
まあ時は過ぎるもの、ずっとは絶対に存在しない。
待つこと30分ほどだ。
家の扉板が何者かに叩かれた。
名残惜しい体温から遠ざかり、シワだらけになった服を簡単に整える。
押し付けていた頬は赤くなっているが……まあ気になるほどじゃないから大丈夫だな。
一応リーシアの簡易チェックで良しを貰う。
完璧だな。
「はーい!」
返事をしながら扉を開ける。
外の肌寒い空気感が入り込んでくると同時に目の中に花色が飛び込んできた。
外は冬季……いや、ガルシアの大森林では冬でも自然は元気だ。
桜色の髪に、特徴的な尖り耳、僕よりも少し小さめの妖精族が立っていた。
彼女はこちらを見るなり、礼節をもって頭を下げた。
「お待たせいたしました。アルフィリム様の遣い、フロリアと申します。……失礼ですが、ムート様はどちらでしょうか」
フロリアと名乗った妖精族は僕とリーシアを交互に見て……リーシアに向ける視線が細まるが一瞬で自然に戻り、感情が分からない真顔を貼り付けた。
「ムートは僕です」
というか分かるだろ。
ラリアス様がどう伝えたかは知らないが、人族の少年とか伝えてるはずだ。
種族も性別も違うのに聞くのは……これを言うのは野暮か。
ああいう台詞は言いたくなるもの、それは分かる。
フロリアさんは沈黙を被せながら顔を見合せてくる。何かを見定めるように、僕の奥底を覗かんと目線を合わせる。
選定でもしているのか……そんな時に出てくる僕の感想は目の前にある顔の良さ。
やはり妖精族、面の良さが顕著だ。真顔なのに整っているせいで良い印象を与えるのは相当だ。
まあうちのリーシアも負けてないどころか勝ち越してるけど。
彼女は目線を下ろし、
「確認いたしました」
何を?
「ムート様を知識樹エディンサピアにお連れします。準備は出来ていますか?」
知恵を貰う準備は出来ている。
が、ひとつ聞きたいことがあった。
「あの、リーシアも連れて行っていいでしょうか?」
主に知恵を授かるのは僕だが、リーシアも無関係というわけではない。
ひとつは彼女に関わる事だ。
リーシアの故郷。
アルフィリム様にはそれも聞くつもりだ。彼女の今後を左右する問いには彼女も居るべきだ。
「お連れするように仰せつかっておりますのはムート様だけです」
しかしフロリアさんは決められているであろう返答を淡々と言い返す。
私情を抜きにした冷徹さ。
短い邂逅ながら生真面目な人だと把握できる。
決まりは絶対、ルールはルール。そういう類の人だろうな。
「わたしはここで待ってるよ。わたしは別にアルフィリム様に会いたいわけじゃないし」
すかさずリーシアから苦笑のフォローが入る。
あっさり諦めたが、肩を落としているところを見ると本当は行きたかったのだろう。
どうにかして連れて行きたい。
ルールがあるならルールの穴をつく。
完璧な政治がないように、一見すると気難しい規則でも必ず穴はある。
「アルフィリム様に謁見できるのは僕だけなんですよね?」
「はい。ムート様だけでございます」
僕の問いにフロリアさんは肯定する。
謁見できるのは僕だけ。
「でしたら、謁見はいいので途中までの同行はよろしいでしょうか?」
「それでしたら構いません」
謁見は出来ないが外待機はいい。
退屈かもしれないが、せめて近くにいてほしい。
いい情報だったらすぐ伝えられるしね。
「そこまでしなくていいのに……」
若干不服そう。
「でも一緒に行けるなら行く方がいいでしょ?」
「それもそうだね」
笑いあって、イチャつく僕たちを尻目にフロリアさんは真面目だ。
「それでは着いてきてください」
フロリアさんは一瞥して扉から離れた。僕たちも着いていく。
獣神の里の民は既に起床しており、外には獣族も出歩き始めていた。
そんな彼らを横目に歩いて、出入口である自然の門を目指す。
フロリアさんの歩みは小さく、里の出入口に向かうまでも中々の時間を要した。
「歩いて行くんですか?」
門の近くに馬車の類は見当たらない。
歩きなのだろうか……アルフィリム様の住処が何処にあるかは知らないが、このままでは日が暮れてしまいそうな気がする。
「はい。お時間は取られませんので安心してください」
問題なさげに言うフロリアさんだが、そんな近場にあるというのか。
少なくとも近くにらしき物は見た事がない。
もちろん、ここ4ヶ月で外に出られるようになったのは今日だからちゃんとわかっているわけではない。
時間は取らせないとは妖精族基準じゃないだろうな。
妖精族なら半日も少しと言ってしまいそうだ。
妖精族の平均寿命って1000年くらいだっけ?
人族の12倍ほど。
人族の1日が妖精族には2時間程度になる。
単純な計算だが、時間の価値基準の違いは種族ごとで顕著だ。
数時間は覚悟しておいた方がいいかもな。
そう案じながら里の門を潜り抜ける。
冬季だが、緑を宿した森林の中を歩き、全知の知識を求める。
全知の知識か……なんか森の奥にいる賢者みたいでいいな。
英雄譚とかでも、森で会う不思議な老人に知恵を授けてもらうなんて展開はよくある。
今のはまさにそれだ。
相手が老人かどうかは分からないが、妖精族だから見た目と年齢が釣り合わないはずだ。
見た目がフロリアさんのようでも年齢は老人だろう。
展開的には何ら間違っていない。
それに妖精族から知恵を授かる事もあるしね。
「しかし、ラリアス様が人族をお認めになるとは、数奇な事もあるものですね」
世間話はしないのかと思ったが、別にそんな事はないらしい。
声に感情が乗っていた。仕事としてではなく、私情による興味からの言葉だ。フロリアさんは別に不愛想なわけじゃないようだ。
「珍しいんですか?」
「いえ、初めてです」
初めてか。
何故だろう……やっぱりランガルさんが関係しているだろう。
ラリアス様からランガルさんの話はあまり聞かないが、肉親として思うところはあるはずだ。
「あの、フロリアさんはランガルという獣族をご存知ですか?」
リーシアの問いかけにフロリアさんは喉を微かに鳴らし、奇異の目でリーシアの方を見た。
「ランガル様ですか。懐かしい名前です」
「わたしたちはそのランガルさんにお世話になったんです」
「ほう」
衝撃的だったのかフロリアさんから高い声が出た。
案外感情豊かというか分かりやすい反応をする人だ。
第一印象からどんどんと離れて、人間味が感じられるな。
納得したようにフロリアさんは頷き、少し弾んだ声を上げた。
「なるほど、道理で。ラリアス様は家族というものを重んじる方です。弟君であるランガル様を大切にされておりました。そんなランガル様に育てられた子である貴方がたは、ラリアス様にとっても子のような存在でしょう」
まるで全てを視てきたような語り草。
言葉に宿る旧懐……フロリアさんは妖精族。長き時を生きる存在。
知っていても、なんら不思議ではない。
彼女が噂の全知だと言われても信じてしまいそうな風体だ。
「あの、もし分かればいいんですが、僕の家族は知ってたりしないでしょうか?」
僕の問いにフロリアさんは首を横に振った。
「いえ。ここ最近は人族を見ておりません」
そうか、まあそうだよな。
フロリアさんなら知ってそうだと感じたけど、普通に分からないよな。
やはり問題は全知の知恵に頼るしかないという事だろう。
「ですが、アルフィリム様は世界を見渡す千里眼をお持ちです。居場所を把握しているやもしれません」
彼女の言葉はこちらを気遣ってのものだろう。
希望が生まれた。
全知と言ってもそんな小さな事は分からないかもしれない、と杞憂していたが本当に杞憂だったようだ。
というかアルフィリム様の全知は千里眼から来るものなのか。
千里眼。
魔眼の1種。魔眼の中でも使用者が多い部類の魔眼。
単純に遠くを視る事ができるものだが、使用者によってその範囲は異なる。
通常は数kmが限界だが、千里の名の通り数千kmの距離を視界に収めることができる者もいるという。
全知全能のアルフィリムも千里眼を持っていると言っていたが、世界を見渡す事ができるという並大抵のものではない。
流石は全能と言うべきか、千里眼の範囲も恐ろしい。
万里眼に改名するべきだ。
もしかしたら今も覗かれたりして……まさか、僕には魔眼封じがある。
全能の相手に通用するか分からないが、ずっと覗き見されているなんて事はないはずだ。
ないよな?
千里眼でも鋭い者は視線を感じとることができると聞く。
……大丈夫、何処からも視線の感覚はない。
誰にも視られていないはずだ。
「キョロキョロして何かあったの、ムート?」
「いや、もしかしたらアルフィリム様に視られているかもしれないって思ったら……落ち着かなくて」
「そんなにソワソワしないでいいよ。確かに出来そうだけど、ムートの眼帯は魔眼殺しだからアルフィリム様でも突破できないと思うから安心して」
リーシアからのお墨付きなら平気なはずだ。
しかし、前方から聞こえてきたフロリアさんのクスッと漏れた笑いが気になる。
え、本当に視られてないよね?
まさかなそんな事してたら私事もクソもない、他人の秘密を覗き視るなんて趣味が悪い事はしないはずだ。
その事に言及しようとフロリアさんを見た瞬間、彼女の顔が真面目なものに変わった。
仕事の顔つきだ。
綺麗な顔がキュッと真剣に変わったのだ。
「着きました」
フロリアさんはそんな一言を放った。
着きました。
森林に潜ってからまだ10分も経っていない。
相手が相手ならからかいにも感じるほどの早さ。
しかし相手はフロリアさん。そんな冗談を言う人ではない。
何より僕たちは言葉を失っていた。
眼前にあるは巨木。
天に抱されんほどに伸び広げられた樹木。
ガルシアの大森林でも比類なき背丈を持ち合わせ、幾千と広がる枝木は一本が木と誤認してしまいそうな太さと長さ。
大木の周りにのみ、他の樹木は根を伸ばす事が出来ず、巨大を支えるに値する龍の根っこが大地に脈を張り巡らせる。
大きい。
見たことある気がする。
1番最初に目的地にしていた木だ。大きすぎてすぐ分かった。こんなに目立つ木は早々ない。
近くで見れば更にその大きさを感じられる。やはりロサの街にある巨大樹よりも大きいな。
負けてしまった。
だが、面食らっているのは巨大樹だけじゃない。
問題なのはこの木が唐突に現れた事だ。
そこにあったのに認識していなかったわけではない。
瞬きをした隙に意識の中に入ってきた。
それは不思議な体験だ。
常では有り得ない全能の一端。
「これ……アルフィリム様の力ですか?」
僕よりもリーシアの方が興味津々気味に聞いていた。
魔法だろうからな。闘法ではない。
リーシアは魔法が好きなのか、こういう事には結構食いついてくる。
隠してはいるが内心で彼女は興奮している。
「はい。アルフィリム様の魔法によるものです。空間保存の魔法を置換したものになります」
「空間を保存……?任意で発動してるんですか?」
「いえ。対象となるものが踏み入れば発動する仕組みとなっています。此度であれば私が要となり、周囲に居た御二方も魔法の対象となりました」
「空間魔法を自動で!?」
何を言っているかさっぱりだ。魔法の話は理解しようにも凡人では理解しえない次元がある。
今のがまさにそれだ。
フロリアさんは仕事の顔だが声が柔らかい。
アルフィリム様万歳しておけば機嫌が保てそうだな。
「凄いよ、ムート!期待できるね!」
「そうだね」
おう、わかった風にしておこう。
まあ空間だの保存だの凄そうだし期待はできる。
まずはリーシアの服装チェック。
本日3回目だ。リーシアはさながらお母さん。
よし、大丈夫そうだ。
自然を代表するような樹木だが、よく見れば扉がついていた。
メルヘンチック。まるで童話の世界だ。
童話系も読み漁っている僕からしたら胸躍る。
森の奥の大樹に住む全知の賢者、か。最高の触れ込みだな。
「中でお待ちですのでお入りください。アルフィリム様は無駄を嫌う御方ですので、なるべくお急ぎください」
ふと、振り返る。リーシアだけでなくフロリアさんも一歩身を引いていた。フロリアさんは入らないのか。
本当に僕だけ。
まあリーシアの会話相手ができたのはいい事だな。僕が居ない間、魔法について語り合ってください。
「よし」
扉は木の大きさに反して小さい。
普通の扉だ。
逆にそれが異様な雰囲気を醸し出している。
「失礼します」
取り付けられた引き戸。
扉の役目を果たし、木材が滑り開く。
舞い込んだのは加工された木材から漂う塗料の香り。
樹木特有の香りと重なった結果、程よい調和を生み出していた。
自然に紛れた人工物は決して内観を損なわず、不可思議な魅力を引き立てていた。
壁一面に整列された本棚、あらゆる言語で示され題が綴られた表紙。
全てを読むには途方もない時間を要するであろう古本の山。
森の中の大図書館、なんて童話の物語がここにはある。
大樹の背に合わせてなのか、天井が見えぬほど先が続いている。
だが、見える範疇でも本棚の高さに終わりを見い出せない。
あんな上まで届くだろうか、普通に無理だ。
神秘的な空気に飲まれた僕を脅かすように、バタンと扉が勢いよく閉まった。
自動ドアとは便利な、なんて思う余裕はなかった。
「え……!?ちょ……」
唯一の出入口である扉が根元から消えたのだ。
消滅でもしたのか光の粒子が飛び散り、元からなかったかのように自然な形で木壁が収まった。
焦って駆け寄り、扉があった場所を叩くが反応はない。
思ったよりも木の壁が分厚く、外には届いていなさそうだ。
そもそも外からはどう見えているのだろうか。魔法を使っている様子もないし、扉が見えているのだろうか。
分からないが、森の中の賢者の家となると起こりそうなイベントだな。
入ったら消えた扉!?怖い系の古屋敷の話にありそう。あっちは扉が開かなくなるのが主流か。
こういう時にこそ冷静に、クールに行こうぜ。
出られないとなると散策だな。
斬るか燃やすかでも出られそうだが、ここの主に怒られたくはない。正当方で行こう。
まずは辺りの把握だ。
大図書館、木の中に設置された書庫。
見た限りだと人影はない。アルフィリム様はご不在だろうか……。
円形に刳り貫かれた樹木の内部。
広さは30mほどだろうか、壁に沿って設置された本棚にはキッチリと本が揃え並べられていた。
外の光を取り入れるための窓はいくつかあるが、それも全て高く登りきるには書棚に足をつけなければならないだろう。
興味本位で近くにあった本の1冊を取り出す。
本の材質的にはそう遠くない近代に記されたものだろう、陽光を吸い込み日焼けした本の背表紙からは色が抜けている。
それでもその隣にある革本はより古びていて、表紙の文字を読むことすら難しい。
手にした本は西方語で『序作・死にまつわる伝授』と書かれているどこにでもありそうな本だ。
ペラペラと頁を捲り、流し読みするがちょっとした呪いに関しての本でそこらの書店に売っていそうなものだ。
全知とは肩透かし……だが、塵も積もれば。見上げるほどある書冊のうちの1冊に過ぎない。
膨大な量の書物はあるだけで知恵の証と言える。
手掛かりになりそうな物はない、かに見えたが壁に扉があった。
あんな扉あっただろうかと疑問視しながらも他に行く宛てもないので小走りで向かう。
扉は至って普通。
入ってきた扉と同じに見える形状と大きさ。
「また消えたりして……」
というか奥に行けるほど樹木の中は広いのだろうか……。
不思議な樹だな。本当に童話の世界に入った気分だ。
扉を開けて視野に入ったのはまたも文殿。
広さは同じほどだろうか……内観もほとんど変わらず、窓の位置すら一致する。
後ろの扉が消えないか気に停めながら、奥へと歩みを進める。
まるでそのまま同じ書庫を持ってきたような景色だ。
扉は消えていないし、扉の奥にはちゃんと書庫が見える。
安堵しながら正面に向き直ると、正面の壁にはまた扉が。
出現こそ見られなかったが、今般は違和感に気がつけた。
現れたとなると入れという事だろう。
1度目の潜りは罠がなかった。安全と仮定して、けれど自分の勘を過信しすぎずに奥にある扉に向かう。
道中で見える本のタイトルに気を引くものはあれど、今は雑事を考える余裕はない。
2度目……正直成功するとは思えない。
2度あることは3度あるし、3回目の正直と2回目は必ず何かしらが起きず変化がない。
期待せずに開こう。
「ほらね……やっぱり2回目は何もない」
扉の先にあるのは似たような書庫。
こんな事になるのなら、攻略法などをフロリアさんに聞いておけばよかった。
正面の壁と睨めっこするが扉はない。
また現れるかもしれない、目を逸らさずに辺りを探索する。
やはりここも変わりない、沢山の本が置かれている書棚しかない。こうなると上の窓から飛び出したくなるが……出ても違う窓に通じている、とかありそうだな。
と思いながら元正面にあった壁から目を離さずに居た僕だが……次は入ってきた方向の右側の壁に扉が出来ていた。
なかった……かどうかは曖昧だ。正面ばかり見ていたせいで左右に意識を割けていなかった。
「こういうのって正しい方向の扉に行けば正解になる事が多いよね。その正しい方向が分かればいいんだけどな」
他の壁に扉はない。
新しく出来た扉と入ってきた扉のふたつのみ。
3度目だ。
今回は3度目の正直を見込める。
2度あることは3度あるとも言うが、3度目の力を試させてもらおう。
走りで扉に向かい、勢いよく開ける。
もはや躊躇は要らない。
脱出できるならこれでできる。できないのなら期待は持てなくなる。
「ちょっと変えてきたな……」
だが、次は少し変わった変化球だ。
大図書館であるのは変わらない。
しかし、後ろにある扉の他3箇所にも扉がある。
なんだかおちょくられている気がするな……。
「普通に木の大きさを超えてるよね……。どういう原理なんだろう、外から繋がっている中がそもそも別だったりして。それだと無限に続いたりするのかな……?」
まさかと思いつつ、次の扉はどれにするか一考する。
1個ではなく3個に増えた扉。
進んでいる証拠なのかどうかは知らないが、変化が起きたのは誰の目から見ても明らかだ。
いや、ここで敢えて戻ってみるのもありか。
変化をつけるのなら部屋ではなく自分。
選択肢の中から選ぶのではなく、1度は振り返ってみたりするのもいいかもしれない。
よし、1回引き返すか。
「え……?」
そこに、金色の少年が立っていた。
「たまにあるよな。行っても終わりが見えないから戻ってみたら正解だったって。ま、今回は別に正解ってわけじゃないんだがな。エディンサピアに終わりはない。求める限り無限の知識が湧き出てくる。そもそもが異なる時空間で動いてるここで、常識を求めるなんざアホらしいぜ」
呟きながら近場にあった本を取り出す少年。
尖った耳から分かるのは彼が妖精族であること。
歳頃は僕と同年代で僕よりも小柄だが、妖精族なら外見で歳を図る事は出来ない。
というか僕は背後に居ることに気がつけなかった。
いや、それより……本当にここにいるのか?
目の前にしながらボヤける。
輪郭がハッキリしない。
居るのに居ないなんて言葉を使いたくなるほど曖昧な存在感。
揺らぎ、身体が揺らいで、魂が揺らいでいる。
彼に覇気はない。
しかし何処となく浮世離れした印象を持っている。
ラリアス様のような絶対的な強者として風格はないというのに、あの人よりも神々しく映るのは何故だろうか。
目に映る少年が、コロコロと変わり続ける。
姿が安定しない。どうなっているんだ。
いや、よく見ると変わっていない。
ただ重ねた年月が膨大すぎて、彼が何者であるか既に世界すら分からなくなっていた。
「で、初めましてだな」
本を閉じながら、こちらに向き直った。
「なぁ、ムート。俺の知識が欲しいんだってな。なら、くれてやるよ」
心底からニヤリと笑いを零し、選別するかのような眼差しで相手を見定めている。
間違いない。
ここにいるべき存在はただひとつ。
この人こそが……
『全知全能』──アルフィリム。
「親切な森の奥底に住むっていう賢者様がな」




