第37話 獣族生活・1日目
獣族の戦士の朝は早い。
時間にしてまだ朝の陽が登りきらぬ頃に遠吠えが上がる。
第一起床時間。
戦士の起床である。
早起きに難はない。
ちゃんと起きようという気概さえあれば起きられない事はない。
何より、
「ほら、ムート起きて。もう朝だよ」
最高の目覚ましがある。
天使の囁きは聞くだけで朝を爽快なものにしてくれる。
それからミッテルも起きるのが早い。誰よりも早く起きている。
先日の夜の見張りといい、彼はいつ寝ているのか不思議なくらい寝ない。
それもあり、レッドウルフの朝もまた早いのだ。
かなり早めの朝食を摂る。
主菜は肉、副菜も肉。野菜類はない。
ランガルさんも肉が好きだったからな。野菜も食べられないってわけじゃなそうだが、基本は肉1色だ。
肉を食べるのは力をつけるためだ。基本的に昼食を摂る時間はないとの事。
陽が昇る前から、陽が落ちるまで。
その時間全てが戦士の時間となり、獣族の使命を果たす。
獣族の使命とは、ガルシアの大森林の警護。
初代獣神ガルシアから与えられた大森林を守ることこそ獣族の使命である。
本当なら僕もベランに同行して戦士職の役目を果たした方が良いのだろうが、獣神様からのご指名を頂いている。
光栄な事だ。
ラリアス様はとにかく時間の少ない方だと言う。
時間を割いて頂けるのは史上の喜びだと思い噛み締めた方が良い。
僕が転がったであろう砂凹みを横目に、昨日訪れた神の間に一礼して、とにかく礼儀正しく振る舞う。
「ムート、参りました!」
そして元気よく。
こちらの方が戦士らしいだろう。
リュカスさんの礼儀正しさとカニスの大声を真似て見る。ラリアス様からの印象が良くなるはずだ。
「うるさい。お忍びってのが理解できてねえのか」
怒られてしまった。
獣神様からしたら元気なのは評価点に入らないらしい。
失敗したな。
「はい。申し訳ございません……以後気をつけさせていただきます」
「……入らないのか?」
「入ってよろしいのでしょうか」
「お前はオレの時間を無駄に使わせる気か?」
「失礼します!」
お時間を無駄に消費させるわけにはいかない。
ここまで全てが空回っている。
リュカスさんの礼儀もカニスの元気も良い方向には行ってくれない。次はベランの親しみやすさを演出してみるか……。
ささっと入って膝をつき礼をする。
昨日と寸分違わぬ位置に腰掛けるラリアス様の顔は顰めていた。
「嬢ちゃんも入れ」
嬢ちゃんも入れ?
その言葉に僕は入口の方に目を向けた。
大きく開いた入口の左側から覗く人族ならざる長い耳……隠れているつもりなのだろうが、隠れられていない。
いやまあラリアス様に指摘されるまで気づかなかったから隠れられてはいたな。
「お邪魔します」
リーシアだ。
彼女は見様見真似なのか、僕とほとんど同じ形で膝をつき頭を下げた。
僕よりも姿勢が綺麗だ。流石は繊細な女子だ。
しかし尾行されていたとは……気がつかなかった。
もしやこれも修行の一環ですかな、獣神様。だとすると僕は早々にやらかしまくっている。
もう取り返しがつかないかもしれない。
リーシアに気づけないようでは戦士になんてなれん!と言って吹っ飛してくるかもしれない。
謝るか……。
すると、ラリアス様はギロりと細い目を更に細めた。
「やらないのか?」
もう……じゃないな、時間がないのだった。
「やります」
ここは即決。
ラリアス様と真正面から向かい合う形で視線を合わせる。
身震いする。
武者震いというのではない、普通に怖いから震える。
圧倒的な差を肌で感じられる。
先日の呆気ないやられ具合を思い返される。
今日はああならないと決意を固めるが、決意ひとつで強さが変わる事はない。
正眼に構える、最も堅き必殺の構え。
『剣帝』の剣。
中位までしか取得していないが、今なら上位も取れる気がする。
手に持つは、崩牙。
「ご確認しますが、本当にこの剣は僕が持っていて良いのでしょうか?」
ベランから聞いたが、獣神の里に伝わりしみっつの牙剣がひとつ。
魔剣・崩牙。
『金神』ルイズワック様の作品。
世界に34本しかない魔剣の1本。
それがこの手に納まっていると思うと、興奮して漏れてしまいそうになる。
悦びがね。
崩牙は元々獣族の物。
これのせいで昨日は冤罪……とも言いきれない盗人扱いされたから、僕的には返すべきだと思ったのだが、ベランの家に僕の武器としてあった。
それはつまり、
「気にするな。牙剣は1本が獣神、1本が戦士長、1本が後継者とどのつまりオレの跡継ぎが担う物だ。オレはまだまだこの座を明け渡すつもりはないんでね」
だから僕が持っていても良い、という事にはならないんじゃないだろうか。
適任はいる。リュカスさんとか……あ、いや彼は戦士長だからもう1本の牙剣を持っているのか。
じゃあカニス?アレは後継者になれなさそう。
ベランも後継者というには違う気がする。
じゃあ僕が持っていてもいいか。
獣族は人材不足なのかもしれない。
まあ獣神様からのお達しだ。文句を言われても、僕は獣神様から良いと言われてるんだぞーと言い返せる。
まあ許可をとって口答えしても殴ってきそうな人はいるんだけど。
「リーシアは、僕が怪我をしたら治癒魔法をよろしくお願いします」
「わかった。全部治すね」
昨日みたいに、と言いながら端に移動した。
ならないように努力はします。
しかしここでやるのか。
神聖な間のはずだが……移動して目立つよりもここでした方がよいのだろう。
崩牙を構える僕。
真剣での稽古。生きられない可能性がある。
その危険を乗り越えて、強くなる。
いつもと同じだ。
*
獣神様との特訓はひたすらに打ち込み稽古。
「はあ……!はあ……ッ!」
「息が相手より先に切れるって事は、相手にいつか負ける事を意味する。戦闘にゃ攻撃力と防御力だけじゃない体力も重要だ」
と、ラリアス様は言うが1時間も打ち込み続けていれば誰だって疲れる。
ラリアス様が息を切らさないのはそれだけの技術があるからだ。
攻撃を最小で押え続ける事で、全力を以て大振っている相手より疲れを少なく済ませる。
一方で、僕は鼠の如く動き回っていた。
正面が駄目なら後ろから、死角と言える死角から打ち込み防がれの繰り返し。
尋常ではない反応速度を持つラリアス様にはどれも通じない。
あらゆる手を試して、ひとつの勝利へと繋げるのが『覇神』の剣だが、勝利へのゴールがあまりにも遠い。
道筋が永遠と続いていた。
……今日は度々欠伸されながら永遠と翻弄され、最後には峰打ちで腹を斬られた。
峰打ちとは名ばかりの殺傷性。
剣を極めれば、手刀ですら斬れると言うが、斬れる峰打ちはもう峰打ちとは言えない。
1時間みっちりの打ち込みは、毛1本どころか掠りもせず終わった。
リーシアが着いてきてくれてよかったと本当に思う。
彼女がいなければ下位の治癒魔法でこの怪我を耐えなければならなかった。
もしかしたら、リーシアは僕がボロボロになる事を想定して着いてきてくれたのかもしれない。
それはまあ嫌な信用でございますね。
「速く軽い。お前の剣には力が足りない」
言われて自分の腕を見る。
子供にしては太いかもしれないが、筋力量が足りているとは思えない。
そもそも子供の体では鍛えても底がしれている。
毎日筋肉を追い込んでいるが、体格や素の肉体から才能がない。
鍛えても獣族の力には至らないだろう。
「お前は自分より力の弱い相手と戦った事がないな」
「……はい」
多分、ない。
ルストも力強かったし、チェスタは吸血鬼の筋力には勝てなかった。
何度か組手をしたランガルさんやランスも同様に、力が弱い相手なんて……リーシアくらいだな。
「そこだ。はなから力で負ける事を推察して戦っている。だから速度を上げて、力を誤魔化してる。闘法も顕著にスピードで押すってのが見え透いているぞ」
確かに、パワーよりもスピードに重きを置いている。
しかしこの戦い方はランガルさんが教わった。
お前は弱いから速度でやれ、と。
実際スピードで格上との戦闘をこなせている。
だが、それが許されるのは最上位までだ。
聖位。
上級階位になると、半端な一芸では通用しない。
本当にひとつで勝ち抜くのなら、圧倒的な才能と途方もない努力により、1を究極にまで練り上げなければならない。
僕が出せる音の速度では不可能。
聖位では光のような速度を要求される。
スピードだけに頼っていては最上位止まり、ラリアス様はそう言いたいんだ。
究極になりえる土台ではないからこそ、究極ではなく数多の1を10に100にして束ねる。
そちらの方が僕には合っている。
まずは素早さと同じ、筋力を身につける。
「明日は剣を置いてこい。素手で試合う。もちろん、オレは剣を使うがな」
「はい……?」
思わぬ言葉にアホらしく聞き返してしまった。
仕方ないだろう、だって、言っている事がもはや自殺しろと言っているようなものだ。
殺したいのだろうか……素手で剣に勝てるイメージがわかない。
ランガルさん以上に厳しい修行になる予感が、いや、なると確信できた。
「力がなんなのか、『闘気』ってもんがどれほど便利か。それを理解しなきゃ、オレに殺されるだけだ
ラリアス様はニヤリと笑い、元いた席に腰を下ろした。
今日の稽古は終わり、明日の稽古になるまでに力とは何なのかを理解しなければ僕も終わるかもしれない。
「失礼、しました」
とりあえず残りの時間を悔いなく過ごそう。
*
外はいつの間にか陽が昇り、里には人気が溢れていた。
行き交う人全てが獣族なのは新鮮だ。
獣臭さはあるが、ランガルさんで慣れているから気にはならない。
どことない懐かしさもある。
主にランガルさん成分が懐かしさを増幅させている。
早く会いたいなランガルさん。
獣神の里に来たって言うお土産話もできたし、本当に帰っちゃおうかな。
出て行ってから1年とちょっとしか経ってないんだけど、ランガルシックに苦しんでいる。
「力って、どうやったらつくと思う?」
まるで英雄譚に出てくる力に溺れる相棒のような事を言った。
どうやったら俺にもあんな力が!なんて展開よく見る話。
そんな中、悪魔が笑いながら現れるのだ。
力が欲しければ俺の手を取れ、と。
だが、僕は悪魔の手は取らない。どんなに甘い罠でも、天使の囁きを取るね。
リーシアに聞いても答えは出ないかもしれないが、死にたくないので知恵を借りる。
3人入ればなんとやら、多ければ多いほどいいのだ。
「獣神様が言ってた事だよね?」
うーんと唸りながら、首どころか体が傾げる。
どうしてこう全部可愛いのだろう。
この上ない人だからな、可愛い可愛いと言いたくなる。可愛いものは可愛いんだ。
「鍛える?」
やはり鍛えるか。
でも、それを今日しても明日に力がつくわけじゃない。
明日にでも力をつける方法……本当に悪魔の手を取る事なんじゃないだろうか、それ以外にない気がする。
「あ、でも明日には必要なんだよね?」
「明日じゃなかったら、僕もリーシアと同じ考えだったよ」
明日にでも力が強くなる方法が本当にあるなら教えて欲しいくらいだ。
「明日にすぐ変えられるもの……気合いとか?」
「リーシアから気合いって言葉出てくるのなんか新鮮だね」
実践なのか両手で小さいガッツポーズで表していた、一々僕の心を動かしてくる。
しかし気合いか。確かに明日と言わず今でも変えられるものだ。
でも気合いを入れて力が強くなれば苦労はしない。
「気の持ちようなんじゃないかな?魔法も性格で得意属性が決まるって言うしね。元気な人は火属性、穏やかな人は水属性。わたしたちの生命力は自分自身みたいなものだから、心の在り方で命の在り方が変わっても不思議じゃないと思うんだ」
リーシアの見解には一理ある。
英雄譚とかでも、心構えで覚醒なんて展開はある。
その展開が現実で起こるかどうかは分からないが、生命力の可能性はかなり広い。
気の持ちようで変わることだってあるかもしれない。
気合いを入れるか、明日は元気いっぱいに叫びながら戦ってみるか。
「でもリーシアは全属性得意じゃないか」
「わたしは……ほら、天才だから?」
「流石です、リーシアさん」
「もっと褒めていいんだよ」
ふふんと鼻を鳴らしながら胸を張るリーシアに横から拍手喝采を浴びせる。
天才をネタとして使うとは、これもまた成長の証。
昔なら自分を天才なんて絶対に言わなかった。
これから予定もないので一旦ベランの家に戻ろうと思った帰り道。
里の防衛を任されている戦士舍を避けながら、なるべく人通りが少ないところを通る。
今の僕は獣神様に喧嘩を売ってボコボコにされ泣き喚いたガキという設定だ。
何言われるか分かったもんじゃない。
まだ朝時であるから獣族の数は少ない。
揉め事なんて起こらず帰れる……なんて思っていたのだが。
「囲いな、絶対に逃がすんじゃないよ!」
「男の癖になってない!弱い戦士に意味はないんだよ!」
丁度家と家の間にある物陰、言ってしまえば簡易の路地裏。
4人の様々な毛色の獣族が1人の茶毛の獣族を蹴っていた。
既に殴られ、蹴られ、やられている方はうずくまって耐えるしかない。
イジメ。
他人を痛ぶり自分を強者と見せたがる者がする愚行。
しっかし実際は数の暴力によるダサい行為。
見逃せはしない、レッドウルフは正義の集団。
人攫いもイジメも見過ごしはしない。
リーシアも同じく、頷いて肯定する。
「そこのお前たち!イジメはいけないことなんだぞ!」
バッと飛び込み宣言。
瞬間、10つの眼がこちらに釘付けとなる。
10個中8個が女の物だ。
加害者全てが女、それも戦士の装いをした獣族の戦士であった。
それもあって睨みが鋭く、思わず息を飲む。
しかしそのうちの1人に見覚えがあった。
「なんだ、あの時の人族か」
ランガルさんを女にしたような顔立ちの灰色毛の獣族……カニスだ。
何となく分かっていたが、弱いものイジメをしていた。
しかも女を引き連れて。男より女に群がられるのが怖い。
「へえ、じゃあアイツがラリアス様に負けて無様に泣きながら小便垂らしたっていうガキか」
取り巻きAの獣族の言葉で取り巻き全員が笑い出す。ゲラゲラと馬鹿にした笑い。
何かもうひとつ不名誉が追加されていたが……気の所為という事にしておこう。
続く嘲笑……耳を潰したくなる嫌な笑い。
人の悪意ほど耳を腐らせるものはない。
それをされた側は一生消えない傷をおうかもしれないと思わないのだろうな。
こういう手合いはやられなければ分からない。そして今まで数で制してきたからこそ、本当に分からないんだ。
イジメられる側の感覚というものが。
「で、今度はアタシに無様を披露してくれるのか?それはいい、本当はアタシがやってやりたかった」
剣に手をかけるカニス。
漏れ出す殺気から手加減はないと理解する。
一触即発、やるしかない。
「無様なのはそっちじゃないの?」
しかし、僕の前に躍り出た存在がいた。
リーシア。
彼女は僕よりも前に出ながら、煽りの言葉を紡いだ。
「なんだと……」
カニスから出てくる殺気が増した。
それだけではない、後ろにいる取り巻きたちからも殺気が滲み出ている。
しかしリーシアは止まらない。
彼女の肩は震えていた。怯えではない、燃えるような怒りが宿っていた。
「獣神様は言ってたよ。上に立ちたいなら決闘で示せって。なのに君たちがやっている事は複数人での暴力。多数で寄って集ってイジメる、それって1人だと勝てませんって言ってるようなものだよ?」
「父上には怒るなと言われたが……魔族が、調子に乗っていると殺すぞ」
「でもまだ殺してないじゃん。宣言する前に殺したらどうなの?」
「上等だ!殺す!!」
煽りはリーシアの勝ち。
カニスが瞳孔をかっぴらき激昂のまま剣を抜き放つ。
腐っても獣族、動作が速い。
距離にして5m……剣士の間合い。
魔術師は蹂躙されるしかない絶対勝利の間合い。
素直にも真正面から突撃してくるが、近接戦においては正解。魔法など弾いて、次には首が飛んでいる。
リーシアでは追いつけないかもしれない。
そう思った僕は鞘の中で風を発生させ、魔闘法の準備に入った。
「んがっ!?」
だが、カニスの動きが停止した。
リーシアまでの距離は3mも残っている。
何故止まったのか……カニスの脚が地面に張り付いた氷に包まれ、凍りついていたからだ。
「小細、ッぶぐぶぶぶぶっ!?」
剣を振り下し、氷を砕こうとしたが、彼女の顔面を水が覆った。
顔がまるまる入る水玉の牢獄。
突然の事態に混乱したカニスは手で水を押し退けようとするが、純粋な力で押し通せる物体ではない。
逃げようにも氷に阻まれてどうしようもない。
この場合は氷を砕いて、そのまま突っ込んだりするのが正解だが……狼狽したカニスはまず目の前の水をどうにかする事しか頭にないようだ。
取り巻きも助けようとはしない。
カニスが圧倒された現場を見て顔を青く染めあげながら後退りしていた。
力によって従えていた取り巻きなのだろう、そこに友情はなく誰も助けようなんてしなかった。
暴れに暴れ空気を吐き切ったのか、勢いが劣れカニスから徐々に力が抜けていく。
酸欠だ。
リーシアもよくやるものだ。本気で怒ったリーシアがこんなに怖いなんて思わなかった。なるべく彼女は怒らせないようにしよう、そう思った。
と、そこでようやく水玉が消えた。
「はあーーーっ!!はあーーーっっ……はあ、はあ……」
水を得た魚よろしく、外の空気を体内に流し入れる。
窒息しかけた時の空気の美味さの異常性は僕も理解しているから、パクパクと口を開くカニスを笑ったりはしない。
リーシアも経験してるから恐ろしいほど真顔、怒りもプラスとして働いているせいもある。
「……はあ!おま、え!魔法なんてよくも使ったな!卑怯者め!」
「魔法くらい使うよ、わたし魔術師だもん」
「あんな戦い方で!恥はないのか!」
「魔術師は先んじて罠を貼っておくものだよ。この距離なら尚更ね」
「アタシは戦士長リュカスの娘、カニスだぞ!戦士としての戦い方がある!」
「だから何?リュカスさんはわたしたちが戦った事を知ったら怒るんじゃないの?それに戦士とか言ってるけど、多数でイジメてた事実は消えないよ」
リーシアとレスバトルをしても負けが確定している。
雑頭なカニスでは勝ち目はない。
というか怒っているリーシア相手には僕も勝てない気がする。淡々と綴られる言葉に押し負け、絶対に謝る自信があるね。
「お、覚えていろ!」
終いには捨て台詞を吐き、取り巻きたちと逃げていった。
一昨日来やがれ。
相手がもう少し頭が出来ていれば危なかったが、今回はリーシアの圧勝だった。
カニスが冷静だったならあの戦い方では負けていたかもしれない。
氷を砕かれていれば危なかった。
獣族が俗世と離されていて運が良かった。
見た感じ、最強カウンター技の『逆光』を知らなそうだった。相手が『逆光』を使える剣士ならほぼ負けていた。
やはり『逆光』は万能技である事を再確認できる試合だったな。
「お見事、流石はリーシア。でもらしくないね、そんなにイジメが許せなかった?」
「それもあるけど、ムートを貶されたのが嫌だったから」
なるほど、最高じゃないか。
こんなに慕ってくれる女の子が一生に何人いるだろうか……リーシアが最後でも不思議じゃない。
一生大切にしようと改めて誓う。
「大丈夫ですか?」
当初の目的、イジメられっ子の救出に成功する。
まだ立ち上がれていない若い獣族に駆け寄り、リーシアは上位の治癒魔法をかけた。
だが彼女は途中で首を傾げた。
「あれ?そんなに傷ついてない?」
「当然だ。傷ついたのは毛だけで獣族の肉にそう攻撃が届くものか」
憎み口を叩きながら立ち上がる若い獣族の戦士。
溜め息を吐きながら、こちらを一瞥した。
「お前ら噂の余所者だな、里で好き勝手す…………いや、助かった。ありがとう」
プライドが高く見えたが、意外に素直。
頭を下げる事はなかったが礼を言えるだけで凄く感じる。
カニスを助けたところで誰が助けろと言ったとか言いそうだからな。比べればマシ。
でもカニスもラリアス様の前では礼のひとつでもするんだよな。
一応上下というのは理解していそうだ。
上の者が助ければまた結果は違うのかもな。
「結構蹴られてた気がするんですが、かすり傷程度なんて凄いですね」
若い獣族は鼻を鳴らした。
「当然だ。我ら獣族は生命力で満たされている。そこらの攻撃で倒れたりしない。それにカニスもリュカス戦士長に怒られたばかりで俺を動けなくなるまで痛めつけはしてこなかったからな」
アレでも自重していた方のようだ。
アレが、アレがかー普段はもっと酷いんだな。
「お前らも気をつけろよ。カニスは獰猛な野獣だ、何してくるかわかったもんじゃないからな」
そういうと若い戦士は早足で去っていった。
本当に大丈夫そうだ。
獣族の優秀さを感じられた。
あの戦士がまたイジメられない事を祈りながら、僕は帰路についた。
*
戻ってからはとにかく鍛えた。
少しでも多く、力をつけるために。
リーシアの助言通りにひたすら気合いを入れる。
腕立て共に奇声を発する姿は……傍から見れば滑稽だろう。
疲れたら、休む。休んで鍛える。
腹が空いたら、食べる。食べて鍛える。
その繰り返し。
自分にはこれが性に合う。
特に苦労せず続けられる。
しかし、続ければ続けるほど、難題がぶつかってくる。
今まで分からなかった世界が明瞭となり、何故か先を暗くする。
強くなる。
この行いは、永遠と続く道に終わりを与えない行為だ。
では何故、強くなるのか。
自分の場合は夢のため、そして守るため。
多くの人の命を救い、憧れた英雄になるため。
強くなるという道が最短かつ分かりやすかったからそうした。
「疲れたあ……」
その場にへたり込む。
人の集中力は無限ではない。いつか線が途切れてしまう。
その時が疲労の最高地点。
これ以上追い込んでも割に合わない苦痛が待っているだけだ。
「お疲れさま」
タオルと水筒を持ったリーシアがすかさず駆け寄り、最高のおもてなしで迎えてくれる。
必要な物を取り揃えてくれる事の感謝は計り知れない。
疲労をなくすために、床に座り込んだ。
椅子なんてものはない。そして机もない。
獣族には必要ないからという理由で。
ベッドはあるのにだ。
線引きがよく分からない。
他人の家で汗を流す行為は少々はばかられはするが……獣族的には住処で牙を研ぐのは当たり前では?と言った様子なので家中でやる。
外でやってもいいけど、獣族の目がかなり痛い。
何故だろうとはならない。
十中八九、カニスのせいだ。
また変な噂を流されていないといいが。
憂鬱な考えに頭を悩ませながら休憩を楽しんでいると、足音がひとつ家に近づいてきた。
「これはまた精進してますね」
ミッテルだ。
彼は里で既に確固たる地位を確立していた。
神父という地位を。
広場あたりでお悩み相談をしてそれを解決する。
聖職者たる一面を前面に押し出し、獣神の里に順応していた。
今のミッテルは聖職者モード。
何でも解決してくれる知恵の羊だ。言ってみよう。
「ねえ、ミッテルはどうやったら力が手に入ると思う?」
「工夫ですね」
即答だった。
工夫。
確かに大事だな。
創意工夫は必要な事だ。
詳しく。
「例えばどんな工夫を?」
「一例にすぎませんが、梃子の原理などでしょうか。多少の物と少ない力で、本来なかった力を生み出す。工夫の代名詞です」
少ない労力で大きな力を生み出す、か。
『闘気』でできるだろうか……梃子の要領はちょっと無理かもしれないな。
工夫にも色々な形がある。
それこそ無限にも広がる可能性の数々を、ひとつ選び、力とするのは難しい。
「もう一声ない?」
こういうのは自分で見つけるのが成長の証なんだけど、なんだかんだと他人に頼ってしまう。
僕を許してください、主よ。
「では先入観をなくしてみては如何でしょうか。『鎧』を纏う事に固執せずに、広く、柔軟に考えてみてください。それは真に『鎧』ではないので」
「ミッテルはそうしてるの?」
「はて。どうでしょうかね」
微笑を浮かべはぐらかすミッテル。
彼は基本こんな風だ。しかし絶対に的を得ている。それは彼が聖職者であるから。迷いの手を取らないなんて事はしない。
先入観に囚われない、工夫をする。
ラリアス様が求めている工夫とは何なのか。
獣神が人族に求める工夫。
「それは獣神様からですか?」
「うん、『闘気』の神髄的な話だと思うけど……」
「なるほど。……リーシアはどう思いますか?」
何故ここでリーシアに……と思うが、リーシアもいい考えを出してくれる。
3人集まれば何とやら、リーシアの思いついた工夫とは如何に。
「獣神様が求めてるんだから、獣族らしさ、とか?」
獣族らしい工夫。
どんな工夫?感知能力が良いとか爪を鋭くしろとかそういう工夫……獣族らしい、人族にない物とでも考えるべきか。
僕が知っている獣族。
やはり強さ。
あの強さを支える要因を僕にも用意する。
攻撃力、防御力、敏捷力、感知力。それら全てに共通する項目とは……。
頭を悩ませてもあまりいい答えが出ない。
「まあ明日まであるし、ちょっと考えてみる」
昼の陽は落ち始め、洛陽の空は黒を見せ始めていた。
ベランもそろそろ帰ってくる。
彼にも知恵を借りよう。獣族代表としての貴重な意見を。
意見を求めるのだ、出迎えのために僕も料理を手伝おうと気合いを入れる。
今の僕は何事も気合いいっぱいで挑んでこそ!
まだ半日以上時間はあるのだ。考えに考えて、半日後に答えを出せばいい。
今は別の事をしようそうしよう。
そうして獣族生活1日目の夜は、特段何もいい案が思い浮かばず、終わったのだった。




