第36話 獣神の試練
目が覚めた時……とてつもない満足感があった。
整えられたベッドに寝かされ、全身が打ち壊されたかのような痛苦……ようなではないな。実際に打ち壊された、完膚なきまでの敗北であった。
自分の力の弱さを再確認させられた。
ルストに勝った。
チェスタに勝った。
ベルク・ヴェーゲンから逃げ切った。
天狗になっていたわけじゃない。自分の弱さは自分が1番理解しているからだ。
それでも心の中で、少しばかり通用するのではないかという淡い期待があった。
そんなもの、跡形もなく砕かれたのだが……。
では、そんな僕が何故充実感でいっぱいになっているいるのか。
起床して真っ先に目に入ったのが、リーシアだからだ。
ベッドの端に顔を埋めて眠る彼女。物語でありがちな体勢だが、実際に見るのは初めてだ。
彼女の献身的なところを見ると嬉しくて顔が綻ぶ。
眠っていた頭を上げ起こす。
さて、ここはどこだ?家だな。
ほとんどが木で出来た木造の家。状況的には獣族の誰かさんの家だろうか。
ベッド以外には何もない質素な部屋だ。
本当に寝る目的でしかない部屋。
ランガルさんの部屋もこんな感じだったな。
必要最低限なものしかない。
こういう人をなんと言ったか……ミニマなんとか。
獣族はみんなこんな感じなんだ。
ランガルさん言いそうだな、「戦闘者に無駄は必要ない」って。
妙にランガルさんの顔が浮かんでくる。
リュカスさんに僕をボコした多分長の人がもれなくランガルさんに顔が似ていたからな、思い出してしまう。
そういえば長の人……名前はラリアスだったな。ラリアスさんはランガルさんのお兄さんと言っていた。それは似てるはずだ。
それにリュカスさんはラリアスさんの子供、つまりランガルさんの甥っ子だ。こちらも似ていて不思議ではない。
ランガルさん似の獣族が何人かいて、ボコボコにされたが少し嬉しい気持ちがある。
会いたいなーランガルさん。色々終わったら北方に行ってみよ。
今後の事はまあいい、今をどうにかしなければ明日は来ない。
しかし起き上がって物色するのは忍びない。
かと言って、ここで誰かを待ち続けるのは性にあわない。
1秒でも早く体を動かしたいんだが……。
どうしたものかと熟考していると、扉の外から足音が響いた。
ミッテルかな?いや、ミッテルに足音はない。いつも無音で現れる。
足取りはやや荒い。
覚えがある。カニスの物に似ている。
まさか彼女が盗人許すまじと殺しに来たのではあるまいな。
どうしよう……武器はない。魔法で対抗、できるだろうか。
万全なら勝てない相手ではないかもしれないが今の状況は厳しい。
扉が勢いよく開いた……そして、
でっかい犬が飛び込んできた。
犬っぽいが見澄まさなくても二足歩行。
灰色の毛並み、もはや見慣れたランガルさん似の青年風獣族。
彼は豪快に尻尾を振るい、興奮気味な古世語で話しかけてきた。
「起きましたね、ムート殿!さあ!さあさあさあ!お話をお聞かせてください!隅から端まで全て満遍なく!」
情欲が纏わりついた目が眼前まで迫る。
『や、お、襲われる!?』
気づけば普段使う西方語でそんな事を口にしていた。
『……ん、ふあっ……ムート、起きたの……って!襲われてるの!?』
「はい?何か言いましたか?」
『あ、いや襲うは誤解だったかも、ってこれ西方語だった……』
西方語を理解して、僕に合わせ西方語を使う頭が纏まってない寝起きのリーシア。
西方語を理解しておらず、何が何だか分からないまま耳を垂らし首を傾げる青年獣族。
全ての誤解を招き入れて、釈明の古世語すら出せなかった僕。
色々と空回った空気が出来上がった。
ミッテルー、助けてくれ、和ませてくれよお。
*
誤解はあっさり解けた。
まあ誤解は誤解だったからな。分かれば仲に亀裂は入らない。
それに青年獣族さんは獣族にしては気さくで話しやすいいい人であったのも幸いした。
何より彼は、僕たちにとって特別な存在だ。
ちょっとした揉め事は気にならなくなるほどインパクトが強いね。
「ごめんなさい、つい興奮してしまった……。申し遅れました、俺はベラン・ルシアン。ランガルお爺様の子供の子供なので……孫です!」
彼はランガルさんのお孫さんだった。
顔は確かに似ている。ランガルさんをそのまま若くした印象が強い顔立ち。血縁関係が分かりやすい顔だ。
というか、兄も甥っ子も顔が似ているのでルシアン一族というのはみな顔が似るのかもしれない。
獣族にしては礼儀正しいベランさん……
「ベランでいいです」
改め、ベランはわざわざ寝床を僕に明け渡してくれるほど人が良い。
獣族の寝室は縄張りの中でも重要な場所だ。唯一の安息場、子孫繁栄の場、最も安全でなければならない休息所。
それを人に渡すなんて、獣族には考えられないだろう。
いい人だ。
同じルシアン一族でも話の聞かない女狼とは真逆だな。
「色々ありがとうございます、ベラン。獣族の寝床を使わせてもらって……」
「いえ!ムート殿はランガルお爺様に育てられた戦士、であれば俺にとって兄弟のようなもの!上下などいりません、もう敬語とか使わずに話していただければ!」
でも、そういうベランは敬語を使っている。
対等を語るならどちらもタメ口にするべきだろう。
パーフェクトコミニュケーションがひとつ、敬語を封じてよいものか。
まあ答えは万能回答である考えておきます、だな。
「ベランはランガルさんの孫なんですね。道理で、顔が似ているわけです」
僕の言葉にベランは顔を綻ばせ、鼻がつきそうなほど近づいてきた。
「似てますか!?似てるんですか!?本当に似てますか!?」
「は、はい。似てますよ、顔は。性格は全然違いますけど……」
「ランガルお爺様に似てるかあ……そうかあー」
「ベランはランガルさんの事を尊敬してるんだね」
リーシアの言う通り、祖父というだけでは説明のつかない喜びよう。
尊敬の域にある。
当然とばかりにベランは胸を張り、自慢げな顔をした。
「もちろん、『赤狼』ランガル・ルシアン!亜人戦争では、獣族の特攻隊長として切り込み最も多くの人族を打ち倒した獣族の誇り。ランガルお爺様を尊敬していない戦士はいません!」
すごい人とは思っていたが、道理で強いわけだ。
獣族の戦士から尊敬される戦士。
亜人戦争を生き抜いた猛者中の猛者なのだ。あの強さにも納得……合点がいった。
「ランガルさんってそんなにすごい人だったんだ」
嬉しそうにはにかんだ笑いを見せるリーシア。
恩人で義理でも育ての親、2年間お世話になった尊敬すべき人。そんな人を褒められては我が事のように嬉しくなってしまう。
実際僕もそうだ。もっとランガルさんの事を褒めたまえ。
「すごい方です!そんなランガルお爺様に育てられたムート殿とリーシア殿、特にムート殿は牙剣がひとつ崩牙を継承されし獣族の戦士!俺の理想のような人です!」
人の理想になるのは、重いな。
その役目は今の僕じゃ不足な気がする。
「そんな……僕は憧れられるような人物じゃないですよ。ラリアス様にも一撃でしたから、手加減されてなければ死んでましたよ」
僕の予想が正しければラリアスは、この世の埒外に片足突っ込んでいるような存在だ。
本当に正しいか分からないが、ベランのマジ顔を見れば間違ってない事の証明になる。
「それは間違っています。『獣神』であるラリアス様に白牙を抜かせられるのは里でリュカス戦士長のみ。ムート殿の戦績は十分な功績です」
やはり、『獣神』。太古の十種族神が一柱。
獣の神、神位というやつだ。
初めて見たが、その圧倒さは身に染みてわかった。
全力の一撃が全く届かなかった。
あんな事、初めてだ。
自分の何を打ち込んでも至らない差がしっかりと見えた。
神位と僕……その差が、嫌なほど理解させられた。
しかし一方で良い経験ではあった。
神位というものが間近で体験できたのは不幸中の幸いと言ったところ。
「ラリアス様に気に入られて羨ましいです。余所者を絶対に出すな、なんて言うラリアス様、初めて見ましたよ」
決して放任してはならない言葉があったんだけど、気の所為だよな。
神妙な面持ちの僕に対して、何処までも明るいベランの顔。
「ベランさん、その件について詳しく……」
「はい!ラリアス様に傷をつけるまでこの里から出さないと言ってました」
無理じゃん。
*
ムートは獣神ラリアス・ルシアンに傷をつけるまで、獣神の里から発つことを禁じる。
無理だ。
戦士長であるリュカスさん。そう彼は戦士長、獣族の戦士を束ねる存在。
牙剣がひとつ羽牙を担う戦士。
僕も背中を取られた事があるからわかるが、彼は強いのだ。
そんなリュカスさんですら、ラリアス様には傷ひとつつけた事がないと言う。
もう1度言ってしまおう。
無理だ。
戦士長ですら為す術のない相手に、傷をつけなければならない。傷をつけねば里を出られない。
旅ができないのだ。留まる事を強制された。
もっと言うなら、目的である全知全能のアルフィリムに会えるのは各種族の長だけ。
長に認められた者なら謁見できるが、逆に言うならそれ以外のものは知識を与えられない。
どちらにせよ、獣神ラリアス様の許可がなければならない。
僕の目標は獣神ラリアス様に傷をつける事となった。
そう簡単に諦めがつきたくないが、ため息が出てしまう鬼畜難易度だ。
これがミッテルならまだ希望があった。
しかしやらなければいけないのは僕だ。本気の一撃を不可なく止められた僕が、だ。
とりあえず気持ちを落ち着かせるために外に出たが、空気が美味いこと以外の感想が出てこない。
空はもう黄昏色に染まっており、木々に日光を遮られている獣神の里は暗がりが被さっていた。
外歩く獣族の数は徐々に減っていった。
割とみな夜行性ではないようだ。朝と昼にやることを済ませて、夜は床に就く。
それが主流のようだ。
人族との交流が少ないガルシアの大森林でも生活は人族とそう変わりない。
たまにチラチラとこちらを見られるが……そんなに毛のない人族は珍しいのだろうか?
しばらく里の様子を観察していると見覚えのある人影が現れた。
「意外に早い起床でしたね」
「早寝早起きは基本中の基本だからね。おかえり、ミッテル、何してたの?」
居ないと思っていたミッテルが戻ってきた。
それも修道服姿で。
どこで道草食っていたのやら……。
「トゥールを預けてました。それから色々と、聖職者として迷える子羊改め仔犬を導いておりました」
ミッテルは何故か里に順応していた。
臨時の神父を勤め、獣族の悩みを聞いていたらしい。
こんな似非さでも、しっかりしてれば完璧な聖職者だからな。
「迷える魂を救う事こそ、我らが使命。悩みがあればなんなりと、教会への寄付金お待ちしております」
お金目的なんだ。
集まったのだろうか……そもそも里に貨幣の概念があるかすら怪しいな。
「しかしムートくん、貴方かなり話題になっていましたよ」
ほう、話題にか。
獣神ラリアスに勇猛果敢と戦った人族の少年、とでも噂されているのだろうか。
「獣神ラリアスに喧嘩を売った挙句ボコボコにされて泣き喚いた人族のガキ、と」
「それはまた……噂におひれはひれがつきまくってますね」
酷い噂だ。
しかもかなり誇張表現されている。
喧嘩を売ってないし、泣き喚いてもいない、ボコボコにされたのは否定しないが3文中2文が間違っている。
もしかしたら、僕を見ていた獣族は「あ、ラリアス様に喧嘩を売ってボコボコにされて泣き喚いた人族だ!」とでも思っていたのだろうか……酷い話だ。
僕の名誉は何処へやら。
誰が流したか……なんとなく想像がつく。
きっとカから始まってスで終わるカニス的な女の獣族のはずだ。
「しかも里を出られなくされたと。散々ですね」
他人事のように……いや実際他人事だから楽なのだろう。
「それに嫌なお題を出されたもの。獣神に傷をつけろ、とは……無茶ではないですか」
「その言い方、ミッテルでも無理だったりするの?」
「真正面から最高威力をぶつければ、薄皮1枚くらいは肉薄できるかもしれませんね」
「流石は神童ですね」
それでも十分すごい。
ラリアス様の硬さは異次元、傷をつけるなんて夢のまた夢であるかのように遠い難題に感じた。
それをミッテルは攻略できる可能性が見えている。
一縷でも出来るかもしれないだけで十分な偉業だろう。
その事をミッテルに伝えるが、彼は否定のために横に首を振った。
「いえ、やろうと思えば貴方だって出来ますよ。獣族の寿命が150年と長いのは何故か分かりますか?」
いや、知らない。
亜人だから寿命が長い事もあると自己完結していたが、何故かはそこまで考えた事がなかった。
答えが分からず沈黙していた僕にミッテルは答えを出した。
「彼らは毛の1本1本全てに生命力が宿っています。全身が生命力の塊と言って指し違いありません。彼らの毛は暑さを防ぎ、寒さを寄せず、鎧の役割を果たす。獣族を戦闘種族たらしめる要因です」
生命力の塊……それ故に獣族は寿命が長く、戦闘も強い。
ランガルさんが最強の戦闘種族だと自慢する理由もわかる。
「要は1本でも上回ればいいのです。1本毛を落とすだけでいい。そうすれば貴方は獣神に傷をつけられるでしょう」
出来るかなあ。
体毛を掻い潜っても続くのは鋼の肉体に重ねられた『闘気』の鎧。
毛の1本にも負ける生命力では勝ち目があるとは思えないんだが……ミッテルの言葉だ。確かな正解であるに違いない。
しかし問題はどうやって生命力を上回るかだ。
全力の一撃ですら毛1本の生命力にも劣る。そもそもの出力が足りていない。
引き出す生命力を高めるか……『疾風速』ではなく、攻撃闘法なら行けるかどうか。
考えれば考えるほど無理な気がしてきた……。
「どうしたらいいのか、そんなの決まってます」
「いつものように理想を追い求めるだけでいいんです」
まあつまり、特訓だ。
*
「獣族の戦士の特訓をしたい、ですか?」
家に戻り早速ベランに相談した。
中は夕食の準備に取り掛かり、香ばしい匂いが充満していた。
早く食事にあやかりたいのかベランの口端から涎が垂れていた。ごめん、邪魔して。でも大事な事だから早めに言わないといけない。
獣族の戦士に相応しい戦士になるためには彼らと同じ特訓をするのが1番だろう。
ベランも戦士の1人という話、彼が話をつければリュカスさんだって良いと言ってくれるはずだ。
と思っていたが、何故か目が泳いでいた。
あっれえ?ベランの事だから「ムート殿と一緒に特訓できるんですか!?やったー」とでも言うかと思っていた。
「その事なんですが、我らの訓練は、そのムート殿は出来ないと言いますか……」
やる気がある少年を鍛えてくれないのか。
自力ではない、誰かに師事される合理的特訓が出来ると思ったんだけどな。
駄目なら駄目で自分で工夫するが……。
「ごめんなさい……ムート殿は、一部の戦士からはよく思われてません」
カニスが嫌な噂を流し、それ鵜呑みにしているんだろうな。
それに僕は人族、煙たがれて当然だろう。
だからベランが謝る必要はない。
「だから、だと思うのですが……俺もにわかには信じがたいのですが」
ベランが助けを求める顔で食卓の準備をしていたリーシアを見た。
リーシアに何か?リーシアが可愛すぎて全獣族が嫉妬したのか?
それは……仕方ないな、本当に仕方ない。
こちらの会話に聞き耳を立てていたのか、リーシアが口を開いた。
「えーっと、ね。ムートが獣神様にやられて気を失っている間に、獣神様がね」
ラリアス様が何をしたんだ?
まさかラリアス様が僕を孤立させようと画策しているとか言わないよね。
そんな、獣神様が回りくどい方法で僕を虐めるなんて事あるわけがない、と言いたいが孫がアレだから否定しきれない。
いや、リーシアの表情的に悪い事ではない。いつも変わらない天使の顔だ。
ならベランは何故あそこまで緊張した面持ちなのか……。
「ムートの修業は自分がつけるって言ってたよ」
まさかの獣神直々スパルタトレーニング。
「よかったですねえ、神からの施しですよ」
心の篭っていないミッテルが、凄くウザかった。
*
こうして僕の、立派な獅子になるための獣族生活が始まった。
獣族は寒さに強いのに、ランガルさんはコート着ていた……彼は超がつくほど寒がりです。氷魔法を使えば勝てます。




