第35話 人の子よ、獣になれ
5日後、ナテンから出立した。
2日遅れたのは……まあ色々と事情があったからだ。観光というやつだ。
衣替えはバッチリ。
服を薄くして大森林の暑さもこれでマシになった。
レッドウルフのついに南方進出を表す良い1歩だ。
「ミッテルのその格好久しぶりに見たよ」
修道服は防暑防寒のスグレモノだと言う話だが、長袖長ズボンは見ているこっちが暑くなるので着替えさせた。
その結果、久しぶりのパーカー短パンミッテルスタイルだ。オフ時のミッテルは貴重だぞ。
「おや、私にかまけていいのですか?まず真っ先にリーシアを褒めると思っていましたが」
「ふっ、既に照れ顔を見させてもらったよ」
やはり半袖とミニスカートはいい。
白い肌が浮き彫りになって、リーシアの魅力が良く出ている。
彼女は魔族の体質なのか、日焼けというものを知らない。どれだけ陽に肌を晒しても平気なのだ。
だから遠慮なく拝める。
ありがたやー、天使が居る世界に産まさせてくれたお母さんに感謝。
そういえば南方大陸はランスの故郷だったな。
具体的にどこ出身とは聞かなかったが、色々教わっておくべきだったかもな。
まあ今のところは特段変わりなく、日差しが強い程度。
南方大陸固有の魔物も調べているし、問題はない。
それにいざって時はミッテルを頼ればいいのだ。
最近は頼りすぎて訛ってきそうだから、程々にするつもりだけどね。
*
ガルシアの大森林。
北方大陸と南方大陸を分かつように存在する巨大な森林。
大森林の歴史は約8万年前に遡り、当時は個体数が少なかった亜人族を庇護するための処置として──
初代『獣神』ガルシアがその力で草木に恵みを与え、大森林と呼ばれるまでに成長させたとされている。
そのため、現在でも多くの亜人族が暮らし、亜人の楽園とも称される。
獣族を筆頭に、妖精族、鉱鉄族、天翼族等が領土を持って暮らしている。
大森林は名の通り、木々が生茂る森であった。
巨人族よりも大きな木に囲まれた土地。
誰から見ても大森林と分かる見た目。
想像通りの大森林。
僕の求めていた大森林の姿だ。
視線を巡らせても木、木、木だ。
こんなのでは目的地に辿り着ける気がしない。
目指す先は全知全能のアルフィリム邸だが、アルフィリムさんが何処に居るのか分からないので、とりあえず大森林を散策して現地民に情報収集する方針となった。
適当に走って現地住民を探す。
基本中の基本である。
大森林は雨季の直後だったのか土が湿り気を帯びていて、馬での通行は少しばかり不便。
大森林は夏から秋にかけての期間は雨が降り続けるようで、『獣神』様からの恵の授けとされているらしい。
この雨がなければとうの昔に大森林は存在していなかったと言うことだ。
定かではないが、買ってきたガルシアの大森林の歴史書にはそう書かれていたのでまあそうなのだろう。
トゥールは粘ついた土などお構いなく走るが用意された道を行くには度々沼に嵌ってしまう。
勢いをつけて抜け出そうとするトゥールだがそう簡単に行く話でもない。沼というのは恐ろしいもの、抵抗すれば抵抗するほど相手を搦めとる。
強く引き抜こうとするのが駄目なのだ、ゆっくりと慎重にやっていけば抜け出せる……とはいえ、これで時間を割いて大森林1日目はひたすら森を彷徨って終了となった。
大森林は過酷だ。
なんせ魔物避けの香剤が上手く機能してくれない。
大自然の臭いに臭いを上書きされ、魔物避けが使えない。
これはかなり厳しい。誰かが見張りをしないとろくに眠れやしないからだ。
いつ魔物が襲ってくるか分からない恐怖に脅えながら眠るのは苦手だ。これだから野宿はあんまりしたくない。しかし、するしかないのだからする。
「では私が見張りをしておきますよ」
見張りはミッテルが行ってくれるようだ。
流石にずっとは申し訳ないが……寝ずの番は何十回としてきたから平気だと言う話だ。相も変わらず聖峰教会は黒い職場である。
徹夜を強制する任務を当然の如く与えられる、絶対に就職したくないな。
頼りっぱなしは駄目だとは思うが、ミッテルの好意に甘えよう。
その代わり、明日の移動は全部僕が頑張ろう。
敷毛布と掛け毛布を用意して木に体重を預けながら眠る。
野宿の後は決まって腰がやられる。そんな時は治癒魔法!辛い腰の痛みもこれひとつで解消できるのだ。
治癒魔法は本当に覚えた方がいいと再確認させられた。
*
2日目になるとガルシアの大森林半ばに至った時だろうか、魔物の多さが増した。
とはいえほとんどがD〜C、たまにBがいるくらいでAランクの魔物なんて出てこない。本ではたまに遭遇すると書いてはいたが、今のところ影も形もない。
これも『獣神』様のお陰かな。
どの魔物が何体で出るかはメモをして対策だ。
大森林に関しての本にも生息している魔物が載っているのでそちらも参考にしてメモをしておく。
Dランクの魔物──
巨食豚。
雑食の豚で基本的に何でも食べる。食べるだけ。1m半とまあまあの大きさだが、雑食なだけで凶暴性もないので討伐しない人もいる。
意外と大人しく人の手で家畜にされる事もしばしば。
強奪猿。
小さくて強くはないのだが、群れで物を奪って来る奴ら。
こちらは北方大陸でも見かけた事があるので、対策は簡単だ。
取られる前に命を取る。
厄介なのは群れで行動する事だけなので強さは気にしなくていい。下位の剣士や魔術師でも十分倒せる相手。
ホブゴブリン。
上位種のゴブリン。通常ゴブリンの1.5倍ほど大きい。
ゴブリンは基本全世界に居るからな、ガルシアの大森林でもいる。
上位種のボスゴブリンも居ると思われる、ランスが倒したちょっと強めのゴブリンだ。
Cランクの魔物──
火粉狐。
オレンジ色の体毛に覆われた狐で尻尾が炎のように逆立っている、というか炎だ。
攻撃もその炎を用いてくる。中位魔法を過激にした火力と言ったところだ。
そこまで強くはない。水魔法で尻尾を狙えば大幅に弱体化する。
斑犬虎。
犬なのか虎なのかハッキリしない名前だが、どう見ても犬だ。
虎要素は体毛の色だけ。橙色の被毛に黒色の斑点があるから虎なのだろう。
それ以外の部分は虎そのもの。大きさも爪も虎似。
Bランクの魔物──
甲殻熊。
ガルシアの大森林で河付近を縄張りとしている。
名前の通り、厚い甲殻に覆われており鉄の剣すら寄せ付けない防御力がうりだ。
更に手も甲殻に覆われており天然の鉤爪となっていて凶悪、下手な防御は死を早めるだけ。
翅蜥蜴。
昆虫のような翅の生えたトカゲ。
翅が翼だったら竜に見えたかもしれないが、見た感じ蝶の翅が背中についているだけのトカゲだった。
しかし素早い。思ったよりも不規則的な動きで面倒くさい相手だった。
魔物も人と同様に、見かけによらない。
Aランクの魔物──
双馬魔。
下半身は馬、上半身は赤茶色の肌をした目のない人間。
所謂ケンタウロス。
その危険性はAランクの中でもトップクラス。ガルシアの大森林に居るという事だが、目撃情報は少ない。
繁殖能力が弱く個体数が少ないのが原因との記述。その代わり、単体で上位剣士を圧するほどで寿命も300年近くと長い。
注意すべきガルシアの大森林の魔物は他にも沢山いるが、まあ僕たちなら余裕だろう。
なんせ魔物の中の魔物である十二屍獣から逃げ切ったのだ。
今更木っ端に負けていてはレッドウルフの名が廃る。
しかし歩いても歩いても、何処に辿り着く感じがしないな。
さっきから同じ風景を繰り返し見ている気がする。
たまに魔物は出るが、それ以外に目新しさがない。
そろそろどこかの種族の集落に辿り着いてもいいだろう。
なにか目印でもあればいいんだが……確認でもしてみるか。
「ちょっと上から見るから、待ってて」
馬車を止めて、木登りを開始する。
視点を高くしてみよう。何か分かるかもしれない。
「落ちないでねー!」
これでもランガルさんから獣族の戦士の称号を与えられている。
木登りくらい楽勝さ。
指先に『闘気』を纏わせ、爪を樹木に突き刺しながら登る。
草木から差し込む陽射しは目元にかかると眩しい。
南方の強い日差しも相まって、目を開けるだけで一苦労する。
しかし、この程度で足を滑らせていてはかっこがつかない。人の体重を支えられそうな木の枝に足をかけながら、高い木に移り飛ぶ。
失敗しても風魔法で着地すればいいの精神。
一際高い木を使い、木の葉を押しのけながらてっぺんまで登りつめる。
瞼を開きがたい光と風……十分に慣れさせてから、薄目を開けて、飛び込んできた光景はまさに……壮大。
何処までも続く、森林地帯。
先を視ようと凝らしても人の手が及んでいない未開の大地が広がっていた。
目を向ける全てが緑に染った樹木の森。
海の次は森。見た事もない旅の景色に感嘆する。
と、感動するのはいいが目的地……って、何処見渡しても木ばっかり。
目的地になりそうなのは、この森でも一際大きく存在感を放つ──巨大な樹。
故郷にあるあの巨大樹よりも大きい。
僕の冒険心がまずはあそこを目指せと叫んでいる。
太陽の方角からある程度の位置を把握して、木の表面を削りながら降りる。
『闘気』は便利だ。指を鉄のように出来て、安全に降りれる。
「何か見えましたか?」
「綺麗だった」
リーシアの方が綺麗だよ、と付け加える。リーシアは『はいはい』と簡単にあしらってきた。
……じゃなくて、何処に行くかの話だな。僕の感想なんて聞いちゃいない。
「大きな木があったからとりあえずそこを目指すつもりかな。迷ったら巨大な木を目指すのは王道でしょ?」
「何処の王道でしょう?」
「ムートは色んな英雄譚を見てるから、たまに何のことを言ってるのか分からない時があるんだよね」
「本当に分からないの?有名なのだと、『ハーマインの冒険』である展開だけど……知らない?」
知らないと2人は首を横に振る。
そっかあ、知らないのか。色々読み焦ってるからな、世間一般的にはマイナーの類なんだろう。
面白いんだけどなあ。
まあ今度読ませるとして、巨大樹だな。
距離は大きくてここからでも見えるくらいだったが、中々にあった。
今日中に着くかどうかだな。
移動中は『ハーマインの冒険』の内容でも教えようかな。
ある程度は記憶しているから、もはや全編ネタバレになるが、そこはご了承を。
*
3日目。
目的地に辿り着かない。
度々木に登って確認しているが、ある時から距離が縮まらなくなった。
昨日は楽勝気味に行っていたのに、昨夜から唐突に足が遅くなった。
昨夜はもう休もうとなったが、朝から昼まで走っているというのに何故か巨大樹に近づけない。
まるで不思議な力でも働いているかのようだ。
このままでは無駄骨だな。リーダーとしてはそろそろ諦めを宣言するべきだろう。
それに昨夜から視線を感じる。
何かが僕たちを見ている。
徒労を重ねた体で本調子の戦闘はできない。
ここは1回、引き返すなり別の道を探すなり模索した方が良い。
ずっと同じ道を行くというのは肉体というか精神的にキツイからな。
「……何かがおかしいから、一旦進路を変えよう」
リーシアとミッテルも同じ事を思っていたのか頷きで同意した。
進路方向を皮切りに一旦休憩だ。トゥールも頑張ってくれた、残りの人参をお昼ご飯にあげる。
そもそもあそこに人が住んでいるとも限らない。
世界には聖樹や神樹といった不思議な力を持つ木もある。迷いの森には人の方向感覚を狂わす樹もあるという話だ。
それと同質の物が大森林にないとは限らない。
ここは諦めて、別の……
「……!」
感じていた視線が、ヒリついた。
全身の毛が逆立つ感覚……獣族の第六感では、この感覚を殺気と呼ぶ。
ランガルさんに指示された事で闘法で大体の再現ができた。
通称『獣勘』。
気配があった瞬間から、使っていて良かった。
お陰で不意打ちに対応できた。
木の上から飛んでくる物体……矢をバックステップで避ける。
敵を視認せんと飛んできた方向を視る……が、しかし。
速い。
木から木へと移動する影。木の葉から入り込んでいる昼の陽に当たり若干姿が視えた。
四足の獣が弓矢を持っていた。
人族の動きじゃない。しかし矢を使う魔物は少なく、ガルシアの大森林には居ない。
となると、
獣族!
常に足場を変えながら飛んでくる矢の雨。
身のこなしは見事だが、矢は回避も防御もできないほどじゃない。
集中すれば簡単に弾ける程度の物だ。
回避しながら、背腰につけているロングナイフを抜く。
ランガルさんから貰った剣を獣族に向けるのは忍びないが、先に攻撃してきたのはあちらなのだ。言葉ひとつなくだぞ、元から平和解決をする気はないという事だ。
何発も矢を射っているのだ、やられても文句は言えないだろう。
だが、奴は唐突に木枝の足場に留まった。
それで姿がハッキリ見えた。
天日が相手を映し出す……
灰色。
薄墨色の毛なみに、犬の耳と尻尾を携えた狼の形相。
ランガルさんみたいだが、明らかに違うところがある。
細くて、凹凸が激しい。
女の獣族だ。
彼女の容貌は口端が裂けるほど鋭くなった、かと思えば……
『貴様……ッ!』
逆ギレされた。
何故?剣を構えたのだってそっちが攻撃してきたからで、僕から戦う気はなかった。
迎撃するのは当然だ。
やられたらやり返す、獣族は借りは絶対に返す主義だってランガルさんも言っていたぞ。
「ちょ、戦う気はありませんから落ち着いてください!」
僕の静止を聞かず、獣族は四足を巧みに扱い加速した。
木々の全てが彼らにとっては足場、大森林とは彼らの領域。
森林の中でも動きを制限される事なく、逆に優位に立ってくる。
知性ある獣が襲ってくるのだ、たまったものじゃない。
獣族は眉を顰めながらも、腰にあった剣を引き抜いた。
『訳も分からない言葉を言うな!』
あれ、聞こえてない?
あ、そうだ、僕の言葉は人語、もっと言うなら南方語だ。
そして彼女の言葉の響きは古世語だ。
ガルシアの大森林には古世語を使う種族が多いと聞く。
彼女は古世語しか分からない可能性も多分にある。
言語は友好の証、通じないと思って最初から身柄を確保してから対話しようという見込みもないわけじゃない。
平和的解決が出来るのならそれが1番。
振り下ろされる凶刃を躱す。一撃で地面を切り飛ばす勢いの斬撃。
もしかしたら本場の獣族の戦士なのか?
『僕は戦う気なんてありません!怒らせたのなら謝りますから……!』
古世語に反応したが攻撃の腕は止まりはしない。
『黙れ、盗人!貴様なぞの言葉を聞くに値しない!』
ロングナイフで防ぎながら、時々回避を重ねる。
このままだと押し負ける。攻撃に転じなければ、やられるのは僕だ。
言語解決は無理となると、割り切るしかない。
覚悟を決めようと力を込めた直後…… 獣族の女の体が吹っ飛んだ。
風車のように何回転もして、右に飛ばされながらも、木に着地し体勢を整える。
「いきなり何してるの!」
南方語の叫びは僕に向けたものじゃないだろう、獣族の女に対してだ。
向き合うはリーシア。
風魔法で助けてくれた救世主だ。かっこいい!
『賊の仲間か!』
しかし古世語しか分からない獣族の女は何を言っているのか分からなかったようだ。
女は構わず動く……そう思ったが、脚を急停止させた。
そして瞬間、僕の首に冷たくて鋭い物が当てられた。
この感触には覚えがある。もちろん首で受けたことはないが、違う箇所では何度かある。
刃。
「ムート!!」
リーシアが動こうとしたが……半ばで止まった。
この状態は人質を取ったに近い形。リーシアどころか、ミッテルすら動けない。
というか、ミッテルは何をしている。目を移動させて確認しようとするが……
『動くな』
古世語の低い声が耳に届いた。
後ろに当たるモフっとした毛の感触から、拘束しているのは獣族だと思う。
しかし厚い胸板……男だな。声的にも女の人ではない。
『動かなければ、女も男も殺しはしない』
『僕の命は……?』
『返答とラリアス様の判断次第だ』
絶対に助かる算段はないんですね。
『言う事は聞きます。その代わり、殺さないと約束してください』
『出来ない……が、子供を殺すのは戦士として吝かだ。ラリアス様の判断を聞かねばなるまい』
そのラリアス様が殺せ、と言えば僕は死ぬのか。
出来るだけ良い子にしていよう。
武器も落として、戦闘の意思がないことを知らせる。
『取れ』
『よ、よろしいのですか?』
『ラリアス様にご献上するまでに決まっているだろう』
獣族の女は物足りなそうに息を吐きながら、僕が落としたロングナイフを手に取って頬ずりし始めた。
何をやっているんだあの人は……。
先程の怒った印象とは異なる、恍惚の表情を浮かべながら……。
強引に後ろに手を回させられた。
痛い。
かなりキツめにロープで手と足を縛られ、そのまま担がれた。
まるで罪人……いや、罪人そのものの格好だな。
担がれた時に顔が見えたが、やはり男だった。
しかし何処かで見た事ある気がする。
灰色の毛と狼のような顔……ランガルさんかな?他人の空似ではあると思うが、何処となく似ていた。
だからだろうか、そこまで緊張感はない。
『お前たちも着いてこい。下手な真似をすればこの男の命は無いと思え。カニス、見張っておけ』
『はい!』
チラチラと剣の先端をチラつかせ脅してくる。
鼻筋に刃が当たりかける。もうちょっと下げてほしい。
手元が狂って当たった、なんて冗談じゃないぞ。
獣族の女……カニスと呼ばれた女は元気よく返事をして、馬車の後ろに待機した。
見張りとして。
リーシアの表情は変わらないが奥歯を強く噛んでいた。
ミッテルは……変わらないな。まあ彼はどうこうないだろう。
そして、僕は獣族に捕まった。
*
歩く事、約1時間。
1時間も担がれていた僕は気が気ではないが、彼らは僕の事を気にかける様子はなくひたすらにされるがまま。
そしてひとつの集落的なところに到着した。
何処を見渡しても獣族しかいない。
十中八九、獣族の里だろう。
思ったよりもしっかりとした木造の家があり、森の中になければ人族の村と見間違えられてもおかしくない。
だが、上を見れば木の上にも家があったりとしている。こういうのは想像通りだが、やはり見ていて楽しい。
しかしだ、僕は見世物じゃない。
この里に入ってからずっと獣族に見られている。
行き交う人に軽蔑の目を常に向けられている。そんな気持ち分かるか?地獄だ。
しばらく里を観光気分で歩いたところ、里でも1番大きな屋敷的なところに辿り着いた。
開放感溢れる自然の家だが、彼らなりの豪華さを演出するために布で飾り付けされている屋敷。
扉なんて物はなく、誰でも出入りできるようになっている。
僕の事を盗人とか言っていたけど、まさか何か勘違いしているのだろうか?こんなに盗みやすそうな屋敷なら盗まれていそうではあるけど……。
「お前と馬は残れ。そこの女は入ってこい、お前からも匂いがする」
ミッテルとトゥールは入れないらしい。
入場できるのは僕とリーシアだけのようだ。
呑気に行ってらっしゃいと手を振るミッテルを……僕は恨むかもしれない。何故ここで助けてくれなかったー!と。
そうはならないようにしっかりいい子を装う。
僕は屋敷の前でようやく降ろされた。
同じ体勢というのは中々に厳しいものがある。
降ろしてくれて助かった、と思うも束の間、後ろから小突かれ休む暇も与えてくれないようだ。
昔もこんなことあったな。人攫いに捕まった時だ。
さっさと歩け、ガキが!みたいな感じでやられた覚えがある。
あの感覚をもう一度か……嫌だな。
憂鬱になりながら屋敷に入った……
瞬間、緊張に打たれた。
全身を駆け巡るは、圧倒的な覇気。
汗が噴き出した。合図がなければ呼吸すら許さない気迫に呑み込まれかけて踏みとどまる。
前側……眼前に、座すのは超抜的な闘気を撒き散らす、獣だ。
……だが、よく見てみると、緊張感が解れる。
この人も何だかランガルさんに似ていた。
灰色……だけど、ランガルさんよりも白っぽいが灰色と言って指し違いない毛色。
そして顔。獣族の顔は1パターンしかないのかと思うほど、ランガルさんに似通っていた。
どういう事だ?
すると、僕を担いでいた獣族の男が前に出て、膝を着いて頭を下げた。
「父上。リュカス・ルシアン、ただ今戻りました」
彼の名前はリュカスと言うらしい。
名前と面覚えたからな。
じゃなかった、父上と言っていた。確かに見比べてみれば似ている。
そしてズカズカと杜撰な態度でカニスも前に出て頭を下げた。
「大祖父様!カニス・ルシアン、賊より牙剣がひとつ、崩牙を奪還致しました!」
カニスは僕から奪ったロングナイフをドンと置いて、ブンブンと尻尾を揺らした。
こう見るとただのデカい犬だ。
「ご苦労、下がりなさい」
また別方向から声が出てきた。
目の前に座っている長的な人の横に控えていた髭を蓄えた老齢の獣族。
2人はその言葉に従い、僕よりも後ろに下がっていった。
座っている獣族は動かず、こちらを視るだけ。
年老いた獣族はカニスが置いた剣を持ち上げじっくりと観察し、鼻を鳴らした。
「間違いなく崩牙ですな。失われたと思っていた牙剣のひとつが、まさか人族の子の手に渡っていたとは」
何を言っているか分からないが、あの剣は元々獣族の持ち物だったのだろう。
「我らが宝剣を奪われ人族になぞ使われていたとは。長よ、この子供の処罰は……」
「はっ!打首でございますね!」
カニスが勢いよく叫ぶ。
打首て、子供にする仕打ちではなさすぎる。
見た感じ教養がなっていない、獣はちゃんと教育しないと駄目と教わらなかったのか?粗相をしたら大変だろう。
弁明も聞かず打首なんて以ての外だ。
「あ、あの僕は別にその剣を盗んだわけではなくて……」
「盗人の弁明など聞かん!」
カニスが剣を首に突きつけてきた。
しかし斬らない。長の言の葉なしでは勝手はできないとみていい。
まだ殺されない。カニスの態度でやられる事はない。
自制が効かなくなって殺される事もあるかもしれないが……。
「まずは話を聞いて……」
「聞かんと言った!」
駄目だ、今にでも斬りかねない。
他の獣族は止める気がないのかただ見るだけ。
見物じゃないんですが……誰か止めてくれないかな。
「ムートの言葉は真実です。その剣は盗んだのではなく、わたしたちを育ててくれた獣族から貰った物です」
リーシアが1歩踏み出して、僕の代わりに弁明してくれた。
あの覇気の中で怖気付く事無く堂々とだ。
最近は本当に見違えたように強い子になってしまった。嬉しいし、有り難い。
もっと僕を弁護してくれ。
「ほう、その獣族とは……?」
「爺様!魔族の言うことなぞ聞くに値しません。こいつらは嘘しかつきません」
しかし流れを断ち切るカニス。今の流れは「その獣族は?」、「ランガルです」、「ほう、ランガルが!」みたいに良くなる流れだったはずだ。
カニスの極論でそれは破綻した。
意見を通すためには、カニスに負けない勢いが必要だ。
すると、リーシアはカニスに睨みつけるような目線を向けた。
もちろん、好戦的なカニスがそれを容認するはずもない。睨みには睨みを返すのが礼儀。数秒後には噛み付いていそうな剣幕なのに、リーシアは1歩も退かない。
「わたしは事実しか言っていない。貴女が一方的に決めつけているだけで、そこの人にはわかってる。口出ししても変わらない、獣族の気品を落とすだけだよ?」
「何だと!?魔族風情に何がわかる!」
「カニス、落ち着け。お前が獣族の戦士である事に誰よりも誇りを持っている事は分かっている。だが、ここはラリアス様の御前、慎みを覚えろ」
「止めるな、父上!魔族に我らの何が……!」
「駄犬め……我慢を覚えろ、カニス!」
僕は何を見せられているのだろうか……ありがちな親子喧嘩だ。
リュカスとカニス……名前が似てると思っていたが、親子だったとは。リュカスさん、娘さんの教育はちゃんとしてください……と言いたいが、あの調子では無理そうだ。
素からぶっきらぼうなタイプ。あれを矯正するのは至難の業だ。
「鎮まれ」
「……!しかし爺様!薄汚い魔族と盗人!外の人族はさておき、こいつらは許されざる者たちでしょう!」
「考えを改めろ、カニス。気持ちは分かるが粗末な感情ひとつで動くな」
「だが父上……」
「あー、黙れ」
一声で、沈黙した。
中央に居座る牙の長。
彼が口を開くだけで、他の者に口出しは許されなかった。
それは無論、僕もリーシアも、例外なんてない。この場にいる全生命が押し黙るしかなかった。
「カニス。オレはお前のそういうところは気に入ってる、孫って理由じゃねえ、最近じゃそこまで気概がある奴は減ったからな。だがな、上下に不満があるなら、決闘で示せ。リュカスに反論するなら口じゃなく手で黙らせろ」
それが獣族の掟だと吐き捨て、彼は立ち上がった。
顔は強面だが耳と尻尾がピンと立っている。ランガルさんはああいう時、かなり機嫌がいいんだよな。
「ひとつ聞きたいんだが……坊主でも嬢ちゃんでもいい。ランガルの奴は元気か?」
「……はい、元気です」
こちらへの問い、鎖された口を開けるように命じられ、返答がスラスラ出てきた。
「そうか、そりゃ良かった。アイツの臭いがした時は亡霊でもやって来たのかと思ったが、なんだ元気に生きてんのか、しぶとい奴だな。どうだ、迷惑かけてなかったか?」
「迷惑なんて……わたしたちはランガルさんに助けられました」
「へえ、人族嫌いのアイツが人族と魔族をな。弟の成長は兄として鼻が高いな」
ニヤニヤと笑う顔。
彼は笑いながらさらに質問をしてきた。
「こいつはアイツから貰ったのか?」
こいつ……彼が手に持っているのは、カニスから爺様と呼ばれた獣族からと手渡された崩牙とか呼ばれていたロングナイフ。
「卒業の記念として、立派な戦士の証と……頂きました」
「……………」
途端……彼の顔から笑いが消えた。
あれ?さっきまでの明るさが消えた。
なにか不味いことを言ったのか?
話題を変えて世間話で乗り切るか。
「それにしてもお兄さんがいたんですね!その、ランガルさんには色々とお世話になりまして……」
「…………そうか」
彼は手にしていた崩牙をこちらに投げた。
「縄を解け、リュカス」
ロープが迅速に斬られ、拘束されていた手が自由になる。
目の前の彼から溢れ出す闘気……戦わなければならないと本能が言っている。
「リーシア、下がっていて」
勝てるか、勝てないか、曖昧な次元だ。
ただ言えるのは、僕程度では真意を測れぬほど強大である事。
どちらにせよ、本気でやらなければ絶対に勝てない相手というのは分かる。
「獣族の戦士に弱者は要らねえ。ましてや、腰抜けなんざ強者に食われるのが道理だ。果たしてお前に、崩牙を担う資格があるのか、試させてもらう」
そう言って、彼は腰に携えていた剣を引き抜いた。
真剣……刀身に僅かな紫紺が宿る、美しき刃。
周囲が緊張の息遣いに変わる。リーシアから、リュカスから、カニスから。
『金神』ルイズワックが獣族との盟約の際に渡した3本の魔剣……崩牙、羽牙、そして白牙。
これら3本は特別な獣族に与えられる代物。
1本は戦士長に。
1本は後継者に。
1本は獣神に。
魔剣・白牙を携えるは、獣の長。
『獣神』ラリアス・ルシアン。
剣を構えた。
真剣での試合……否、試合の枠に収まらない、死合。
獣神には殺意がある。弱い者は殺される、当然の摂理だ。
ここで死ねば、ただそれだけの話。
動いた。
これは殺し合い。合図はない。
初手から全力で行った。
魔闘法『疾風速』。最も得意とする技で勝負に決めにかかる。
その動きは、戦士長リュカスをも驚愕させる速さであった。
スピードの1点において、かの『赤狼』ランガルを彷彿とさせる疾風。
風を切り、空を切る速度。
両手で振られた崩牙。
子供の腕力、獣族の戦士に及ぶものではないが、魔剣・崩牙の性質は相手の『闘気』を無視した肉薄にある。
どれだけ頑強な『闘気』であれ紙のように切り裂く性質。
『闘気』の及ばない生身で受ければ、いくら子供の力でも致命傷になる。
「何だこの程度か」
しかし、獣神ラリアスには通らない。
胸目掛け振り下ろされた刃が完全に停止した。
肉を切り裂けず、止まる。
否、それは肉にすら到達していない。
止めているのは……体毛。白銀にも似た輝きを放つ灰の毛は、魔剣の刃すら通さなかった。
「『閃光闘気』も纏えない……ランガルは随分、甘くなったな」
瞬間。
ムートは屋敷の外に転がっていた。
獣神の剣は輝く光の刃と化しており、誰にも悟らせない神速の一閃を以て一撃で終わらせた。
ラリアスは何事も無かったかのように剣を仕まい、元いた座に腰をかけた。
「嬢ちゃん、早く治癒してやらねえと呼吸できなくなるぞ」
「え……?」
「骨をぶち壊したからな、肺に突き刺さってる。早くしないと本当に死ぬぞ。それとも死んでいいのか?」
「は、はい!」
リーシアは急いで開きっぱなしの出入口からムートに駆け寄り、治癒魔法を施す。
死傷ではないが軽症ではない、重症であった。
しかし上位の治癒魔法でどうにかなる。ミッテルの最上位治癒魔法であれば後遺症も残らず全開できるレベルであった。
「な、何故生かすのですか!」
しかし、それに反発する者がいた……カニスだ。
今の発言は明らかにムートを生かすためのもの。
いや、そもそも獣神が本気であれば一撃で仕留められていた。
崩牙を盗んだ賊に対して、容赦などいらない。死こそ相応しいと思っていたカニスには到底受け入れ難い事実だった。
「カニス。誰に口出しをしている」
「……………」
荒ぶる獣を沈めるは、長たる獣。
カニスとて上下を知っている。幾度となく獣神に打ちのめされてきた。
押し黙るしかないのだ。
「リュカス。アレはベランの所に連れて行け。ランガルの弟子ってなら、アイツは快く面倒見るだろ」
「はっ。……崩牙はどういたしますか?」
「持たせとけ。今の見てわかっただろ、取り返そうと思えやいつでも取り返せる。ここらの魔物に殺されて愛弟に恨まれるのは御免だ。それから全員に伝えとけ、アレをこの里から出すな、と」
リュカスは静かに肯定した。
ラリアスは誰にも悟られぬほど小さく笑い、愉しげに口を弾ませた。
「ランガルの気に入りだ、オレも興味が湧いてきた。世に出せるくらいの、立派な獣族の戦士にしてやるから、覚悟しとけよ」
良きか悪くか、『獣神』ラリアス・ルシアンに気に入られた子犬。
弱き獣族の戦士は要らず、求めるは強さ。
ラリアスはムートを強き獣族の戦士にする事を定めた。
子犬を強き獅子にするため、獣の王は久々に心から愉快な笑いを見せたという。




