第32話 地動く
港町である第3防衛都市シスルに向かう道中……第8防衛都市サンソーも横目に入った。
しかしここは無視だ。
お金は余裕で、白金貨は7枚もある。
寄る理由はないし、胸騒ぎがした。
あの吟遊詩人には英雄になれると触れ込みを頂いた。
寄れと言われたがその後急いでいるなら寄る必要がないと切り返してきた。
信用するわけではないが、寄る理由も少ないので赴く必要はない。
善は急げ。
トゥールに繋がれ手網を勢いよく打ち付け、大地の揺れに蹄を合わせる。
障害物はない、今はただ走り抜ける。
*
2日後。
整備された国道は通行止めになっていた。
通ることはできない、エースクラン公爵の名において通過する事は固く禁止されている。
野営地のように複数の天幕が立ち並び、散らばる人々の顔が険しい。
道の真ん中には警備員らしき鎧を着た男が3人。
仕方ないと迂回を選択する馬車も多く、横を通り過ぎる御者の顔色はいい加減にしろと浮かべている者も少なくない。
指定日以内に届け物があるものがいるのだろう。
そういう者にとっては告知のない最悪の通行止めだ。
思いがけない足止め。
エースクラン公爵という事はSSSランクの依頼と何か関係があると思われるが……。
僕たちの順番が来て、こちらの質問も待たず険しい顔をした警備員が事情を口を開く。
「この道はエースクラン公爵によって封鎖された。別の道を使うがいい」
「通れないんですか?」
「無理だ」
非常に頑固だ。
強行突破以外は不可能。
その強行突破も、したらエースクラン公から反感を買って危ない事になりそうだ。
「迂回したら第3防衛都市には、いつ頃着きますかね?」
「シスルか……第26防衛都市の国道を使えば2週間も要らないだろう」
おうおう、1週間も長くなるのか。
かなり厳しいじゃないか、どうしてくれるのかね。
「どうにか通る方法はないんですか?近道などあれば……」
「そんなものはない。ここは何人も通すわけにはいかない」
警備員の男は持っていた槍を打ち付け威嚇してくる。
野郎!やる気か!?
子供相手だからと舐めている節がある。
ここは1発、痛い目に遭わせて……て、何を考えているんだ。
そんな事したらもっと行くのが遅くなる。
諦めて迂回するしかないか。
「すまんな。俺たちもこうするしかないんだ」
引っ掛かる物言いだが、申し訳ないのは本心だろう。
こちらも退かざるを得ない。
しかし約2週間となると厳しいな。2週間ぶっ続けで走るとなると一角馬といえトゥールの体力が心配だ。
あらゆる問題を向こう見ずにして北方大陸から行くしか……。
とりあえず僕たちは来た道を退き返す。
どう行けば時間を無駄にせず早く着ける?
裏道でもあればいいんだが……国道を使わずとなると逆に時間をかけてしまうかもしれない。
土地勘がない僕ではどうしても……。
「ムート。焦らなくていいんだよ、誰もムートを急がせたりしないから」
リーシアは些細な心の乱れにも敏感に気遣ってくれる。
なんて天使なんだ。
もうこのまま遅延させて天使とスキンシップ大会でもしようかな。
「ありがとう、リーシア。そうだね、焦らず、ここは力で解決しよう」
「暴力は駄目だよ?」
「もちろん、暴力はしない。ミッテル、聖峰教会の権力で何とかならないか?」
力とは腕が立つ事だけではない。
知恵や地位なども立派な力なのだ。
「そう融通が通るものではないですよ。今回はエースクラン公の独断による通行止めです。我々が立ち入る隙は残念ながらありません」
駄目でした。
あのミッテルもお手上げとなれば、この国道を通るのは不可能か。
無理矢理動かす事は出来ない。
別口を探すしか……
「あ……」
「何かあった?」
「いや、もしかしたらの話だけどね」
そういえばあの吟遊詩人が言っていたな、急ぐなら裏だと。
何度も言うが信用していないが、彼の言葉には一定の理があるとみていい。
裏……裏か。
裏道というやつだろう。
「地元には地元民しか知らない道というものが必ずある……はずだ」
*
予定外だが第8防衛都市サンソ―まで戻ってきた。
エースクラン公爵が統治する街、何が起きようとしているかなんて僕には関係ない。
ミッテルの馬番に置いて僕たちは情報捜索だ。
「何処に向かうの?」
首を傾けながら当然の疑問を投げかてくる。
土地勘がない僕も何処へ行っているのか分からない。
「僕が怪しいと思った場所に行くつもりだ」
「そこって?」
「分からない、が行先にあるとにかく怪しい場所に行く」
目を細めた呆れ顔をされた。
最近のリーシアは昔のようなムート全肯定が消えて素であろう中々に真っすぐな性格が見て取れる。
魔族であることも隠すことなく堂々としている。弱々しかったリーシアがだ。
成長を感じつつこのリーシアが僕を慕ってくれるという嬉しさで麺麭5個は平らげられる。
まあ裏がありそうな場所だな。
裏、裏……やはり裏と言えば路地裏。
しかし路地裏にはいい思い出がないんだよな。
路地裏じゃない裏があるところか、酒場か奴隷市場だな。
奴隷市場は……うん、やめよう。僕たち奴隷にされかけたしリーシアからしたら恐怖の対象だ。
路地裏以上にいい思い出なんてないところだ。
となると酒場が第一候補になるな。
悪い大人が屯ってそうな裏の酒場。
目についたところから入ってみるとしよう。
数分くらい歩けば裏がありそうな酒場が見つかった。
通りにしては人が少なく建物のせいで影ができる暗い道。
看板も民家についている名札のように小さい。
店名は『デッドパレード』。
死の祭りだとよ、こういう物騒な名前の店は本当に商売する気があるのか気になる。
営業はしている。
地獄へようこそ!ひゃひゃひゃ!とか言って連れ込まれるかもしれない……そっと、ゆっくり扉を開けて入店する。
「……いらっしゃい」
地獄へようこそはなく、中は酒場らしからぬ静寂が立て込んでいた。
店主らしき男の人がカウンター越しで暇そうにグラスを磨いて、こちらの存在に息を吐く。
お客様になんて態度だろうか、まあ酒も飲めないお子様ですけど。
店内は普通の酒場だ。
太陽が出ているが、構造上陽の光が入らないようになっていて暗く、僅かな洋灯しか明かりの元が存在しない。
昼なのに夜みたいなんて感想がリーシアから滲み出ている。
そういえば、リーシアはこういったところは初めてか。
男子会という名目でランスとミッテルとはちょっと暗めのお店に行った事はある。
まあ……楽しかった。
ミッテルの圧倒的な権力で衛兵による注意を描き消せたからな。子供でも楽しめた。
それはいいとして、誰も居ないので店主の真ん前のカウンターに陣取る。
「……注文は?」
「ミルク2杯でお願いします」
酒場に来てまでミルクを頼む餓鬼の客に心底から嫌な顔を曝け出す。
愛想のない店主だな。
よく酒場を切り盛りできたものだ。
客は客、店主は文句は言わず搾りたての新鮮(かどうかは分からない)ミルクをグラスに注ぐ。
「それにしても酒場なのに静かですね」
「昼時に酒場に踏み入る奴なんざ、仕事がない屑か全部失った不浪人だよ。騒々しいのが欲しいなら夜に来な」
話しかけられた事に眉を細めながらも返答に店主は答える。
そんなのまるで僕が全部失った不浪人みたいな言い方じゃないですか……僕はあながち間違えじゃないか。
「ミルク2つだ」
「ありがとうございます」
ササッと用意されたミルク、手際はいいな。
長年やってきた手腕のお陰だろう。
喉を鳴らしながら疲れが溜まりつつあった口内を潤す。
「う……」
唸るような声が出た。
何だこのミルク!?ほろ苦い、本当にミルクなのか疑う、これで300ゴルはぼったくりだと思うな。
これなら値段以上の見返りを所望してもバチは当たるまい。
口内にある液体を飲み込み、話すべく一息つく。
苦味が口を支配する。水が飲みたい……。
お冷くらいサービスで出してくれないのか。
「っ」
グラスに入っているミルクに波紋が現れたと同時、少し揺れた。
本当に少しだ。気にしていないと気が付かないほど小さな揺れ。
それ自体は特段問題はない。よくある事だからな。
この程度なら安心できるし、やるべきは情報収集だ。
「それにしてもですよ、街に活気があまりありませんでしたよ。人が離れてでもいってるんでしょうか」
「さあな。ここらのごろつきは一斉に消えていったからな。エースクランの公爵様が腕のいい者を集めてるって話だ」
来た。
情報だ。
エースクラン公爵が人を集めている。
その情報は僕たちも持っているが、もっと詳しく知りたい。
「エースクラン公爵は何で人を集めているんですか?」
「……………」
眉をくの字に曲げる店主。
ミルクしか頼んでないのに情報を聞くのかと思っているんだろう。
ならばこちらもとことんまでやってやろうじゃないか。
「ミルク追加でお願いします」
300ゴルとチップ1000ゴルを送金。
情報料……と捉えてくれたのか、店長は何も言わずに1300ゴルを受け取りミルクをグラスに注ぐ。
「さあな。なんでかは知らねえ、興味もねえ」
1300ゴルでこれか。
言っても1300ゴルだもんな……3000ゴルで大はしゃぎしていた詩人が変だったんだ。
普通はこういう情報料は万くらい払う方が良いだろう。
それでも黙りせず答えてくれた店主さんは良い人だ。
と、ミルクが来た。
頼んばいいけど、あんまりいらないんだよな。
リーシアにあげよう、僕の奢りだぜってカッコつけて。
……これだと押し付けているようなものだな。大人しく自分で飲むか。
店主から情報を引き出すためには、やはり金を積むしかないのだろう。
船代は残しておきたい、出せる金はあまりないが、10万ゴルくらいは……。
「あの……ひとつ聞きたいんですが、国道を通る方法はありますか?」
その前にリーシアが口を開いた。
何故僕が単刀直入に聞かないのか?と自分から切り出す。
昔のリーシアならこんな事は絶対にしなかった。ここでも成長が見れて嬉しい。
じゃなくて、リーシアが聞いてくれた今が時だ。ここで10万ゴルを出して情報を聞き出す!
「国道を通る方法……エースクランの公爵様が数週間前から通行止めしていてないさ、通る方法なんて」
「通行止めでも、商売はできてるんですよね?1週間以上遅れるのに、夜はちゃんと営業できてるって店主さんは言いました。なら、納品はちゃんと間に合ってるんじゃないんですか?」
……………確かに、不便はなさそうだった。
営業が危ういなら、短縮営業や昼は閉めたりそれこそ休業してもいい。
だがこの酒場は平常運転でやっている。
つまり閉鎖されても大丈夫という事だ。
よく見てるなぁ。いやでもひとつ閉鎖されたくらいで他のところから交易してくればいいだけなんじゃ……リーシアの推論を間違えと言いたいわけではないが、ちょっと的はずれなのではないだろうか。
「それにこのミルク、鮮度もなくてほろ苦い……魔陸牛のミルクですよね。魔族が飼育している牛だから……この大陸だと航路を使った貿易でしか仕入れできない、ですよね?」
ミルクの味なんて分かるのか……魔族であるリーシアなら魔族が育てているミルクの味は分かるのか。
……てことは、リーシアって……
手応えがあったのか店主の背が止まる。
「嬢ちゃん、本当に妖精族か?」
「わたしは妖精族じゃなくて魔族で……」
店主の顔が厳しくなる。
魔族である事は悪手かもしれない……なんて杞憂はすぐに消え去る。
「……そうかい」
何事もなかったように仕事に戻りながら、口を半分だけ開き。
「俺は知らねえ。ただ、そういう裏道を知ってる奴は居る。シーネンっていう情報屋なら、そこらの事情も知ってるだろうがな」
貴重な情報を頂いた。
情報屋、確かにそう言った人種なら裏道を知っている可能性はある。
というか、第3防衛都市シスルから仕入れるとなると裏道がなければ新鮮なミルクなんて届けられっこない。
今回はリーシアの機転で助かった。
穴を見つけるのは得意だと自負してたんだが、あんまり僕の探査能力は宛にならないらしい。
今後のコミニュケーション担当はリーシアにしてもらう方が良いかもしれない。
腹の探り合いよりも素直に聞けるリーシアが印象良いだろう。
「……ミルクご馳走様でした、美味しかったです」
リーシアがポケットから銀貨を1枚取り出して、グラスと共に店主に渡す。
情報料の追加投資、お金は信頼と信用の証だからな。
「まいど」
立ち上がり店を後にする。
まるで独り言のように、客帰しの言葉をかける。
「それにしても、リーシアと話し合った瞬間にちゃっちゃと進んだよねえ。もしかしてそっち系の趣味があったりしたのかな?」
「失礼な事は言っちゃ駄目だよ。それにあの人は、なんというか魔族に偏見の目がなかったからさ。『デッドパレード』っていうのも、昔いた魔王の事だよ」
それは初耳。よく知ってるなあ、リーシアは。
魔王デッドパレード……英雄譚好きの僕でも聞いた事ない名前だ、誰かの異名の可能性もあるだろうか。
ふざけた名前だが、魔王だから強いんだろうな。
「だから魔陸牛?だっけのミルクを使ってたんだ」
「魔族が好きなんだよきっと」
リーシアは嬉しいそうにはにかんで笑った。
魔族好きには悪い人が居ないという事だろう。
駄目だ、駄目だよ!魔族を好んで捕まえる魔族コレクターとか居るかもしれないから、魔族好きでも注意しないといけないよ!
お嬢ちゃん魔族なのかい?おじさんは魔族が好きなんだ、とか言ってくる奴に着いて行かないよう、しっかりと僕が守ってやらねば。
リーシアに不埒な目を向ける奴は近寄らせない!僕以外は進入禁止です。
リーシアは僕が守るとしていいだろう。
やるべき事はリーシアを守ることだけじゃない。
情報屋の捜索だ。
情報屋の名前はシーネン。
聞きこみ調査開始だな。
情報屋が名前を明かしていいのだろうか、流石に偽名か、シーネンで伝わると思うが、容姿とか聞いておけばよかったな。
*
2時間ほど捜索し、シーネンという名の情報屋を見つけた。
黒いコートを羽織ったザ・情報屋といった風体の男だ。
隠す気が無さすぎる。自分が情報屋である事を隠していない。
情報屋と接触できたことでお望みの情報は得られた。
商人やらが使用している秘密の通路というやつをだ。
地図で場所を細かに聞いたので間違える事はない。
報酬は色をつけさせてもらった。
社会において金は信用の証。積めば積むほど相手を信用している事になる。
信用には信用で、そう簡単に依頼人の素性は明かすまいが念押しだ。そもそも情報を扱うプロとしてそんやヘマしないだろう。
お陰で僕の財布からは白金貨が消えた。
船代が足りるかな、少し心許ない。
大丈夫だとは、思いたいが……。
足りなければミッテルから貸して……いや、彼は危険だ。
10日で10割なんて何処でも聞いた事ないような利子つけて返せとか言ってこないとも限らない。なんか言いそうだ。
おふざけで言うが後から本当にしてきそうで怖いので、彼からお金を借りるなんて事は絶対にしない。
ここから先は足元見て使わないとな……。
「……まただ」
人通りが少ない道を歩いている最中、不意に体が揺れた。
体だけではない、地面が小刻みに震え対策されていない建物も同じように揺れ出す。
決して弱いわけではないが気にするような大きさじゃない。
「大丈夫だと思うけど、少し揺れたね」
彼女の耳はピコピコ上下運動している。
可愛い。食べちゃちいたいくらい。
じゃなかった。こういう事は今までもあった。
四大陸で地面が揺れることは何ら不思議じゃない。どこ行こうが揺れる時は揺れる。
地中で蠢く存在により大地の層が揺れ動く。
まあこの程度の揺れならば危険はない。
「まあ海に出たら気にもならないし早く行こう」
それでも危険は避けるべきだ。
あんなのと鉢合わせるなんてごめんだね。
*
国道を使えなくなった場合、もしくは国道の警備員を撒くために使われる秘密の通路。
国道を使わずに国道並みの快適さを誇るという話だ。
国道沿いにある森に入り、西の方へと進ませる。
森は木々の背が高く物を隠すには最適なのだろう場所……しばらく行くと西方大陸特有の生命力の溜まり場である巨大湖があるので、向こう岸まで渡り、南へと進路を変える。
と、そこで山が出現するのでその山道を使う。
整備されていないので危険だが、山の中間地点にある洞窟を使用する。
洞窟には蝙蝠の類はいるが魔物はいないので安心との事。
そして洞窟を抜けると、あら不思議、1面に広がる特別な野原があるではないですか!
何故あの行き方で辿り着けるのか、謎は謎である。
これが裏道。
整備されていないが、野原ならば駆け抜けて行ける。
国道並というのもあながち違うとは言いきれないなこれは。
「よくこんなところ隠し通せるよな」
「情報統制が素晴らしい証拠ですね」
確かに良い事だけど、それが裏の事となると一概に良いと言えない。
利用させてもらっている分際で何をほざいているんだという感じではあるがな。使える物は使おう、そうしよう。
それにこの裏道があるお陰で助かっている人たちもいるんだ。悪い事だけじゃないのなら見過ごす事だって正しい行いではないわけじゃない。
設けられた楽な道のりを使わせもらおうじゃないか。
御者はミッテルに任せ、僕はリーシアとお楽しみを……
「お、おお……!?」
地面が大きく揺れた。
立ち上がる事すら不可能なほど、大きく、そして全ての物が揺れた。
野原だから安全だったが、街ならば甚大な被害が出ていたであろう巨大な大地の動き。
ここまで活性なものは初めてだ。
おっと、横から柔らかい女体の感触が。
リーシアよ、そんなにくっついてくれるなんて嬉しいぜ。
流石の彼女もこれだけの揺れは怖いという事だ。
大丈夫、僕がついているから怖い事はない。
一方でミッテルとトゥールは凄く余裕だ。
ミッテルはともかくとしてトゥールは……凄い大人しい。
こんな大事になれば普通の一角馬は錯乱なりしてもおかしくないというのに、トゥールは平気そうに堂々としている。強いな我らが愛馬は。
しばらくすると揺れはピタリと止まった。
「止まった……のかな?」
顔を上げキョロキョロと辺りを見渡すリーシア……そんな目で見てもわかるまい。可愛い挙動をしてくれるものだ。
「ええ、止まりました、ではトゥールお願いします」
「ミッテルは切り替えが早いな……」
「気にしてもしょうがない問題は多々あります。今回もその例に漏れず、気にしたところで手遅れならそれまでです」
怖い事を言ってくれる。
まあここをちゃちゃっと抜ければいいだけの話だ。
そう何かあるわけでもない……お?旗が立ったか?まさか、そう簡単に旗がポンポン建設できる労力と費用はないさ。
ちょっと怖がったリーシアの手を握り、馬車を揺らしたトゥールの走りが再開される。
走り風が妙に涼しく感じる。悪寒というべき何かが走り抜ける。
外れて欲しい勘は、欲しくない時に当たってしまうものだ……。
数十分後……前から馬車が走ってきた。
灰色の毛並みの一角馬を使った一台の馬車。
人に出くわすとは想定してなかった。
どうしよう、ここで捕まったりしたら。
「アンタら、まだ子供か?ガキだってのに、この道を使うなんて相当なワルだな」
そんな事はなく、お互いの馬車は一時停止し御者台に乗る気安いおっちゃんが話しかけてきた。
同業者というわけではなさそうだ、荷台には大量の荷物がある何か危ない物でも運んでいたりして……検索したら処されるかもな。
「ええ、子供ですが、何かご不満でもありましたか?」
「いんや、最近は揺れるからな、気をつけろって忠告するだけだよ。他人の生き方に文句はつけねえさ、説教垂れるだけの人生は送っちゃねえからな」
ミッテルの問いに意外な答えを返したおっちゃん。
わざわざ忠告してくれるとは、いい人だな。その分忠告代でお金を、とか言わないだろうか……言わないか、どこぞの守銭奴吟遊詩人とは違う。
当たり前だが、いい人はいい人なんだ。
「ご忠告ありがとうございます。貴方も気をつけてください。ここら辺は魔物も少ないですが、用心に超したことはありませんので」
「ガキに心配されるほど鈍っちゃねえさ。それに頼もしい用心棒もいる」
用心棒……荷台に乗っている2m超の男の事だろう。
恐らく巨人族。用心棒としては一流だな。なんせ戦闘種族、心配に値しない戦力だ。
会話はそこらで互いの目的もあるので馬車は交差して別の目的地へと向かう。
裏道を使ってるからって悪い人だけじゃない。
それを改めて実感した。
そもそも地元の商人らも使用するのだから、裏道と言っても国が指定していないだけで立派な道と言えるはずだ。
裏だ、裏だと忌避する必要はほとんどない。
もっと堂々と使って良いのだ。
いや、堂々としすぎるのも良くないか。
裏は裏、裏と言えば良い思い出がない。
よし、謙虚にいこう。人に出くわしたら道を必ず譲る、これくらいした方が良い。
「お、わっ!?」
今までにないほど巨大な揺れ。
地盤がひっくり返りそうな轟音と視界の歪み。
否、歪んでいるのは自分ではない、世界が歪み軋んでいる。
こんな事は初めてだ。
流石の僕も全身の血が恐怖で暑くなる。
ただリーシアを守らんと彼女の手を握る。ミッテルは絶対平気という安心感がある、守るべきは彼女。
しかし守ろうにも守りきれない。
大地が揺れ動く衝撃とは強大。時に神位の魔法を思わせる轟音と破壊の圧倒さを見せつける自然の脅威。
大きな衝撃……そして直後、空から飛来した物体が眼前に落ちる。
事前に察知していたミッテルは手網を引き寄せ、トゥールを上手いことを急停止させた。
トゥールもトゥールで異常事態を判断し迅速に言う事を聞いた。
まるで落石のような衝撃と土埃……目を覆いたくなるような土風を腕で払いながら……視た。
先程まで、生きていた命が消えている。
馬車と馬、荷台と荷物、人の跡。
つい先程会話をしていた相手が原型を留めない形で倒れている。
治癒魔法でもどうにもならない、即死の跡。
次の瞬間……昼から夜に移り変わる。
比喩にも思える馬鹿げた光景……しかし世界が暗く染る。
慌てて太陽がある方角を視認し……息を飲み……絶句した。
ああ、やっぱりだ。
裏はこれだから嫌だ。厄介ごとに巻き込まれる。
いっそ開き直って裏路地に入り事件を解決していく方が手っ取り早く英雄になれるかもしれない。
そう思うほどに、運がなさすぎる。
天高く昇る昼の陽を隠すは、
巨大。
巨体。
強大。
空をも埋め尽くさん黒銀の鱗集。
一本、永遠と続く広大な大地の如き体躯。
知らぬ者ならば、山と見間違えん容態に、人は神に祈りを捧げる。
この脅威から救いたまえ、と。
12の獣、この世で最も恐れられし魔なる物のひとつ。
蛇の冠を思うがままにせし、蛇竜ならざる、これこそは大地の長。
奴が動かば、世界が動く。
世界が動かば、奴が動いている。
『地進』のふたつ名に偽りなし。
十二屍獣──『地進』のベルク・ヴェーゲン。
世界最大の巨体を持つ魔物。
「蛇っていうか……もう竜でしょ」
呟きと交差するは瞳。
巨体故の高見であれ、こちらを視認する蛇目の精度は如何程か。
大きさが大きさ、その分の目も測り知れないほど巨大。下手な家ひとつ収まらん巨大な瞳が細まり、蛇に共通する独特な舌なめずりをしている。
だというのに、誰も動けない。
蛇に絡まれた感覚が全身を這い、手足どころか指の1本、口すらも開かせない。
蛇に睨まれた蛙。その表現と状況が合致する。
目を動かしリーシアとミッテルを視る。
動けずに、ただ呆然と山の如き存在を見上げている。
トゥールすらその動きを停止している。
逃げられない。
乾いた目を瞬きで潤す……唾を飲んで喉を鳴らす……有り得ないほど息が荒くなる……………あれ?僕、動けてるじゃん?
気づいた時、行動は早かった。
視線を切るため2人の頭を手で押さえ付けながら、御者台に飛び乗っていた。
「トゥール!」
止まるよう指示していたトゥールの手網を打ち付け、急発進を命令する。
嘶きが時間の停まった世界を動かし始め、馬車を大きく揺らす。
その直後、
大地が動いた。




