間話 世界の動向
聖皇歴517年──世界の何処か。
世界は夜空の色に染っていた。何処を見渡しても、空があり無限にも拡大した宙の彼方が存在している。
最中に輝く極点の数々は、地上で仰ぐより明瞭に映る。
凡そ、常なる世界の形ではない。
完全なる丸の形、漆黒の白銀の彩りをした真球とされる非物質の中にある狭間の空間。
空間に存在するのは、一目荘厳たる椅子と侵入を許された男のみ。
彼を象徴する清純なる銀髪、先が視えぬ深紫の瞳。
気に入らぬ皇たる衣類を身に纏い、外見年齢20前後であるというのに溢れんばかりの王者の気迫を立ち上がっていた。
この者こそ、世界の王である。
そう言われたとしても信じてしまうほどの覇気……否、輝かんばかりの王気がある。
「ちっ……」
忌々しげに口元を鳴らしながら、一指で宙を動かす。
宙の縮図の如き天体盤を自由自在に動かし、星すらもその手で回転させる。
世界など狭い範囲ではなく、宙の彼方すら我がものとしているかのような圧巻の光景だ。
「最悪だな。何をしようと変わらない、1度決まったものを覆すのは骨が折れる。しかし、オレが動くのも道理にならん。理由がなければ平らかなる時代で動く事はできない。……全く、何故オレが雑事をせねばならん」
天を仰ぎながら、息を吐き捨てる。
彼にとって世界の命運は他人事、いつ滅びようが刻が来たと認める他ない。
しかし平和は望んだ結果にあるべき真実。
かつて世界の平和を手に入れんと奮闘した者として、この場よりただ見下ろす事しか出来ないのは何よりも苦痛であった。
さりとて、この役割を果たさなければドン底に突き進む運命へと変じる。
降りることは許されず、魔神との戦い以降──自らの意思で戦う事は1度たりともなかった。
「頼るべきは部外者──慮外の相手、か。運命に縛られない者の観測は容易ではないのだがな」
愚痴を叩きながら星を動かす。
天球が動かば、世界も動く。
物凄い勢いで流れる星々に映し出される情報。
ある者の生と死の1頁。
ある者の出会いと別れの1頁。
ある者の戦いと平穏の1頁。
ある者の幸福と不運の1頁。
ある者の快楽と苦痛の1頁。
流される情報は、ある者の運命。
人が辿る始まりと終わりを示した星──これ即ち世界が記録している魂の座。
暗黒を埋めつくさんばかりの星々の全てが、今を生きる人々の魂である。
移り変わる情報群を前にし、天道に迷いなく。
世界にとって重要な要素を流し続ける。
「ブレるな、これだから部外者は嫌いだ。……ふむ、赤髪、朱眼……英雄願望……笑えない冗談もあったものだ」
肩を竦めながら見なかった事として済ませ、星を動かし続ける。
ある時は、白髪の魔族。
ある時は、英雄の末裔。
ある時は、疑心の信徒。
ある時は、祝福に呪われた子。
ある時は、未来を落とした少女。
ある時は、牙を失った狼。
ある時は、戦火に身を投じる王女。
ある時は、目指すべき理想の皇帝。
ある時は、黒色に塗れた赤色。
しかし、何処を視ようともブレる。
つい10数年前まで観測できていた運命の全てが移り変わらんと流転している。
「ここまで、変わるものとはな」
暫くして、椅子を軋ませながら席を立ち上がる。
観測主が不在となった座は機能を停止し、元の暗い空間へと変わる。
「お疲れ様でした」
「ああ……」
傍に佇む女がお手本のような礼をする。
500年以上付き従ってきた黒髪の天女。
感情を一切表には出さず、ただこの地の主である男に従う。
天女に導かれるよう、唯一の出入口である階段を昇る。
ひとつの足音が響く御階……瞬きをすれば瞬間に転移の要領で光景が移り変わる。
当初は心を躍らせた光景だが、今では500年の間見続けた天上の風景。
世界は夏季に突入しながら、吹き荒ぶ風は身を凍らせん。
夜空の星々が近く、雪のように白き雲が下で湧き出る。
この地は空中に浮かべし、城塞庭園。
広がるは草木が繁る庭園、街並みの大きさに建てられた建築物は支配者にしか操れない特殊建築、そしてその中央に在るのは世界最高峰の建築技術、『金神』によって手掛けられた黒曜の城。
地上から見れば浮遊大陸として映るであろう前人未到の大地。
だが、地上からは星の如き赤き極光を発する聖なる星。
伝説に曰く、『聖皇』アスタルが死後星となり見守ったと言い伝えられている、人星アスタル。
しかして、ごく一部の真実を知るものからは、また別の呼称でこの星を呼ぶ。
神造遊星庭園アトラス。
517年前──当時の『星神』が『聖皇』アスタルに送った、世界と切り離されし新たな天体。
世界をより長く、より強く、より確かに、円滑に進める『星神』の任を分担するために造られた架空天体。
そう……この地を統べる者こそ、『魔神』エオルゼアを打倒した七聖傑の1人──『聖皇』アスタル・リスタ。
『魔神殺し』の立役者、平和なる世界を齎した、星の管理者である。
彼は決して、動きはしない。
天上の王として下界の雑事に身を晒す事はない。
いつか来る出番のため、今はただ星を見守り続ける。
それが例え……この星から平穏がなくなろうとも。
今はまだ……『聖皇』が動く事はない。
*
聖皇歴517年──北方大陸、精霊山の中枢。
精霊山は、西方大陸と北方大陸の境目に存在する巨大な生命領域。
生命力の濃度は常人が嘔吐を催すほどであり、この地の魔物は多大な生命力を浴び強大な存在へと変する。
Aランク以下の魔物は精霊山に存在しない。
世界の生命力が漏れ出している精霊山は、Sランク以上の冒険者にしか侵入が許されていないSSSランクの危険地帯である。
そのSランク冒険者ですら安易に踏み入ることはない。
世界で3番目に危険な場所と呼ばれているが……魔界や魔境などと呼称される場よりも明らかに危険、精霊山という名に誤魔化されるがその実態は世界で最も過酷な山である。
空を見上げれば、竜が飛んでいる。
竜種。
小型の竜であれば賢く飼い慣らす事も不可能ではないが、中型ましてや大型となると危険度とプライドが跳ね上がる。
赤い甲殻に身を包んだ赤竜。
青い鱗を輝かせる青竜。
天空の雷を纏い飛ぶ黄竜。
中位竜種に分類される大型の飛竜種はSランクの魔物だ。
練度と連携が高いSランクパーティですら壊滅しかねない怪物が一頭の竜の下層を羽ばたいている。
竜種はプライドが高く基本的に誰かに従うことはない。
しかし、此度ばかりは違う。
圧倒的な格の差が、彼らを下と決定づけた。
複数の飛竜の上空に座すは、夜闇のような黒き鎧を連想させる鱗を見に宿した黒き竜。
上位竜種に認定されているSSランクの魔物──黒衣竜。
群れをなさない飛竜種を束ねる竜の王。
ただ1点、強さという野生において絶対的な格があるからこその王である。
Sランク冒険者ですら身を引くほどの魔物である黒衣竜の下を……まるで王など居ぬものとして歩いている存在2つがい
1人は女。
山岳を歩くには足取り悪く旅慣れしていない華奢な少女。
黒髪、黒目と東方人の特徴と合致する成人にも満たない17程度の少女。
チラチラと上の飛竜に視線を送り気にする様からは、とても精霊山に訪れていい存在ではないことを示している。
しかし、もう1人、そこに居た。
堂々と自分の下を通り過ぎんとした獲物を見定めた黒衣竜は自らの翼を降下するため休め、圧倒的な体躯で大地を踏み付ける。
『─────!!』
天地を揺るがさんばかりの強烈なる咆哮。
耳から全身を震え上がらせ、心臓すらも止めかねない轟音の威圧。
自身が頂点であると決定した世界の理を謳いあげるような傲慢の哮けり。
それは事実……Sランクの冒険者であろうと黒衣竜の咆哮を聴けば戦意を喪失する程の覇気がある。
「ひぃ……」
恐れで怯える女の姿を視界で確認した黒衣竜は、自身が上位の存在であると確信した……のも束の間。
女の前に立っている男は全くと言っていいほど黒衣竜に恐怖していない。
黒衣竜は本能で感じ取る……目の前の存在は自分に注視すらしていないと。
プライド高い竜種を束ねるに足る存在である黒衣竜にとってそれは侮辱以外の何物でもない。
燃焼器官の生命力を滾らせ全身を熱で染める。
体内が爆発的に燃え上がり、行き場をなくした熱が竜の口を出口と認識して噴き出てきた。
それはもはや熱の言葉で片付けられない炎の嵐。
速度を持った火炎の吐息が大地を赤色へと変えていく。如何に最上位の魔法使いが水魔法で相殺しようとも焼け石に水にしかならない高火力。
それだけの超高温を前にしては脆弱なる人族は溶け消えるしかない。
圧倒的。
黒衣竜は圧倒的に強い。
それが常識の範疇であるのなら、圧倒的であろう。
1秒後。
黒衣竜の首と胴体に直径5mの穴を開け絶命した。
死体となった黒衣竜は精霊山の生命力に変換される。
上空からその様子を観察していた飛竜はその光景に怯え、目下の存在が去るまで地上に降りることはない。
上位竜種は人が決めた階位の中では聖位に匹敵する怪物だ。
だというのに、目の前の男は黒衣竜に一切の意識も割かず始末してみせた。
天位でもそのような芸当はできない。
少なくとも神位……もしくはそれ以上の位がなければ聖位に該当する黒衣竜を片手間で処理するなど不可能だ。
「……………」
異常な光景に疑問を浮べる者はいない。
その者が最上であると理解した……してしまうしかない。
女もその絶大な強さに慣れきっていて何か言うことはない。
蒼銀を散りばめた髪に星を縮小して嵌め込んだかのような金色の瞳。
英雄譚にて語られる……七聖傑に数えられる『天龍』と同じ特徴を持つ男。
しかし『天龍』グランダラサとは全く異なる点がある……圧倒的な覇気。
全身から溢れ出さんばかりの生命力は、視る者に刃物を詰め込んだような感覚を与えるだろう。
それだけの威圧感と絶対性がある。
彼は宙の彼方を見上げ、金色の瞳を蛇のように細め傾ける。
「……お前が言っていた男の星が動いたようだ」
「分かるの?」
「観測をひとつに絞れば、運命の動向を見通す事は容易い。奴を視れば、些かブレるがな」
顔を憎らしげに歪ませる男。
あの黒衣竜と戦いながら全く別の事を並行してやっていたと思うと女の口端から呆れから来る白い息が零れる。
とはいえ、目の前の存在が何より優先して自身を思いやっての行動をしたかを知っている女にとって、圧倒的な力の湖を無視し笑えてくる。
「何処に居るかまで分かる?」
「西方大陸だな。近いが、どうする?」
顔から感情は見て取れないが、確実に自分を気遣ってのものだと少女も確信する。
故に、まだだ。
まだやるべき事が残っている。
信頼には信用で返すのが筋だと少女は言い聞かせる。
「いいえ、いいわ。どうせ行っても、まだ早いんだし、貴方の足を無駄に使わせるのも不本意だわ」
「……そうか」
男はそれ以上なにか問うことはなく、ただ足を進める。
ここ数年共に旅をしているが、会話らしい会話はなく談笑する事もないが、実に有意義な数年であったと女は想う。
やれるだけの事をして、未来への繋ぎを強く結びつけている。
その手応えがある。
この人とならば、上手くいくきっと上手くできている。
男が向いていた方を、彼女も向く……。
視線の先が本当に西方大陸かも彼女には分からない。
それでも遥か遠くの存在に向けて、想いを馳せる。
同じ空の下に居る、確かな人へと声を紡いだを
「ムート」
今はもう、何の意味も持たない言葉を……。
*
聖皇歴517年──乖離大陸。
「むむむ……む、むむ……むぅ??」
わざとらしく唸りながら、本人は真剣に唸りを上げ目を遥か彼方へと向ける少年が居た。
横目で見れば豪華な黒色の見た目とは裏腹に、ボロボロとなった衣服は没落した王族を思わせる。
少年……と言ったが、この世において神にも並ぶ程の悠久の年月を生きた存在。
人であり魔、人族から魔族となった不可思議なる存在。
かつて世界の半分を手にしかけ、初代『魔神』に喧嘩を売り、愚かだが一種の超越者たる存在。
人魔王と呼称される事が多く、10万年で積み重ねた『百銘』を轟かせる魔王。
『魔帝』、『黒の王』、『臓物の主』、『霊冥の神』、『聖魔複合者』、『魔界の異物』、『魔剣の貴公子』、『大陸の覇者』、『死撒く皇帝』、『破壊の魔王』、『お笑い野郎』etc……………
彼が残した名は、人族では到達しようがなかった百を越す年月にて達成された者。
人族でありながら魔王となった者、『人魔王』オルフェン・ランジャス……その成れの果てである。
「視え、たああぁぉぎゃあ!?」
彼の眼に一瞬赤い何かが飛び込んだ瞬間……視界が何重にも重なり、遠くを見通していた眼が引き戻される形で瞳に衝撃を加えた。
オーバーリアクションにも思えるぶっ飛びで背後へ転がった。
そんなオルフェンに待っていた岩石が、頭に激突し頭蓋を割り脳髄に突き刺さる。
即死。
頭から致死量の血を流したオルフェンは、新たな功績を積むことなくその生を終えた。
……わけもなく、致命傷を負ったとは思えない速度で起き上がり空を睨みあげる。
「おのれ!この視界はルイズワックの魔眼殺しだな!?何が魔眼殺しだ、魔眼以外の物も防ぐとか卑怯だぞ卑怯!魔眼殺しの風上にも置けん!赦さんぞ、我をここまでコケにした馬鹿は奴で1936人目だ!絶対に殺してくれるわぁ朴念仁ッ!!星を視る我が眼さえあれば貴様の居場所など容易く解るわ!首を洗って待っていろ……何処だぁ、何処に……見つけ、たぁぁぁあああぁっっっ!?ごべぇ……!?またか!お前も魔眼殺しかぁ!絶対に赦さん!八つ裂きにして細切れにしてズタズタに引き裂いて再生してくれるわ!」
ここにいない知人を害すると言いながら、それをするだけの力を失った魔王は傷が治ることなく、血を垂らしながら新たらしくなった道筋を歩む。
草木なき荒野をただ歩く。
役目を無くしたオルフェンは、生きる目的を見つける事なく死ぬ事もない。
ただ永遠を生き、最期を視るため今日も生きる。
世界がどう周り、どのような終着点を迎えるのか。
単純な興味故に……
『人魔王』オルフェン・ランジャスは生き続ける。
*
聖皇歴517年──ガルシアの大森林──ムートたちの目的地。
昼ならば必ず日光が照らす。
夜ならば必ず月光が照らす。
世界が雨雲に包まれる嵐の時であろうと、必ず光が差し込む知恵の樹。
神聖な雰囲気を出しながら、自然には造られない扉と12の窓はその場が人の住む場所である事を示してもいた。
広大なる自然の運河であるガルシアの大森林でも、最も大きな存在感は放つ木──知識樹エディンサピア。
その名は大森林に住む1部の種族にしか知られておらず、巨大故に目印として迷う事がないというのに侵入を許可された権限ある者しか辿り着けない不可思議な樹木。
その中でも毎日のように通う影がある。
桃色の短髪から覗く長耳……一目で妖精族と分かる見た目をした、人族の肉体年齢で見れば15にも満たない少女でありながら数百年を生きた老齢の魔術師。
名を、フロリア。
ガルシアの大森林で知らぬ者は居ないであろう妖精族だ。
「起きていらっしゃいますか、先生?」
扉を叩きながら呼んでも返答はない。
特徴的な尖り耳を立てながら、中から出てくる気配がない事を確認しドアノブに手をかける。
「開けますよ、先生。私は言いましたからね。先生が起きてないのが悪いんですよ、本当に開けますからね」
2度確認に3度確認、意味のない事と分かりながら扉を開ける。
立ち入る自然の匂いと古本の無臭、心地よい調和がなった空気を感じながら眼前に居る存在に目を向ける。
大図書館と言っても指し違いない、自然と合わさった天然の古本館。
地上から15mほどにある棚の本が宙で散らばり、床なき足場で身を委ねた少年を見上げる。
「起きてるじゃないですか、返事してください」
「良いも悪いも聴きやしねぇだろ。居ると言っても押し入る、黙ってても押し入る、どっちにしろ一緒。なら起きてても黙ってる方がいいだろ」
「印象的な問題ですよ。それだから1人なんですよ?」
「知るか。誰かと関わるなんてごめんだ。俺は俺だけでいいんだよ。小言ばかり、お前は俺の母親かよ?」
「先生の母親……居たんですか?」
「居るだろ。親が居なくてどうやって産まれんだよ」
横目でフロリアを見下ろし、すぐに本に視線を落とす金色の少年。
人族で言うところの12前後の体格、フロリア同様に一定の年齢に達した際に成長が止まる妖精族である彼に覇気はなくフロリア程の妖精族が敬いの言葉をかける必要性はないようにも思える。
「先生。ラリアス様から要請がありましたが」
「無視だ、無視。ラリアスは貪欲さが足りねぇからアレなんだよ。知識も食い潰す覚悟じゃなきゃ神の座なんて務まらねぇ」
「全知全能が聞いて呆れると言っておりますが?」
「残念はテメェだ犬畜生とでも言っとけ」
4代目『獣神』ラリアス・ルシアンに対して、不敬な言葉を投げられる存在がガルシアの大森林に何人いるか……いや、1人しかいまい。
『全知全能』──アルフィリム。
「それによぉ、ラリアスは俺に感謝すると思うぜ?今のうちに溜め込んどきゃ後にいい思いができる。俺の知識を求める奴ってのは、案外多いからな」
全知の眼が見据える先は、ひとつの真理。
渦中になき少年を映し出す事とて……出来てしまう。
燃えたぎらん赤色に髪を染め、西方人の顔立ちをした平凡な10代前半の男。
綴られた名前には、家の名はなく、まだ何者にも染まっていない。
「楽しみにしてるぜ、ムート。お前の運命がどう転がるか……長生きしてるが享楽ってのは退屈させてくれない。先が視えないってのは嫌いだがな」
そして、彼を中心とした物語が展開される。
どのような作品になるのか……先の道が喜劇か悲劇か、未だ誰にも分からない。
神でも獣でも、英雄でも知らず。
綴られる物語に最果ては存在せず、時が流れで1頁が記される。
終点に、何が起こるのか、意味を持たぬ観覧者は彼の人生を見届ける。




