第30話 後悔のない選択
あれから、1日が経過した。
昨日までの幸せに満ちた空気はない。
淀んだ空気が、部屋を満たす。誰かがため息をついて更に空気は悪くなる。
そのため息を悪く言える者はいない。
ため息は、1人の少女によるものだ。
少女──リーシアは、この中でもっともムートと長い付き合いであり、血の繋がりはないが家族のような存在……とリーシアは思っている。
故に、ムートの悲しみを誰よりも理解していた。
一方で、他2人は達観していた。
ランスとミッテルの2人は人死の現場を知っている。
特にミッテルは、なんの気負いもなくいつもと変わらぬ平常を保っている。
幸せからどん底に落とされることなんて、この世界に生きている限り訪れるかもしれない可能性だ。
彼はそれを何度も見てきた。
無慈悲にも、親族を奪われ孤独となった者たちを多く知っている。
「よくあることですよ、こういうことも」
紛らわすためかミッテルはそんなことを言った。
よくあること……両親が居なくなることを、ミッテルはよくある事と宣言した。
「よくは……ねえだろ。急に両親が、いなくなるとか……」
ランスは否定するが、顔は引き攣り完全に否定はしきれていない。
彼もまた、親が唐突に居なくなる話には覚えがある。
彼の父親が同じような状況に合い、一時期は天涯孤独の身であったと酔っ払った父から聞いていたからだ。
実際に目の当たりにしたのは、今回が初めてだが、唐突に親しい人が死ぬという覚悟は冒険中に何度もしていた。
しかし結局は他人事。
ランスが覚悟をしたところで、ムートにその覚悟があったわけではない。
「よくあるんですよ」
付け加えることはなかったが、ミッテル自身が母を早くになくした事も加味しての言葉である。
妙な説得力があり、誰も否定はできない。
そもそも否定したところで状況が好転するわけでもない。
よくあるから、気にするななんて口が裂けても言えない。
ムートの悲しみはムートの物で、同じような状況に誰かが到っても彼の気持ちは絶対に誰も分からない。
そのことを思うリーシアの顔は暗く、上を向いた。
木目がしっかり映る天井、何枚かの板を介して彼がいる。
ムートは昨日から2階の自室に引きこもっていた。
今は1人にさせるのが1番ということで、誰も彼を部屋からだそうなんてことはしない。
今はただ、彼の心が晴れるまで待つことしかできない。
その事にリーシアは奥歯を噛み締める……。
隣に寄り添うと言いながら、今の自分は何も出来ていない事に腹立たしくも喪失を知らないリーシアにかけられる言葉がない。
だからため息が出てしまう。
「彼はもうすぐ乗り越えるでしょう。私的にも、彼には頑張ってもらわないと困ります」
「そんなの、無理だよ……」
あまりにも無遠慮。
そう簡単に乗り越えられるはずがない。
ミッテルに何が分かるというのか……少なくとも、リーシアには知り得ない想いがあるのは確かだ。
それ故に、リーシアはこみ上げてくる言葉を一言で収める。
「いえ。彼は乗り越えなければならない。理想のためには、小数の犠牲を黙認しなければならない」
ムートの理想。
英雄になることが夢で、今も夢に向かって頑張っている。
武勇を高めるために努力している。
3年。
3年もムートを見ていれば、英雄の夢がどれほど大きいものかはリーシアも理解出来る。
大きくて苦難の連続だから、リーシアもムートと隣で支えると言った。
「不特定多数の命を救う代わりに、一方の少数は切り捨てなければならない。英雄なんて、そんなものですよ。美談と語られるのは英雄譚であるからであり、実際は救えない命もある。彼が英雄を目指すならば、同じ決断をされる。彼は英雄になる代わりに、両親を捨てなければならなかった。道を選んだのは、ムートです」
それは、確かに正しい。
でもムートはその選択をさせられただろうか?
両親がこうして居なくなると知っていれば、英雄になる選択しなかったのではないか。
ムートは何の選択肢も与えられず失った。
しかし人生は問題用紙ではない。どちらかを選べばどちらかが転ぶことは分からない。
常に答えが見えていない中で、選択を強いられる。
どう足掻いても、ムートが選んだ答えにしかならない。
「まあ彼なら乗り越えるでしょう。英雄になるしかない。悩んでも結局はそうなるんですよ、彼は」
話は終えたとばかりにミッテルは椅子から立ち上がり、彼はリビングから玄関に繋がる廊下の方に赴いた。
何処へ行くのかと問うより前に、ミッテルは、
「少し出てきます。町長や近隣住民であればムートの両親の行方がわかるかもしれません。私たちはもう居ないものと仮定していますが、案外息子捜索のために家を空けているだけという可能性もないわけではないので。行きますよ、ランス」
俺もかよと顔に出しながらもミッテルの指示に従うランス。
レッドウルフに年功序列なんてものはない。
誰が優れて誰が劣っているかなんて存在せず、全員同列の扱い。
彼らは今出来る事を自分の手でしようとしている。
ムートのためになる事を……リーシアもムートのために出来る事をなそうと足を伸ばそうとしたが、それをミッテルが言葉で静止する。
「リーシア。貴女はここにいてください。神は手を差し伸べません。全てにおいて平等で不平等に何も与えない。結局のところ、救済とは人の手で引き起こされる奇跡です」
言っている意味が理解できず、分かりやすく首を傾げる。
神や宗教の事はさっぱりでミッテルが何を言っているか分からない。
しかし呼び止めた意図は何となく理解した。
この家に留まっているのは、今のムートから目を離せないからだ。
自暴自棄になって暴れるかもしれない。
生きる気力をなくして自死を選ぶかもしれない。
そうなった時に止められるのはこの3人しかいない。誰かは絶対にムートを見ていなくてはならない。
ランスとミッテルが外に出るなら、必然的にリーシアがその役目を担う事になる。
役に立てるならと盲信していて、本当に大事な事を忘れかけていた。
リーシアは自分の考えのなさと役立たなさに歯痒い思いを募らせる。
「神がどうこうの話……聖職者として駄目だろ」
そんな事は露知らず、ランスは的確な突っ込みを出す。
もしかしたら……空気を和らげるためにやった行為だったのかもしれない。
ランスはそういう男だから。
「はっはっはっ!多様性を容認してくださるのも神ですよ」
神は信じないが、神を出汁にして正当性を得る。
全くもってミッテルらしいやり口だ。
レッドウルフのいつもらしさにほっとする。
リーシアも気分が微かに晴れ、自分に出来ることをしようという気持ちが生まれた。
何をすべきか……昨日からの飲まず食わずのムートにはまず喉を潤してもらうのが良い。
扉を開ける必要はない。ノックして水筒の差し入れを扉の前に置くだけでも役には立てるはず。
リーシアに少し足りなかった覚悟が埋まる。
*
ランスとミッテルが街に出ていってから約30分ほど。
決意を込めてムートの家にあった古いお盆を持って、2階への階段を上がる。
お盆の上には冷やした水筒とスープが入った筒。
台所があったため準備に手間どることなく調理を終えることが出来た。
味は薄めだが昨日なにも食べていないことを考えると、味が濃くなく胃に負担がない方が良い。
なんだか昔を思い出す。
わたしが熱を出した時にムートは同じような物を部屋に持ってきてくれた。
味の薄いスープ……単純に料理が下手で味が薄かっただけだけど、胸の奥底から温まったのを覚えている。
思い返せば、楽しい記憶ばかり出てきて……ムートが暗い顔をしたのは1度だけだった。
ランガルさんのお家で暮らすことになった初日に……ムートは泣いた。
帰りたいと、子供のように泣いた。
わたしは知っている。
本当はムートもわたしと変わらない子供なんだって知っている。
子が絶望に陥った時、1人ではどうにもならないと知っている。
わたしが、牢の中で絶望して彼に助けられたように。
辛い時は、誰かが助けないといけない。
わたしの役割はきっとこれだ。
30分考えてミッテルの言いたいことが分かった。
ムートに手を差し伸べてあげないといけない。
足取りは重い。
覚悟と決意は、1歩毎に失われてしまう。
砕けていく気持ちを新しく固める。
自分にしか出来ない。そんな増上慢を起こすほどムートにはもう誰もいないから、わたしがやるしかないんだ。
歩く度に床が軋み、ムートは近づいていることが分かっているかもしれない。
気づけば扉は目と鼻の先……勇気を持って扉を叩く。
緊張で乾いた口内からは、あまり大きな声は出てくれなかった。
「ムート。ご飯とお水……持ってきたけど、いる……?」
返事が返ってくる事はないかもしれないけど、声掛けはする。
「リーシア……?なんで……ああ、昨日から摂ってないもんね。わざわざありがとう、ちょっと今手が離せないか、入ってきていいよ」
「え……?」
思いがけない言葉に腑抜けた声が出た。
入っていいと言われるなんて思わなかった。
わたしとしては、もちろん嬉しい。
扉前で慰めることも視野に入れていたから、中に入って面と向かって話せるのならそうするべきだ。
お盆が落ちないように片腕と胸で挟み、残った腕で恐る恐る扉を開けた。
*
「なに……してるの?」
リーシアの声。
開口一番が疑問であった。
多少の震えがある声色は、完全に思考の裏側の疑問であることが分かる。
気にしつつも、僕は剣を振る。
部屋の中では降りにくいが、素振りをする程度なら障害にはなり得ない。
「はあ……、はあ、訓練だけど……?」
息が上がっている。
まだ限界ではないのだから剣を振れる、
「なんで……違う、1回止まって!汗が凄いから、そのままじゃ風邪ひいちゃうよ!」
リーシアが信じられないものを見たような顔で近寄ってくる。
何かの拍子に手元が狂ってはいけない、こうなっては剣を降ろし彼女を受け入れるしかない。
余計なお世話……だが、善意だけのリーシアに言えるはずがない。
汗をかいているのは事実だ。
人の体は水分を消費しすぎると脱水症状で目眩や吐き気が起こってしまう。
その中で剣を振るのは流石にこたえる……いっそ、優れない状態で追い込み続けた方が良いのかもしれない。
駄目だ。それはリーシアを心配させてしまう。
水があるなら受け取って水分補給だ。
しかし、リーシアは水が入っているであろう筒が乗ったお盆を机に置き、彼女だけで僕の前に立った。
目線は下を向く。
僕とリーシアは身長差が年々増えていっている。
頭ひとつ、彼女が下だ。
自然とリーシアの目線は上目となり、訴えるような眼をした。
「今は、休んだ方がいいよ」
唇を噛んで何かを我慢しながら、僕の手を握ってくる。
相変わらず冷たい。
剣を振りすぎたせいで僕の体が暖かくなっているだけかもしれないが、ひんやりとしていていつもよりも冷たく感じた。
「休んだよ」
「嘘つかないで……。ムート……全然いい顔してないよ?」
「そうだね……ごめん。無理はしてる……でも、こうするしかないんだ」
彼女の手を振りほどく。
本来ならこんな事しない。けど今は彼女との時間すら惜しいと思えて仕方ない。
リーシアの表情は、どうしようもなく納得がいっていなかった。
同時に、顔元が震えている。
今にも泣き出しそうな顔だ。
たまに見るが、自分がこれにさせたと思うと申し訳なさでいっぱいになる。
「なんで?」
振り絞るように吐き出された声に覇気はない。
攻めているわけでもなく、不安からの心遣い。
なんで、か。
リーシアには分からないんだろう。
「僕が英雄にならないといけないからだよ」
なるんじゃない。
ならないといけない。
英雄になれなければ、この結果に意味が持てない。
あの日、僕自身が英雄になる道を選んだ。
あの路地裏に入らない選択もできていた。
当然の代償だ。
僕は、両親を捨てる事で英雄になる事を決定づけた。
運命は定めた。
大多数を救って、極小数を切り捨てる。
そんな英雄の道を進んでいる。
ならば、立ち止まる理由はない。
1秒でも長く剣を振り、魔法を極め、英雄と呼ばれるだけの武力が必要だ。
凡庸である者に、立ち止まる時間はない。
始まりの地点が違うだけで、走り続ければいつかは追いつける。
常に前を視続けるしかない。
だというのに、
「違う。それはムートの夢じゃない」
リーシアは否定してくる。
今まで従順に僕を肯定してくれた存在にすら突き放された。
腹の中から湧き出るのは、嫌な感情だ。
左眼が、ズキリと幻傷を訴える。
「何が、違うんだ……?」
「ムートは、ならないとって言ってるけど……誰もそんなこと求めてない。英雄になることを強要しているのはムートだけ……だから、無理をする必要なんてないんだよ。今のムートは楽しくなさそうで辛そうだから……ムートの隣には立てないよ……」
最終的な目標に変わりはない。
道を僕が勝手に険しくしただけで、それは僕の問題……………じゃないか。
彼女は僕の隣に立つことを誓った。僕だけが突っ走ったら、彼女は着いて来れない。
歩幅を合わせることはできない。
リーシアは無理矢理にでも、僕の夢に付き従おうとしている。
嬉しくもあり、悲しくもある。
今からでも飛びつきたい欲望を堪える。
いち早く、英雄にならなければならない。
誰かにかまけている時間はないんだ。
……リーシアは英雄の道には邪魔な存在。
「……じゃあ、隣に立つ必要なんてないんじゃないか?どうせ、元からそんな気もないんだろうしね」
「……何で、そんなこと言うの。見捨てたりなんてしないし、隣に立ちたいとも思ってる。わざわざ突き放すような言い方をして……わたし、何か悪いことした?」
「嘘ついてるじゃないか」
「わたしは……ムートに嘘なんて、つかないよ」
「魔族であることを黙ってるのに?」
「……!」
全身が震えて怯えたような眼をリーシアは突き刺してくる。
……驚き、困惑、戸惑い、そして恐怖。
僕には一切向けてこられなかった敵意の眼差し。
彼女は身を竦め、後退りをしながら腰にかけた杖を手を伸ばしている。
傷つけてこようものなら即座に反撃できる体勢だ。
「……知ってた、の?」
それでも冷静に、僕がムートであることを彼女は理解している。
だから対話を試みようと言葉をかけてくれる。
この優しさに、何度縋ったことだろうか。縋ることになるだろう。
「知ったのは少し前だ。なんで黙ってたの?」
わざと冷たく言う。
決意が揺るがないうちに彼女の方から突き放して欲しい。
「……嫌われると思って……」
嫌う?
僕が、リーシアを、嫌いになる?
そんな事は絶対に起こりえない。
例えリーシアが世界の敵になろうとも、リーシアだけの英雄になると誓えるほどには好きだ。
だから、今すぐにでも僕を諦めてもらいたい。
僕の身勝手にこれ以上付き合わせるわけにはいかない。
「ごめんなさい。こうして、嘘をついていれば、ずっと居られると思って……いつかバレることなんか分かってたのに。いつか言おうって思ってたのに、騙していたらずっとこのままかもしれない。そう思ったら、言い出せなくて……わたしは、ムートをずっと騙してて……この日常が終わるのが、怖くて怖くて仕方なくて……」
涙が零れている。
頬を伝う雫に後悔した。
ああ、駄目だ。駄目なんだよ。
そんな事をされたら、僕の決意は簡単に崩れる。
自分から撒いた種。身から出た錆。
なのに、前言を撤回してしまいそうになる。
英雄にはならなくちゃいけない。
その気持ちは変わらない。ならないと、失った意味がない。
家族の終わりに、正しさを与えられない。
これは僕が選んだ道だ。
だけど、その結果に彼女が居る。
英雄になる事を決定した道半ばに、リーシアは居てくれた。
それを手放そうとすることは間違いじゃないのか……。
荒野を走り抜けんとする勢いが失速した。
幻想で幻覚、理想の道のりが遠のく感覚を覚えた。
ここでリーシアを見捨てて英雄になるか。
ここでリーシアに支えられ英雄になるか。
どちらが早いか。効率的か。確実か。
何周も巡る思考に終わりを所望する事は出来ない。
人は前を向いて、道を歩み続けなければならない。
いつか来る終わりに向かっていかなければならない。
その道中で、大切な物をなくしても後戻りはできない。
だからがむしゃらに走り続けるしかないと思っていた……。
でも、隣に居る。
まだ大切な物が居てくれている。
彼女を手放す選択はできない。
今度は悔いのない選択をしたい。
選ぶのはいいが、後悔だけはしたくない。
「わっ……」
気付けば、リーシアに抱きついていた。
暖かい。
汗のせいで身体が冷たくなっていて、彼女の体温がどうしようもなく心地よい。
……抱きしめる腕に、力を込める。
決意であり覚悟、もう手放さないという誓い。
肌が熱くなる。
僕かリーシアか、どちらもか。
吐く息が熱く、潤んだ目が訴えかけてくる。
僕にならいい。
そう言っている。
「ごめん。酷い言い方した……」
「ううん。気にして……ないことはないけど、許してあげる」
彼女も腕を背で絡め僕を抱きしめた。
汗で濡れた身体が張りついて、抱きとめる感触は密着し肌を熱くする。
ふと、目に入ったお盆。
持ってきてくれたのに冷めてしまう……まあ、いいか。
今はこの時間が何よりも大切だ。
「よいしょ」
「わぷっ」
名残惜しさを感じながら腕を外す。
もう終わり?という表情を下から向けられては、終われるわけがない。
子供だからって誘惑に勝てるわけがない。
ということで、彼女を抱き抱えベッドに直行。
汗とか関係ないね。リーシアがいいならいい。
久しぶりの添い寝、いつもよりも密着した体。
大人ならここでキスのひとつでも落とすものなんだろう……英雄譚で見た。
しかし何かしようというという気にはなれない。
「やっぱり疲れた……」
何時間も素振りをして体は限界に近い。
心もボロボロの状態で、身体まで疲れを訴えるほどの疲労が溜まっていては、何も出来やしない。
休まる時に休む事が大事だ。
「お休みなさい、ムート」
……ここに居たい。
……もう失いたくない。
僕の選択は終わった。
この先を決定する選択が終わった。
運命がどのように歪曲したのか、苦難と困難が入り交じって報われることはないかもしれない。
けれど、後悔はない。
2度と、僕は後悔しない。
今度こそ守りきってみせる、と誓う。
例え夢が潰えても……リーシアのためだけの英雄にだってなってやる。
変えられない運命がある。
*
何時間ほど経っただろうか……外は赤く染まり始めていたから、6時間は寝ていたと思う。
寝起きでリーシアの目にして、寝起きのリーシアのあどけなさで2度癒されて清々しく起きることが出来た。
天使。これに尽きる。
汗のせいで体も布団も水浸し。
体を拭いて、布団を一緒に洗濯する。
その時の笑顔は忘れはしない。
結局僕にはリーシアが必要だった。
彼女だけだ。
もう守りたいものは彼女しかいない。
腕を大きく広げても彼女しか覆えないのなら、必死に覆って守ってみせる。
11歳にして生涯を共にするパートナーだけが唯一の良心とは……我ながら人生の厳しさに参る。
僕がこの世界で1番不幸なんじゃないかと考えるほどには、ボロボロに打ちのめされている。
しかし立ち上がらければならない。
これからも、今までのように頑張っていこうと思ったばっかりだ。
ということで、レッドウルフのパーティメンバーを集めた。
これからの事を話すために。
2人は夜になる頃には戻ってきた。
当分使われていなかったであろう洋灯で明かりを確保する。
つくか不安だったがついてよかった。
戻ってきた2人は特に驚いた様子もなかった。
「男は女を与えておけばなんとでもなるんですよ。あ、これ持論です」
13歳でなんて持論を展開しているんだミッテル。
いや辛いことがあればリーシアの胸に飛び込めばいいと思っている僕も大概だな。
苦労した分だけ母性に甘えたくなる。
女性にしかない母性は末恐ろしい。アレは1種の薬品のように、抜け出せる気が全くしない。
経験者は語る。
ミッテルもそういう事があったのかもしれない。
孤児院に居る奥さんとかに。同類かもな。
後でそれとなく聞き出してみよう。
ランスとミッテルの2人はわざわざ聞き込みに出ていたらしい。
それは本来僕が真っ先にするべき仕事だった。
給料は出せないが2人には感謝している。
2人が探してくれた、無駄にはできない。
僕には聞く義務がある。
3つしかない椅子に座りランスだけ立たせて話し合いを始める。
前置きはいらない。
僕が聞きたいのは、何が起こったかの結論だけだ。
その事をミッテルに伝えると、すぐさま本題へと入った。
「結論から言いますと、貴方の両親は貴方を探すために家を出ました」
探すため。
後悔したかと言われると後悔した。
が、まだ希望はあるという事だ。
確実に死んだというわけでもない。
「具体的に……何処に行ったかとかは、分かってないのか?」
「はい。家にある物を売り払ってそれを旅賃にした事くらいしか。町長さんやご近所さん、それから利用した商人さんから特定して話を聞きこんだので間違いありません」
行方不明。
ここから北か、東か、南か。
それすらも分からないとなると捜索のしようがない。
利用した商人すら特定したミッテルなら、移動手段さえ分かれば追跡も出来そうなものだが……それを言わないということは分からないのだろう。
「あ、あとこの家は数年放置されていて町長さんも困っていらしたので、聖峰教会の方で買い取らせていただきました。管理は聖峰教会負担で、名義はムートにしておりますので一応貴方の持ち家になりました」
「あ、ありがとう……?」
根回しが上手だ。
もう帰りを待つ人は居ないが、家があるのは何だか嬉しい。それが実家なら尚更。
11歳にして家を持つ事になるとは……成り行きで持ち家が出来てしまった。
成り行きで持ち家ってなんだよ。
ていうか、そこら辺勝手に変えられるものではないはずだ。
あまりよく知らないけど、僕が相続人という判定でいけたのだろうか?
「脱線したままで悪いんだけど……それって大丈夫なの?」
「権力と富。ルーンの隣国であるサミエントは機嫌を損ねるような事は簡単に出来ないのですよ」
何はともあれ聖峰教会は恐ろしい。
彼らに逆らえる存在は、この世で聖イリアのみなのだろう。
それはいい。続きが欲しい。
「聞き込みの結果……ムートの両親が出ていったのが、3年ほど前のようです」
3年前……僕が誘拐されてまだそこまで時間は経っていないのに捜索に出たことになる。
そこまで僕が恋しくて必死になってくれている、それは嬉しい。
だが、そんなに急ぐ人だろうか……。
まずは冒険者ギルドに捜索依頼を出すのが主流のはずだ。
冒険者であったお父さんがその考えに至らないわけがない。
しかしそんな話、この街に着いてから一切聞かない。
もちろん、3年も経っているのだ。依頼取り下げになっていてもおかしくないからおかしくはないんだけど……そこは聖峰教会だしなあ。
何か情報を取っていそうなものだ。
「3年前、流石に早いですね。冒険者ギルドに聞きましたが、ムートという少年の捜索依頼は出されていないようでした。父方は冒険者であり捜索依頼を出さない可能性はないと思われます」
あ、ちゃんと確認したのか。
やはり頼りになるなミッテル。
しかしそれでは疑問がひとつ生まれる。
何故?出さなかったのか……その事について、ミッテルが話さないはずがない。
彼は必ず情報を手にしてくる男だ。
「そこで、とある存在が関係しています」
空気が変わる。
緊張から、息を飲んだ。
それがリーシアにも伝わったのか、膝の上にある手を握ってくれた。
優しい子だ、こんな子を突き放そうとしたんだよ僕は……なんて馬鹿なんだろう。
「あらゆる人に聞いて情報を集めたんですよ。苦労しました、褒めてください」
「流石です、ミッテル神父」
ただでは終わらない男、期待にはなるべく応える男、それがミッテル・ニニア・カードナー。
「いや、教会に居る聖峰教徒を権力で使っただけだっただろ」
なるほど。
結局は権力か。
それをさも自分の功績のように語るとは……汚い男だ、ミッテル。
口には出さないがな。
それで助かっているのも事実。
「それは言わないお約束ですよ」
裏切られたなミッテル。
ランスは素直な男なんだよ。
コホンと誤魔化すように咳き込み、続きを促すように話を再開する。
「実はですね、貴方が居なくなった……おそらく数日後でしょうか、近所に住んでいるナトリオさんという方が貴方の両親に接触する謎の男を見たようです。そこから気が変わったかのように、貴方の両親は出ていった、と」
それは怪しすぎる。
絶対に犯人そいつだろ。
「他に情報はないのか?」
「ああ。俺たちも直に聞いたんだが本人曰く何も覚えていない、というより思い出せないってよ」
また怪しい。
それは逆に自分が犯人ですと言っているようなものだ。
3年も経っているから忘れている可能性もあるが、何も思い出せないなんてことあるのか……。
「男でムートの両親に接触した、これ以外は思い出せないと。大まかな髪色や身長も何もです。ほら、怪しいでしょう?」
うん、怪しい。
「そういう魔法かも。幻覚魔法……この場合は催眠魔法で普通の人の記憶から忘れさせるようにしてるのかもしれない」
天才リーシアの考察。
多分当たりだ。リーシアが言うんだから外れなはずがない。
「私もそう思います。……実はですね、1人だけ犯人の候補があるんですよ」
リーシアの考察に便乗してか、ミッテルも考察したらしい。
リーシアほど確かではないが、聞くに値する言に違いあるまい。
犯人が誰か、候補が居るなら聴いておいて損はない。
身構えていたはずが、
ミッテルは衝撃的な一言を発する。
それは聞き捨てならない、こんなところでは聞くとは思いもしなかった単語だ。
「魔の手、ではないかと私は睨んでいます」
魔の手。
吸血鬼チェスタを使い僕たちを襲った……
敵だ。
*
翌日。
家を発つ。昨夜大掃除を済ませて、別れを告げる。
帰る家だが2度と帰ってこないかもしれない。
悔いは残らぬよう別れはするべきだ。
「行ってきます」
もしかしたら親が帰ってくる事も見越して手紙を残して、町長から頂いた新たな鍵で扉を閉める。
ちなみに扉はミッテルが直してくれていた。
建築技術持ちらしい。彼はいったい何を目指しているんだ。
トゥールを迎えて、レッドウルフは次の冒険に出る。
人の感情を理解している彼女は僕の弱気に気づいてかなり甘かった。
撫で続けても文句は言わない。
いい子だなあ、リーシアのライバルになり得るかもしれない。
ないな。うん、獣は好きだけど恋愛的なのは普通に違う。
ロサの街を後にする前に、ご近所さんに挨拶もする。
あのムートくんが大きくなったねー!という反応がほとんど。
何処もこんなものだ。
行きつけの店でゲベークを買って、3年ぶりのロサの街ともお別れだ。
目下の目標は3つ。
両親の捜索。
リーシアの故郷を探す。
魔の手と呼ばれる敵の見定め、相容れなければ打倒。
何から手をつければ良いものか……それは昨夜もう決めた。
全てを並行して進める。
その為には次なる目的地に辿り着く必要がある。
のだが、
「俺はここらで行くわ」
街道を歩いている最中、唐突にランスが口にした。
ロサの街で別れるんではないかと思っていたが、あまりにも唐突すぎた。
1年間一緒だったのだ。
まだ、共に冒険したいという気持ちはある。
しかし僕たちとランスの目的地は真反対になってしまう。
着いてくとしても、どちらかが時間を膨大に消費する必要がある。
限られた時間しかない人族にとって、それは無駄に出来るものではない。
「そっかあ、分かってたけどランスの事だから付き合ってやるぜとか言ってくれるかと思ってたよ」
そこまで考えてはいない。
ちょっとだけ、言ってくれるのではないかと希望として思っていた。
「俺だってついて行けるなら行くけどよお……時間かけすぎると親父が……」
だがランスにも目的があるんだ。
これ以上、僕たちに付き合う道理はない。
1年間ともに旅をした仲間であるという理由だけで捨て置ける目的じゃないんだ。
「両親をなくした僕に次は友達が居なくなるんですか……」
「そんな言い方されたら行けねえだろ……」
「冗談だよ」
ランスに手を向け、別れの挨拶を求める。
彼は何も問い質さない、僕の手を握り硬い握手を刻む。
出会いも握手、別れも握手。
男は自分の手で語るものだ。
力強い、ゴツゴツとした戦士の手だ。
立派な戦士になるために修行に出るという話だが、そんなことはない。
もうランスは立派な戦士だ。
彼が居なければどうにもならない問題もあった。
剣として約立たずでも盾として重宝した。
ランスなしで冒険を順調に進めることは不可能だった。
「ランス、ありがとう。君のおかげで、人に慣れることができた」
「お、おう……練習台かよ」
「優しい練習台だったよ」
最初はぎこちなく、今では笑い合える。
嫉妬しちゃうよ。
それ以上リーシアに近づくのはやめていただこうか。
「ランスくん、頑張って」
ミッテルは適当だな。
実はミッテル、ランスと一番仲が良かった。
首がもげた兄に似ているとのこと……首がもげた兄?
ミッテルは死んだお兄さんの影をランスに見ている……のかもしれない。
そんな黄昏れる人ではないんだが、少しだけ思うところがあるんだろう。
「じゃあ、またな。お前の両親の事で分かったら、レッドウルフ宛に手紙でも送るわ」
「ありがとう、ランス。またね」
また。
また会えるだろうか、きっと会える。
ランスは強い、簡単に倒れるような男ではない。
レッドウルフの名があれば彼は気がついてくれる。
また会える。
ランスと別の道を行く。
僕は南に、ランスは北に。
正反対の目的地を目指して。
ランスならもっとぐずると思って……いや、そう言ってほしかった。
怖いからついてきてほしい、そう言ってほしかった。
そうすれば彼と共にいる理由が出来る。
しかしランスは言わなかった。
彼もまた覚悟を決めて目的に突き進んでいる。
僕が止まる理由はない。
振り返りはしない。
ただ前を進む。
次に振り返った時には、もうランスの背中はなかった。
お互い、次の旅に出たんだ。
次の街でパーティメンバーの手続きをしないとな。
ランスは今日からソロ……やっていけるだろうか、保護者さながらの不安が積もるが大丈夫だろう。
彼も初心者は卒業したんだ。
彼を心配する必要はない。
「それでムート、次は何処に行くの?」
「リクリス都市同盟から航路を使って南方大陸に行く。北方から行ってもいいけど、クラシアウスの件もあるし高くつくけど西方から南方に向かおうと思ってる。リーシアはいいかな?」
「わたしはいいよ」
「南方で情報が得られそうなんですか?」
「うーん、噂程度だけど噂でも頼る方がいいかなって」
単純に行きたいというのもある。
「ガルシアの大森林」
ガルシアの大森林。
北方大陸と南方大陸を分つ文字通りの大森林。
多種多様な種族が住んでいる亜人種の楽園。
その起源は獣族の祖たる『獣神』ガルシアの手によって作られた神の森。
「大森林にいるとされている、伝説の妖精族……全知全能のアルフィリム。全知なんて呼ばれてくらいだから、リーシアの故郷も魔の手の事も何かわかるかもしれない」
こうして、僕たちの旅は転換期を迎えた。
終わりは新たな始まりの序章である。
この選択に後悔はない。後悔はしない。
しかし、迎え入れてしまう不安がある。
この旅は、一筋縄ではいかない。
そしてその終点にあるのは、決して良いものではない。
そんな曖昧な確信がある。
第2章 ~完〜