第24話 レッドウルフVS吸血鬼 前編
赤い、紅い、朱い、赫い。
いつも視る光景だ。
赤い。赤く染っている。
一面、真っ赤。
おかしい……赤が、揺らいでいる。
寝起きなのか、目眩を起こしているのか、視界は揺らいでいる。
音もする。ごうごう、ごうごう、と……絶えない騒音に悪態をつきたくなる。
寝かせるなら、寝かせてほしい。
いつもと事変る眺めに、頭が痛くなる。
「……ト……………ー……!」
……何か、音がした。
雑音なのだが、雑ではない。
今1番聞きたい声だ。ずっと、聞いていたい。
意味のない言葉でも聞いていたい。
こんな音が世界にあるとは……世界も捨てたもんじゃないな。
英雄になりたいだけなのに厳しい世界なんて、もう嫌だとか思いかけていた時にこれは生きる気力になる。
「ム……ト……………ート!」
僕の名前を呼んでいる。
なんと都合の良い。これは妄想だ。
こんなに僕に都合が良いことなんてあるわけがない。
夢だ、夢だな。
夢だし起き上がる必要もない。
この音色を聴きながら眠りにつくのもまた一興かな。
「起きてよ!死んだら、わたしも死ぬよ!?」
「起きます、起こさせてください」
『瞬動速』を上回る速度で起き上がる。
目の前に彼女がいたらぶつかるかと思ったが、そうはならなかった。
ていうか、死なせられない。
後追いとかしてほしくない。
僕が死んでも生きていてほしい。
僕のことを一生引き摺ってほしい。
誰とも付き合わないでほしい。
割と情けない男だな僕って……そうはならないよう頑張ろうと思う。
いつの間にか外に放り出されていた僕は、炎により灰と化した物体が網膜を傷つけている……水魔法で目を洗いながら何とか目を凝らして状況を確認する。
赤く視えのは左だけではない、右も同様に映している。
目の前の宿屋であったものを中心に火の手が回り、辺りに飛び移った炎が更に炎を焚き付ける。
確か……奴だ。
吸血鬼。地下で遭遇した奴が部屋に侵入して……何もすることができず、灼熱の炎が僕たちを襲った。爆発したかのような衝撃で、気絶しまたのか。
ならどれほど寝ていた……?
リーシアは傍にいるが、ランスとミッテルが居ない。
状況が理解できない。
住民は避難できているのか。
考える事が多すぎる。僕が掬える数はあまりにも少ない。
考えて、考えて、優先順位を明確にしろ。
まずはリーシア。リーシアをどうにか離脱させて、冒険者ギルドに協力要請をする。
それか、聖峰教会でもいい。
ここからすぐに教会がある。あの組織なら吸血鬼の対抗策があるはずだ。
そうと決まれば、立ち上がるしかない。
自分がどこまでできるか分からないが、せめてできることは……
「私の『火焔運河』を受けて生きているとは……人族はいつから虫のようにしぶとくなったのだ」
声がした方を視る。
上……僕たちよりも3mほど高い床。
僕たちが泊まる予定だった宿部屋、灼熱により木壁が焼け落ち中が丸見えになっている。
時間はそこまで経っていないのか……奴はまだそこにいた。
……軽やかに、多少の高さなど意図にもせず奴は降り立つ。
距離は16m。近づこうとはしない。
火、炎、火炎の手は距離をものともしない。いくら十数mの距離でも、一瞬で焼き尽くす。
僕が見たのは2度……1度は獲物を絡めとるような、範囲を広げた火の河。
そして2度目……奴は真の狩人となり獲物である獣を絶命へと追いやる、全てを火葬する火の海。
1度目のものは対処できる、しかし2度目の炎は無理だ。『逆光』でも払い除けられる気がしない。
火魔法でも尋常ではない……最上位でも上の方をいく火力であろう。僕はあれ以上の火炎というものを見た事がない。
空模様は、いつの間にか黒に染っている。
黒煙と合わさり月の光すら介入する余地がない。
火の赤さと暗闇の空……明るくも暗いという、奇妙な夜だ。
夜が、到来した。
吸血鬼は、日を嫌い月を好む。
そういえば、800年前の戦いでも……吸血族は夜に襲いかかることしかしなかったという。
800年前、人族と戦ったのは吸血族ではない……
奴らだ。
800年前……神の力を持ちえなければ、人族は勝てなかった怪物。
それが吸血鬼。夜闇の信徒、月光を浴びる暗き血溜まり。
夜は、まだまだ長い。
陽の光が上がるまで待つことは無理だ。
迎撃しかできない。
「リーシア。俺が引き止めるから、今すぐ冒険者ギルドか……聖峰教会に助けを求めてくれ」
「嫌だ」
予想外の返事に驚く。
そこは聞いてほしいんだけど……分かった。
僕も覚悟を決めよう。
「分かった、じゃあ2人で倒そう」
死ぬ時は一緒だ。
10歳で死にたくはないが、もう少しで11歳。
冒険者1年目、1人前……ランガルさんに鍛えてもらった。人並み以上の努力をした。
僕はちゃんと強くなっている。
実際奴に刃は通った。
ならば、勝てる。
負けるような相手では、ない。
「なんだ、来ないのか」
先手を取ることも大事だが……相手は炎の化け物。
スピードでは劣っていない。一撃をちゃんといなして、二撃目に勝負をつけに行く。
「ならば……」
痺れを切らした奴は、左足を前にして体軸を左にずらす。
「私から行こう」
左腕を突き出した構え。
先刻と同じ。左利きであるのだろうか……関係ない。もう一度切断する。
その前に、
4つ。
目の前で光った。
奴の背後から膨れ上がるように現れた4つの光。
炎……でありながらしっかりとした形が作られている。
あれは、腕。
灼熱の腕。
風で移ろう僅かに形を損なうことあれど、依然腕としての形は残されている。
スタートを切った。
走る。走る……1秒で腕とは接触する。
信じるぞ。信じてやる。どれだけ近くなっても、例え燃え移る距離でも逃げないぞ。
信じるからな……信じる……………信じていいよな……?
瞬間、炎は氷へと変わる。
4つの腕は物質としての動きを停止させ、粉々に砕け散る。
流石はリーシア。信じられるのは可愛い天使。
しかし、今のって相手の炎を利用した擬似的な複合魔法じゃなかったか?
よくそんな器用な真似ができるな……やはりリーシアは天才だな。
脅威がなくなればあとは容易い。
16mなど2秒で事足りる距離。
敵もそれを理解して、凶器を手にしていた。
鉄ではない、奴が持つのは金属類なあらず。
炎だ。赤黄色く夜闇でも分かりやすい色形……奴は炎の剣を握っていた。
熱くないのか、掌から煙も立たず奴は炎を振りかぶる。
剣速はルストの剣を凌駕する。
最上位剣士レベル。ようやく上位に行けそうな僕ではレベルが違う。
しかし、最上位以上を知っている。
刃を合わせることに成功した。
鉄剣と炎剣の激突で火花が散る……と同時に、火花が僕を燃え上がらせる。
炎の剣は近くにあるだけで他者を傷つける。
飛び散った火花が、顔面に降りかかり火傷痕を残す。
目だけは守るため瞼を閉じるが、代償として奴を捉えられなくなった。
集中力の欠けは逃さない。
奴の剣力は高まり、圧倒的な腕力で僕を押し飛ばす。
やはり力では対抗しようがない。
距離が開く……この間合いは奴の領域。
立て直す暇もない波状攻撃。此度は槍状となった炎が射出される。
受け身と共に体勢を戻し『逆光』が……間に合うか。
間に合うかじゃない、間に合わせるしかない。
そうしなければ、死ぬだけだ。
あたかもは語るな。常に勝利の方へ向け。
「『豪風砲』……!」
いくら勢いがあろうと炎ならば、風の動きに左右される。
リーシアの魔法により軌道が逸れた。
炎の槍は僕とは全く異なる方向へ飛翔し、民家に直撃した。
火災が広がり続ける。あの中に人がいたら、なんて考えている余裕はない。
奴は人の命を平気で弄ぶ。
敵対者以外の生死すらも気にしていない。
生きようが死にまいが、死体を眷属にできる奴には関係がない。
故に被害を広げようと感情を見せない。
この悪意は素早く倒さなければ、甚大な被害と共に死傷者が多くなる。
もう1度やると目線でリーシアに送った。
彼女の魔法は奴の炎に対応できている。魔法の階位、出力で拮抗している。
剣術は最上位、炎は上位……下手をすれば最上位。
最上位剣士であり最上位魔術師とでも言うべき相手。
どっちつかずなど言えるわけがない、強さの塊。
僕とリーシアを合わせて何とか互角の位。
「……っ」
頭が痛い。
戦闘で気にする余裕もなかったが、左眼の赤い世界が映し出されている。
集中力を欠けば呑み込まれてしまいそうな濃密な赤色。
構っていられない、敵が目の前にいる。
次は魔闘法で通用するか試す。
そう考え、足に生命力を集中させた……瞬間。
「お前ら、何してるんだ!」
火がついた宿屋から店主が出てきた。
避難するためなんかじゃない、この事態を起こした者に文句を言うために。
自分の店を滅茶苦茶にした相手に抗議をしにわざわざ戦場に足を踏み入れた。
「聞いてんのか!俺の店を、よくもこんな風にしやがったな、この犯罪者共!」
今それどころじゃないんだけどな。
弁償はできたらしますけど、今は逃げてほしい。
店主の声を皮切りに、人々が集まる。
家が燃えてしまい外に飛び出す人。
窓からの顔を覗かせ自体を視る人。
爆発の音を聞いて見物しにきた人。
「なんだ?冒険者同士のいざこざか?」
「ちょっと、私の家が燃えているんだけど!誰か早く、消して、火を消してよ!」
「……おい、見ろよ。ガキと大人がやり合ってるぞ。やべえな、こりゃ、どうする?」
事態は最悪に急接近する。
数が多い。守り切れる気がしない。早く逃げてくれる方がありがたい。
どう考えても異常事態だっていうのに、なんでこうも呑気なんだ……。
「落ち着けって、アンタ。相手は子供だろ。そんなに怒らず、一旦冷静になって落ち着きな」
「駄目です、逃げて!」
冒険者といった風体の女性が、奴に近づいた。
必死に声を上げた。
だが、遅かった。音は間に合わず、
「え……?」
炎の腕がその女性を手繰り寄せた。
「丁度良い、鮮度の血だ。少々血を消費しすぎた」
炎で形成された腕だというのに、女性は燃えていない。
燃やしてしまっては、その生き血を啜れないからだ。
青白い手が、女性の腰にかかる。
拘束はそれで十分。抵抗は一切不要。
吸血鬼は、口を広げ2本ある獣のような牙を晒す。
「え……なん……いや、いやいやいや!いやあああああっ!」
これから何をされるかなど、分かっていない。
女性の悲鳴は純粋な恐怖。
眼前にいる、人ならざる存在によって穢されようとしている事実が突きつけられる。
「やめろ、吸血鬼!!」
その蛮行を阻止しようと動く。
駄目だ。やめろ。止めろ。
何の罪もない、善良なだけの女性を食い物にされようとしている。
そんな、こと、決して……あっちゃいけないだろ。
「お預け……だめえ!!」
上からした声に、身を躱す。
粉塵を上げて落ちてきた存在は、まるで岩を粉砕しているかのような音を奏でていた。
舞い上がった微細な石埃の中で、動く影。
「ペっ!」
「あがっ!?」
粉塵から、何かが飛び出した。
高速で射出された何かは、反応を許さず野次馬の1人の顔面を打ち砕いた。
即死だった。
飛んできたのは、岩石。それが高速で、頭部に直撃してまともに生きていられるわけがない。
「不味……食えたもんじゃないな」
石埃が晴れて、現れたのは人らしからぬ風体をした四足歩行の怪物。
姿形は人族に似通っているが、肌の色が茶色く変色していて人族では決してない。
何より……その口で噛み砕いていたのは岩。そいつが居る足場がまるまるそいつの口に放り込まれていた。
地面を食っている。
「お預けはだめだよねえ……?だって食いたいんだもん。食って、食って、食って、食い足りないから食って、食事ってのは生きること……食べないなんて、命への冒涜じゃないの」
こいつも、口端には立派な牙がある。
2体目の吸血鬼。
「やめ……」
新たな敵よりも優先すべきことがある。
今まさに、理不尽にも食い潰されようとしている命がある。
間に合わない。乱入のせいで、間に合わなくなった。
「や……」
声を上げようとした……
血。
赤い花が咲き散らばった。
首元に顔を埋めて、紅い瞳に赤色を足していく。
喉が、動いている。
何かを吸い出している。
女性の命を以て喉を潤している。
生気を失い、干からびた女性を投げ捨て……最後の血飛沫を散らす。
奴は、命を奪いながら、命の跡を無碍に扱った。
「はあ……」
息を、漏らす。
瞬間、
「きゃああああああああっっ!」
1人の悲鳴を合図にして皆が逃げ出す。
軽い気持ちでこの場に来た者たちは後悔して、この場を去る。
人の死でやっと理解できてほしくなかったが、居なくなるのは有り難い。
だが、奴らにとって人とは獲物。
逃げ惑うことを許さず、血肉の一片まで逃そうとはしない。
「逃げるのお……?なら、僕が食べていい?」
「好きにすればいい。エデッセ」
「やったあ!食べ放題じゃんか。流石出っ腹だなあ、チェスタ様!ロガンの奴とは大違い」
「太っ腹だろう」
「そうだっけえ?そうかも……なあ!」
手足を四足獣のように走らせる吸血鬼……エデッセは逃げようとする人々を追いかける。
人間の手足で器用に四足を再現しているが、獣のような統率の取れた完璧な進行ではない。
まるで蜘蛛のように不規則に手足をばたつかせ這い寄る。
吸血鬼というよりも魔物の類いだろ、こいつ。
「行っちゃ駄目、『氷結剣』!」
空中に生成された氷の剣がエデッセ目掛けて振り薙ぎ払われる。
エデッセは加速していて簡単には躱せない……はずだった。
「な……」
「氷は冷たいだけで美味しくないんだよなあ」
だが奴は人間を超越した反応で氷剣を飛び越えた。
リーシアは絶句しながらも、更に魔法を重ねようとする。
だがリーシアではいささか不利だ。相性の問題、エデッセと戦うなら僕の方が良い。
だがチェスタが居る。目を離せない。
何より、
「お、俺は……ちが、そんな……」
宿屋の店主さんが尻もちをついて恐怖していた。
文句を言った自分が次はやられる……そう認識してしまい体を動かそうにも動かせないでいた。
恐怖で足がすくんでいる……あの女性のように、あの人も食われる。
それは阻止せねばならない。
故に、チェスタを相手しなければならない。
「もう1匹、いただこう」
チェスタはもう一度、炎の手を……逃げられない店主に伸ばす。
やらせない。『瞬動速』ならば間に合って、切り倒せる。
「……っあ!」
リーシアの声。
彼女の方を向けばわかる。翻弄されている。
距離は縮まるばかり、野性的な反応と人外の速度でリーシアは苦戦を強いられている。
本当に相性が悪い。魔法使いである以上、スピードがある相手には不利を取ってしまうもの。
「そろそろ、食べたいなあ。その細い手足、中身がなさそうな臓物……中身がないから、さぞ旨味が凝縮されてるんだろうなあ……!」
悪趣味。
店主も助けたいが、僕はリーシアを選んでしまう。
見て見ぬふりじゃない。どちらも助かる方法。
闘法と魔法を両方使って、動きを封じる。
そう選んだが……杞憂だった。
「ほう……」
仲間はリーシアだけじゃない。
足りないのなら、仲間たちに補ってもらえば良い。
炎の腕は参入してきた金髪の男によって掻き消された。
闘法『逆光』を用いた、生命力の打ち消し。
炎に照らされた、黒鉄。剣の形状である武器を構えて、身を震わせながら戦いに参戦してくれた。
「ランス!」
「おう、来たぜ。……さっさと逃げな、おっさん」
「あ、ああ……ありがとう……!」
ランスの登場は大きい。
これでリーシアも……と思った矢先に、
「ぐべ!?」
「うお……!?」
エデッセが僕の前を通り過ぎた。
強烈な何かに吹き飛ばされたのか、地面を滑って肉を削りつけていた。
リーシアがやったの?
しかし、答えはすぐに見つかる。
リーシアの前に立つ男……特徴的な緑髪はそのままだが、限りなく黒に近い濃紺の修道服を身にまとい、その印象は完璧に主の従僕。
「けっ……臭うなあ!臭う!聖水のビンビンの、教会のハゲどもがよお……!」
「ハゲではありませんよ」
「ミッテル!?」
ミッテル・ニニア・カードナー。
修道服姿の彼は、この場に現れ……エデッセという名の吸血鬼を打ちのめした。
彼は僕を見るなり、柔らかい笑みを浮かべた。
それは聖職者として完成された、人に安らぎを与える慈愛の笑顔だ。
僕には信じられない。
「そうですよ、ミッテルです。遅くなって申し訳ない」
「いや、来てくれただけで助かったよ」
「いえいえ。それよりも大丈夫でしたか、リーシアさん」
「わたしは大丈夫、です……」
「それは良かった。貴方のようなお美しい方が傷つかれると、私も悲しい。花は綺麗であってこそ価値を最大化させますからね」
「う、うん……?」
おい、リーシアを口説いてんじゃねえ、ふざけんな。
天使に触れていいのは限られた存在だけなんだよ。
ミッテル、お前はまだその領域に至っていない。
まあ今は、許そう。助かったからな。
「それにしてもランス、遅かったじゃないか。いつもみたいに逃げてたの?」
「逃げて……ねえ。最初のやつで吹き飛ばされたんで、戻る前に冒険者ギルドに避難誘導の依頼をしてきたんだよ。まあ、戦いから逃げたと言えばそうかもな……」
「いや、誰も思ってないさ。住民の安全確保に尽力してくれたし、逃げたとか言ってるけど、こうして戻ってきた。貴方は立派な戦士だ」
「……………おう」
「ちなみに私は逃げました」
おい。
しかしこれで4体2。圧倒的有利。
ランスが住民の避難の斡旋もしてくれた。
心置きなく戦える。街を荒らす怪物を仕留められる。
「ねえ、チェスタ様あ……僕は、あの聖水臭いハゲを殺していい?」
「好きにしろ」
「やったあ!やっぱり出っ腹だなあ!」
先程太っ腹と訂正されたのにまた間違えている……すると、ミッテルは嘲笑を持った小笑いをぶつける。
嫌な顔だ。聖職者らしからぬ、他人を見下した表情で、さも当たり前の指摘を自慢げに吐き捨てた。
「太っ腹でしょう?」
関係ない僕でも殴りたくなる顔だ。
「うるせえ!お前はバラバラにして豚小屋の餌にしてやる!」
「養豚場だけが得をしますねそれ」
理性をかなぐりすてたエデッセが、四足でミッテルに飛び掛る。
感情が力に影響するのか、先程よりも速度が増していた。聖職者では対処できるか怪しいスピードだ。
だが、ミッテルは、
「ほいっと」
軽々しく、後ろに下がり避けた。
ミッテルが立っていたはずの地面は世界から無くなったように抉れ、エデッセの口の中で噛み砕かれていた。
ミッテルVSエデッセ……任せてよいだろう。
僕たちは炎の元凶たる吸血鬼と対峙する。
レッドウルフは3人でチェスタを叩く。大丈夫、この3人なら負けはない。確実に勝てる。
あれ、旗が立った……?
ランスも構えた……途端、何者かがランスの前に現れた。
咄嗟に防御をするが、圧倒的な破壊力を持ってして振るわれた銀閃は建物を貫通させるほどの衝撃でランスを吹き飛ばした。
「チェスタ様、もう1人の方はお任せを」
「任せたぞ、ロガン」
黒い剣を両手に持った青年……しかし、目は赤く牙もある。
新手の吸血鬼か!?
ロガンと呼ばれた吸血鬼は吹き飛ばされたランスを追って、この場から姿を消す。
ランスVSロガン……任せてもいいなこっちも。
結局……ムート&リーシアVSチェスタの構図で納まった。
というか、この展開てさ……完全にアレだよね。
個々が個々の戦いを強者が受け持つなんて、完全にアレだよね。
「……………」
「……………ムート?」
「……………」
「ムート?どうかしたの?もしかして、左眼が痛くなったの……?」
「どうもこうもないよ!この展開って完全に物語の戦いだよ。敵の親玉と敵の幹部をそれぞれが相手にする……!……こういうの、こういうの待ってたんだ!今日、僕の憧れがひとつ叶ったよ!」
「そう……」
待ちに待った展開に大盛り上がりのムート。
心配したのが損したと言わんばかりのリーシア。
感情ひとつ見せず赤い目を輝かせるチェスタ。
中々、ひとつにならないもんだ。
ここで吸血鬼との縁は切る。
何故なら、こいつはここで倒すからだ。
切っ掛けは、ほぼないに等しい。
吸血鬼、チェスタの攻撃が大河の如く押し寄せる。
大通路を呑み込まん程の炎の河…口から喉へ、喉から肺へ、一瞬で呼吸を消してしまう業火の熱量。
最上位の火力だが、退かない。
炎の脅威は、止まるしかない。
合図はないが、お互いの息は合っていた。
ここまで3年、培ってきた信頼が大きすぎる。
風魔法による相殺。火には水より風の方が良いな。僕が得意ということもあるが……風は火の動きを完全に制御する。
やはり合図はない。いらないものをしても意味がない。
名の知れた楽団は指揮者がおらずとも、自然と調律を生み出す。
互いを知っているからよくわかる。息が合致する。
何より合わないものは、僕が合わせる。
風魔法を中断する。
火の手が上回る……そんなことわかっているから、リーシアは風を強くした。
「『飛翔風刃』!!」
最上位魔法。
流石はリーシア、天才だ。
11歳で最上位まで到達する才能は如何程のものか……それは吸血鬼にも引けを取らぬ威力を見せるだろう。
火が消えた、走る。
目が合う。どうでもいい。
奴は僕を狼と認識し、僕は奴を怪物と認識している。
お互いに人と見ていない。
故に本気で殺し合える。死すらも厭わない。
炎の運河を失った程度で奴の猛襲は衰えない。
中位魔法『火炎弾』を彷彿とさせる燃える球体が十数と迫る。
階位の低い魔法でも数を集めれば、強力になる。
そもそも闘法や魔法の階位は習得難度などを加味したものであり、威力自体は本人の生命力出力に左右される。
僕はその全てを無視する。
道は彼女が作ってくれる。僕はただ突き進み、あの命を終わらせるだけだ。
命を奪うということは、命を捕られるのもやむなし。
「『水泡壁』」
全身が水で覆われ、炎の迎撃を寄せつけない。
一瞬で蒸発するが今回は炎の脅威を掻い潜れた。
しかし、残った焔の連撃は後方へと進む……リーシアが居る。
振り返らない。信じている。
チェスタの奴が左手に握っているのは、炎の剣。
まさしく、炎の剣なのだ。炎で出来た剣。
あの威力と火力は知っている。
打ち合った瞬間、問答無用で火花が燃やす。受けても傷は僕にできる。
理不尽だが、それなら真正面から打ち合わなければいい。
「『瞬動速』」
疾風の速度。獣族の敏捷性を活用するための闘法。
最速で背後に回り込んだ。
奴は無論反応する。
しかし僕に気を取られていては、最上位の魔法使いから目を離すことになる。
「……ち!」
闘法『牙狼閃』。
魔法『雷衝』。
辿り着いたのは同時。
致命傷は与えられなかったが、吸血鬼の横腹から血液が吹き落ちた。
複合魔法『雷衝』は光を連想させる速度で黄金色の衝撃を与えた。
チェスタは、こちらを選んだ。炎の壁を形成し雷を飽和する。
しかしそれは神経のほとんどをリーシアに割くという意味だ。
僕は逃さない。
上位闘法『牙狼閃』は狼獣のように素早くも殺傷性を秘めた刃による一閃で命を狩り取る、獣の刃。
それは命までには届かない。
ランガルさんなら心臓を切り裂いていたが、彼ほど上手くいくはずもない。
横腹を僅かに切断し、奴から血を多少引きずり出すだけで終わる。
構うものか。
拮抗している勝負において、消耗とは何よりも恐ろしい。
奴の身体が翻った……まさに瞬間、炎の刃が振い落される。
正面から打ち合う。火花が顔を焦がした。
そして力に押し負け、僕は交代を余儀なくされる。
髪についた火をマントで拭い落とす。
奴の追撃、リーシアの要撃、疾駆する僕。
炎の暴威を打ち払う氷の刃。
冷気が急激に熱気を冷やし、空気がぱちぱちと音を立てる。
奴は僕を視界に収めたまま、魔法の弾幕を炎の弾幕によって撃ち落とす。
魔術師は確かに警戒に値する。素晴らしい魔法の腕……奴とて戦慄する、才能の暴力。
しかし、奴は狼の牙を理解している。
小さくとも、己を殺せる刃であると。
その恐怖を既に植え付けている。
獣から目を切れない。切らせない。
本能と思考の両方が、獣に釘付けとなる。
そこまで僕に注視するなら、子鼠にでも成り下がろう。
戦場を駆け抜けるだけの小兵に……奴の視界からリーシアという致命打を無くす。
「……『牙突』」
「ふ……!」
背面を狙った刺突は、刃によって相殺され別の刃物が肩を掠めた。
長さ2mにも達さんほどの炎の長槍。
左に剣、右に槍。何とも大道芸のように奇妙な組み合わせ。
しかしそれを超絶的な技巧によって、僕の肩を抉り飛ばした。
焼ける傷口、苦悶に唇を噛みながら下がる。
回復の時間を設けるため……リーシアの魔法に乗じて撤退した。
彼女が放つ魔法は速度と威力があるが、奴は火焔の柱をもって打ち消す。
「……………」
奴の表情から完全に感情はなくなる。
人間性の欠片もない。怪物としての本性。
だというのに……なんて、美しい。
惚れ惚れする剣と槍の連弾。
才能がある者は、強き剣を持てる。しかしそこには強さしかない。
戦闘における美技は強いだけでは生まれ出ない。
努力によって磨きあげられた剣にしか宿らない。
眼前にいる吸血鬼はまさにそれだ。
迷いの欠片も見せず、剣槍の軌道はあまりにも整っている。
まるでひとつ交響曲のように諧調を奏でていた。
それ故に、残念でならない。
敵同士でなければ、剣の技について語り合えたかもしれない。
奴がなんのためにここまで研鑽を磨いたのか分からないが、決して痛罵されるような理由ではないのだろう。
今となっては、絶対にありえない。
奴は人を食い物として扱った。
罪のないものを殺した。
生かしておく理由がない。
故にお互いの技術を戦闘で魅せ合う。
「『流狼』……!」
「……………!!」
瞬間に2連。
不規則的に動じた白鉄と牙の両爪が、間合いを侵略する槍を打ち払う。
僕の指揮棒に合わせられた彼女の杖。
温度を司る火の魔法に水の魔法を付与することで、氷柱の連撃が上部より落とさせる。
退いた。
槍を扱えない状況下で、剣を魔法に消費するのは危険がある。
未だ、吸血鬼の眼には獣が映っていた。
*
「……ふ」
笑った……のも、束の間の出来事。
燃え上がる様な闘志は刹那にて灰となる。
真逆に、彼は冷静に状況を俯瞰することに徹した。
剣士と魔術師の連携は見事の一言。まだ高潔であった頃の彼ならば、賞賛し同時に敬意を以て打ち倒した。
今では……主に教えられた高潔さも、主と共に燃え尽きた。
故に、手を取った。魔の手であろうと、救いの手を取った。
主が返り咲けば、自分にもまたあの燃えるような心が戻ると信じて……。
それは理想だ。
もう二度とはありえない。
既に、本能に呑まれ魂を蝕まれた吸血鬼に先はない。
自らの高潔さを無くし、ただ生き血を喰らう怪物にしかなれない。
『ロガン、エデッセよ。始末し次第、こちらに来い』
同じ主の眷属、または自身の眷属であれば、魂の道が繋がり遠巻きからの念話、視界の共有など行える。
ロガンとエデッセの2人は、チェスタにとって主の最期を共にした仲間だ。
貴族位にはなれていないが、騎士位を授かった吸血鬼。中々の逸材。
子爵位のチェスタには遠く及ばぬが、それでも人族が定めた階位においては上位を行くだろう。
1人いれば、この状況を容易く覆せる。
チェスタは信頼していた。
強さも才能も、時を重ねれば貴族位になれる器であると確信していた。
『……………』
しかし時を経ても、返事はない。
それほど集中した状況下であれば、念話を一時届かぬようにすることも出来るが、知能の低いエデッセはまだしも忠誠心が高いロガンまでそれをすることは今の今まで1度もなかった。
上位階級としての権威で、無理矢理呼び戻すことが出来るが……それには多大な力を要してしまい、状況を悪化させる一手になるやもしれない。
極限の状況ではあるが、ロガンの片目と視界を繋ぎ……………
チェスタ・ラ・ソリューゾは、顔に僅かな焦燥を出した。
アスターヴァンプのアスターはアンセスターを略したものです(勝手に略した)




