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第23話 地獄

下り階段は30秒ほどで底を見せた。

階段で1分となるとかなり深いだろう。

警戒しながら歩いたから、そこまで深くないかもな。



底は、しっかりとした通路が続いていた。

石造りの床面は整えられているが、壁は無理矢理空けたように無骨さを感じさせる。

人が5人並んでも余裕を持てるほど通路は広々としている。

末端が使うには豪華と言わざるを得ない。



「……暗視があっても、深部までは見えませんね」



ミッテルが施した魔法の効果で暗闇であろうとも視界は機能している。

暗いと感じ取れるのに視覚情報はバッチリ取得できている。不思議な感覚だが邪魔にはならない。

魔法の不可思議さを表している。



野盗のアジトにしては、不気味というか人の気配がなさすぎる。

上の酒場は騙しで、地下が本命だということはわかった。

しかし、どうにも引っかかる。言い表せようのない不安がよぎる。

僕が知っている裏組織のクラシアウス。あそこの地下牢とは異なる、妙な生暖かさがこの空間にはある。



今なら引き返せそうだが、雰囲気にビビって逃げたと思われるのはちょっとダサいな。

リーシアを連れて来れば……いや、やはり彼女は連れて来れない。

頼ってと言われたし隣に立つことを誓ってくれた。

けど、少し前に弱々しいリーシアを見てしまえば、その選択肢を排除してしまうのも無理はないだろう。

代わりにランスを招集するべきだったな。



生唾を飲みながら息を大袈裟に吐く僕。

に対してミッテルは冷静だった。表情ひとつ変えず、早く行きませんか?と圧をかけてくる始末。

肝が座ってるな。こういうことも初めてじゃないのかもしれない。

聖峰教会って割と黒いのでは?

そもそも信者数に騙されがちだが宗教だもんな。実態は曖昧なものを信じ込ませ金をむしり取る金の亡者であるのかもしれない。

ミッテルも取り立てを……聖イリア様はそんなこと許しませんよ。



「行かないんですか?」



声質からは分かりずらいが早くしろと急かしてくる。

もうちょっと覚悟の時間を……祈りの時間をいただきたい。

聖イリアよ、(わたくし)めに祝福を。

神の祝福があればなんでもできる。



「主よ。御使いに祝福を、唄と安寧と祈りの豊穣を」



僕の体が光った。

ピカーン、と。発光した。

頭部の赤髪はちゃんとあるな……よかった。



何だか、胸の奥からあったまる。この感覚は、なんだ?

強化魔法……ではないな。体温調節の魔法だろうか。

そういえばリーシアに神聖魔法を使ってもらった時もこんな感じだったかな。

これが本場の神聖魔法。



「これは……神聖魔法ですか?」


「神聖魔法などと呼ばないよう。聖峰教会では神聖魔法は主の御加護です。『祝福(ブレッシング)』。なに下位も下位、ちょっと運がよくなるだけです。棚の角に小指をぶつけるはずの運命が、ぶつけなくなる程度のものですが」



地味に痛いしありがたい。

運はあればあるほどいい。致死が致命傷に済ませられる、と考えればマシな気がするしね。



勇気が湧いてきた。

進もう。進まなければ先へは進めない。

立ち止まることが惜しい。



「レッドウルフは正義の集団です。悪党退治、行きましょう」


「パチパチパチー」



わざとらしい拍手と掛け声をするミッテル。

拍手の音が通路に反響して、すごく響く。

耳朶(じた)に気持ちの悪い痕跡を残してくる。



さて、進行を開始する。

硬い石床、黒い岩壁、延々と続く通路。

僕が前衛、ミッテルが後衛で隊列を組んで散策だ。



数分、十数分……時の経過を知る術はない。

ただ暗い廊下が、ずっと続く。



足音が2つ。

僕とミッテル。それ以外の音がない。

会話もないので靴音だけが支配する。



たまに、風の音が聞こえる。

この通路に風の通り道はない。

後ろからではない、前方からだ。となると、奥から風が入る余地があるということなのか……出入口は1つではない。



道は、直線に見えて曲線を描いていた。

僅かだけ曲がっている。

地下で方向感覚が分からないから定かではないが、左右行ったり来たり……特に方角は定まっていない。

無駄に手が込んでいる。本当に野盗が使っているだけのアジトなのだろうか。

それとも昔なにかに使われていた地下をアジトとして流用したのか。

この地下道はなんだ。



「っ」



風。

風が吹いているわけじゃない。

何かに動かされた、空気の揺れだ。

肌感覚でそれを理解する。

無機物じゃない、生物の動き。

やっと野盗の登場か。



「ミッテル」



暗に下がれと命令をする。

近接戦闘が不得意そうなミッテルに任せられない。僕がやる。

そう判断して剣を手にする。

握りは良好、敵が来た瞬間に切り捨てられる。

もちろん、切り捨てはしない。

あくまで峰打ち。気絶させる。



覚束(おぼつか)ない足音は近い。

近い、近い……。

生命力(オーラ)の流れ方が変える。『生命続法』、内部の力が無駄にならないよう働く。

戦いの準備は出来ている。完璧だ。



しかし、



「は?」



敵は、思っていたの存在とは違った。



暗視で、視える。視えてしまう。

20mほど先、ゆらゆらと左右に揺れる人影。

黒い影。

ソレには、顔がなかった。顔はある、張り付いている。



けれど、目がない。目がある箇所が黒に染まっている。

口はある、中から零れるのは赤黒い液体。

耳も鼻も、穴という穴から滴り落ちる黒血。

生気がない。『五命感知』が反応がしない。

つまりアレは()()()()()()()()()()()()()



死体。

死体なんだ。

死んでいるのに、動いている。生物として有り得ない。

アレは有り得てはいけない存在だ。



どういうことなんだ。

助けを求めてミッテルを視る。

彼は、驚きがなかった。つまり目の前の存在が相手であるとミッテルは理解していた。

騙したのか……いや、敵が何かは言っていなかった。

僕の勘違い。なのは承知だけど一言くらいは欲しかった。



「ああ、初めてみましたか……?あれが吸血族(ヴァンプ)。人の血を吸い、命を犯す怪物、聖峰教会の大敵です」



吸血族(ヴァンプ)……これが、こんなものが?

ただの死体。僕が知っている吸血族(ヴァンプ)は、もっと高潔で美しい存在のはず。

血肉を糧として生きているのはそうだが、それも必要最低限という話だ。決して命を獲ることはないとされている。

そうでなければ、十種族に数えられない。



一瞬で、疑心暗鬼になった。

何を信じればいいのか、分からない。

リーシアが隣に居てくれれば……なんで僕は約束を守らなかった。自分の情けなさに反吐が出る。

他人を恨む時間も後悔もするな。恐れるな。

今は、



迫り来る敵を倒せ。

交差する体と体、動きは鈍い。長剣の一薙は簡単に吸血族(ヴァンプ)を打ち倒した。

殺しはしない、首に逆刃を入れて気絶させる。他2体も同様の手筈で済ませる。

骸は3体、硬い床に転がり落ちる。

容易い、死人を弄ぶなど容易にできてしまう。



いい気は、しない。

先程までの感情が嘘のように消え去ってしまう。悪党退治なんて間違っても言えない。

漂う腐敗臭、口から漏れている爛れた呼吸の流れ……死んでいるのに、生きている。生かされている。



「……………」


「トドメを刺さないのですか?」



平然と、言ってきやがる。



「それは死人です。訂正しますが、吸血族(ヴァンプ)でもありません。吸血族(ヴァンプ)に血を吸われ眷属となった人族、言わば動く屍です」



しかも、それ以上の事をサラッと吐き出した。

なんなんだこいつは……なにがしたいんだ。僕になんの恨みがあって、こんな回りくどい方法で苦しめようとしてくる。

これが元は人だとか、聞きたくなかった。



「死こそが解放なのです」



振り返って、あるはずの顔を見る。

ミッテルの目には迷いがない。真実だ。

死してなお魂を陵辱され尽くす感覚は分からない。1秒でも早く、苦しみから解放してあげるのが良いのかもしれない。



「……殺した方が、いいのか?」


「狡い言い方だ。私が殺せと言えば私のせいにできる。私が殺すなと言えば手を汚さずに済む。ええ、最も人間らしい回答ですね」



狡いけど、お前のせいだ。

どうしてこんな状況に陥ってこんな決断しなければならないのか……ただの正義の味方の真似事のつもりが、地獄の参拝とか勘弁してくれ。



「まあここまで連れて来たのは私ですし、責任の一端は担いましょう」



そう言うとミッテルは膝をつき、倒れ伏した死人と顔を合わせる。

慈愛と憐れに満ちた聖職者の顔となり、彼らを静かに向かい入れた。



瞼を閉じて、死人の額に手を当てる。

ぬちゃっとした液体と接触する音……暗さを感じない視界だから分かる、彼らは濁った血に塗れていた。

それが自身のものなのか、他者のものなのか分からない。

あの黒血こそ罪の証。



「……貴方の罪を許します。悪しき魂に穢され、命を紅く染めようとも。人に値せし……その魂に、救いあれ」



黒であるはずの死者が、灰と変わる。

灰には黒がない。黒であったはずのものに白が混ざり、白には戻らずとも黒を失った。

洗礼。穢れし魂の浄化。

初めて見たが、ミッテルという男は聖職者として正しき行いをしたのは分かる。

立ち上がり、黙祷をし、次の者へ。

残り2人も同じ手順で葬った。



僕はそれを呆然と見ることしかできない。

ミッテルと同じタイミングで黙祷をしたくらいで、何もできなかった。

説明がないだとか、いきなりだったとか、言い訳は尽きないが、それでも苦しむ人を前に何もできなかった。

それでも説明はしてほしかったな。



「……どうか。彼らの魂を、お許しください」



終えても、最後にはまた黙祷を挟む。

死者を悼む心は忘れてはならない。

形式上でしかないが、僕も最後に黙祷をする。



………………落ち着いたな。

ならば、尋問といこう。



「どういうことですか?」


「どういうこと、とは?」



はてさてなんの事やら〜?と白々しく手を振る。

そんなことが通用するわけなかろう。

こちらには最強の手札がある。答えてもらわねば公表するまで。



「教皇」


「悪気はなかったんですよ」



そんな切り替え早いんなら最初から言ってくれればいいのに。

本当に悪気は……悪気は、ないのか?()()悪気がない。

ミッテルはその時その時全てが本音だ。本音だが、数秒後に裏返る可能性がある。

少ないながら共にしてわかった。

ミッテル・ニニア・カードナーとはそういう男だ。



「興味がありましてね」



はい、悪気はなくなりました。



「貴方の感性に興味があったのですよ。何を言っても信じるに値する。とても子供には見えず、まるで長く世界を見てきたような目をしていたので。それに、その眼……私が殺せと言えば殺していましたね」



……そんな簡単に殺しはしない。

死人でも憚らるものがある。ちゃんとした理由があり、意味がある行動であるのならば、もしくはそうしていたかもしれない。

ミッテルがやらなければ、僕が手を下していたかもしれない。



「その目です」



特に、変わった顔はしていない。

しかし、ミッテルは僕の顔を見て真面目な顔を見せた。



「貴方は人を殺すことを厭わない。躊躇はする、優柔にもなる、けれど1度決めれば例え殺しすらも正当化してしまう。その歳でなんたる精神性でしょう。感服します」



ミッテルは何事もなかったかのように足を進める。

引き返す事もできる。見捨てて、何も知らないように振る舞うことも出来る。



……ああ、引っかかる。

ミッテルは嫌いな相手だが、放ってはおけない。

なんせ、ミッテルは悪いわけじゃない。良いことをしようとしている。



立ち位置は変わり、ミッテルが前で歩く。

それを僕は着いていく。

聞きたいことはある……が、聞ける余裕が僕にあるだろうか。

吸血族(ヴァンプ)、死人、聖峰教会……沢山あるな。なぜ僕が、巻き込まれなければならないのか問いただせるはずだ。



「…………吸血族(ヴァンプ)と聖峰教会の関係についてはご存知でしょう」



知っている。長年の敵である。

その歴史は古く、800年前にまで遡る。

聖イリアを信仰する聖峰教会、聖イリアを敵とみなす吸血族(ヴァンプ)

関係性はよくないが、吸血族(ヴァンプ)は人々に紛れて亜人さながらに人間社会で生活している。

数が少なくまだ出会ったことはないが、西方大陸にもそういった存在はいるはずだ。



ミッテルもそこらの事情は知っているものとして話を続ける。



「とはいえ、人族と寄り添う吸血族(ヴァンプ)を我々教会は敵とみなしません。彼らは極小量の血しか必要とせず、陽の光も多少は許容できるようになっています」



吸血族(ヴァンプ)は陽の光で死ぬと聞いた事があるが……それはデマなのか。



吸血族(ヴァンプ)は人族と共にするに連れ、祖の血が薄まった存在です。……獣族(ライカン)獣人族(ハーフティア)のような関係性だと思っていただきたい。吸血族(ヴァンプ)獣人族(ハーフティア)に当たります」



獣族(ライカン)獣人族(ハーフティア)

獣族(ライカン)は獣が二足歩行を取ったような野生の本望を持った種。

獣人族(ハーフティア)は獣の要素を持つが人族に近しい種。

獣人族(ハーフティア)とは獣族(ライカン)から派生した種族であり、獣族(ライカン)が長い時をかけて人族社会に適応した姿だ。

吸血族(ヴァンプ)獣人族(ハーフティア)と同じ……つまり、元の種族から人族社会に適応した姿だと、ミッテルは言っている。



そんな話、どこからも聞いたことがない。

吸血族(ヴァンプ)が実は十種族に当てはまらないことになる。

祖たる『神祖』より生まれ落ちた種が吸血族(ヴァンプ)ではなく、実はやばい生物であるということになる。



吸血鬼(アスターヴァンプ)。血肉を喰らい、命を貪る怪物にして魂を弄ぶ悪意。『神祖』が世界への対抗心として生み出した世界を蝕む病原菌」



話が、大きい。

吸血鬼(アスターヴァンプ)とやらが、今回倒すべき存在。

話を聞く限りではあるが、吸血鬼(アスターヴァンプ)とやらが先程の死体を動く屍にした存在であるのは間違いない。



信じられない。

そんな危険な存在がいると知っているのなら、聖峰教会はなぜ公表しない。

信じられないというよりも信じたくない。



「ミッテルは知ってるんだよな」


「もちろん」


「なら、聖峰教会ももちろん知っている。けどそれはおかしい。そんな危険な存在を認知しているのに、聖峰教会はなんで公表しないんだ?それはまるで……」


「都合が悪いからですよ」


「……なんて?」



それは、有り得ちゃいけない……。

聖峰教会は西方大陸の要。世界に信徒を持つ最大の宗派だ。

そんな教会が、人々を危険に晒すような真似をしてはいけない。



「教会にとって吸血鬼(アスターヴァンプ)の存在は目障りです。そのような存在がいるのなら聖峰教会はなぜ対処しないのか。そういった批判で聖峰教会が没落するのが嫌なんですよ。……枢機卿閣下に大司教様、教皇陛下、半数以上の方々が秘匿に賛成しています。知られてしまえば、教会の信用問題に関わることなのでね」


「……………黒くないか、聖峰教会」


「はっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!」



ミッテルは笑うだけ。

あくまでも聖峰教会の聖職者として振る舞っている。

しかし否定はしない。

ただ笑う。

肯定はしないがほぼ肯定。



「ここらでしたね」



ピタッと足を止めたミッテルに合わせて僕も足を止める。

今まで何もなかった壁に、唐突に現れたひとつの扉。

ここまで存在しなかった物の登場に生唾を飲む



絶対に、何かある。

何もないわけがない。

またあの死人が出てくるかもしれない。今度は、殺害する覚悟を持たなければならないのか……もう死んでいるとはいえ、10歳で殺人をしてしまおうとしている。

ごめんなさい、お母さんお父さん。この歳で人殺しなんて……。



剣の握りを手にした僕を、ミッテルは掌で静止した。



「ここは私が調査します。貴方は3分ほど待機してください」



僕の返事を待たずしてミッテルは扉を開けて入っていった。

中の音は聞こえない。獣族(ライカン)の耳を持ってすれば中の様子も分かるかもしれない。



一息つくなんてことはできない。

それでも壁に背中をついて考える余裕はできた。

ミッテルが戻ってくるまでこれまでのことを振り返ろう。



敵は吸血鬼(アスターヴァンプ)。真の吸血族(ヴァンプ)

人を襲う吸血族(ヴァンプ)か。

吸血族(ヴァンプ)と言えば優雅にお茶会をした社交的な種族というイメージが強い。僕も茶会を共にしてみたいと夢見たことがある。

しかし眼前としているのは、吸血族(ヴァンプ)であって吸血族(ヴァンプ)ではない人の生き血を糧とする怪物。



僕だけじゃ足りない気がする。

やはりリーシアやランスにも伝えておいたほうがよかったかもしれない。

……外はまだ明るいだろうから心配はさせてはいないはず。

…………はずだ。心配になってきた、帰ろうかな。



その場合ミッテルを見捨てることになる。

好き嫌いが激しく変動する男だが見捨てる気にはなれない。

悩ましい……戻ってきたら、1回帰ることを思案でもするか。

人手は多い方が良い。損はしないと約束できる戦力だ。

ミッテルも否定はしないだろう。



そんなこんなしているとミッテルが戻ってきた。

3分も経っていない。精々が1分半だ。宣言よりも早い。



「おや、不安にでもなりましたか?手でも繋ぎますか?」


「いらない」



伸ばしてくる手を拒絶するように剣を向ける。男の子と手を繋ぐ気はない。



これも他人を労った本音なんだよな。

ちょっと弱めになっていた。ミッテルは人の感情を理解している。

それ故に、彼はどのようにもなり代われる。

ミッテルのことも少しづつ分かってきた。



瞬間。



「……ん」



通路が灯りに照らされた。



「教会の犬が1匹、迷いこんだ子犬が1匹。死ぬがいい」



それが、灼熱の業火によって起こった現象であると即座に悟る。

声の前に、発射された炎の運河。

もう間に合わない、と思い声色には勝利の確信があった。



それは完全に油断しきっている。



運が良かった。

僕は今、剣を引き抜いた状態で所有している。

構えは不要。生命力(オーラ)を注ぎ込める時間があるのなら、強引にでも闘法は発動できる。



「『逆光』!」



その脅威がなんであれ、『逆光』は生命力(オーラ)を晴らす。

通路を横幅いっぱいに塞いでいた炎が掻き消え……体は飛び出していた。

『逆光』でも防ぎきれなかった火花が僅かに散るも……氷雪熊(サーベルベア)の毛皮は熱耐性がある。マントが殆どを守り脅威をほぼ0まで減らす。



その代わり、守りがなかった顔に焦げ跡が出来たが関係ない。眼帯が熱によって溶け、赤眼を晒す。

暗視があっても……いや、暗視がある分鮮明に映る。

はあ、新しい眼帯買わないとな。



「ほう……」



敵と思わしき存在は喉を鳴らす。

余裕は消えない。まだ奴は僕を侮っている。

自分が狩人であると信じ込み、時に狩人をも噛み殺す狼であることを見抜けていない。



好都合。

戦闘において慢心とは死を体現している。

奴は僕の剣を見てなお、余裕を持っている。

あれならば敵ではないと。その油断が、命取りとなるとも知らず。



使うのは『瞬動速』。そこに風魔法を併用する。

得意技と得意技の合体。いま僕ができる最も優れた魔闘法。



「な……に」



腕が飛んだ。

他人の生き血が切断部から吹き出る。

非人間であろうと肉を切った感触は、あまり好きなものではない。

奴の左腕が、宙を何回も回転している。

恐るべき踏み込みは奴の反応を凌駕した。



魔闘法『疾風速』。

『瞬動速』でも十分な速さを誇っていたというのに、それを何倍も上回るスピードによる踏み込み。

如何に、相手が自分よりも格上であろうとも通用する速さ。

通用した、通用する。目の前の怪物に通用した。



僕と奴の顔が合う。

腰あたりまで伸びる黒髪、目と鼻と口がある、一見すると人間……だが、生気を感じさせない青白い肌、口端から覗く犬歯、血のように赤い瞳。

こいつが吸血鬼(アスターヴァンプ)。人を喰らう、怪物。



腕を切断された瞬間、奴は僕をただの獲物ではなく獣として認識したのか、激昂の表情を浮かべた。



「貴様……!」



右腕を振り下ろす。

戦闘態勢への移りが素晴らしい。

速さは、ルストと同レベルか、こいつの方が早い。



しかし見切れないほどではない。

ランガルさんよりは速くない。常識の範疇。

であれば、僕でも対応はできる。

腰にぶら下げた剣を引き抜き、相殺する。



力と力の激突、負けたのは僕。

そもそも筋力の上で相手は想像を絶する物を持っていた。

子供の細身など枝のように容易く飛ばされるしかない。それでも枝で折れていないのだから上々。



吹き飛ばされた先で受け身をとる。

趣向が凝らされていない石床では肉が削れに削れる……かと思えたが、マントのお陰で傷はほとんどなかった。

氷雪熊(サーベルベア)の毛皮は物理にも耐性がある。本当に様々だ、リーシア、プレゼントありがとう。



「ミッテル!」



起き上がると共に、背後へ逃げる。

自分の走り音に混じり、もう1つ聞こえた。ミッテルも意図を汲み取って走っているはず。

後ろは向かない。全力で逃げる。



あの吸血鬼(アスターヴァンプ)は強い。

強い奴には1人では戦わない。それが約束。

戦うのならばリーシアと、だ。



『生命続法』を使用しているから息は上がらない。

ただ来た道を走る。

ミッテルは着いてこれているか……無理かもしれない。それでも、リーシアとの約束は破らない。

ミッテルが死んでも、仇くらいはとってやる。



数分走り……出口となる階段が見えた。

それを凄まじい速度で登る。

下る時は歩きで30秒、今回は走りで10秒もなかった。



酒場に出た……暗い。まだ危ない。

陽の光を求めて酒場から飛び出さんと1つしかない扉に向かう。

最後の最後まで油断はならない。身構えていたが……



「お、ふぅ……」



外に出てきた。

路地裏であるため薄暗いが、街はまだ明るい。

ドッと肩の憑き物が取れたような気がした。



思ったよりではなかったが、強いのは強かった。

安心すると心臓の音がうるさく喚く。静かにしてくれとは言わない……落ち着こうと思っても落ち着けないからだ。

とりあえず、心音を抑えられないような男は獣族(ライカン)の戦士にはなれない。



10秒くらいで精神統一が完了した。

赤い視界は服を破って即興の眼帯にする。ないよりかはマシ。

よし、状況確認だ。ミッテルは……あえなく骸になっているかな。



「逃げの選択、素晴らしい判断です」



息一つ乱さず後ろにいた。

あの速度に追いついてくるとは……意外にも近接ができるのかもしれない。

そもそも13の歳で怪物を相手にしようとしているんだ。

神聖魔法もかなりの練度みたいだし戦闘したら強いのかも……。



「言いたいことはあるけど……とりあえず、宿行く?」


「誘いですか?」


「違うよ」



この問題は僕一人で抱えていいものではない。

リーシアとランスにまず相談。レッドウルフは協力してこそ、だからな。



ああその前に、気になったことがある。

これって僕が立ち入っていい話なのか?聖峰教会がミッテルに与えた試練なんだよな……その手助けを頼んでも怒られたりしないのか?

その事を問うと、



「言葉も力のひとつですよ」



いいようだ。

まあミッテルが死んでしまっては元も子もないしな。

それなら誰かに頼る方がいい。誰かに頼ることも力のひとつ。

誰かに頼るってのは意外と難しいからな。……僕とリーシアの関係を見れば丸わかりだ。

頼れって言わないのに頼らない。

色々と、あるんだよ仕方ない。





暗い。

生命の息吹が一切吹き付けない。

そこは、先程までムートとミッテルが散策していた地獄の通路。

吸血鬼(アスターヴァンプ)が陽の光を遮るための拠点として使っている死の巣窟。



「……………」



切断された、左腕。

肘あたりから切り殺された腕。

吸血鬼(アスターヴァンプ)は心臓のような機能を果たす血石から血を供給する。

切り離された部位は、血の供給を失い一瞬で消失する。

左腕は床に転がった時点で跡形もなく消え去っていた。



腕さえ残っていれば、最上位の治癒魔法で切断面をくっつけることも可能だっただろう。

しかし失ってしまえば、2度とは戻らない。

損失した部位を再生させるには聖位以上の治癒魔法を要する。



だが、奴らは違う。



切断面の肉から湧き出た血液が、地面へと垂れることなく凝固した。

血色は時が経つにつれ、赤色を無くしていき青白い肉と変わる。

それは誰が見ようと、左腕。

傷などない、新しき腕。



「……………」



吐く息から、煙が漂う。

吸血鬼(アスターヴァンプ)の力とは魂の刻印。

魂に染み付いた、彼らが発現した血力(ブラッド)にして吸血鬼(アスターヴァンプ)が吸血鬼と呼ばれる所以。

血肉そのものである血を消費して、己の身を削る力。

故に、血を欲する。生きるだけで消費されていく血を求めるために、血を吸う。



吸血鬼(アスターヴァンプ)にとって血とは、命であり魂。

逆に言えば、血さえ補充できれば()()()()()()()なのだ。



「夜が来る……。教会の犬に、保管していた血袋が処理された。生き馬どもの目を抜くだけの我らではない。時がいさかかはやく進んだが……今宵は血の宴だ。愚鈍なる教会に思い知らせるときだ。大公爵様の名を、そして栄華を……!」



彼の背後には、無数の死体。

全てが死に、血液を失った人のなれだ。



「チェスタ様。臭いは覚えております。障害の排除は我々が行います」


「いや。私の左腕を持ってった猟犬は私が仕留める。我が血の一滴にまで誓おうぞ」



かの吸血鬼(アスターヴァンプ)は、子爵チェスタ・ラ・ソリューゾ。

100年以上を生きた吸血鬼(アスターヴァンプ)であり、雷光の大公爵に仕えし最後の従者。



彼は主の命令もなく、夜の到来を待つ。

今夜は血肉躍る凄惨な夜になるだろう。

ひとつ、()()()の言を信じ、主の復権をただ願い……



街に、地獄の幕を降ろす。





「「はあ……?」」



帰って早々1部屋に集め説明会を開始した。

ミッテルを見た瞬間に誰?という顔をした2人に夕焼けになりかけるまで喋り精一杯の説明をして結果……はあ……?だ。

言いたい気持ちは分かる。

僕も少し信じ難い状況になっていることはわかる。



ここら辺の説明をして良いものかと思ったが、ミッテルの許可も得られたので全てを話した。



それでも急に吸血鬼(アスターヴァンプ)とか聞かされても?を浮かべたくなる気持ちはある。

それに人を襲うんだぞ。吸血族(ヴァンプ)との違いで頭がこんがらがる。



「つまり、ムートはまた危険に突っ込んだってこと?」



リーシア……今回は頼ろうと思っている。

だからそんな言い方をしないでほしい。



「そうだね。……でもリーシアがいないから逃げてきたよ」



僕の言い訳に対して納得はいってない顔だ。

僅かな顔の火傷すらも許されないらしい。

過保護が過ぎるな……凄く嬉しいんだけどね。

頼ってほしいと言われているのだし頼らない手はない。



「……あー、つまりこの街にその吸血鬼(アスターヴァンプ)だっけか?ってやつが潜んでるんだよな」


「そうなるね」


「そいつらは、人を喰って自分の部下にするんだよな?」


「そうみたいだね」


「俺らも、血を吸われたりしたらなるのか?」



なる……のかな?

ある程度の実力があれば対抗できる仕様でもあるだろうか、そこら辺のところはどうですか、ミッテルと言いたいげな顔で見る。



流石に誰でも通用するなんて、無法な性能はしていないはずだ。

マカの実のように生命力(オーラ)次第で弾いたりできるに決まっている。そうでなくては強すぎる。



「……なりますね」



なるのか……。

咄嗟に首に手を当てる。

噛まれて……ないよな?速かったけどそこまで尋常な速度でもなかったし、気づかれないうちになんてことはなかったはず……ないな、よし、噛まれてない。



「もしかしてムート……噛まれたの……?」


「いや、噛まれてないから大丈夫」



本気で心配されたので冗談でもやめておこう。

そんな僕たちを他所にミッテルは説明をする。



吸血鬼(アスターヴァンプ)にとって、吸血は3つの意味があります」



全員に見えやすいように、指を1本立てて見せる。



「まずは食事。吸血鬼(アスターヴァンプ)は血を吸わなければ生きていけません。人族、獣族(ライカン)妖精族(エルフ)鉱鉄族(ドワーフ)……まあ基本どんな生物の血を主食としています。人族の血が1番美味しいらしいですが」



要らない情報だ。

血をチューチュー吸い出す趣味もないし、何が美味いかは覚えておく必要はない。



「こちらは吸血族(ヴァンプ)にも当てはまりますね」



ミッテルは2つ目の指をあげる。



「次に眷属を増やすためです。群れの形成、同類を作るとでも思っていただければよいでしょう」



死人を思い出す。

アレは、吸血鬼(アスターヴァンプ)に血を吸われ同種になった元人族。



「こちらの機能は既に吸血族(ヴァンプ)にはないですね。なんせ、彼らはそれをせずとも生殖で子孫を繁栄させられます。……しかし、吸血鬼(アスターヴァンプ)にはその機能がない。生殖機能がなく、子孫を残せません」



子を成せない。

生物として欠陥している。

彼らの祖たる『神祖』は何を思って吸血鬼(アスターヴァンプ)をこのような種にしたのか、誰も分かりようがない。



「彼らにとって吸血とは食であり性。手に入れられなければならない物です。吸血の際は獲物を糧とし、同時に彼らの血を注入され、自らの血肉の一部とする……これが眷属というものです。眷属を増やし同胞を作ります。その中から後継者を見いだし、自らの血肉を授け次代に受け継ぐ。これが吸血鬼(アスターヴァンプ)における親子の概念です。……他者を消費し続けられなければ生きられない。それが吸血鬼(アスターヴァンプ)



聞けば聞くほど、欠陥だらけの種族だ。

名を聞かないのも当然かもしれない。そもそもの数がその性質上少ないんだ。

他者を喰らわなければ数も増やせない。その対象は狭く、子を成すためには多大な手順が必要となる。

しかし、それでも滅びぬほど強靭。



ミッテルは最後の指を突き立てた。



「3つ目……本能です」



本能。

吸血種としての、()()()()()()()

そう、ミッテルは語った。

そこに理由などない、ただの本能であると。



「全く、我々のことをこうも流暢に喋るとは。教会はいつから慈善集団に成り下がったのだ?」



全員が、声のした方を向いた。

この部屋と廊下を繋げるはずの扉が開き、一人の男が侵入してきた。



誰も、身構えることができない。目を見開き、有り得ぬ存在の登場に面食らう。

どうやって……いや、侵入法は簡単にわかった。

ドアノブにある鍵開けに用いるための銀色の金属部が溶け落ちている。



まるで当然かのように入り込んできた存在……男といったが、男ではあるが男ではない。

彼らに性別があるのかも、不明だ。



他の者たちよりも、僕が早く反応した。



「お前は……!」


「久しぶりだね。私の腕を鮮やかに切ってくれた狼よ」



奴は、切断したはずの左腕を掲げ……



薄い笑いと共に、一室を焼き払った。

宿屋は火の海となり柱や壁に床が赤く千切れ、木造建築が多い街の風景を赤く塗り染めた。



あらゆるものが焦げて、空気が黒煙に包まれる……それは平穏が覆った、まるで地獄のような光景へと変貌した。

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