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第22話 偶然は主の導きなれば

聖都とはたった5日でお別れとなった。

理由は単純にリーシアが居心地悪そうだったからだ。

やはりまだ人が多いところは苦手かな。

ちょっとづつ慣れさそようと思ったが、今回は失敗だった。

聖都だしな。西方大陸でここ以上に賑わう街はない。

商業連盟国コスタールから急に難易度をはね上げすぎたかもしれない。僕の責任だ。



僕としてはイリアスの大聖堂も見れただけで満足している。

それに宿屋の聖都価格がかなりの痛手なので早めに立ち去る計画だった。

ちょっと早くなっただけで、あまり変わりはない。



目的地は隣町のカメリという街だ。

のどかな雰囲気が売りの小さな街で良さそうだからという理由付けをして、割と路銀のピンチなので隣町でとりあえず稼ごうというのが本音。

100万ゴルなんてすぐにパー!だ。

旅ってのは世知辛いな……野宿なりすれば耐え凌げるけど、それは最終手段にしたい。

僕たちまだ子供ですし。

これが責任をもって見張りを交代ごうたいで出来るなら良いが、それもなせないヒヨっ子集団でしかない。

野宿=死だ。



「ごめんね……わたしのせいで……」



移動中にそんなこと言っていたが、全く思ってない。

ごめんなさいなんて言う必要はない。

人には自分の善し悪しがある。聖都の雰囲気が合わないのは悪いことじゃない。



「リーシアのせいじゃないよ。リーシアに合った空気を作れなかった聖都のせいさ、聖イリア唯一の失態だね。天使(マイエンジェル)を許容できないなんて神も堕ちたものだ」


「それは、違うんじゃない?」


「違わないよ。聖都は祝福の街でなければならない。君がそれを良しと出来なければ聖都は聖都としての役割は完全に瓦解している」


「でも、綺麗だったよ」


「なら良かった」



わざわざ擁護しなくてもよいのに、リーシアは良い子だな。



「綺麗なだけで居ずらかったけどな」



仲間たちには不評だったようだ。

レッドウルフは花より団子ってことか。





カメリの街で宿をとる。

新しい街に着いたら宿を探す。レッドウルフの本能行動になりかけている。

レッドウルフはまず宿を探す習性があるのだ。

新発見だ。すぐに論文を出さねばな。



今僕だけが外出している。

気分転換に、調査に参った。

聖都とどれくらい違うのか。今のところ結果はそこまで感じられない。

まあ首都の隣町だしそこまで変わらないのはそうなのだが、宿の宿泊代が4900ゴルだったのでもしかしたら……なんて思ってしまったものだ。



しかしやはりここは西方大陸だ。

見覚えのある食材が沢山ある。西方特産の豆とか。

食塩でまぶしたものをツマミに食べるのが美味しいんだよな。

お手軽だし旅のお供に良いかもしれない。ひと袋買って帰ろうかな。



食材など腐るものはリーシアの魔法で冷凍保存できる。

食べたければ魔法で解凍すればいい。

魔法はやはり便利だ。

空間魔法というものもあって、異空間に物を出し入れすることができる。

是非ともリーシアに覚えていただきたい。



リーシアなら出来そうな気がする。

彼女は順調に魔法を習得していき冒険者になってからもうすぐ1年……既に最上位に片足突っ込んでいる。

11歳でこの才能……大人になる頃には聖位や天位までいってもおかしくないな。



僕も、頑張ってるんだけどな。

修行はちゃんとしている。時間があれば剣を振るし、生命力の操作もする。

それでも最近は伸び悩んでいる。

10歳。慌てる歳ではまだないかもしれないが、昔よりは確実に成長速度が衰えている。



独学の限界が近いのかもしれない。

僕の周りに居るのは、天才と天才。

片や、魔法の天才。

片や、闘気の天才。

コツを聞いても曖昧な返事しか返ってこない。

なので、2人の動きを見て学ぼうとしているが、それも無理がある。



そもそもの肉体構造が別格。才人は体の作りから異なる。そういったものは常人には追いつけない。

いっそ、どっちかに重きを置いてみるのも良いのか?

闘法魔法を扱う者をどっちつかずと呼ぶ。

その理由は弱いから。

中途半端に築かれた2と、究極にまで磨きあげられた1とではレベルが違う。



しかし、今この状態こそまた至高だ。

両が完全に同となり、魔闘法なる奇跡を実現できている。

これを失えば、僕は一生追いつけない気がする。

唯一誰かに優っている点だ。魔闘法は手放してはならない。何より魔法剣ってのはかっこいい。



魔闘法を上手く扱えば最上位の相手もできる。

まずは、上位の闘法と魔法を習得して上位魔闘法を完成させる。

ここから頑張らないとな。

位が2段上の相手にも魔闘法は渡り合えた、ということは単純計算で上位なら聖位も相手できることになる。

もちろん、最上位と聖位の間には遥か大きな溝が存在することは知っている。大穴と言ってもいい間がある。

しかし、付け焼き刃としてくらいなら魔闘法も通用するはずだ。



「まあ何事も努力あるのみですね」



僕には努力の才能があると自負できる。

英雄になりたいという願望は僕に原動力を与える。

器用ではないが粘り強く根気よく続けられる。

スタートは違うが、最後に行き着く早さは僕の方が早くすればいい。



「……と、強くなることも大事だけど。今を楽しむくらいの立ち止まりくらい許してくれるよね」



目的が市場調査と言ったが、半分本当で半分嘘だ。

半分は、いま香ってきている匂いやかの正体を探るため。



馬車での移動中に僕の鼻はこの匂いを捉えた。

忘れることはないだろう。この匂いを最後に嗅いだのは3年前の事。

商業連盟国コスタールや聖都ムーンにあるかないかと探して回り、今日ついにお目当ての品に出会える気がする。



釣られるように、匂いを辿る。

近寄るにつれて食欲を腹の中から押し出されていく。

昼食は食ったばっかりなんだけど、それでも抗えない誘惑。

それはそれ、これはこれ、溜まった胃袋とは別腹だ。



昼の陽がいつも以上に輝いている気がするぜ。

僕の心のように澄み渡る青空で、爛々と輝く中天。

肌を刺す陽の光をかき分けて、僕は見つける。



1つのお店。早速入店する。

木造で古め、しかし内装はモダンで綺麗だ。

棚に並ぶのは、芳ばしさを溢れさせる菓子類。

焼き菓子多めでどれも美味しそう。見ているだけで腹が空く。

チョコレートマフィンとやらも気になるが、手に取るのは一択だ。



ゲベーク。

僕が求めた最高の嗜好品。

西方大陸でしか味わえない単純で奥深き甘味を引き出す究極の菓子のひとつだと思う。

せっかくだ、皆の分も買って帰ろう。

箱詰め10個入り1580ゴル。

僕の知っているゲベークよりも少々値が張るが、誤差の範囲だ。

物価高か地域が違うからか、分からないが、高くなっても安定の安さに安心だ。



10個入りのゲベークを買ってらんらんと足を進める。

帰ってからのお楽しみ、食べ歩きをしていたら路地裏からの悲鳴が出てくる可能性がある。

そういう危険は全部避けていくべきだ。

まあ、もう2度も合ってるんだし3度目はないだろう。

2度あることは2度ある?

違うね。3度目の正直だ。



馬車を避けるように端で歩きある路地裏を見ているが、なんの危険もない。

今のところ12個ほど路地裏と出くわしているが人攫いはいない、気配もない。

考えすぎだな。



ゲベークの事だ、ゲベーク。楽しみだな。

しかし、ゲベークがあるということは、近づいてきているってことか。

西方大陸に入った時には感じなかった間近に来ているという感覚をゲベークで得られるとは。



手紙をまた出してみるのも良いかもな。

北方大陸で何度か送ったが、届いているのかは定かではない。

返信も来なかった。



帰るまで少なくとも1ヶ月はかかるし、ここで手紙を送って生存報告をしてもよいかもしれない。

運が良ければ返信に出会える可能性もある。

レッドウルフのムート。初心者にしては名も少し売ってきているし、冒険者ギルド経由で手紙を受け取れる。



うん、手紙を送ろう。

そうとすれば、早速帰って手紙を書こう。



うーむ、何と書くか。

この3年間のことを書くのはもちろんだが、人攫い部分はぼかして書こう。流石に心配させてしまう。

ランガルさんの事、冒険者をやっている事、強くなった事、いつか孫の顔を見せてあげられそうな事……これは早すぎるな。

書きたいことは沢山あるな。



なんて考えている時、路地裏へと繋がる通路から人影が出てきた。

おいおい、2度あることは3度目なんて嘘だろ……もう勘弁してくれ。

それでもここを通り過ぎることが出来ないのが僕だ。

レッドウルフの掟その1 困っている人は助けるべし。



「あれ……?」



しかし出てきた人物は予想の斜め上であった。

緑髪、白パーカー、短パン……ここまで揃う印象があれば名前も知らない相手でも覚えている。

僕よりも少し背が高い。152cmくらいか……下から見上げる顔はやはり見覚えがあった。



彼も僕の存在に気がつき、視線が交差した。



数秒間そのままで、何もなかったかのように彼は路地裏から出てきたとは思えないほど自然に通りを歩き始める。



…………………いや、何もないのか!?この展開って何かあるんじゃないのか!?



「あ、あの……」



遠ざかりつつある背中に声をかけてしまった。

特に理由はないが……少し縁があるんだし、挨拶くらい交わすべきではないだろうか。



自分にかけられた声と判断した彼は、緑髪を揺らしながら頭だけこちらに振り返る。

その顔は、穏やかでありながら感情がない笑顔を見せながら。



「何か?」


「……あの時の、イリアスの大聖堂で教皇を老害とか言っていた人ですよね?」


「はて?そんなことありましたか?」



本当に知らないという顔で首を傾げている。

僕は覚えていたが、この人は覚えていなかった。

よく分からない説法を説いておいて覚えていないとは……教皇が老害とか、忘れないだろ普通。



「ガッツリ教皇が面倒臭い彼女とか言ってましたよ」


「なんのことやら……」



これ嘘だな。

覚えているけど失言を認めたくないんだ。

あの発言を言い逃れしようとしている。できるわけがない。

大聖堂であんな発言をするとは、とんだ阿呆だ。



改めて考えなくても、あの発言はアウトだ。

教皇侮辱罪で極刑にされても文句は言えまい。

ここはいっちょ自分の罪を認めてもらおうか。



「教会にチクリますよ?」


「勘弁してください」



早かった。

1秒もなかった。

彼は己の非を認めて、悔い改める……ことはなさそう。

はあ、面倒くさ、なんで自分が……という不貞腐(ふてくさ)れた顔をしている。

反省の色が全く見えない。なんだこいつ。

聖騎士と話してたし教会関係者だろ。教皇への悪口は普通に駄目な発言じゃないのか。



「はい。そうです。私です。あの時の、私ですとも。おや、偶然ですね、迷える子羊さん。こんなところで私を呼び止めるとは、懺悔でもしたいのでしょうか?残念ながら私はまだその資格がありません。良ければ、この先にあります教会をお使いになるのが良いでしょう。それでは」


「いや、それではは無理ですよ。あの発言は取り消せませんからね!?」


「ちえ……」



ちえ、って……子供かよ。子供だった。

こいつには聞きたい事があった。会話の端々に気になる言葉が多々あった。

まるでリーシアや僕の何かを知っているような、それを聞き出したかったが先日は聖騎士の邪魔が入りできなかった。



だが、今日は違うだろう。

邪魔者はいない。こうして対面している。なら聞き出せる。



彼は罪の子は罪と言った。

その後に、僕たちに罪はないと言った。確かに罪はない。

しかし、それは僕とリーシアがまるで罪の子であるような言い草だ。

それはどういう意味か……聞かなければならない。



「罪人の子供は、罪じゃない。それは僕も同じ意見です。……でも、僕と隣にいた妖精族(エルフ)の子が罪の子供ってどういうことですか?」


「そんなこと言いましたか?」


「言い草は違いましたけど、確かに同じ印象の言葉を言いましたよ」



真剣に、問いただす。

僕の両親は別に罪を犯していない。

それに、リーシアの情報がこれで探れるかもしれない。

現在の目標は僕の故郷へ帰ることだが、その後はリーシアの故郷を探す事になる。

僕はリーシアの事を知らず、彼女が何処から来たのか知らない。

こいつは、何か知っているかもしれない。



「知りたいですか?」



うざい。

ニヤニヤした顔で、おちょくったように言葉が浮いている。

こっちは至って真剣だというのに、こいつは足元を見るように値踏みした目で見てくる。

本当に子供かよ……。子供らしからぬ、悦を求めた目をしている。



しかしその表情は一瞬で切り替わる。

真面目なものに、彼は真顔にも似た仮面を被った。



「いいでしょう。そこまで知りたいというのならば教えてあげましょう」



先程とは打って変わってだ。

高速で七変化を果たすこいつに翻弄されている感覚。

あまり好きではないタイプ。情報をくれるというのなら、我慢はするが。



行儀よく待つ僕に、彼は指を1本突き立て真正面に持ってきた。



「条件があります」



条件。

何となくわかっていた。

ただではやらんという雰囲気だった。

会話する限り、聖職者の端くれなのだろうが無償で善行を成すようなタイプじゃない。

あくまで目的が合致しなければ信用も信頼もしない、本性を誰にも見せようとしていない。



しかし、条件か。難しくないものがいいな。

教会の手伝いを1日するとかだったら喜んでやるけど……そんな簡単なものだろうか。

こいつを見る感じ、そんな平俗なことを要求してこなさそう。



「何、簡単なことですよ。単なる悪党退治です」



彼は何のこともないと付け加えてそう話した。

ほう、悪者を成敗するのか。

それならやる気はあるぞ。正義を執行するのが英雄だからな。



「これも主の導きなのでしょう。主が用意してくださった必然の偶然、取らない手はありませんからね」



聖イリアがこの状況を持ってきたと本気で思っているのか。

やはり聖峰教会民、神を信じ全ては神ありき結果とする。



彼は、こちらに手を差し伸べてくる。

僕は情報を得るために。

彼は悪党退治をするために。

一見すると、両者得をしそうだ。

怪しさ満点の聖職者を信用するわけではないが、目の前に餌を吊るされているのに食いつかない魚はいない。



僕は、手を取る。



そもそも悪党退治なら僕も願ったり叶ったり。

僕は得しかしない。そうだ、得しかない。損は決してしない。

だからこの関係は不当にはなりえない。



手を取った瞬間、彼の顔色はパーッと明るくなる。



「ありがとうございます。いやあ、実は私1人でどうにかなるとは思っていなかったんですよ。よろしくお願いしますね……ええと……」


「……ムートです」


「ムートくんですね。はい、改めてよろしくお願いします。これも主のお導きあってこそ……」



一々主が主のお陰とか、聖峰教徒はこれだから考えなしと言われても仕方ないんじゃないのか。

まあ僕も聖峰教徒、少しは聖イリアを信じている側だしあまり愚痴は言わないけどね。



「おっと、忘れておりました。失礼。私も身分を証す必要がありました」



すると、彼は忘れていたとばかりに自らの名を語る。



「私はミッテル・ニニア・カードナー。見ての通り見習い神父です」





ミッテルと名乗った少年は、僕よりも3つ年上の13歳であった。

彼の父親は教会でもいいところの地位にある人らしく、そのせいでこの歳から聖職者としての修行をさせられているという。



今回の悪党退治もその一環。

聖峰教会に仇なす神敵を打ち倒すこともまた修行であるというらしい。



ちょっと同情した。

自由はなく、常に神の従僕として育てられた。

聖職者としての立場上他人の苦労をよく聞くらしく、そのせいで色々と拗れてしまっていると医者に診断されたようだ。

その事について謝られたが……そんな話聞かされたあとでは考えを改めざるを得ない。



13歳で誰がために心身を削っている。

立派な事だ。

僕は生きるために身を削ることはするけど、無償での人助けなんて精神が強くなければとても。



考えを改めざるいい機会になった。

ミッテルの評価は少し上がった。

悪い人ではないんだよな。悪を良しとしないのは崇高な事だ。

本人はまあ悪党の1人くらいどうでも良いというスタンスっぽいけど。

曰く、



「こんな小悪党程度で世界は揺るがないのですからもっと大敵に目を向けるべきがよいでしょう。過激派魔王とか、聖峰教会の戦力を用いて滅ぼすべきかと」



物騒。

過激派の魔王を倒すって……第二次魔神大戦が勃発してしまうぞ。

最後に冗談です、と付け加えられたんだけど、ミッテルの話は冗談でも冗談に聞こえない。

冗談なのは確かなんだけど音調が本気なんだよ。



「まだですか、ミッテル?」


「もう目と鼻の先ですよ」



しかし、長い。僕たちは路地裏を歩いている。

何度か曲がって曲がって、道は覚えていない。

彼は躊躇うことなく足を進めている。目的地を知らないので僕はミッテルに着いていくしかない。



ミッテルは悪党の本部を特定したが、武力的に不安だったので1回助けを求めるため路地裏から出てきたらしい。



リーシアにも助けてもらうべきかと思いもしたが、僕1人仲間につけただけで解決できそうな感じだしやめた。

相手が強敵であるならば、もちろんリーシアに頼るが自分で解決できる範囲の相手をリーシアにも手伝ってもらうのは怠慢だろう。



それにミッテルは何も言わない。

敵の情報も把握しているはずだ。分かっていなければ自信満々にもなれまい。

つまり大丈夫、余裕でいける。



そんなことを思っているとミッテルは立ち止まった。

目的地は此処、というわけか。



あるのは、古びた扉。

扉には錆びたプレート……読めないこともない。

『夜の(あけぼの)亭』。秘密基地的な酒場か。

路地裏に隠れるように酒場がある時がある。ここもそのひとつか。



手入れがされていないところを見ると、閉店した酒場をアジトとして使っているのだろう。

結構夢があることするな。

酒場をアジトとして流用するのは嫌いじゃない。



さて、どうしたものか。

突撃?潜入?

やはり突撃だ。一瞬のうちに何人持っていけるか……不意打ちの『瞬動速』を使えば数人は仕留められる。

仕留めるって言っても峰打ちだけどね。

本当に殺しなんかしな、



「はい?」



ミッテルは扉を開けた。

合図もなく、戦闘態勢になるでもなく、ただ扉を開けた。



仕方ない。剣を引き抜く体勢でミッテルの前に出る。

『瞬動速』の準備をする。

足先に生命力(オーラ)を全込め。

踏み込みの爆発力を高めた超速ならば、敵に身構える術も与えず倒せる。



「何してるんですか?武器なんて構えないでいいので行きますよ」



しかし、ミッテルはそんな僕を押しのけて、ズカズカと入っていった。

ちょ……中には誰もいない?

確かに、目で見る限りでは人っ子一人いやしない。

すぐに『五命感知』を使う。



……………命の気配はない。

蜘蛛とか小さな命を少し拾えたくらいで、人並みの生命力(オーラ)は営業を終えた酒場にはない。

……僕の早とちりか。



ミッテルも入っているし、僕も続いてはいる。

軋む木の板、足音を消そうとしても重みがある物があれば音を立ててしまう。

『無音立踏』でもちょっと難しそうだな。

戦闘には向いていない。



立地的に陽の光は入り込まず昼なのに暗い。

歩くだけで埃が舞い上がる、掃除はされてないか。

内装は普通の酒場だ。

カウンターと数個の机、2階もなく1階のみ。内包できる人数は40人あまり。

なんてことのない酒場だ。



ここをアジトとして使っている奴らは外出中なのか?

しかしそれにしても、人のいた痕跡がなさすぎる。

アジトだったら明かりのひとつあってもおかしくない。



カウンターの奥にある棚に飾り立てられた酒瓶……赤く、僕たちの歩みに合わせて動いている。

気になって取ってみると、それは赤酒。中身が入っている。



少々散乱しているが、当時のままの形を保っている酒場。

夜逃げでもしたのか……綺麗にすれば営業再開もできそうだ。



目移りしている僕とは対照的にミッテルはただ一点を目指している。

骨董品が入ってそうな棚……硝子で遮られているが骨董品が中にある。

価値は、あまり分からないがちょっとした値段にはなるはず。

盗みやしないよね?



ミッテルは棚を、押した。

ガタン、と大きさの割に動いたかと思えば……ミッテルは棚を横に引いた。

すると軽々と、棚は横に移動したではないか。

いやいや、どんな怪力だよ。ランスか、この人。



「この先です」



棚の奥にあったのは、扉でした。

扉ではなく、空洞。穴が開いている。

人1人が入れるくらいの穴だ。

飾り棚に隠されていたのは秘密扉……男のロマンが詰め込まれているぞ。



「まだ罠はないので安心ですよ」



まだ、ね。

つまり中には罠があると……行きたくなくなる情報をありがとうございます。

それはそうと罠があると分かれば対策も練れるので、そこもありがとうございます。



ミッテルの後ろから覗き込む……暗い。

奥が見えない。暗黒の入口。暗闇だけが存在する。

下へと伸びる、石造りの階段がどれほど続いているかも分からない。

とにかく、奥は黒だけだ。



「見えませんか?」


「心の目的なのなら、空間把握はできますけど……」


「逆に凄いのでは?」



分かるけど、目に頼りたい人生。

獣族(ライカン)の戦士として肌感覚だけで位置把握くらいできないと、ランガルさんに叱られてしまう。

着火(イグニ)』で照らしながら進もうかな。



ミッテルは自身に何らかの魔法を付与する。

貴方もしますか?と言った感じで手を出してきたので取る。



「お、おお……」



目の前に映る暗闇が視認出来るようになった。奥の奥まで見える。

暗視の魔法ってやつか……ほとほと魔法は便利だ。

極めればなんでも出来る。

出来ないことはない。



「主の正道に暗闇はありません」



想像の仕方は人それぞれ。

曖昧な想像でも信じられるのならば、暗視の効果を与えることができる。

それほどまでに聖イリアを信仰している。

これは参考になるかもしれない。心のメモに書いておこう。



しかし、目視できても目の限界で最奥までは見えない。

ここから先は自分の足で確認するしかない。



「私が先行しましょうか?」



どうぞ、どうぞと譲りたいけどミッテルに近接手段がなさそうなので僕が行こう。

安全第一。無駄な手間を負わせるわけにはいかない。

最大警戒で階段を降りていく。ミッテルも僕の後ろに着いてくる。



近場に罠はなさそう。

よし、突入開始。ルストと戦った時とはまた違う緊張感だ。

緊張するが、ワクワクもする。

悪の組織のアジトに侵入なんて、冒険にあって然るべきイベント。

英雄を目指す僕からしたら、心躍る冒険の一幕だ。





正直言うと、認識が甘かった。

悪は悪でも、ミッテルや僕基準の悪ではない。

聖峰教会からすれば、痛手ではない小悪党の類だったのかもしれない。

僕からしたら悪魔だというのに……。

というか、ミッテル。こいつ分かって僕を引き込みやがった。



この階段の下が、まさか地獄の底なんて。



この時の僕は、そんなこと思いもせず、軽い足取りで地獄への道を進んでいった……。

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