第17話 決意は早めに
ブランネ・ネージュ・カルドは7歳である。
生まれて7年。外の世界を知らない。1度も屋敷の外に出たことがない。
屋敷の中という小さな世界しか知らないのだ。
とはいえ、屋敷は子供にとっては窮屈さを感じさせないほど大きい。
ブランはこれといって不自由な生活は送っていなかった。
決して両親に愛されていないわけではない。
むしろ逆に、ブランは愛されていた。溺愛と言ってもいいほど愛されていた。
現当主グルマン・ムジィナ・カルドはその地位について6年経ったというのに子宝に恵まれなかった。
妻との馴れ初めはそれこそ10数の年月もあり、子を成すために愛を幾度となく育んだ。
それでもなお、子宝に恵まれることはなかった。
妻であるパルムの体質によるものと医師に診断されたが一時は諦めかけたが、それでも跡継ぎを産めねば当主としての役割は終われぬ。
グルマンは愛妻家であり妻以外に手を出す気はなかったため時は経つに経ち、ようやく産まれた第一子こそブランである。
男ではないため跡継ぎは少し足りないかもしれないが、そんな事はどうでも良かった。
表向きは正式な跡継ぎのためだが、グルマンからすればカルドの名を継ぐどうこうより自分の子が欲しいとい理由だったため男か女かは重要なところではなかった。
そうして産まれたブランは両親から愛情を授けられ健やかに育ち、暗雲なく愛され続けた。
両親からは本物の愛情を受けた。しかし、愛が強すぎるがあまり束縛気味になっていた。
屋敷から1歩も外には出てはいけない。
それが両親から決められた絶対の規則。ブランからしても両親は誰よりも信頼に足る人物なので、その規則を破ろうなどという気もなく7歳になるまで屋敷から出ようとすら思ったことはなかった。
それは確かに愛で、しかし子供の自由を奪うもの。
両親の過干渉、過保護がすぎるあまりに、ブランもそれが当然と受け止めた。
幼き頃より誰かと交流し教養を積まなければ、跡継ぎにはできない。
両親は子可愛さだけに、考え無しな愚行を平然と行った。
このままではブランはカルド侯爵の座を受け継かず、親が選んだだけの貴族家系の許嫁と結婚し一切の自由もない鳥籠の中の両翼を折られた雛鳥で終わる……はずだった。
庭は広い。
見渡すだけで感嘆の息が出てくる。端から端まで走るだけで疲れ息を吐くような広い庭。
貴族の中でも侯爵は上級貴族。持ち家の庭が下手な小屋敷ほどあっても不思議ではない。
ブランは庭が好きであった。
屋敷の庭園は代わり映えしない屋敷内とは違い、年月によってその姿見が大きく移り変わる。
春ならば花々が咲き誇り、夏ならば木の木陰が涼らしく、秋ならば普段見る物が紅と変わり、冬ならば雪が白色に染めあげてくれる。
特に冬の雪は彼女の気に召すらしく冬は屋敷の中にいるよりも庭に居る方が多いほどだ。
母譲りの銀髪と被る雪の白さ。白という色が好きなブランにとって北方大陸の冬というのは1年通しての楽しみの1つである。
今年の秋季のやってき始め、父の話では雪が降り始めている地域がもうあり。
もう時期ここらも雪が降るという言葉に胸を躍らしていた。
両親の教育によって優しさだけが培われた彼女は、庭にある花の手入れを怠らなかった。
本来は侍女がやる仕事だが、ブランは頑なに花の手入れを他人にやらせることはなかった。
それが優しさから来るものなのか、暇であるがための趣味のひとつなのかは……両親共に分かってはいなかった。
7歳にして花の手入れという仕事素晴らしさはそこらの大人を凌ぎ、教育係の者も花の手入れという一点は手放しで信頼する程だった。
冬が来るということは花は枯れる。
花は美しいからこそ、最期の一時まで綺麗ではなくてはならない。
そんな精神性で苦とせず手入れを行っていた……時だった。
「え?」
体が震えた。
一際大きな音で、ビクッと震えた。
大きい音に慣れていないブランには世界がひっくり返ったような衝撃だっただろう。
何の音か?好奇心はない。
誰かが怪我したのではないかという不安だけがある。
この屋敷にいる侍女達は皆一流だ。失敗は早々しない。
失敗するということは、何か想定外の事があったという事。
しかし、誰も失敗していない事にすぐに気がついた。
そもそも音は自分の前から聞こえたもの。
屋敷は後ろにあって、前には外と隔てるために建てられた壁と隣り合わせに植えられた木と自分が手入れしている花しかない。
「いてて……なんでこんなに壁が高いんだよ」
打ったのか少し赤くなった頭を擦りながら起き上がる……父と同じ黒色の髪を引き下げた同年代の少年。
「あ……」
「……………」
目が合った。
ブランにとって、同年代の異性は全くと言っていいほど知らない。
見かけた事など数度あるかないか。父の知り合いの子供くらいだ。それも同年代は少ないので、数度が正しい。
会ったことがあるのは、皆が父の知人。
「ああ、っと。アンタ、カルド侯爵の娘……だよな?」
そして自分の身分を知られている。
父も母も知らない同年代の少年。
言ってもいない自分の事を知っている少年。
外の隔絶されたブランという少女にとって、それは……恐怖以外の何物でもない。
「きゃーーー!?お父様お母様!へ、へ、……変質者が!!」
「変質者!?」
目元に涙を溢れさせながら両親から言われた対策法を唱えるブラン。
変質者と言えば誰もが飛んでやってきて、ちゃんとした刑罰を与えてくれる。
とんでもない教えを疑いもせずに実行するブランに、少年は顔面を蒼白に変えながら木の上に昇り始める。
身体能力が子供にしては高い少年は、壁を乗り越えた時と同じ手法で屋敷の外へと逃げていく。
その1秒後に教育係の婆やが駆けつけ、ブランは大泣きしたと言う。
これがブランネ・ネージュ・カルドとレッゾ・ロートの……最悪な出会い方である。
*
その数日後、レッゾ・ロートは当たり前のように壁を乗り越えた。
当初の目的が貴族屋敷を一目見たいというものであり、先日はブランに邪魔されたためその目的も達成には至らなかった。
あんなことがあったというのに諦めないのはレッゾの強さだろう。
彼は街の子供を束ねられるほど強い。腕っ節は確かに高いが、自分よりも歳上に勝てるというわけではない。
レッゾの強さは、他人のために自分よりも強い相手に立ち向かえる心が強いことである。
それ故に皆から頼られる少年であった。
とはいえ、その心の強さも今回は騒動を気にしない事に扱われたのだが……。
流石にあの騒動があった後にブランはいないだろうと踏んだレッゾは、再び壁をよじ登り屋敷内に侵入を果たす。
先日は着地に失敗したが、1度失敗したことを2度も失敗するレッゾではない。
今回は安全を持って木を伝って飛び降りる。木登り経験は子供の中ではダントツなレッゾには、巨木だろうが彼の足場でしかない。
「ふん。貴族様の屋敷だって言うのに案外簡単に入れるよな」
レッゾは知らないが屋敷の護りは完璧と言える。
屋敷を覆うように不可視の結界が張られている。
レッゾは意図も容易く通り抜けたが、本来は敵意悪意殺意などの負の感情を持つものに反応する最上位の結界が敷かれているのだ。
レッゾが通れた理由は邪な感情なく、純粋な好奇心による探求故のものであり、屋敷に侵入することを悪と思っていないからだ。
その事を聞いた少女は完全に警戒心を弛めていた。
先日のようなことが二度とないと、敬愛する両親から約束されたていたから。
安心して花の手入れをしていた。
「あ……」
「え……」
レッゾ・ロートとブランネ・ネージュ・カルド、数日ぶりの再会である。
流石にいないだろうと思ったレッゾ。
変質者が来ないと思っていたブラン。
2人の思惑は、全くかすりもしなかった。
「き……」
き。
その単語がレッゾの耳に入る。
き……きと言えば、先日最初に聞いた悲鳴だ。
またあれが出てきてしまう。
今度は助かる保証はないと本能が悟る。
故に、レッゾはおかしくなった。
「やめろ!」
「んんっ!?」
自分の身可愛さに、か弱き少女にとんでもない暴挙に出た。
そう、ブランの口を塞いだのだ。茂みの奥に隠れて。悲鳴は出せず、助けも呼べないようにして。
「っっ!ん、うっむう……!」
口を塞がれ助けも呼べないので騒ぎ泣くことしができない。
絶望的な状況に、心の中で両親に助けを乞うしかないブラン。
そして、やっちまったと己の失敗に震えるレッゾ。貴族の娘に暴漢を働くなど、極刑でしかない。
「お、落ち着け。一旦静かにしろ。俺は別に変質者じゃないから……な?」
「んっ!!っう……!」
「静かにしろ!」
「んっっっっ!!」
声を荒らげば荒らげるほどパニックとなると分かっていながら静止はできない。
レッゾもまたどうしようもない焦燥をしていた。
「落ち着け!落ち着いてくれ!」
「むうぅ!!っっ!」
いずれ異変に気付いた屋敷の者が捜索し、レッゾは簡単に見つかってしまう。
その前にブランをどうにか落ち着かせてまた逃げる。
そう計画するが、子供の計画なんて何も上手くはいかない。
「んっ!!」
「痛!?おま、噛みやがったな!貴族の娘のくせに行儀悪すぎるだろ!」
ブランを落ち着かせることが出来るとすれば、気絶させるくらいのものだ。
レッゾ・ロートは女の子に暴力を振るうことはしない。
故に、この勝負は、ブランの体力が先に尽きるか、レッゾが見つかるかに陥るのは必然。
2度も失敗してしまえば、3度目はない。
壁の上に常に見張りが配置され、狙撃されても文句は言えまい。
「そ、そうだ!何か、さ?落ち着くもの、想像してみろよ。そうしたら落ち着くはずだぜ?」
好きなモノなどを想像して心を落ち着かせる。
それは母から学んだ精神統一法であり、嫌なことがあればいいことを思い浮かぶことでレッゾは今まで感情を抑えてガキ大将という地位にまで登り詰めている。
ブランの平常ではなくなった頭が、自動的にレッゾの言葉を受け入れる。
ちょっとでもこの状況が楽になれるなら、悪魔の手を取る。両親に申し訳なさを覚えながらも見ず知らずの男の言うことを聞く。
落ち着くものは父と母だ。
父の優しさが好きだ。母の穏やかさが好きだ。
今この2人がいればどれだけ良かったかと……更に不安が襲って逆効果になりかける。
だが。
奇跡的に両親のことを思ったその時に、黒と白の髪が映る。
黒はレッゾの、白はブラン自身のものだ。
それは両親同じ色。
本当に、奇跡的な合致にも満たない少女の幻想。
それが、
「……………」
ブランの心を一瞬落ち着かせた。
今が好機と踏んだレッゾはブランの口から手を離した。
後ろから覆いかぶさるような体勢から、目と目を合わせて対話の構えを見せる。
ここからが重要だ。どうブランを切り抜けるか。
暴力は駄目だ。父から固く禁止されているし、女の子を殴るなんて男としてやってはならない。女は守るもの。
レッゾは拳で制圧するのが得意であるため、それ以外の対応を知らない。
そもそも拳で制せない女の子相手に苦手意識を持っているため尚更だ。
出来ることと言えば、言葉での懐柔。
レッゾに適切な嘘をつける頭脳はない。なので素直に、本当のことを話すことしかできない。
「えっと……俺はレッゾ・ロート。平民だ。別にアンタを攫おうとか危害を加えようとか思ってないから、安心してほしい。ただ……俺は、アンタの屋敷を見たかっただけなんだ。ほら、平民だしこんな立派な屋敷一度は入ってみたくて、そういうことあるんだよ」
「……………あ」
震えがある。くしゃくしゃになった泣き顔。
落ち着いたのはほんの一瞬。次に起こるのは悲鳴だ。
レッゾの言葉に嘘はないが、それはブランの信用を勝ち取れるものではない。
レッゾは間違えた。
女の子に怖い思いをさせて最初に言うべき言葉は言い訳ではない。
父からなんと言われたのかを思い出す。
女は男よりも弱い。だから守ってやるのが男の役目だと。
他の女の子よりもブランは弱々しくレッゾは見えた……いや、実際に弱々しいかった。
「ごめん、なさい。アンタ……じゃない、君を、怖がせるつもりじゃなかったんだ。本当に、ごめんなさい」
心からの謝罪。
頭を下げて、真心からの誠意を見せる。
それがどれだけブランの心に響いたか、レッゾには分からない。
くしゃくしゃな泣き顔は変わらない。ブランの幼童故の可憐さが失われる。
ことはない、逆にレッゾはそれを美しいなどと思っていた。
知らないところで変な才が目覚めていたなど、レッゾは思いもよらないし今後も自覚することはない。
重要なのはレッゾがブランの泣き顔に、惚れてしまっていたことだ。
本来ならばブランが泣き止んだところで逃げ出せば良いだけなのに、こうまでして留まっているのもの全てはブランの泣き顔がため。
「……そ、う……なの?」
涙と鼻水でぼろぼろになりながらブランは安心が欲しくレッゾに問う。
「そ、そう!君をどうこうする気はない!本当だ!」
「本当……ですか?」
「本当だ!」
ブランは信じかけていた。
見ず知らずの少年の言葉を本気で。そもそも他人を疑うということをした事がないブランには、真偽を確かめる手段はないので信じる他ない。
それにレッゾの真剣さがブランにも、僅かには伝わっていた……と思われる。ブランが先程の言葉を何処まで信じたかなど関係ない。
信じて、自分は安全である。
そう思いたいから、信じるのだ。
ブランの泣き崩れた顔が引っ込んでいき、本来の母譲りの美貌に戻っていく。
もったいないと心の奥底で思いつつも心優しい少年であるレッゾは良かったと安堵する。
「とりあえず落ち着こうか。話でもして」
我ながら呑気だと思いつつブランに惚れ込んでいたレッゾに正常な判断が出来ようはずがない。
ブランもそれを暗に受け入れる。ここで断る選択肢をできるほど勇敢でも怖いもの知らずでもないからだ。
茂みの内で2人きり、誰かが来るまでの秘密のお喋り会。
10分後。
「まあ!雪でお城を……?」
「そう、小さなお城だけどな。皆で作るんだ。全部雪になるからな、人がいればそういうのも作れるんだぜ」
ブランは完全に外の世界に魅了されていた。
ついでにレッゾに心を許していた。
純粋無垢な少女であるブランは知らない世界に底知れぬ興味をいだいてしまった。
7歳にある好奇心旺盛さがレッゾによって解き放たれた。
「他にも冬になったら、アレが食べられる。熊肉が美味しいんだ」
「熊?……あの、大きな熊を食べるの?」
「俺の親父が狩人でな。冬篭りのために大人しくなった熊を狩ってくるんだ。でっけえぜ、2mはある熊を食べることだってある」
「2m!?」
たった10分の会話。
それだけで知ることのなかった外の事が楽しみで楽しみで仕方なくなった。
いつしかブランには憂いの表情はなくなり、顔には屈託のない満面の笑みだけが広がる。
「お嬢様……?何処におられるのでしょうか」
10数分音沙汰がなければ不審がられる。
数日前のレッゾ侵入事件もあり警戒態勢になっているため少しの沈黙は大騒ぎに繋がる。
お互い顔を見合わせる。
たった10分間で有り得ぬ関係性になった2人に名残惜しさが生まれる。
レッゾはもっとブラントいたい。
ブランはもっと外の話を聞きたい。
互いに『もっと』という気持ちが治まることはない。
「とりあえず、また明日にしようか?もっと話したいこといっぱいあるし」
明日も侵入できるとも限らない。約束にしては曖昧な確率。
ブランに会えるのなら、どんな困難すら掻い潜る覚悟でレッゾは心に誓う。
「本当ですか!?私ももっとお話したいと思っていたんです」
ブランも歓喜で受け入れる。
明日も明後日も、その後も後もずっと来てほしい。
そんな我儘をぶつけられては、レッゾは断ることができない。
よし、叶えてやろう。絶対に叶えてやろうと決める。
「話すだけじゃないぞ。俺がブランを外に連れて行ってやる」
「レッゾさん……」
時間はなかった。
教育係の者がブランを探している。
一言約束して、レッゾは軽やかな足取りで壁を登り逃げる。
最後にブランに手を振り、名残惜しさを残して明日も来ることを誓う。
その後も侵入しブランと色々なことを話して、瞬く間に関係は濃密になっていった。
膨れに脹れた欲望。ブランを外に出すと外を見てみたいという欲望は簡単に諦めきれるほどではなく、純然の中にある悲劇を招いた。
*
「俺が外に連れて行ってやるって言って……それで」
外には行けたが運悪く人攫いに捕まり、あの現場に繋がったというわけだ。
一部始終を聞いたが、ラブロマンスだ。
途中怪しい表現もあったが、まあ物語として売り出せるのではないか。
いやあ、でもこういうのいいよな。こういうのでいいんだよ。
僕もリーシアとこんな感じで出会いたかった。お城のお姫様のリーシアを迎えに行くところから始まる物語。
僕の天使は牢獄に居たが、それで救い出せただけ良しとしよう。
ある意味でラブロマンスだ。
リーシアは不機嫌だけど。
自分でもブランネに対するAランク確定は失言だと認識している。怒られて当然。
しかしブランネがAランクならリーシアもAランクだろ。
幸いは、レッゾには分からない身内ネタであったことかな。
事情は分かった。
ブランネ・ネージュ・カルド。
カルド侯爵の一人娘。愛されし白姫。
ブランネが姿を消して約5時間前後。カルド侯爵は私兵を使い街を捜索しているはずだ。
ブランネの身柄が見つかるのは時間の問題と言える。
話に聞く限りカルド侯爵は血眼でブランネを探しているはずだ。相当な執念、容易には逃げられない。
ブランネの気持ちは定かではない。
あんな目にあったのだ。もう帰りたいと言い出すかもしれない。
まだ屋敷の外に幻想を抱いて理想を追い求めているかもしれない。
ブランネをカルド侯爵の屋敷に還してあげるのが最善手。しかし、それではブランネの夢が叶えられない。
なのでレッゾは衛兵を呼ぶことを躊躇った。
箱庭のお嬢様に一時の夢物語を。
レッゾは聞くだけで心優しい少年と分かる。
歳は僕と2しか変わらないが、勇敢で勇気がありわんぱくだが一途だし。
ブランネの夢を叶えてあげたいのは本心だろう。
さてさて、どうしたものやら。
「君たちの状況はわかった、レッゾ。で、どうするつもりなんだい?」
これからの事。
ブランネの意見を聞かなければ全ては始まらないが、その前にレッゾの気持ちを聞いておく必要がある。
ブランネをどうしてあげたいのか。
事の発端はレッゾにある。レッゾに判断が寄るのは当然だ。
「……ブランに、楽しんでもらいたい」
即答。
迷いない目線に向けられては否定しようもない。
レッゾはブランネを帰す気が……あるのはあるがせめて楽しんでもらってから、それが染みるように心に絡みついて頑なにブランネを手放さない。
この感覚は知っている。
2年前にリーシアに想ったことと同じだ。
嫌に自分と重なってしまうから、レッゾはなんだか無視できない。
「じゃあその定で話を進めようか。そこはレッゾとブランネ様が話し合ってほしい。僕たちは関与できることじゃないからね」
レッゾとブランネの処遇。僕たちはこの事について意見しない。
リーシアそれを受け入れてか、何も言うことはない。
レッゾが何をどうしてブランネと過ごすか。それはもうお2人に託される。
恋する男女に関与しない。こんなの世の鉄則だろう。
レッゾはブランネの傍に。今度はリーシアと向かい合う。
その顔は険しい。まだ怒っている。
次の議題はリーシアを宥め……じゃない。それは僕にとって第一重要だけど今は置いておいてほしい。
「あの、リーシア……ちゃん?」
「何?どうかしたの、ムートくん」
怒りすぎでは……ムートくんって。可愛いからいいよ。
「じゃなくて、真面目な話だからちょっと今は怒りを抑えてほしいんだけど……いいでしょうか?」
「……………何?」
「人攫いの件でちょっと話し合いを」
リーシアの顔が強ばる。
彼女にとってその単語、その行為は思い出したくもない事だ。話すのは、忍びない。
しかし話しておかないといけない気がする。
「僕が聞いた話だと、4番街の東側にある廃倉庫で子供の引渡しをするらしい」
「今すぐ助けに行こう!」
「待って」
引き止める。
リーシアは正義感が強い。あの境遇を味わう前に助ける。彼女のことを少しでも知っている人ならば想像に容易い。
「どうして!?ムートはあんな地獄を他の子に見せたいの!?」
「そんなことない。そんな暴挙を2度とさせないためだ」
彼女の気持ちは痛いほどわかる。
僕も当事者だ。
今すぐ助けに行けるなら、行くべきだ。
しかし、それでは奴らは止まらない。一度の失態で終わるような奴らじゃない。
叩くなら徹底的に、ぶっ潰す。
フリァの街で人攫いを出来ないほどの損失を出して、割に合わないと思わせる。
「夜2時頃に今回の事件を率いているルストって奴が来る。そいつを捕まえたい」
「それを衛兵に伝えるの?」
「いや、衛兵は頼れない。足がついてレッゾとブランネ様が見つかる可用性がある。頼るなら、ブランネ様が満足したあとだ」
今回の事件は衛兵の助けは見込めない。
冒険者を雇う手も考えたが結局は衛兵のお世話になる。
他人の手を借りるのは難しく逆に失敗の可能性を生み出してしまう。薄氷を踏むようなものだ。
リーシアが青い顔をした。
何をするか、彼女はわかったのだろう。
2年も一緒にいたのだ。ある程度のことはお互い理解し合える。考えも読めてしまう。
「もしかして、ムートが行くの……?」
恐る恐ると言った感じだ。
心配させているのだろう。ごめんという気持ちが溢れに溢れて、申し訳なさでいっぱいだ。
こんなに想ってくれていることにありがたさしかない。
覚悟も決まりやすい。
駆け巡る想い全てを把握してあげられないのは申し訳ない。
人攫い、誘拐。リーシアにとってそれは恐怖の象徴。それに僕が向かおうとしている……。そうなれば、リーシアを……泣かせるかもな。
「いやランスも連れていくつもりだよ。衛兵には頼れないし、僕たちだかでなんとかするしかないから、解決策はこれしかない……と思う」
何度も言うが、子供の浅知恵だ。
思う、と付け加えるしかない。絶対はないのだから。
色々考えて、僕がやるしかないと判断した。
自分でも馬鹿だと思う。
レッゾとブランネの夢も叶えて、人攫いも成敗する。
英雄としては当然のような善行を僕が簡単に為せるものではない。しかし僕の憧れなのだ。
なら、やるしかない。
最後まで理想を貫けねば、自分自身の行動に後悔してしまう。
「じゃあわたしもムートに着いていく!」
「それは駄目だ」
「どうして……わたしが弱いから?前からムートに守られっぱなしだから頼りないの?」
そんなことはない。
リーシアは強い。僕なんかよりもずっと強い。
正面から戦ったら負けるのは僕の方だし、こんなに誰かのために僕は怒れる性格じゃない。僕なんかよりもずっと凄くて強い。
「いや、そういうことじゃないよ。リーシアにはレッゾとブランネ様を守って欲しいんだ。ここにいるからと言っても絶対安全じゃない。リーシアなら任せられるし、君は優しいから2人を安心させてあげられるだろ」
納得がいっていない、そんな顔のまま。
1度やると決めたことは頑固に貫くのがリーシアだ。
そしてリーシアは知っているはずだ。僕が言ったことは曲げることのない実直者だということを。
納得はしない。納得はしてない。決して納得しないだろう。
それでも、リーシアには行かせられない。
リーシアと奴らを合わせることは出来ない。過去のトラウマを蘇らせることになるかもしれない。
リーシアには忘れていてほしい。思い出す必要はないんだ。
「でも……」
「ブラン!」
リーシリーシアが何かを言いかけて、レッゾの声が部屋に響いた。
ブランと叫ぶ音吐。
僕もリーシアも彼の方をすぐさま確認する。2つ備えのベッドのひとつに寝ていたブランネがいつの間にか起き上がっておりレッゾと抱き合っていた。
これはどっちからか……レッゾからだろうな。腕の絡まり的にも、ブランネの方はまだ力が入りきってない。
人前ですごいべたべたするじゃん。
「ブラン……俺、ごめん……あんな目に遭わせてしまって……」
「レッゾさん?」
まだ何が起こっているのか分かってないブランネ……彼の不安に気づいてか、女神のような微笑みでレッゾを抱き返す。
話に聞くと7歳ってことだったけど、よくここまで男を手玉に取る手法ができるものだ。
微笑ましい光景だが、まずは挨拶だ。
侯爵の娘ともなれば挨拶は義務。
こちとら1年半店番で学んだ礼儀作法がある。
完璧だ……と思いきや、リーシアが先に行った。
ブランネと同じ目線に立ち、あくまで対等だと見せつける。
ブランネはリーシアの存在を目にし少し強ばった、が……流石は天使。
天使の微笑みで、ブランネの緊張が和らいだ。
「おはよう、ブランネちゃん。わたしはリーシア。大丈夫、わたしは貴女に手を出す怖い人じゃないよ」
「リーシアさんの言うことは正しい。敵じゃないから安心して、ブラン」
「はあ……何が何だか分かりませんが、ごきげんよう、リーシアさん。私はブランネ・ネージュ・カルドと申します。綺麗な髪ですね」
ん?
思ったよりブランネが落ち着いている。
もっとあたふたするものだと。話と違うな。
淑女然とした挨拶を即興でするとは……これが貴族の娘か。
それとも外に出て眠っていた血が騒ぎ出したとか?好奇心が勝っている?
「おはようございます、ブランネ様。私はムート。僭越ながらブランネ様の身柄を安置させて頂きました、申し訳ございません」
自分はあくまでも下であることを示すために、膝を着いてお辞儀をする。
これが正しい礼儀作法さ。
貴族からしたら笑い飛ばされるかもしれないが、精一杯の礼儀なので大目に見て頂きたい。
「まあ、ムートさん……礼節を以て頂いたのに申し訳ございません。寝たきりで御挨拶することになって……」
「いえ、ブランネ様、謝る必要はございません。貴女はまだ御安静にしなければございませんので」
マカの実の効力がどこまでのものかは知らないが、強力な催眠効果がある以上副作用などがあってもおかしくない。
解毒魔法でそういった効果も中和できてはいるはず。
それでも絶対安静だ。
物珍しそうに周囲を見渡すブランネ。
ブランネには全てが輝いて見えているのやもしれない。
もしかしたら、攫われる直前の記憶がないのか?
その可能性もあるな。手際が良かったら一瞬で眠らされて終わりだもんな。
それが唯一の救い、か。
「ここがレッゾさんが教えてくれた宿屋……ですか?自分の家でもないのに家のように扱うなんてこと本当にできるんですね」
「まあ、ある程度はな」
「これで冒険者の皆様は何処までも行けるんですよね?私も冒険というのをしてみたいです」
「機会があれば行きたいね」
何もかもが楽しそうだ。
「ムート」
リーシアも同じ気持ちのようだ。
決意が固まった気がする。この幸せな風景を壊すのはやはりしてはいけない。
昔の自分たちを見ている気分だ。経ったのは2年ちょっとだが、それでも相似的なものを見ては思うところはある。
「分かってる」
頑張らなきゃな。
そうだ。明日リーシアとの約束もあるんだ。失敗はできない。
ムートとしてリーシアの約束も守るし、英雄として悪は成敗する。
全取りしてこそだろう。