第16話 お嬢様誘拐事件
レルシアム王国。
西方大陸と北方大陸を繋ぐ国家、北方大陸にとっても重要な国の一つ。
何より隣り合わせになっているのが西方大陸随一の商国である商業連盟国コスタールのため無くてはならない国だ。
南方大陸に行くには大森林を横断しなければならず、東方大陸との交流はほぼないため、他大陸たる西方大陸と繋ぐことが出来るレルシアム王国は思った以上に重要な存在である。
それくらいのものだ。
レルシアム王国とは特段なんともない、強いて言えば豆の生産量が多く酒のつまみとして愛食され氷河の海が美しく観光に適している……それくらいだ。それに北方大陸なので寒い。
治安も悪いというわけではない。
各街に管理者となる貴族を配置し、彼らの私兵を以て土地の治安維持に励んでいる。
これも商業連盟国コスタールの隣国であるが故に金の羽振りが良いからと言える。
しかし一方で、西方と北方の入口という側面上……犯罪は多くないが犯罪者が多くなるのもまた必然。
大陸間での罪人引渡しの法はなく、罪の出入口などという不評を受けることがある。
息を潜めているだけで犯罪者の数は北方大陸で最も多い。
犯罪率は少ないのは確かである。しかし罪を1度犯した者は、簡単には自制できず罪の布を更に多く被る。
そしてそういった者が多ければ多いほど、ならず者が徒党を組むのも必然だ。
人というのは群れを成せば成すほど自らが強いと錯覚し他者に流されるもの。
組織を形成したならず者は自分たちの過ちを過ちと思わず、安易に愚行を働く。
それが例え、絶対に触れてはいけない宝石であると言われても、手を出してしまうほどに……。
*
聖皇歴516年──秋季。
レルシアム王国、カルド侯爵領、フリァの街。
レルシアムの南方部に位置するカルド侯爵が統治している領土最大の街、フリァの街。
栄えた街通り、馬車の中からでも伝わる喧騒が繁栄の証だ。この街は王都にも負けぬ気がする。
サラキア王都とは進路が逆だから行ってないしサミエント王都も行ったことがないから一概にどちらが上とハッキリとは言えないが。
まあ神聖国ルーンの聖都には負けるな。世界一美しき街なんと言われてるくらいだしね。
ルーンの聖都と比べたらどこも劣る。2人にもいつか見せてあげよう。
街外では錚々たる花々が出迎えてくれるのはここくらいだ。秋季で枯れかけなのがもったいない。
しかし枯れかけであれ夕暮れのような輝きを放つ花々は綺麗だった。
「でっけえ屋敷、もはや城じゃねえか」
中央通りから見える貴族屋敷。あれがカルド侯爵の屋敷か。
確かに城かもな。目測8階建ての高さの屋敷が3個くらい並んでいる。威容だけは城だな。
なぜ3個も……何だろう、別館?
さすが地主、随分と儲かってるんだな。
僕じゃ想像もつかない金が回っているはず。
あの屋敷で聖金貨何枚分かな。最低1000枚、10億ゴル。そのくらいな気がする。
侯爵様のお財布事情はまあいい。
この街に滞在するのも2週間ちょっと、侯爵様のお世話になるなんてこともない。
フリァの街は栄えている。
故に色んなものがある。今回の目的は武器防具道具食料、旅道具一式の点検と新調だ。
手入れはしてきたが纏まった時間でしっかりしたかと言われると否定せざるを得ない。
冒険は錆ひとつで命取りとなる時がある。
冒険者業もこなしながらは時間が足りないので、今回は1週間のお休み。
残りの1週間は冒険者業に戻り路銀の確保。
完璧な計画だ。前回の街で余分に依頼を受けておいたかいがあった。
まずはどこに行こうか、と思案している暇もなく馬車が止まる。
目的地に到着。長居は迷惑なので降りて、御者さんにお礼を言う。
運賃料は先払いなので特にこれといったことはなくさよならだ。
「人が多いね……」
リーシアは人集りが苦手だからちょっと縮こまってる。
これではルーンの聖都を見せるなんて夢のまた夢だな。
「これだけ人が多いと宿を取るのも難しそうだ。今のうちに部屋取って荷物預けとこう」
街の構造は地図を見て把握している。
頭の隅々にまで行き渡っているので迷うことなどない。
先行する僕にピッタリと張り付くリーシア、と後ろを歩くランス。
リーシアの今後がちょっと心配だ。
*
「じゃあ、ここからは別行動ってことでいいよね」
宿のチェックインを終えて一息ついたところで本来の目的を開始する。
道具一式の点検。各々が必要とするものを揃えるので皆で行動するより個々で動いた方がいい。
そう思ったんだが……
「わたしはムートと行く」
うーん、言うと思った。
でも可愛いから許す。可愛いは正義。可愛いだけでリーシアはいいんだ。
ランスもどうぞどうぞデートをお楽しみくださいとお任せ態勢。
じゃあ俺は鍛冶屋にでも行ってくるぜ、とそそくさと退散した。
年長者として気を使っているつもりなんだろう……今日ばかりはリーシアのお守りをしてほしかった。
「でも楽しいことはないよ。今日は自分のことをする予定だったし、リーシアは自分のしたいことをすればいいよ。……明日なら僕も付き合うからさ。今日は、1人にさせてくれない?」
今日は本当に駄目なんだよ……。
別にあっち系のお店に行くとかそういうのではない。
ただね、リーシアの誕生日が近い。
誕生日プレゼントを買う、それが今日の作戦でありリーシアに悟られないようにしなければならない。
だから今日は何があってもリーシアとは居られません。
「……分かった。じゃあ、明日ね」
「うん、明日必ずね」
へそ曲がりリーシアも可愛いけど、素直なリーシアが1番だぜ。
これも修行の一環、リーシアが人に慣れるために頑張ってもらいたい。
西方大陸では外でもフードを外してもらう予定だし、頑張って慣れてくれリーシア。
……そんなこんなで、お互い別方向に向かった。
リーシアも……道はわかるはず。ランスじゃあるまいしな。
しかし今日はいつにもなく悲しそうだったな。
もしかしたら、リーシアは誕生日が近いから僕と一緒にいたかったのではないか……それは、悪いことをしてしまったかもしれない。
明日の予定を今日にずらすくらいした方が良かったかも。
まあ後悔しても遅い。
今は誕生日プレゼント選びだ。
ここ2年共にしたのだ、リーシアの好みも何となく理解している。
前回の誕生日プレゼントと好感触だったし大丈夫。
人が多い中央通りから離れる。
当たり前だが中央通りなんかよりも人の数は少ない。比べるとかなり数が減っている、100人いたとしたら10人程度になった、それほどの変化だ。
どこもこんなもんだな。
人通りが少ないところはいい印象がない。
特に誘拐、人攫い、拉致のせいで。
おっと、思い出したら急にゲベークが食べたくなってきてしまった。
北方大陸ではついぞ目の当たりにしなかった菓子。西方大陸発祥だからな、西方入りが楽しみになってきたな。
そういえば、残りのゲベークってどうなったんだ。
まさかあの青髪剣士に食われた?急に怒りが湧き出てきてしまった。
人が買ったものをよくも……そういえばもう1人いたっけ、そいつも共犯か。
出くわしたら殴りのひとつでも入れてやろう。
ちょっと気が立っている……気がする。
胃のあたりがムカムカして気持ち悪い。
左眼に極小の稲妻でも走ったような一瞬で鮮烈な痛みが通った……気がした。
多分気のせいだ、すぐ治まったし。
食べ物の恨みだなきっと。
少し、腹から黒いものが見せ始めた……その前に、耳に入ってきた旋律に心を奪われる。
何度か聞き覚えがある楽器の音色。
確かリュート。吟遊詩人がよく持っているあの楽器だ。
これは……胸の奥底に響いてくる音。
心音が震わされ楽器のリズムに合わされ調律を保つ。否、どのような音が入ろうともその音は受け入れ逆に芸術として昇華していた。
自然と足の進みが軽やかになっていく。
こんな美麗を聞いてしまえば自分の感情がちっぽけになってしまう。
一種の洗脳にも近しい音の響き、聞くだけで脳を溶かすような安らぎを与えてくれる。
いいなあ、音楽。
趣味ではないがたまに聞いてみるのはいい。
道の端でリュートの弦を指で弾く。
指の動きから奏でられるメロディが心を落ち着かせる。
だと言うのに、彼の前には誰もいない。
悲しいな。大通りならみんながみんな注目するだろうに。
大通りは繁盛してるから許可とかいるからな。
「……連なる道は祝祭に花開かば恋は撒かる。盲目堕ちる手腕は如何なるか。夢綴る一際に、君は誰を手取る。常闇魔の手が蛇毒なりてしだらとす、旅路は終わり、奏でる唄も届かん」
なんの唄だ?
『聖皇』を讃える英雄譚の唄なら何度か聞いたことがあるが、これは初耳だ。
あまり歌詞はいいものではない気がする。
恋は撒かるとか言っているし、失恋の歌?
嫌だな。リーシアとの非愛の暗喩に聞こえてきた。
なわけはないか。
「彼女の言……ん?おやおやおやおや?おっや〜?」
リュートを奏でるのを急にやめられた。
もっと聞いていたかったんだが……というか、詩人に急接近された。
第一印象は白。
白い装束で身を包み、顔も白布で隠れている。
白白しすぎな……金髪とリュートが浮いている。
体格的に男、いや女とも取れる……性別は分からない。声も、どっちとも取れる。
そういう種族の可能性もある。
無性の種族だって、探せばいるだろう。
北方大陸だもんな、人族じゃなければ顔を隠すのも当たり前だ。
「ん〜?君、もしかしてお客さんかな?じゃあ、この世界を股に掛ける吟遊詩人の詩を聴いたんだしお金のひとつでも期待していいかな?」
強欲な詩人もいたものだ。
自分で歌っておいて金をせびる。通りで歌うのが罠すぎないか……。
こんな事してるから中央通りを出禁になった説……ありますね。
「はあ……まあ、気持ちが晴れたのでいいですが……」
「ああ、いいよいいよ冗談冗談。ジョークさ、ジョーク!アメリカンジョークってやつさ!子供から金を巻き上げるほど苦しんでないから」
ジョー?アメ?何?
意味がわからない。僕が知らないとなると東方の言葉か?
冗談にしては笑いがとれない。
「いやぁ、ごめんね。ボクの詩は決して金取りのためにやってないから安心して聴いてくれていい。まあこの唄で値段交渉をよくするけどね!」
金は取らないから物と交換しよう、と。
強欲な吟遊詩人だ。
感動が遠のいた。
吟遊詩人なら詩だけ歌ってほしい。
「そうですか。それは交渉頑張ってください」
「あはは、ありがとう!これでも頑張る少年少女を応援するのが趣味でねぇ。どうかな、君、応援されてみない?」
衛兵さん不審者です。顔隠した不審者がいます!
応援されてみない?ってなに……応援を頼んでくれないと応援しませんってこと?
別に応援ひとつくらい、あってもなくても変わらない。そりゃリーシアからの応援とかだったら変わるけど。
「僕は別に応援に困ってませんので。他に応援してあげるべき人にしてあげてください」
「へぇ、健気。その歳でほかの人のことを想うのかい。……それじゃあ、応援してあげよう」
荷物らしい荷物はリュート以外ない吟遊詩人はその場から退散した。
長く乞食してると注意されるから、次の狩場に移動でもするんだろう。次は成功するといいですね。
「ボクじゃどうにもできないから、そこの魔物退治お願いね!これも恋する少年の応援の一環ということで!」
そう言って駆け足スキップ鼻歌混じりでさようならだ。
そこの魔物……辺りを見回すが居るはずがない。
ここは街中、魔物避けが使われている。仮に侵入していても衛兵が退治するはずだ。
冒険者でも出番では……
『……………!」
「……!」
既視感ならぬ既聴感。
悲鳴ではない。怒りが混ざった訴え。
違いなどさしたる物じゃない。重要なのはそれが非業の叫び声であること。
2度目ともなればある程度の対応ができるようになる。
二度あることは三度ある、とは言うが考えまい。
普通は衛兵を呼ぶのが鉄則だ……が、それで助かる命も助からない、なんてこともある。
僕は頼らずこんなことになっているわけだが……。
最短だ。
『無音立踏』を利用した音無き疾走。
昔は闘法を使わない馬鹿な真似をしたが、昔とは違う。どれだけ足裏と地面を合わせても音が出ることはない。
距離の把握もできている。
強くなるっていいな。
何でもなせる自信が出てくる。
まあまあになっているし例えあの青髪剣士のような相手が来ても対処できる。
「こっの!ブランを離せ、社会のゴミ共!」
「るっせえな、クソガキが!そろそろ黙りやがれ!」
現場に到着して聞こえたのは、すっげえ罵倒。
社会のゴミ共……まあ、間違いじゃ、ないのか。北方大陸の人って結構口悪いんだよな。
豪勢な服を着ている人形のような少女を抱えたならず者の男を睨む目つきの悪い少年。
しかし彼はもう1人の男に踏みつけられ動けず頭から血を流している。
凶器さ踏みつけている奴が持っている木製の棒だな。
僕の登場は全員にとって予想外。
皆の顔がこちらに向けられる。
英雄参上……なのに、あれえ?
皆さん止まって反応が薄い。
「ちっ、テメエのせいでガキが来たじゃねえか」
ならず者が乱雑に少女を地面に落とし、備えていた剣を引き抜き脅すように鉄の刃を向けてくる。
こいつ、女の子を乱暴に扱うなんて、商品に傷がついたらどうするんだ!
じゃない……男として有り得ないだろ。
ふつふつと湧き出てくる怒りを任せて剣の柄に手を……
「お前!よくも、ブランを!!」
少年の叫びが合図となる。
剣は抜かない。峰打ちにでもしようと思ったがやめだ。
「な、速……」
闘法『瞬動速』を用いた踏み込みは一瞬で奴らとの間合いを無くす。
ランガルさんの得意技、僕も必然的に覚えた闘法。
足先に『闘気』を集中させ踏み込みで爆発させ圧倒的な速度を生み出す。
ランガルさんの場合は音をも凌駕する。
そこまで行かないが僕の『瞬動速』でもチンピラの目には止まらない。
速度が乗った飛び蹴りで男の首が軋む。
側面から叩いた首骨は気絶の衝撃を受けて男の思考を黒にした。
「テメエ!やりやがったな!」
チンピラにありがちな言葉を吐き捨てながらロングナイフで斬りかかってくる。
未だ体は空中だ。回避は難しい。
のなら迎撃をすれば良い。
「『風撃』!」
顔面に風の衝撃だ。
さすがに顔面は仰け反らざるしかない。ちょっとした痛みで目を閉じて、足を数歩踏み外す
その間に着地し、銀剣を抜刀する。殺しはしない。峰打ちで済ませる。
「舐めやがってガ……がっ!?」
男がロングナイフを構え直そうと整えたところに少年がその足に噛み付いた。少しの痛み、それが男の動きを乱した。
勇敢だ。この状況であの判断、僕もあれくらい出来たら変わっていたのだろうか。
鳩尾を打つ峰の横薙。
苦痛で奴は倒れる。危険は排除する、転がったロングナイフを遠くに蹴り離す。
動かぬように地魔法で地べたと一体固定する。手足に石枷をしたようなものだ、簡単には動けない。
よし、一発勝ち。
今回は運が良かった。相手が闘法使いならこうもいかなかった。
精々が下位クラスの相手であったのが功を奏した。
「クソ……ガキがよくも!」
「同じ語彙しかないのかお前らは!」
頭を峰でぶっ叩く。
煩いので、一瞬黙ってもらおう。
死んではない。峰打ちで死んだならもう知ったこっちゃない。
「大丈夫?」
男の子と女の子、どちらか先に助けるかと言われたら女の子。
だが、今回は男の子の方だ。少年は怪我をしている、見過ごせる怪我じゃない。
手を差し伸べ……あら?
「ブラン!」
僕のことは無視。手など押し退け女の子の方を守るようにだき抱える少年。
……ちょっと参ったけど、まあそういう仲の2人なら有り得ることか。
「えーっと、大丈夫……?」
助けてあげたというのに親の仇を見るような目をされた。
僕が何をしたと言うんだ。いや、彼からしたらこの世全てが敵に見えてしまっているんだ。
大事なものを奪おうとする盗っ人に。
年の差なんであんまりないくらいだろうに、大人ならまだしも……仕方ない。
僕もリーシアを盗られそうになったら命づくで守ろうとするはずだ。
落ち着くまで待つ。
そうそう、彼女の匂いでも嗅げば落ち着くはずだ。
その前に、やれることをやろう。
「起きてください!」
「べがっ!」
いつまで寝かせるかチンピラめ。
少年を踏んづけていた方。少女を抱えていた奴はまだ寝んね。
蹴りの衝撃で目覚めた奴は僕の方を睨んで汚らしく怒号を吐き捨てる。
「ガキが!こんなことしてただで済むと思うな!テメエも奴隷にしてやる!」
おお、こんなになってもまだそんなことが言えるとはとんだ馬鹿だ。
こんな風になっても平常なのは素晴らしい心構えだ。ランガルポイント1追加。
「口の利き方に気をつけた方がいいんじゃないですか?そろそろ自分の立場を理解して弁えてはどうでしょうか?」
「はっ!立場を知るのはテメエの方だ。ルストさんならテメエなんて瞬殺だよ!」
虎の威を借る狐とはまさにこの事。
自分の力じゃなくて上司の力でここまでイキリたてるものなのか。
そのルストさんがここにいれば話は変わるが頼りのルストさんはいないぜ?
「それは凄い。瞬殺ですか」
心の中では笑いを付ける。
瞬殺されないように頑張ってきたんだからそうはならない。
「で、そんなすごいルストさんはなんでこんなことするんですか?子供を攫って奴隷として売る。正気の沙汰じゃないですよ。攫われた子供がどんな気持ちなのか考えたことがあるんですか?」
「はっ、俺らはこう生きてる。ガキの事情なんて知ったこっちねえよ!たった数年生きたガキに重みなんざありゃしねえ。俺たちの生きる糧になれてるんだから感謝してほしいね」
自己中心的な発言をする男。
「お前、ふざけるなよ」
僕の言葉の端々には怒気が混ざる。
思い浮かぶのは、リーシアしかいない。自分のことはあくまで二の次だ。
彼女がどれだけ痛めつけられ苦労したと思っている。
僕は全てを知っているわけじゃない。
けれど、あの綺麗な耳が欠けて今も人に怯えている。傷痕は消えず彼女に遺っている。
それをどう責任を取る、どう思っているんだお前らは。
背後から聞こえる息遣いが変わった。
少年も激情に僅かなりとも身をすくめる……生命力が感情の昂りで漏れ出している。
まだまだだな僕も。
心の揺らぎで精神を乱すな、ランガルさんに教えられてきた。揺らぎは戦闘を崩すと。
しかし、僕の怒気を抑えろなど無理だ。
そこまで割り切れるほど冷静でも大人でもない。
「お前らの勝手な行動でどれどけ苦労してると思ってる」
こいつに何言っても無益だ。
どうしようもないとど怒っているがどれだけ当たっても虚しいだけだ。
同業者だが同じ組織とは限らない。
いや。
僕が彼女の気持ちをどれだけ代弁しても、彼女の魂に晴れは訪れない。
落ち着くのは、僕の方だ。
「まあ貴方に言っても無駄なので次の話といきましょう」
剣を頬に突き立てる。
刃が触れるか触れないか、ちょっとでもずらせば顔面に大怪我だ。2度と女に声をかけることはない。
傷がかっこいい時もあるか、逆にステータスにしてしまわないようにつけるなら雑につける。
ランガルさん店で培った営業スマイル。
この状況なら逆に怖い笑顔で喋りかける。
「そこの2人は何処に持っていく予定だったんですか?」
「誰が……」
「言うか……?立場を弁えろと言ったはずですよ」
頬から血が落ちた。
おっと、危ない。手が滑ってしまったぞ。このまま顔面切り裂き道を直進してしまいそうだ。
我慢我慢。
男は我慢するもの。
人は痛みで躾けてこそ上下関係を正しく理解できる。
剣を頬肉に食い込ませる。トントンと、少しずつ刃を進める。
小さいが確かな痛み、肉を斬る感触が僕にも奴にも感じられる。
「わ……わかった!言う!言うから、やめろ!」
異常者を視る目で僕を視てくる。
お前らの方が異常に視えるよ。
僕だってこんなことされたら言うぞ。
怖いものは怖い。苦痛は皆避けたい。
そっち系は知らない。M……は考慮しないものとする。
「ガキが……」
「何か?」
口に出さず心の中で言え。
「あの2人を何処に連れていくつもりだったんですか?」
「知るか。どこの拠点に入れるかはルストさんしか知らない」
「嘘ですよね?」
「本当だ!」
嘘ではないな。
ある程度の真偽はランガル式嘘発見尋問でわかる。
目線や息遣い、目の奥にある心の揺らめき。
これは嘘ではない……気がする。ランガルさんは匂いで判断するからなあ。
僕はできません。
「そのルストさんとやらは何処に?」
「今はいない。時間になったらガキを回収しにくる」
「回収場所、それと時刻は?」
「……………」
「黙らないで、続けてください」
吐けば粛清されるのかもな。しかし無駄な意地をしていては先に僕にやられるぞ?
「……4番街の東にある廃倉庫に、日が変わっての2時だ。倉庫は組織が買い取って引渡しのために使ってる」
4番街東の廃倉庫……大体の位置取りは地図見れば分かるか。
「そこの2人以外に子供はいますか?」
「俺たちが攫ったのは8人だ。1日の目標は10人」
そこの2人で目標達成。
子供の売買に目標とかつけやがって、狂ってるのかこいつらは。
許されるのなら僕が手を下したいが、法による裁きが適任だ。
どのような形であれ罪を償って人生綺麗に洗い流せるのなら洗い流すのが1番。
罪は無くならない、それでも少しでも白い部分を増やせるように努力できるのならやった方がいい。
「取り調べのご協力ありがとうございました。とりあえず貴方達は衛兵に突き出しますね」
「は?待て、ちゃんと話したじゃないか!」
話したら衛兵に突き出さないなんて言ったっけ?
言ってない。ただの勘違い。
今更素直になったからって得をすることなんてないんですよ。
ああ、自分たちの罪を改めるいい機会くらいなら与えてあげれるけどね。
衛兵を呼ぶのは確定として、どうする……いや選択肢なんてないも同然。
まずは2人の保護、こいつらの逮捕。
次に4番街の廃倉庫のことを衛兵に伝えるだけでいい。
事件解決。みんな幸せ。世界から笑顔が取り戻される。
夜中の2時まで時間はあるんだ。
ルストさんとやらがどう出るかは知らないが、その時になって異変に気づいても遅い。
単純で最も理にかなっている。
絶望顔を浮かべるルストの顔が安易に想像できる……ルストさんの顔知らないけど。
どうせ悪い顔してゲハハハと笑ってるはず。金も女も俺の物!とか言って。
悪役って大抵こんなもんだしね。
そのルストさんもどうせ捕まるんだ。寂しくない。
「待て!」
しかし衛兵を呼ぼうとした僕を静止する声があった。
大人の野太い声じゃない。幼さがありながらしっかりとした声だ。
少女を守らんと男の覚悟を見せている少年は、愚行ともとれる呼び掛けで止めてくる。
僕のみならずならず者も疑問符を浮かべるしかない。
ここで衛兵を呼ばないなど有り得ない。
しかし、その眼の奥にあるのは覚悟が籠った闘志。
何か大切なものを守るために必死な、前方の光景しか見えないほど一生懸命だ。
子供の顔付きだと言うのに、何処か戦士の風格を感じさせる逞しい表情だ。
見たことないが、見たことある顔だ。
決意がある。
十中八九、女の子関連だ。
彼が守る少女にこそ理由がある。その少女にとって衛兵は会ってはいけない存在のはず。
というかどう見ても、上流階級の格好だ。いいところのお嬢様……名は確か、ブランだったっけ。
理由は知らないが、少年の覚悟を尊重しよう。
「衛兵さーーーん!!こっちに不審者がいます!」
まずは衛兵を呼ぶ。古き良き大声での助けを乞うことこそ伝統であろう。英雄は救いの声にやってくるものだからね。
何にしても誘拐犯2人は牢獄行きしてもらわなければ困る。
ついでに少年からは敵対心を込めた目線を送られたが……。
安心してほしい、僕は味方だ。
「このマントをその子にかけるよ。……いいなら、僕が抱えるけど」
「は?……いや……俺が連れていく」
そこは譲りたくないと少女の細身を抱き寄せる。
いいなあ。やっぱりこういう関係性いいよね。
少年は戸惑いながらもマントで全身を隠した少女を背負う。子供なのに背負えるとは凄い。
女の子の方はそこまで大きいわけではないがそれでもだ。愛の力だな。僕は手を握ることだけで精一杯だったけど。
「いい?1度手を取ったなら、最後まで離してあげないでね」
僕はそれを何度か破った。
「そんなこと、わかってる。俺がブランを連れて来たからこうなったんだ……俺は絶対に離さない」
誰にも負けぬ覚悟で、少年はそう言った。
僕にはなかった十全の決心。
心底から、ブランという少女が大事ということが伝わってくる。
こんな純少年は邪魔できまい。
足音が近づく。
先の呼び声で来た衛兵か、それとも衛兵ではない正義の冒険者か。靴音が路地に響くほどではない、遠すぎるが故に定かではない。
この路地裏はすぐにでも人集りになるだろう。
その前に抜け出す。
暗い路地裏から明るい通路に。
自分と同程度の少女を抱えている少年は何度も転けそうになりながらも、決して手放すことなく味方かもしれない存在に追従した。
*
ちょっと悲しい。
誕生日がすぐそばまで来てるから、一緒にいたかったのに……前はずっと一緒に居てくれたんだから今年も一緒に居てくれてもよかったんじゃないかなあ。
「わたしももう子供じゃないし、ムートに居てもらわなくてもいいけどさ」
怒るのは筋違いなのは分かってるんだけど、悲しいというかもったいないというか……人族は苦手だから(1部除く)一緒にいてくれたら安心して、楽しい思い出になるはずだから。
明日はいいと言ってくれたけど……自分でも面倒臭いのは知ってるけど、女の子っていうのは自分の思い通りにならなかったら簡単に拗ねちゃうんだよ。
ムートもちょっとは知ってほしい。
どこに行くでもなくぶらぶらと。
人集りは通らずにちょっとした通路とかを回って、時間を潰す。
まあ1日くらいはいいよね、ということで数時間歩いて終わり。
途中によく分からない楽器を演奏している白色の人に会ったけど……ああいうの吟遊詩人って言うだよね?
昼の陽が半分のところまで来て疲れたから宿に向かう。
3時過ぎ。まだ誰もいないと思う。早くて1時間かな。
なんて思っていたけど、
「なんで?」
「あ、リーシア!よかった!早速だけどこの子に解毒魔法を掛けてくれない?」
ムートが待ってくれていた嬉しさを上回る、見知らぬ男の子と女の子が居ることに……ちょっとイラッとした。
*
少女は案の定マカの実の種によって眠らされていた。
マカの実の効力は解毒魔法でどうにかなる、とランガルさんから学んでおいてよかった。
戦闘にも応用できるかと思ったが、マカの実の眠り効果は生命力次第でどうにでもなるそうだ。
マカの実の生命力に勝る生命力があればいい。
だから人攫いのならず者は子供しか狙わない。まだマカの実の生命力に劣る生命力しかない子供を獲物とする。
10〜12歳にでもなれば自然とマカの実の効力を打ち消せるらしい。
生命力がなくとも解毒魔法や衝撃なんかでも目覚める。
僕は顔を水に付けられて窒息しかけたから目覚めたってことか。
そこは、まあいい。
ブランという少女は解毒魔法を使った瞬間に寝息を発した。
使う前までは、なんというかもう一生起きないのではないかと思うほど静かだった。
永遠の眠りに誘うマカの実、その効果は全神経の強制中断とか……その上、効果がなくなれば何のこともなく再開するとか。
それを知って少年は安堵しかなり落ち着いた。
会話もできるレベルに。先程までは少女ブランのことでいっぱいいっぱいで話なんて無理だったからな。
会話ができるということは、尋問……ではなく、質問だ。
なぜ、衛兵に見つかってはいけないのか。
これを知るべき義務があると僕は思う。
椅子と椅子を向い合わせにして、僕と少女は顔を合わせる。
その後ろでベッドに眠らせた少女ブラン、と何かあった時のためにベッドの傍にはリーシアを配置。
何かないとは思うが、一応だ一応。あらゆる対策は大だ。
沈黙から話し出すのは勇気がいるし僕から……と思ったが、
「ありがとう……ござい、ます」
少年は頭を下げた。
敬語が苦手なのか、ございますはちょっと間欠的だった。
まあその歳で俺だしな。僕は僕だし。
力とか心の太さとか、この街の子供のガキ大将なのかもしれない。
「当然のことをしたまでだよ」
かっこつけてみた。
もちろん当然の善性を成したとは思っている。
「僕はムート。……よかったらだけど、君の名前を教えてくれないかな?」
名前は知っておいた方がいいしね。
交流はまず名前から。信頼も名前からだ。名も知らぬ者を信用信頼なんてとてもできない。
別に名前を聞いて衛兵に突き出そうってわけじゃない。
それは相手にも伝わっているはずだ。
だから特に警戒などせず教えてくれた。
「俺はレッゾ。レッゾ・ロート……です」
「敬語はいいよ」
「……………おう」
ガキ大将に敬語は辛かろう。
僕が知ってるガキ大将なんて傍若無人、全ては俺のもの。テメエの物は俺の物ってヤバいやつだったし。
レッゾ・ロート。
家名持ちか。割と偉いところの坊ちゃんなのでは?
服装は、そうは思えないが、良いと言えば良いのか?
いや、家名があるからと言って全員が偉いわけじゃない。
家名があったがおちぶれた。なんてこともあるしな。
ロート、というのも聞き覚えはない。
まあただ僕が世間知らずの可能性もあるが。
「こぅちももしよければ、なんだけど……彼女の名前も教えてくれないかな?」
「どうしてだ」
否定か。となると、問題は少女ブランの方にあると思っていいのかな。
ブランってのは知ってるけど、一応聞いておきたい。
予想はしている。
それが当たりかどうかは、ちゃんと聞かないと分からない。
「知る必要がある。君たちがこれからどうするべきか。それを考えなければならない」
「……………」
「追い出したりはしない」
そこを裏切ることはしない。
僕が衛兵に突き出さないと言ったのだ、それは絶対にしない。
それを篭めた言葉は、レッゾの覚悟に響いた。
「ブランは……………ブランの名前は、ブランネ・ネージュ・カルド」
ブランネ・ネージュ・カルド。
カルド。カルドと言えば、このフリァの街を治めてるカルド爵だ。
予想は見事に的中していたため驚きはそこまでだった。
少女ブランはカルド侯爵の娘。
何らかの理由で外に出て衛兵に見付かってはいけない状況。
そこを、運悪く人攫いにあい、あの現場に繋がった。
しかしカルド侯爵の娘か。貴族の娘となるとそれは、もう、ね。
眠り顔からわかるほど良い顔だしこれは。
「Aランク確定じゃないか。ぶが!?」
リーシアに叩かれた。思いっきり、頭を。
「冗談でもそういうことは言わないで」
今までにない怒りを抱えたリーシアに、静かに怒られた。