2話 立ち上がってスケルトン
這いずりながら、彼はこれからどうするべきか考えていた。
(まず、リディアに会うのが人間だった頃より大幅に難しくなった事は、考えるまでも無いな)
リディアは聖女で、自分はアンデッドだ。アンデッドと言えば、生きとし生ける全ての存在を憎む人類の仇敵である。
太陽と生命の女神ファースティアの妹にして月の女神ディランティアが治める冥界へ赴かず、もしくは冥界から脱走した忌まわしき魂。死神ガルドールを祖とする不死者。
リディアどころか、人里に近づいただけで討伐されてしまうだろう。
(哀れな死者の迷いを晴らすため、聖職者が尽力するって話もあるにはあるが……せめて俺がゴーストだったらなぁ)
霊魂だけでこの世に彷徨うゴーストなら、生前に似た姿を現す事が出来るし、生者と会話する事も可能だった。しかし、今の彼はスケルトン。冷静になった今なら分かるが、声は出せない。
今まで彼が叫んだり呟いたりしたつもりになっていてだけで、実際には骨同士がぶつかるカタカタと言う音を立てていただけだった。
それに、骸骨のままリディアと再会しても、彼女に目の前のスケルトンが兄だと分かってもらえるか自信が無い。
(だがまあ、アンデッドになってしまったからには仕方ない。時間は戻せないから、諦めてリディアと再会するために頑張ろう。
そして具体的な方針を決めるためにも、現状を正しく認識しないと。ああ、この辺りだ)
彼も当てもなく這いずっていた訳ではない。ゴブリンと遭遇する前に、自分自身が這いずっていた跡を遡っていたのだ。
森の開けた場所にある、青タンポポの花園。彼が殺された場所に現状認識の手掛かりと、自分の残りの骨があるに違いないと考えて。
(青タンポポを踏み荒らした足跡がある。形は人に似ているけど、大きくて裸足……オーガかな?)
この辺りにオーガが出るとは珍しいなと、すでに死んでいる彼は他人事のように考えた。
(あった! これが俺の骨だ!)
そこには血と粘液に濡れた骨と、いくつかの物品が転がっていた。片手持ちのメイス、金属片、靴。そのどれもに見覚えがある。
そして近くに彼より大きな何かが這いずった跡があった。
(これはオーガじゃないな。俺の死体を引きずった跡とも思えないし……ああ、グラトニーワームか)
グラトニーワームとは森の掃除屋と呼ばれる魔物で、見た目は巨大なミミズだ。しかし、魔物にしては大人しい性質で自分から生きている人間を襲う事は滅多にない。
基本的には獣や他の魔物、そして人間の死体を餌にしている。丸呑みにし、数時間後に消化できない骨などの部分を吐き出す。
(なるほど。ポール達はオーガに追われて逃げ出して、残った俺の死体は通りがかりのグラトニーワームに飲み込まれたのか。それで短時間で骨にされた。……つまり、この粘液ってグラトニーワームの胃液か)
思わず空を仰ぎ見ると、月と星が見えた。今まで細部は不明瞭だが見えていたので気が付かなかったが、すっかり夜になっている。
(多分、俺が死んだのは今日の昼だな。そうなると、明日にはポールとベンって奴がここに俺の死体を確認しに来るかもしれない。朝になる前に離れた方が良いな)
もう名前しか思い出せない仇達の事を思い浮かべ、彼は自分の骨を集め出した。
(魔物の解体はやった事あるが、人間の骨格も似たようなものだろうか? これは腰骨だけど……この小さい骨は何処の骨だ?)
少々足らない部分や別の生き物の骨が混じったかもしれないが、構わず集める。だが、集めても骨は彼にくっつかなかった。
どうやら、他の骨はアンデッド化していないらしい。
(つまり、今の俺はスケルトンの中でも最下級の魔物、『敗者の骨』なのか)
『敗者の骨』とは、主に放置された戦死者や山賊、冒険者や旅人の死体の中でも大きな損傷を負った状態でスケルトンと化した魔物の総称だ。
五体が揃っていないため、基本的には脅威にならない。一つ星の新人冒険者でも、その辺の棒きれで蹴散らせる存在。そのため、討伐しても報酬は払われない事が多い。
(せめて歩けるようになりたかったが……仕方ない。もう一つの目当ての物を探すか)
彼は再び地面を這い回り、青タンポポの根をかき分けるようにしてそれを探す。その甲斐あって、汚れたそれを見つける事が出来た。
(あったっ! 俺の冒険者証だ!)
冒険者証とは、冒険者ギルドに入会する時に渡される名前と等級が刻印された金属製の小さな板だ。多くの者が紐を通して首から下げており、彼も例外ではなかった。
(これで俺の名前が分かる!)
その冒険者証が必要だった理由は、彼自身が自分の名前を忘れてしまったからだった。自分がアンデッド化している事に気が付いてしまった時の衝撃で、今の彼の記憶は穴だらけになっていた。
リディアの事は克明に思い出せるが、彼女と一緒に育った村の名前や、世話になった村の猟師や薬師の顔と名前、拠点にしている交易都市の知り合いや定宿について……そして自分の名前も思い出せない。
これは危険な状態だ。
(スケルトンやゾンビなんかの下等なアンデッドは、生前の記憶や人格を失い、狂って生者への憎悪だけの存在になるらしい。俺はリディアのお陰で持ち直したが、俺自身で在り続けるためにも俺自身の事を少しでも思い出さないといけない)
だから期待を込めて冒険者証についている汚れを指の骨で落とし、刻印された文字を読む。だが、冒険者証は何かの拍子に傷つき、損傷していた。
(リ……ア……ス……ダメだ、最初の一文字が傷のせいで読めない! 俺は何リアスなんだ!?)
損傷していたが、文字は全て読めた。しかし、自分の名前を忘れている彼は、自分が『リアス』と言う三文字の名前だと気が付かなかった。『〇リアス』と言う四文字の名前だと勘違いしてしまったのだ。
(う~ん、仕方がない。本当の名前を思い出せないなら、仮の名前を決めよう。そうする事で、自分自身に対する認識が強くなるかもしれない)
全てを諦めてゴブリンに止めを刺されようとした時、自分が崩れていく感覚。それは今となっては恐怖でしかない。あんな思いは二度としたくない。そのためなら、仮名を名乗るぐらいなんでも無かった。
(骨だからボリアス、スリアス、アンデッドだからアリアス……なんだかパッとしないな。よし、傷ついた冒険者証から取って、ダリアスにしよう!)
そして、彼は冒険者証がダメージを負って一文字読めなかった(と思い込んでいる)事から、ダリアスと名乗る事にした。
(ポールとベンなら俺の本名を知っているだろうが、聞きに行く訳にはいかないし。
ダリアス。うん、しっくりくる気が――んんっ!?)
自分で名付けた仮名を気に入って悦に入っていると、自分の骨が勝手に動き出しダリアスにくっつき始めた。
(お、おおっ、おおおっ!)
右肩に腕が、背骨に腰骨が、両足が組みあがって付いていく。空虚さが埋まっていく充足感にダリアスが声にならない声をあげている間に、彼の骨格は元通りになっていた。
(レベルアップ……じゃなくて存在進化か。『敗者の骨』から普通のスケルトンになれた)
武器を拾い、比較的大きな布切れを使って細かな物品を集める。
(お陰でだいぶ動きやすくなったな。ここに俺が死んだ証拠が無いとポールとベンが探しに来るだろうが……あいつらの思い通りになるのも癪だから、持って行こう)
今になって考えても、ダリアスは自分が殺された理由に見当が無かった。
唯一考えられるのは聖女になったリディアの兄だからと言う理由だが、生前の彼はただの二つ星冒険者だ。リディアに再会できる見込みもまだない。貴族や他の組織とのつながりも無い。
態々殺す程の存在だろうか?
(まあ、俺一人で考えても答えは出ないよな。リディアに危険が迫っているのなら何を置いても助けに行きたいけど……多分大丈夫だ。リディアには、女神様がついている)
リディアの祈りに応えて、アンデッド化したダリアスに加護を与えた女神フォースティア。その女神が、リディアの危機に何もしないとは思えない。
長い目で見れば分からないが、少なくとも切迫した危険がリディアに迫っているとは考えにくい。
今のダリアスに出来るのは、リディアと再会するために着実な行動をとる事だ。そして、そのための方針も分かった。
(存在進化だ。人間に近い姿、もしくは人間に変身できる魔物へ存在進化する事を目指そう。できれば生き返りたいけど)
スケルトンに存在進化して実感したが、強くなれば選択肢を増やせる。『敗者の骨』のままだったらこの森を出る事も難しかっただろうが、スケルトンになって歩行が出来るようになった今なら可能だ。
だから存在進化を繰り返せば、リディアと再会する手段も見つかるかもしれない。
英雄譚の中には、信じられない程強力なアンデッドが記されたものがある。そうした強力なアンデッド……吸血鬼やリッチなら、マディ大神殿にいるリディアの所まで忍び込む事が出来るかもしれない。
スケルトンが吸血鬼やリッチになるなんて夢物語に違いないが、彼は生前上級冒険者を目指していた男だ。人間だった頃同様に夢物語を目指すだけだ。
(それに、俺は一人じゃない。リディアがついている)
ダリアスが温かな気持ちで骨だけになった右腕をかざすと、指先に温かな光が灯った。妹の祈りによって得たフォースティアの加護による、神聖魔法だ。
神聖魔法が使えるようになった事は、存在進化を目指す彼にとって大きな武器になるはずだ。
青タンポポの花園を離れて歩き続けるダリアスが不意に空を見上げると、森の木々の間から空が白んでいる事に気が付いた。いつの間にか夜が明けようとしているのだ。
(まるで女神様も俺を応援してくれているような――)
その時、彼の目に女神フォースティアが司る太陽が見えた。
(ギヤァァァァ!? 恐いぃぃぃぃ!)
次の瞬間、ダリアスは恐怖のあまり朝日に背を向け、森の特に鬱蒼とした場所に向かって走り出していた。
魔物の追撃を何とか逃げ切ったポールとベンと名乗り、新人冒険者を装っている二人組は街に戻って安堵のため息を吐いていた。
「なんとか巻く事が出来たな」
「ああ……まさか、青タンポポの群生地でオーガに出くわすとは……」
二人とも、本来ならオーガを返り討ちにする事も、容易いとは言わないが不可能ではない技量の持ち主だ。しかし、新人冒険者を装っている状況で本来の実力を発揮するのは拙い。戦っている間に他の冒険者に見られるかもしれないし、ターゲットであるリアスの周りにオーガの死体が転がるのは避けたい。
もともと『新人三人が臨時のパーティーを組んでいたら、魔物に襲われ一命は死亡。だが、幸運にも二人は生き残った』と言う筋書きなのだから。
「冒険者証を持って帰れていれば……」
「仕方ないさ。ギルドに報告に行くぞ」
そして二人は、町の門前の広場で息を整えると、そのまま冒険者ギルドへ向かった。リアスが上記の顛末で死亡したと報告するために。
「そうですか、リアスさんが……残念です」
応対した受付嬢は、ポールとベンの説明に視線を伏せてリアスの死を悼む様子を見せた。二つ星の冒険者だったが、五年この街で活動していたため名前と顔を覚えられていたようだ。
「そうか、あいつが……見切りをつけてさっさと冒険者稼業から足を洗えばよかったんだ」
通りがかった中年の男性職員も、そう言って悲しそうに視線を逸らした。
「あいつの解体の腕なら肉屋でも重宝されただろうに。他にも薬師の下働きとか、いろいろ紹介してやっても良かったのによ」
リディアが連れていかれた後、村にいた三年間でリアスは村の猟師や薬師から技術を学び、村長からも読み書き算術を習っていた。
そして冒険者になった後の五年間堅実に依頼を熟し続け、ギルドから冒険者としての才能は無いが下働きとしては便利な男だと信用されるようになっていた。
「リアスって、どのリアスが死んだんだ? 昨日登録しに来たチビか? それとも偶に来る猟師の倅の方か?」
「五年前から冒険者をしていた方のリアスです」
カウンターの近くで仲間を喋っていたゴロツキのような風貌の男が、絡むように問いかけて来た。ポールが質問の意味が分からず戸惑っていると間に、受付嬢が代わりに答えてくれた。
「この辺りの先々代の領主がヴァリアス様と言って、長寿で有名な方だったんです。それで、この辺りにはヴァリアス様のように長生きしますようにと願いを込めて似た名前を子につける親がこの辺りの農村では多かったんですよ。
男の人だとリアスさん以外にも、イリアスさんやボリオスさん、ヴァーリさんなんて名前の人が多いです」
「な、なるほど。他の街から来たので知りませんでした」
そして、そう教わる。確かに、言われてみればターゲットと同じ年代に似た名前の奴が多かったなと、ポールは思い返した。
「そっちか。向いてねぇのに無理するからだぜ。妹に会うんだ~って言って、先に逝っちまっちゃあ意味が無ぇだろうに」
「今夜の一杯目は奴に献杯してやるか」
リアスは妹が聖女である事は明かしていなかったが、妹と再会する事を目標に冒険者になった事は話していた。しかし、いつまで経っても三ツ星に昇格できないため馬鹿にする者も少なくなかった。
だが、嫌う者は殆どいなかった。
「それで、リアスさんの冒険者証はありますか?」
「いや、オーガから逃げるのに必死で、回収できなかった」
「そうですか。では、手続き上リアスさんはしばらくの間行方不明、と言う事になりますね」
冒険者ギルドでは、組合員の死亡確認を冒険者証で行っている。ギルドで加工した金属を使っている冒険者証は腐食しにくく、熱にもある程度耐えるために、死体が放置され骨になった後も個人識別に使えるからだ。
「明日、俺達がもう一度リアスが倒れていた辺りに言って来よう。青タンポポを採取しないといけないし、いくらオーガでも冒険者証は食わないだろうからな」
「よろしくお願いします、ベンさん。でも、無理はしないでくださいね」
そしてポールとベンの任務は、リアスを始末する事だけではない。彼の死を確定し、公にする事だ。「まず確実に死んでいるが死体が発見されていないため、行方不明」と言う中途半端な状態では任務成功とは言えないのだ。
(あの時冒険者証を奪えていれば……女神よ、我らが無事に任務を成功できるよう祝福を……)
昼でも日の光が入らない鬱蒼として暗い森の木の根元に座り込んだダリアスは、考え込んでいた。
(俺は何故ファースティアの加護の光は平気なのに、日光は恐いんだ?)
魔物の多くは夜行性だ。その中でもアンデッドは、本能的に日光を恐れる種族が圧倒的に多い。それは生命を司る女神ファースティアが太陽の化身であり、アンデッドは本来ディランティアが創った死者の国、冥界の住人だからだとされている。
アンデッドになる前は、ダリアスもそれが常識だと思っていた。実際、彼の記憶ではスケルトンやゾンビと等の最下級のアンデッドも日中は外に出てこなかった。
逆に、曇りや雨で太陽が見えなくなった途端アンデッドが森の奥から出て来るのを目にした事もあった。
そして、アンデッドが太陽より恐れるのが女神ファースティアの神聖魔法による光だ。強い加護を得ている高位の聖職者の神聖魔法は、スケルトンやゾンビどころか吸血鬼やリッチまで浄化する力があるという。
(そのファースティアの光だが、俺はこの通り平気だ)
ダリアスは指先にロウソクの灯よりも弱々しい光を、指先に灯す。しかし、彼の中に恐怖心はまったく無い。むしろ安らぎや温かさを覚える。
(だけど、太陽の光は怖い)
次に、視線を青タンポポの群生地がある方向に向ける。明るい太陽の光が僅かに見えるが、それだけでゾッとするような嫌悪感を覚えた。
自分がスケルトンになって初めて分かる日光への恐怖。浴びたところで骨が焼ける事はなく、実害はないと分かっていても無視できない。
(でも普通、逆じゃないか?)
太陽は平気でも女神フォースティアの神聖魔法は恐れる。その方がありそうではないかとダリアスは思ったが、彼の感覚はその逆だった。
(う~ん、フォースティアの加護はリディアが俺のために祈ってくれた結果得られたものだからか? フォースティアの神聖魔法を唱えるアンデッドなんて俺以外には聞いた事が無いから、どうなのか分からないな)
アンデッドの中にも神の加護を得て神聖魔法が使える個体もいる。しかし、それはフォースティアでなくその妹で月と死者の国の女神ディランティア、もしくはアンデッドの始祖神である死神ガルドールの加護だ。
フォースティアの神聖魔法が使えるアンデッドなんて、ダリアスは聞いた事が無かった。自分がそうなる前だったら、「そんなアンデッドいる訳が無いだろう」と笑っていただろう。
(とりあえず、普通のアンデッド同様に日光が恐い事が分かっただけでも十分か)
気づかないまま森から出て朝になり、暗がりが無い場所で日光から逃げようとパニックに陥るような事にならなくて良かった。そう納得して、ダリアスは立ち上がった。
(考える事は終わった。後は行動あるのみだ)
スケルトンは眠らなくてもいいらしい。それが幸いだと思える内は、精力的に活動するべきだ。そう歩き出したダリアスだったが、歩き出した彼に向かって蠅が飛んできた。
反射的に追い払おうと手を振るが、蠅はその手に止まると骨にくっついている乾いた血を舐め始めた。それを見たダリアスははっとした。
(もしかして、今の俺って臭う!?)
スケルトンには呼吸する肺も、鼻も無い。ダリアスが思わず自分の臭いを嗅いで確認しようにも、そもそも嗅ぐことができない。
(水たまりでも何でもいいから探して、まずは血の臭いを落とそう)
他の魔物を血の臭いで刺激したらまずい。ダリアスはまず水辺を探す事にした。
・現在のダリアスの弱点
日光への恐怖心(NEW!)
〇〇〇
名称:敗者の骨
分類:アンデッド
討伐難易度:無し
アンデッド全体の中でも最下級とされる。多くは戦死者や山賊や魔物の被害者、そして討伐された山賊等の犯罪者の死体がアンデッド化した魔物。
その経緯から全身の骨が揃っている事はまずなく、欠けた体で地面を這いずるかフラフラと徘徊している事が多い。
その行動原理は生前の未練を晴らす事だが、自我を保っている個体はまず存在せず生者に対する憎しみを行動原理にしている。ただ、動きは遅く力もひ弱であり、身体を構成する骨の繋がりも脆弱である事から一般人でも退治する事が容易。
そのため、人里に脅威を及ぼす事はほぼない。そもそも、たどり着けない。別の魔物や動物によって倒される事も多い。
結果、冒険者ギルドが敗者の骨を討伐する依頼を出す事は無く、倒しても得られる報酬はない。