1話 這いずる敗者の骨
冒険者の仕事は吟遊詩人の歌の題材にされないような、地味なものの方が多い。薬草採集もその一つだ。
「この辺りは青タンポポの群生地だが、下級の魔物が多い。俺が見張りをしているから、二人は採取に集中してくれ。ベン、君はそっち。リアス、君はあっちを頼む」
「分かったよ、ポールこそ見張りを頼んだ」
しかし、地味と安全は両立しない。青タンポポは強い魔力によって花びらが青に変化したタンポポで、毒性を帯びているが鎮静剤や痛み止めの貴重な材料になる。だが、魔物が多く出没する場所にしか生えていないので、採取は複数人で行う事が冒険者ギルドでも推奨されていた。
(今日は運が良かったな。臨時だけどパーティーを組めたお陰で、いつもより稼げそうだ)
リアスは丁寧な手つきで青タンポポの根まで採取しながら、内心は高額報酬を期待して胸を高鳴らせていた。
冒険者を目指すと決めてから村で三年修行し、冒険者になってから五年過ごして来た。しかしリアスの冒険者ギルドでの等級は、彼が二十歳になっても低いままだった。
何故なら、リアスには無かったからだ。冒険者として伸ばすべき才能と、装備を整えるのに必要な資金力が。もちろん魔法を使うのに必要な魔力も、神聖魔法を使うために必要な神々からの加護も持ち合わせていなかった。
体力はあるし、身体は頑健。そして、それなりに器用だったので村に留まって農夫か漁師か猟師になっていれば、それなりの腕になっていただろう。少なくとも、文字通り食う事だけには困る事は無かったはずだ。彼の故郷の村は街から離れた辺境にあったが、魔物も滅多に出ず戦乱も遠かったからだ。
しかし、村を出て冒険者にならなければリアスの目的が叶う事はない。だから、彼は生まれ育った村を出て向かない冒険者稼業をしている。
(そうだ、俺は目的のために、上級冒険者になる。この依頼の報酬も、目的達成のために使うんだ! 俺でも今よりマシな武器や防具があれば、もっと魔物を倒せる。魔物を倒せば、その分レベルが上がる)
だが、リアスにとって幸いなことが二つあった。一つは、彼は微妙な運の良さがあった。悪運、と言ってもいいかもしれない。今まで何度も危ない目に遭ってきたが、いつもギリギリで命拾いしてきた。
そしてこの世界には、レベルが存在する。この世界に生ける全ての存在に宿っている魂。様々な経験を重ねる事で魂を鍛える事で、全ての存在は強くなる事が出来る。
動植物の場合は、変化。聖獣や神獣、聖魚、神木……そして魔物に変化する事が出来る。
魔物の場合は、存在進化。属する種の上位の存在になる事が出来る。
そして人間の場合は、レベルアップ。変化や存在進化程大きな変化は無いが、様々な点で強くなる。
剣や魔法の才能が無いリアスでも、レベルを上げる事が出来れば冒険者ギルドの等級を上げられる可能性はある。そうすれば――
(いつか、リディアに……あれ?)
背後から胸を貫くような衝撃を感じ、視線を降ろしたら胸から剣の先端が生えていた。
「っぇ? がはっ!?」
その途端、痛みより先に焼かれるような熱さを覚え、リアスは口から血を吐いた。
(何故だ? 仲間が見張っていたはず!? あいつは!? ポールはやられたのか!? ベンは!?)
混乱しながら後ろを振り返ったリアスの目に、自分を刺した者の姿が見えた。
「悪く思うな」
そこにいたのは魔物でも山賊でもなく、青タンポポ採取の依頼を果たすために組んだ冒険者の一人で、見張りを買って出た剣士、ポールだった。
「……っ!?」
「馬鹿な」か、「何で」か、どちらを叫びたかったのか、リアスにも分からない。
「おい、やるなら一撃でと言っただろう」
すると、もう一人の仲間のベンの声が聞こえた。だが、ポールを止める様子も、リアスを助ける気も無さそうだ。
(ベンもポールとグルだったのか。二人とも、俺と同じソロの冒険者で、この依頼のために偶然集まったんじゃなかったのか? じゃあ、声をかけて来たギルドの職員も?
畜生、こんなところで俺は死ねないのに!)
咄嗟に胸から生えた剣を掴もうとするが、その前に抜かれてしまった。絶望的な勢いで血が流れ、視界が暗くなっていく。
「悪い。こいつが動いたせいで、急所がずれて……でも問題は無い。
これは頂いて聞くぞ」
首に何かが触れ、下げている冒険者証が引っ張られる気配がする。リアスは剣を掴めなかった両手で、冒険者証を強く握って奪われまいとした。
何か考えての事じゃない、反射的な行動だ。
「こいつ、無駄な足掻きを……っ!?」
「ポール、オーガだ。こいつの血の臭いに誘われてきたのだろう。引くぞ」
まだ離れているが、野太い咆哮と木々の枝を折りながら何かが近づいて来る物音がする。
「だが、まだ証拠品が! それにオーガぐらいなら俺達二人でかかれば――」
「魔物に襲われ、遺品も回収できなかった。今の我々は『ベン』と『ポール』なのだから、オーガと戦って余計な痕跡を残すべきじゃない」
「……分かった」
リアスには理解できないやり取りの後、誰かが走り去っていく物音がした。そのすぐあと、二人を追って何かが通り過ぎた。多分、オーガだろう。そして、さらに不気味な唸り声と息遣いが近づいて来る。
「待ってろ……リディア……」
冒険者証を握り締めたまま、リアスはその場から逃げようとして倒れ込んだ。脚がもう、思うように動かない。
「必ず、お兄ちゃんが会いに……約そ……く……」
それでも這いずって逃げようとしたが、リアスの意識はそこで途切れた。
(約束は必ず守る! 俺は死なないからな、待ってろ!)
そして、元気に地面を這いずっていた。
(体が軽いっ! これならどこまでも這いずっていけそうだ! ……いや、立てばいいんじゃないか?)
そして、はっとして動くのを止めた。
(そう言えば、傷はどうした? 胸を貫かれたのに苦しくない? 何故だ?)
そして困惑して自分の体を見ようとして、奇妙な事に気が付いた。
左腕が妙に白く、細い。どれだけ右を向いても、右腕が見えない。そもそも、視界が妙だ。物の細部がはっきり見えず、ぼやけている。まるで夢を見ているようだった。
いや、身体の感覚もそうだ。胸が痛まない事だけでなく、体中の感覚が酷く頼りない。さっきまで地面を這いずるために動かしていた、左腕すらも。
(おかしい、おかし……あれ? 俺って息をしてないんじゃないか? ……やっぱり息をしていない。口の中に舌が無い? な、何で?)
そして酷く寒い……いや、空しい。空虚だ。まるであるべきものが無くなってしまったかのように。
(俺は……俺はどうなったんだ? 俺は……ヒィッ!?)
その時になってやっとリアスは気が付いた。自分の左腕が得体のしれない粘液と血に塗れた白い骨になっている事に。
(う、腕っ! 俺の腕がっ、骨だけに!? た、助けてっ! 誰か助けてくれっ! こんな大怪我をしたら、死んじまうっ! 死にたくないっ、死にたく……あ?)
パニックに陥り助けを求めて叫びながら暴れ出したリアスは、その拍子にひっくり返った。そして自分の体の状態に気が付いた。
骨になったのは左腕だけではなかった。貫かれた胸も、腹も、血と粘液で汚れた骨しか残っていない。傷だけでなく、皮膚も肉も内臓もすべて無くなっていた。尻尾のように、途中で無くなった背骨が垂れている。
(あ、ああっ、ああぁ……ああああああっ!?)
そして意識せず左手で頭を抑えた時、気が付いた。そこに毛髪も、皮膚も、目と耳も、鼻と頬、そして唇……骨以外のなにもかも無くなっていた事に。
頭蓋骨と腰までの胴体、そして左腕だけの動く骸骨。それが今のリアスだった。
(お、俺は死んで、殺されて骨だけに……アンデッドになってしまったのか!? そんな……あ、あれは魔物!?)
嘆くリアスの視界に、暗緑色の肌をした小柄な人影が写った。視界がぼやけていても、見間違えることはない。ゴブリンだ。
「ギィ、ゲゲ? ……ギッ!」
ゴブリンはリアスをしばらく見つめた後、手にしている棒を構えて近づいて来た。理由は不明だが、アンデッドをその棒で打って退治するつもりのようだ。
(や、やられる! 逃げないと!)
リアスは左腕を懸命に動かして、ゴブリンから逃げ出した。ゴブリンはスケルトンや大ネズミと並んで最下級の魔物で、新人冒険者でも一対一ならまず負けない魔物だ。しかし、今のリアスはそのスケルトン。しかも、武器どころか骨が半分ぐらいしかない。
戦ってみなくても勝敗は明らかだ。逃げなければ。
(逃げて、どうなる?)
だが、数秒も過ぎない内に萎えた。気力、衝動、恐怖、渇望、彼の中のあらゆるものが。
(俺はもう死んでいる。残っているのは骨、それも半分ぐらいしかない。こんな状態で逃げてどうなる?)
冒険者ギルドどころか、町に戻る事も出来ない。このまま森の中を這いずり続けるのか? そう考えると、気が遠くなった。
(ポールとベンに復讐するのか? ……ん? ポールとベンって誰だっけ?)
裏切られ殺された怒りや恨みすら、零れ落ちていく。
(そもそも、俺って誰だっけ?)
自分の事すらわからなくなり、記憶と一緒に活力まで失われたかのように全身から力が抜ける。
(約束って……俺は、誰に会う約束をしていたんだっけ?)
カラカラと、音を立てて彼から骨が落ちて崩れ始める。
「ギッ、ギッ」
ゴブリンの気配と声が近づく。止めを刺してくれるのなら、素直に受け入れるべきだろうと彼は動きを止めた。
このまま全てを忘れ、ただのアンデッドとなり果てるよりはずっといい。そう諦観と共にゴブリンに叩き壊されるのを待つ。
『お兄ちゃん!』
その時、彼の空になったはずの脳裏に幼い少女の顔が過った。銀色の髪に、琥珀色の瞳をした彼とはあまり似ていない、自慢の妹。
『約束だよっ! 絶対、会いに来てね!』
(リディア!)
妹との約束を思い出した彼は、衝動のままに手を伸ばした。
「ギャァァァ!?」
その骨だけの手から閃光が放たれ、ゴブリンの視界を塗りつぶした。ゴブリンは棒をその場に落し、痛む目を抑えて転びながら逃げて行った。
(これは……温かい……リディアの……聖女になったリディアが祈る女神様の光だ)
彼の五歳年下の妹リディアは、この世界の女神フォースティアの加護を生まれつき得ていた。それが国に伝わり、彼女はヌザリ大陸の人種の信仰の中枢であるマディ大神殿に聖女として迎えられる事となった。彼女自身の意志と関係なく。
両親を亡くし、兄である彼と他の村人達に支えられて生活していたリディアは、村に訪れた神官達と一緒にマディ大神殿へ行くのを嫌がった。行けば、二度と村に戻れないと察していたのだろう。
彼も、村人達も、リディアを一人大神殿へやりたくなど無かった。だが、平民である彼や村人達に、祖国の王も蔑ろに出来ないマディ大神殿の意向に逆らえるはずがない。
だから彼はリディアに約束した。彼女が聖女様になっても、大神殿へ行っても、必ず会いに行くと。
平民で神々からの加護も無い彼が聖女となったリディアに会うには、神殿に入って出世するか、上級冒険者になるかしかなかった。
そしてコネも学も無い彼が神殿で出世するよりは、冒険者になった方がまだ可能性があった。だから、彼は上級冒険者になる事を目指した。
あれから八年。リディアとは手紙のやり取りすらない。送ってはいるが、返事が帰って来たためしがないからだ。おそらく、リディアに手紙が届く前に誰かが止めているのだろう。
そしてマディ大神殿に行く目途も立っておらず、いまだに故郷の村に一番近い交易都市で足踏みをしている。
約束を覚えているのは自分だけで、リディアはもう忘れているかもしれない。そう思った事も、一度や二度ではない。だが――。
(これはきっと、リディアが俺のために祈ってくれた証だ。そうでなければ、アンデッドになった俺が太陽と生命の女神フォースティアの神聖魔法を使えるはずがない)
リディアも約束を覚えていた。そして、彼のために女神に祈りを捧げていた。そう確信した彼は、気力を取り戻していた。
(どうすればいいのか分からない。でも……お兄ちゃんは諦めずに頑張るよ、リディア)
乾いた音を立てて、地面に落ちた骨が元に戻る。彼は、力強く這いずり出したのだ。