急 二十一、二十二、二十三(了)
二十一
さて、うどん屋では、門附の若者が話を続けていた。
「いや、それから宗山の大坊主は、いろいろと勿体をつけたあれやこれやをやってたんだが、やがて謡いはじめた。
聞いてみたところ、どうしてどうして、思ったよりよく仕上がっている。針按摩師がやるような芸とは思えない。……戸外でドッドッと吹いている風のなかにこの声をぶちまけたら、あのピーピー笛くらいには、さまになって聞こえようというもんです。なるほど私の仲間たちだって、こいつに『奴ら』扱いされてしかるべき者も少なくはないだろう。
だが、私にとっちゃ大した敵でもなかった。とはいえ芸には真摯に向き合うべきです。侮ってはならないと気を引き締めて、そこで膝を……」
と、ここまで話した門附は居住まいを正し、抜き衣紋になった襟もとを締め直したので、肩をつかんでいた按摩の手が宙に浮いてしまった。
「……私はこの膝をパシリと叩いて、黙ったまま二つ、三つ拍子を取った。拍子といってもただの拍子じゃない。……養い親で師匠でもある叔父貴の膝に、小児のころから抱かれて教わり、伝え習った拍子だ。相手の節の隙間を突いて、余計なクセのついた節回しの伸び縮みを緊めたり、緩めたり。そうすると相手は、声の加減を見失って、みるみる呼吸を乱してしまう。これがずぶの素人だと、そもそも何が正しいのか知らないし、間の取り方もわからないから、拍子を入れても耳に入らず、気にもしないだろう。しかし、まがなりにも謡を商売にして、ちょっとは芸の心得がある相手だと、トンと一つ拍子を入れられただけで、もう声が引っかかって、ぶざまに節がつっかえてしまう。三味線でいう間というのと同じだ。ほら、清元の「夕立」だって、「意気なお方に釣合わぬ……ン」と、ここで一つ声を跳ねて間を入れないと、次の「……野暮な矢の字が」というところが、とうふにかすがい、糠に釘、という具合に、ぐしゃりと潰れてしまうだろ。
さすがに宗山は、心得のある奴だけあって、玄人からぴたりと一つ拍子を入れられて声を押し伏せられると、ここぞとばかりに張り上げた声が、すぐにたるんでしまった。
今から思えば、若さゆえの過ち、余計なことをしたものだ。人として恥ずべき私の愚行のために、しょせんは素人芸の悲しさを、宗山はさらけ出すことになった。
哀れかな、宗山。みるみるうちに額にたらたらと汗を流し、断末魔のような声を振り絞ると、顎から胸へかけても膏汗を浮かべた。あの大きな唇が海鼠を干したように乾いてきて、舌が固まって、激しく呼吸を刻む。まだ謡おうとしながらも、わなわなと震える手で畳をつかむようにしながら、杯を手に取ろうとまさぐっている。その様子からすると、謡本の最初の一頁も謡わないうちに、ピシリと強く拍子を打ちこまれた衝撃で、どうやって節を取り戻せばいいのかも、まったくわからなくなってしまったらしい。
はっと火のような呼吸を吐いたとたんに、がっくりと頭を下げて突っ伏した宗山は、だらりと舌を垂らすと犬のように畳を舐めた。
『先生、ご病気ですか』
などと、私は白々しいことを言って、にっこりとしたんだ。
『ぜひ聞きたい。どうかお願いする。宗山、この上に耳が聞こえなくなったとしても、あなたの謡を一曲、聞かずには死んでも死にきれない』
と、拳を握りしめた宗山の、荒い呼吸が苦しげに聞こえる。
『按摩さん』
と、がらりと調子を変えて呼びかけた私は、
『ここから尾上町の藤屋まで、どのくらい離れている』
と尋ねた。
『なぜそんなことを聞く』
『距離によっては声が響く。ここには内緒で来たんだ。……藤屋には私の声を聞かせたくない、叔父が一人で寝てらっしゃるんだ。名人は霜の気配にも勘を働かせるというもの。――ただでさえ目敏い老人が、うるさい風の音で寝苦しがって、たまたま起きているといけない。祝儀はここに置いた。帰るぜ』
すると宗山は、塞いだままの瞼の内で、ぐるぐると目玉を動かして、
『お待ちくだされ。先刻の拍子を打ちなさり……古市から尾上町まで声が聞こえるかと尋ねなさる。その堂々とした物言い、年のお若さからして……。まだ一度も謡を聞かず、もとより顔を見たことはないが……そちらの流派の大師匠、恩地源三郎殿の養子だと聞く……恩地喜多八氏に違いあるまい。そうでござろう、恩地……』
と、私の名前を言い当てたんだ。
ああ、酔った」
と言うと門附は、手から杯をぱたりと落とした。
「私の名なら、明かしてもかまわない。しかし、明かせば叔父に申し訳ない。二人とも、誰にも言うな……」
と、それまでにない威厳を漂わせながら、按摩と女房に目配せした。
「私は羽織の裾を払って、
『まあ、そんなような者だが、いずれにせよ、お前さんが言う東京の奴らの一人だ。宗家の宗、本山の山で宗山か。土産に若布の付け焼きでも持って、東海道を這って来い。恩地の家の台所口を訪ねてきたら、叔父には内緒で、恩地のわんぱく坊ちゃんが、独楽で遊ぶ片手間に、初歩の「高砂」でも教えてやろう』
と捨て台詞を吐くなり立ち上がった」
二十二
「痘痕面に白目を剥いた宗山は、よたよたと立ち上がって、声を昂ぶらせながら、
『お会いしたかった、若旦那、盲人の悲しさで顔は見えぬ。触らせてくだされ、つかまらせてくだされ、一撫ででいい、撫でさせてくだされ』
と言う。
いや、撫でられてたまるもんですか。
こっちはそれをすり抜けようとするんだがね、六畳の狭い座敷で、しかも相手は目が見えないとはいえ自分の家だ。
階段の降り口にサッと立ちはだかって、両腕をがっと広げたんだ。……膏汗を流しながら宗山は、天井いっぱいに坊主の影を広げて、私を撫でようとする。
いや、その嫉妬と執着が入り交じった、信じられないほど邪悪な形相が、今もって忘れられない。
『いやだ、いやだ、いやだ』
と言って、こっちは夢中で部屋から出ようとする。よける、留める、行き違いになるの立ち回りで、立て付けの悪い増築の二階ごと、みしみしときしみを立てる。風は轟々と吹きつける。目の前が黒雲で覆われたような気になって、恐くなった。なんとも凄まじい光景だ。
私は、勢いつけて擦れ違いに駆けこむと、相手の腕の下をサッとくぐり抜けて、どどどどっと階段を駆け下りた。するとね、
『袖や、お止めしろ』
と宗山が二階でわめいた。風に運ばれたその嗄れ声が耳に届いたころには、三、四人の女たちが立ち騒いでいて、そのなかからスッと抜けだした美しい姿が、門口の格子戸を開けた私にしっかりと掴まった。吹きつける風に揉まれた紅い褄を搦ませるようにして私にすがりついたのは、髪を結綿に結っていた娘です。
そう、障子に映った影法師の背中を揉んでいた、二階に薄茶を運んできたあの娘で、宗山の妾の一人なのだろう。
なにかを語りかけてくるような、清らかで張りのあるその娘の目を上から覗きこみながら、私には係わりのないことだが、ものはついでだ、なにか言ってやろうと思った。
『可愛い人だな。おい、殺されても死んでも、男の玩具にはなるな』
と言い捨てて、娘を突き放したんだ。
『あれえ』
と叫ぶ声を後ろにパッと吹き飛ばすような向かい風に逆らいながら、砂埃のなかへ飛びこむようにして、私は一目散に駈けて宿に帰った。
あとでわかったんだ。妾じゃなかった。お袖というあの可愛い娘は、宗山の娘だった。あれが娘だと知っていたら、いや、あの時にでも気づいていたら、たとえ宗山が親の敵だったとしても、退治するのを思いとどまったはずだ」
そこまで話すと門附は、不意にがっくりと背中を倒してうつむいた。揉んでいた按摩の手が、肩をつかみ損ねてぬいっと前に突き出してしまう。……頭上に垂れた按摩の袖の下で、門附は拾う気もなさそうに、取り落とした杯を探りながら、
「もし按摩が訪ねてきたら、絶対にいないと言え、と宿屋の者に言いつけた。叔父はといえばうまい具合にすやすやと寝入っている。並べて敷かれた床のなかにすっぽり入った私は、蒲団をひっかぶって、いい気持ちになって眠ったんだが。
ああ、寝心地のいい思いをしたのは、その晩が最後だったね。
なぜって、宗山がその夜のうちに、私に辱められたことを口惜しがって、憤死してしまったんだ。傲慢な奴だけに、折れるときはぴしりと脆い折れ方をするものだ。七代まで流派に祟ってやると、手探りで、筆を捻りまわすみたいにして書いた遺書を残していた。鼓ヶ嶽のふもとで死んでいたんだ。あそこの広場の雑木にぶら下がって、夜が明けてやっと静まってきた風に吹かれて、まだふらふらと揺れていたんだとさ。
こっちはなにも知らなかったからね。風は静まる、天気はいい、叔父は一段と上機嫌だ。……古市の宿を発って二見に行った。朝のうちに朝日館というところでいったん荷を解いて、あとで泊まりに来るからと、すぐに俥に乗って……先に鳥羽見物を済ませてゆっくりしようと、音無山や夫婦岩、二見の浦の上を通って、日和山の山頂を見物席に見立てて、青畳のような海を眺めながら、二人で半日を過ごした。やがて朝日館に帰ってくると……なんということか。
旅館の表は黒山の人だかりで、館内の廊下も人であふれていた。大げさに言ってるんじゃない。伊勢から私たちに会いに来た人たちなんだ。按摩の身に起こった異変とその遺書のことは、その日のうちに伊勢の国じゅうに知れ渡った。その人たちは、宗山の死について文句を言いに来たわけではなくて、芸事で宗山のとどめを刺したほどの偉い方々の謡が聞きたい、ぜひ山田で興業をしてほしいと、羽織袴、フロックコート姿で押しよせていたんだ。
いや、叔父が怒ったのなんの。日本一の不届き者め、恩地源三郎が申し渡す、今後一切、謡を口にすることは決して許さぬ、とその場で勘当されてしまった。それにしても宗山とかいう盲人は、自分の芸の未熟さを知り、負けを認めて自害したという。その振る舞いに対して、芸に身を捧げた鬼神とみなすべきだ。自分は葬式の送り迎えをして、墓に謡を手向けようと、叔父は人々に約束をした。その一方で、私はその場から追い出されていた。
あとのことはなにも知らない。そのときから私は、津々浦々をさすらい歩く、はかない門附の身の上となったんだ」
二十三
「名古屋の大須観音の裏町にあった古道具屋で、私と同じく世間から捨てられたらしい三味線をやりくりして買い求めたのが門附のはじまりで、それでも一銭、二銭、三銭なんて祝儀では、木賃宿にも泊まれない夜も多く、半分は野宿の旅を続けるうちに、京大阪を巡り歩いて、西は博多まで行ったっけ。
なんだか伊勢のことが気になって、妙に急いで逆戻りをして、またこのあたりまでやって来た。
私が言ったただ一言の「男の玩具になるな」ということばを生命がけで守っている、可愛い娘に逢ったのが、一生の思い出になった。
とはいえ、私にどうにかできるものでもないから、娘の前からはすぐに姿をくらましたが、その後、四日市で病にかかったんだ、女房さん」
と、門附は呼びかけた。
「そこで出会ったのが、ちょうどお前さんみたいな、親切な人だった。その人に助けられて、やっと旅を続けられるようになったんだ。関西では、間違って謡を聞くようなことがあっても、あれはお百姓さんが竹の管を吹き鳴らしてるんだ、『風呂が沸いた』と知らせてるんだと、聞き流すこともできたけど、このまま東海道を上って箱根の山に差しかかったなら、もう、ね。江戸の鼓が聞こえてくるから、とっても我慢なんぞはできない! うっかり謡を謡ってしまいそうで、危なくってならないからね。渡れば江戸と地続きの舞坂に着いてしまう、今切の渡しは越せません。ここからなら、大泉原、員弁、阿下喜を通って、大垣街道を行き、飛騨越えをしたら岐阜に出られる。そこから街道沿いの北国の地方を回ろうかなと考えながら、四日市近くの富田で三日稼いで、桑名に来たのが昨日だった。
それが今夜なのだが、どうしたことか。ここにいるはずもない二人を見かけて、やりきれなくなってこの店に飛びこんだ。すると今度は、流しの按摩の笛が追いかけてきて、いつもより激しく身体を刺してくる。そのうえ不気味な影を見た。美しい影もあったが、恐ろしい影も見た。そうか、ここで按摩の怨霊が、私を殺す気なんだな。構うもんか、勝手にしろ。そちらがその気なら、同じ按摩の仲間を傍に呼んで、もっと責め苦を受けてやろう。そんな覚悟をして、按摩さん、あなたに背中を揉んでもらうことにしたんだ。
それにしても、筋を抜かれる、身をむしられる、という思いがして、私は五体が裂けるようだ」
と言って、またうつむいた門附の肩を、按摩はつかみそこねたが、宙に浮いたその手は、なにかに怯えるかのように、風にあおられるかのように震え、歪んだ形相を浮かべた顔が、門附の背中にくっついたように見える。……門附が着た袷の褪せた色は、肉の削げた彼の皮膚を青白く見せて、そこに浮き出した血管からは、胸の動悸が透けて見えるかのようだ。あわれにも、博多の柳を思わせる門附の姿に、一匹の土蜘蛛が噛みついている、そんな凄まじい光景を思わせる。
「誰や!」
と不意に、なにかに驚いたらしい女房が声をあげた。これから起こる事態を予測されたのか、顔をそむけた神様がいらっしゃいます神棚の灯火の届かない片隅で、障子紙がべろべろと濡れて、入り口の腰障子に覗き穴があいた。それを見とがめた女房がまたわめくと、がたがたと大きな足音をさせて走り去ったのは、この家の主人である。
いやはや、このやっかいな親仁は、一人ではなかった。女房がいちゃついてでもいたら門附を懲らしめてやろうと、薪雑棒や棒切れを持たせた若者を二人ばかり、連れていたのだった。
「ご老体」
雪叟が小鼓の緒を緊めたのを見た恩地源三郎は、そう言うと……威厳に満ちた物腰で振り返って、
「その娘の舞に破格のお付き合い、感謝申し上げる」
と、扇を膝に置いて会釈をする。
「あいかわらずの未熟者でござる」
と雪叟が礼を返して、そのまま座布団から下りようとした。
「そこまでなさることはない」
「いや、座布団の上では、ご流派に対して失礼じゃ」
「はっ、その娘の舞に、甥の奴の面影があるから、遠慮したとおっしゃるか。では私も……」
と言うと同時に、二老人は左右に座布団を刎ねのけた。
「嫁女、嫁女」
と源三郎は二度呼んで、
「お三重さんか。私は嫁と思うぞ。喜多八の叔父の源三郎じゃ。あらためて一差し舞ってくれ」
二人の名人がキッと居住まいを正す。
能面のように気高い顔になったお三重は、その様子を恍惚と見つめながら、よろよろと引き退がる。と、藤色の座敷着に黒髪の艶が映えて、肩も腕もなよやかとはいえ、袖に構えた扇はまさに利剣となった。そして、霜夜に鋭く響く声で、謡の続きを謡いはじめた。
「……引上げたまえと約束し、一つの利剣を抜持って……」
肩に担いだ小鼓の、叩く手さばきの美しさ。雲井の銘を刻んだ胴に光がさすと艶光がして、名人が音に込めた赤誠の花のように、調べに合わせてひるがえる緒の紅色が、サッと燃えるかと見えたそのとき、
「ヤオ」
と掛け声がかかった。
「あっ」
と声を漏らすと、鼓の音が聞こえたほうを、キッと見据えた。――能楽界の鶴と呼ばれた若者が姿を消したと惜しまれた――恩地喜多八は、うどん屋の腰掛けにあぐらをかいていた片足を、ふと土間に落とすと、
「雪叟が鼓を打つ! 鼓を打つ!」
と身を捩り、胸を強く押さえると、慌ただしく手に取って口もとを覆った手拭いにカッと血を吐いた。すぐにそれをかなぐり捨てると、按摩の右手をつかんで、しっかりと握る。
「祟るなら祟れ。さあ、按摩。湊屋の門まで来い。今度はお前に、若旦那が謡を聞かせてやろう」
と引っ張ると、店の外に出た。
源三郎が謡う。
「……かくて竜宮に至りて宮中を見れば、その高さ三十丈の玉塔に、かの玉をこめ置、香花を備え、守護神は八竜並居たり、その外悪魚鰐の口、遁れがたしや我命、さすが恩愛の故郷のかたぞ恋しき、あの浪のあなたにぞ……」
そのとき、張りつめたお三重の心が堰を切ったかのように、島田髷の元結がフッと切れて、艶やかな黒髪が肩に崩れた。水のように乱れる髪が蝋燭の灯りに揺らめき、裳裾に鎮められた畳は澄んだ海となる。塵もとどめぬ清らかな舞いぶりである。
続けて源三郎が謡う。
「……我子は有らん、父大臣もおわすらむ……」
我子ということばに、喜多八を思う源三郎の声が幽んで、地謡の節が、ふと途絶えようとしたときだった。
この湊屋の門口で、爽に調子を合わせる謡が聞こえた。……その声は、白い虹のようにサッと飛び来ると、お三重の舞を釘付けにする。
喜多八が謡う。
「……さるにてもこのままに別れ果なんかなしさよと、涙ぐみて立ちしが……」
「やあ、大事なところだ、倒れるな」
と言った源三郎はすっと座を立ち、よろめくお三重の背中を支えた。年老いた腕に袖の女波がふりかかる。しっかと支える大盤石の世話役に、海松の緑の黒髪の上へと、サッとかざす舞扇に、銀地に雲の絵柄とともに、恋人の影も立ち添う光を放って、灯火を白く輝かせながら、お三重は舞い続けた。
舞いも舞った、謡いも謡った。加えて雪叟がおのずと習得した鼓の秘技に、桑名の海もトトと大鼓の拍子を添え、宿に迫った川浪はタタと鳴って、汀を打つ響きは太鼓の音となる。霜に白んだ多度山の頂、月に照らされた御在所ヶ嶽の影、そして鎌ヶ嶽も、またの名を冠ヶ嶽と言われるとおりに霜の冠をかぶり、この舞台の客席に居並ぶかのよう。
夜は更けて、町は凍てつく。どこからともなく虚空に按摩の笛が聞こえたとき、恩地喜多八はただ一人、湊屋の軒の陰に立ち、濃い影を落とした蒼い姿で立って謡うと、軒の向こうに照る月が廂を照らして、彼の顔にも銀の扇の輝きを投げかけた。その光が、お三重がかかげた舞扇が裏表になる輝きと、そこでぴたりと一致したのである。
喜多八が続けて、
「……また思切って手を合せ、南無や志渡寺の観音薩埵の力をあわせてたびたまえとて、大悲の利剣を額にあて、竜宮に飛び入れば、左右へはっとぞ退いたりける」
と、澄んだ声で謡う。
「背中を貸せ、宗山」
と言うとともに、恩地喜多八は疲れた様子で、先刻からその足もとに、なにやら大きくうずくまっている、形のない、なにかの影を引きよせると腰を下ろしたように見えたが、それは、全身の重みを乗せんばかりに圧し潰そうとするかのようでもあった。
ひと筋の路は白く、更けた夜のあちらこちらに掛行燈の燈がともる。杖を支いた按摩の姿も交じりながら、ちらちらと人影が往き来する。
(了)




