Answer.03:日常壊しの異常人
『私は姫が大好きだあぁぁぁ!!』
突如、朝の校内の喧騒を一瞬にして停止させたのは、スピーカーから響いた声だった。
その声は校内に居る者全ての思考を停止させ、教室や廊下に設置された各スピーカーに視線が集中する。
ただ一人の女子生徒を除いて、だ。
彼女は放送を聞くなり、勢い良く机に突っ伏した。
顔色は、みるみる内に赤では無く青に染まっていく。
「……あんのばか……!」
呟きながら、苦虫を噛み潰したかのような表情になり、冷や汗が滲み出す。
早く終われ早く終われ、と願う彼女の祈りとは裏腹に、放送は尚も続く。
『名前を呼ぶようになったのには感謝しよう。だがしかし、何かが足りないのだ! そう、愛が!』『さかきぃ! 放送を止めろぉ!! でないと――』
刹那、放送は途切れた。
暫しの沈黙。
それから一分経ち、何事も無かったかのように再び喧騒が始まった。
また榊か、などと呟く者も居るが、大して気にはしていないようだ。
その事に安堵した彼女、春原 姫香は深い溜息をつき、顔を上げた。
同時に、茶色い長髪が垂れて顔を少し隠すが、この状況では気にしていないようだ。
「ほんと、お疲れ様だね榊君は。どれだけ言っても、姫ちゃんは知らん顔だし」
「うっさいわね、千尋。また目潰しするわよ?」
「そんな事ばかり言ってると、鬼になっちゃうぞ~?」
笑みを浮かべながら、不意に声を掛けた松本 千尋は、自身の黒い短髪に両手を載せ、人差し指を角に見立てて鬼の真似。
目を弓のようにし、より一層の笑顔を追加して、角で姫香の二の腕を突き始めた。
連続して、世紀末の男の如く。
「うりゃうりゃうりゃうり――ぃぁああぁぁああぁああぁぁ!!」
無言で繰り出された目潰しは、当然、千尋の両目に直撃し、痛みで奇声を上げ床を転がり出した。
そんな彼女を無視し、姫香は再度溜息をつく。
……あの馬鹿……。
先程の放送をしていた声の主、榊 護の告白行動は、今週に入って三度目だ。
その上、今までは直接言って来ていた為に、スピーカーを使用されたのは初めてである。
最も、初めの頃よりかは回数は減っているのだが。
高校に入学した途端に護が告白するようになって、もうすぐ一ヶ月近く経つ。
五月の連休、ゴールデンウィークを明後日に控えたこの時期、生徒は休みの間の予定についての会話で浮かれていた。
無論、護も例外では無い。
故に姫香は、今週に入ってからは余り構わないようにしていたのだが、その行動が裏目に出たのではないかと、不意に彼女は思った。
だとしたら、本当に馬鹿馬鹿しい事だ、とも。
……昼休みにでも構ってあげよう。
そう決意し、彼女は再度机に突っ伏した。
眠っていれば、昼休みなどすぐに来るものだ。
既に教室内は、喧騒はそこら中から聞こえるようになっており、各グループがそれぞれ昼食を取っている。
スピーカーからは、今流行りの曲が控えめに流れ、それに関する会話も少なからず聞こえる。
そんな中、姫香は立ち上がって、護の居る席へと向かった。
幸い彼は窓際の自席に座っており、窓に向かって何やら独り言を言っている様子。
如何にも近寄りがたい雰囲気を醸し出している彼に、思わず足が止まるが、勇気を振り絞る。
勇気の使いどころ、間違って無いかなぁと思いながらも第一声。
「あ、あのさ、まも――」
「――ふぅむ、豚骨ラーメンは……あぁ、駄目だ。姫は豚骨が苦手だったな。だとしたらやはり、納豆キムチだろうか。いつぞやか、納豆キムチがどうとかという会話があった気がする、いやあった。ならば決まりだ、納豆キムチに誘おう」
「は?」
思わず、言葉が漏れる。
同時、即座に彼女の内心にて、何を言ってるんだこの馬鹿は! という感想が生まれた。
一方、彼女の声に反応した護は、振り向くなり満面の笑みとなった。
そして、焦げ茶色のオールバックという特徴的な髪を掻き上げ、口を開く。
「おぉ、姫! 丁度良いところに来てくれたな! 話したい事があるのだが……良かったら、ゴールデンウィーク中に納豆キムチを食べに行かないか?」
「嫌よ」
即答だった。
故に護は、目を見開いて驚き、姫香の肩に手を載せた。
すぐに払われたが、気にしない。
「何故だ、姫。前に姫は納豆キムチの話をしていたではないか!」
「話をしていたイコール好きってのに結び付けられるあんたの脳は、ある意味凄いわね……」
「む、姫に褒められるとは! はは、そうか。私は知らず知らずの内に、姫を感動させていたのだな!?」
「あ~はいはい、そうなんじゃないの?」
感動では無く、呆れさせていた。
もう既に疲れ始めていた姫は、しかし会話を続ける。
「ところで、ゴールデンウィークは私と遊んでいられるくらい、予定が無いの?」
「もちろん、いつ姫と予定を作っても良いように、予定は空けている。……はっ! もしやデートの誘いか!?」
「で、デートって訳じゃ無いけど。ほら、最近冷たく接し過ぎたんじゃないかなぁっと思って……」
姫香は少し俯き加減になり、両手の指を弄り出した。
すると護は突然、ガッツポーズ。
ついでに彼女の肩に手を載せた。
当然、払われる。再度、載せる。また払われる。
それが後二回続き、やっと護は口を開いた。
「やっと私を受け入れてくれるのか! いやこれ程までに嬉しい事は無いな! では早速、式の予約を――」
「待ちなさい待ちなさい待ちなさい、とりあえず携帯を仕舞いなさい。気が早すぎる上に、別にそういう関係になるって訳じゃないわよ!?」
どうせ暇だったから、と咄嗟に浮かんだ言葉を付け加える。
その言葉に護は、眉尻を下げて苦笑を漏らした。
瞬間、彼女の胸にチクリとした痛みがあった。
裁縫針よりも注射針よりも細い、何かが。
……この表情には弱いな、私。
いつもの護は五月蝿いだけであるからこそ、希少ともいえる確率で見せるこの表情に、罪悪感を感じてしまっていた。
異性として見ている訳じゃない、それは分かっている。
ただ、彼女の内心で護は、邪魔な奴から友達に近い奴へと、変わりつつあった。
「よし、では早速昼食として納豆キムチを共に食べるか」
邪魔な奴に戻った。
「って、なんで鞄の中に入ってるのよ!? ――くさっ! 納豆くさっ!」
「誤解を招く言い方は止すのだ。ちゃんとタッパーに入っているではないか」
「なんでか知らないけど、見ただけで臭いって感じるのよ! あぁ、もう、開けなくて良いっての!」
はははっと笑いながら半透明のタッパーを開けようとする護の手を阻止しながら、姫香は制止の言葉をぶつける。
しかし、彼はそれくらいで怯む筈も無い為、彼女はタッパーを強引に奪い取った。
一瞬でも開いた事によって漂う納豆臭が掻き乱されて、周囲に充満する結果となってしまい、つい表情が歪む。
その臭いに耐えながら、奪い取った事に対して一応彼女はどや顔をする。
けれども、護は笑うのを止めない。
それどころか、また新たに鞄からタッパーを取り出した。
「なんでもう一個あるのよ!? 絶対に開けさせないからね!」
「あぁ、勢い良く取るのは良いが、それはラーメンだぞ? 熱いから気を――」
「あっちゃい!! な、なななんでラーメンをタッパーに入れて持ってくるのよ!? しかも耐熱加工されていないし!」
熱さに驚く姫香は、急いでラーメン入りのタッパーを机に置いた。
そして、両手を息吹で冷まそうと試みている。
護の笑い声は、止まらない。
「ははは、すまない。ところで、手の平が火傷しては困るな。どれ、私が舐めて冷やしてやろう」
「ひぃぃいいぃやぁぁあぁぁああぁ!? ――何するのよっ!」
刹那、風を切る音と共に彼女の右膝が、斜め下から護の顎に直撃し、彼は後ろへと吹き飛んだ。
次いで、ラーメンをぶっかけた。
「うぐおわぁぁああぁぁ!! 姫からの愛の熱湯だぁぁぁ!!」
叫びながら、麺と汁塗れになりながら、彼は床を何度も転がる。
そんな彼を睨むようにして見る姫香は、顔を真っ赤に染めて息を荒くしていた。
未だに手に残る、舌が這う気味の悪い感触に恐怖しつつも、奇声を上げてしまった事に後悔していた。
しかし、彼女の目前で転がり続けている彼を見ると、怒りは……やはりあった。
けれど、
「……ふっ、あはは……はは……」
中途半端な笑い声が、込み上がって来ていた。
だから彼女は、もう暫く見続けている事にした。
教室内に居る全生徒の視線を集める程、五月蝿い馬鹿を。