Answer.16:いつも変な奴は、休日とか関係無く変な奴
まだ太陽が顔を出しておらず、静まり返っている深夜三時。
車通りも無く、光がほとんどない住宅街の一角に、春原家がある。
周囲の家となんら変わらない形をした一軒家であるその二階。
窓から月光が差し込む部屋で、姫香は眠っていた。
窓際の壁に寄せられているベッドに眠る彼女は、月光が顔に当たっているのが気にならない程、深く眠っている。
だから、不意に影がかかろうとも、気付きはしなかった。
窓の向こう側、屋根の上には人影が一つ。
逆光によって顔がわからないその者は、周囲を見渡してポケットの中から大きい棒状の物を取り出し、窓の鍵がある部分に押し当てた。
次いで、箸が割れるかのように中心から開いたそれはコンパスに似ており、中心となる針とは逆の部分で半円を描くようにしてガラスに傷をつける。
すると、半円をなぞるかのようにその部分は自動で戻っていき、同時に赤い光がガラスを焼き切っていった。
そして、半月の形をしたガラスが外側に綺麗に落ちる。
最後に、ガラスの抜けた窓に手を入れ、鍵を開けて窓を開くだけだ。
こうして、侵入術は成功する。
刹那、晴れて不法侵入者となった者は、ベッドで眠る姫香に飛びついた。
「――っ!?」
きゃあ、という悲鳴が一瞬聞こえ、しかし口を押さえつけられた彼女の声は止まる。
「しーっ。騒いではいけないぞ、姫。私だ私、眠り姫の下に颯爽と登場する、君の王子様だ」
言うその者の顔は、すでにはっきりと見えており、彼がスーツ姿の榊 護である事が分かった。
それに気付いた姫香は、暫く彼を見据え、拳を打ち込んだ。
怒りの篭ったそれは護の鳩尾に直撃し、呻き声を上げる。
「んな……何をするのだ、姫……」
「何をするのだ、じゃないわよ! 今何時よってかどうやって入って来たの!?」
「姫は寝起きでも元気なのだな。今は三時を少し過ぎた頃で、私は窓から入って来た」
そう言いながら、彼は窓を指す。
そこには一部に穴が空いた窓があり、開いた所からは深夜の肌寒い風が吹き込んでくる。
護はその開いた窓をゆっくりと閉めるが、穴から風が吹き込んできた。
窓際の状況は変わらず、寒いままだ。
「な・ん・で、窓に穴が空いているのよ」
「仕方なかったのだよ、ここに入るにはね。そんな事より、早速出掛けようじゃないか」
そんな事、と言ったところで言葉を止めた姫香は、眉に皺を寄せて小首を傾げた。
「出掛けるって、どこに?」
問いに、護は当然だと言わんばかりの、笑みを浮かべた。
「明朝のドライブだよ。さ、私は屋根で待っているから、着替えたまえ。まぁ、ご両親には後で連絡を入れておく故、急ぐ必要は無いがね」
言いながら、彼は窓を開けると宣言通り屋根で待機を始めた。
もちろん、背を向けており、その姿は姫香が着替えを終えるまで、いつまでも待ち続けるかのようだった。
彼女は、その後ろ姿を見て溜息をつく。
なんなのよ一体、と悪態をつき、クローゼットを開けて服を取り出した。
東京都首都高速、埼玉方面のパーキングエリアにて。
早朝だからか、休憩中の大型トラックが駐車場に数台停められているが、それ以外の車はほとんど無い。
だが、その中に目立っている車が一台ある。
黒のディアブロだ。
現在、車内に人は乗っておらず、無人である。
その持ち主である護は現在、姫香と共にパーキングエリア内の食堂に足を運んでいた。
このパーキングエリアに立ち寄ったのは、姫香の要望だからである。
朝食をまだ口にしていなかった彼女は護に頼み、彼は快く了承した。
そして、護が支払いをするという名目の下、店内の隅にあるボックス席に座り、食券を買いに行った彼を待っていた。
数分後、食べ物の載ったお盆を両手で持つ護が、姫香の向かいに座った。
お待たせした、と言って姫香の前に置かれた物は、オムライス。
一瞬の間を空け、オムライスを凝視していた姫香の目が、護に向けられる。
「……何? これ」
「何とは、姫こそ何を言ってるのだね。これはれっきとしたオムライスだよ?」
「それくらい分かるわよ! 私が言いたいのは、なんでオムライスなのか、ってとこよ。私は和風定食を頼んだ筈だけど」
言うと、護は顎に手を当てて、小首を傾げた。
しかし、無表情であるところを見ると、動作は関係無いようだ。
「しまった、間違えてしまったかもしれない」
「どこをどう間違えたら、和と洋が逆になるのよ……」
「いや待て。和風は別に和という訳ではないだろう。風味と同じように、飽くまで和〝風〟だ。つまりこれは和風オムライスなのだ」
「はいはい、変な屁理屈はそこまでね。とにかく、私はお腹が空いてるから、もうオムライスでも良いわ」
さすが切り換えの早い女性だ、と嬉しそうに呟く護は姫香をジッと見つめた。
対する姫香は、そんな事もお構い無しに、スプーンでオムライスの一部を掬い、口へとはこ「ちなみに、和風を極めるために山葵が入っているぞ」吹いた。
突然の辛味と咽返る喉に、彼女は思い切り水を流し込む。
そして、涙目で護を睨み付け、布巾を顔目掛けて投げる。
するとそれは、彼の顔面に命中し、ピチャリという水分多めな音を立てる。
護はその布巾を冷静に取り、綺麗に畳んでテーブルに置き直した。
「駄目ではないか、布巾を投げ――」
「うっさい! 次、ふざけた事をしたら、そこにある予備のスプーンを二本ともアンタの目に突き刺すわよ!? ――って、スプーンを目に当てて、今度は何やってるのよ?」
「ウルトラマン」
眉間に、フォークが突き刺さった。
「うぐぉぉぉ! 眉間に姫の、愛の一撃がぁぁぁ!!」
「うるさい、黙れ! 死ね、この馬鹿!!」
「で。何よ、さっきのウルトラマンって」
「あぁ、あれは圭吾の持ちネタだ。一度、とある人物に殺されかけたのでもう禁止になったのだが、姫を笑わせて落ち着かせる事が出来ると思ったのだ」
「その圭吾って人が誰かは聞かないけど、完全に的外れなネタよ! ってか、結果的にアンタも殺されかけてるじゃない」
「うむ、完全に選抜ミスだ」
言いながら、眉間に出来た傷に薬を塗る護は、ふうっと軽い溜息をつく。
そして、また姫香を見つめ、口を開いた。
「すまないが姫、あーんでオムライスを食べさせてくれないか?」
「死にたい?」
「またの機会にしよう」
一息。
そうして、姫香が食事を終えるまで、ジッと眺めている事にした。
だが途中、彼女はふと疑問に思う。
……護の分の朝食が、無い?
「ねぇ……アンタは何も食べないの?」
「ん? 私は姫が美味しそうに食べている様を目に焼き付けるだけで、お腹一杯なのだが」
「またそうやって、変な事を言う。それとも、既に何か食べてきたの?」
指を差すように、スプーンで護を指す姫香に、彼は肩を竦める。
「いや、本当に何も要らないのだ。実のところ、私は過度な少食体質でね。一日に取るべき食事の量も、一般男子よりも遥かに少ないのだ」
彼の口から出た答えに、姫香は驚きの表情を見せる。
その表情のまま、スプーンでオムライスの一部を口に運ぶ。
咀嚼し、口内の物を喉に通したところで、質問の言葉を放つ。
「それって、何? 生まれつきの体質って事?」
「いや、そういう物では無いが……まぁ、いつかは話す時がくるだろう」
だが、簡単に言えば、
「人間は鍛え方、生活の仕方によって、その身体を多様な物へと変える事が出来るという事だ」
返って来た答えに、姫香は小首を傾げる。
しかしすぐに、いつか教えてくれると信用し、オムライスの最後の一口を咀嚼した。
次いで、コップ一杯分の水を一気に飲み干し、お盆を持って立ち上がる。
すると、それに合わせて護が立ち上がり、彼女の前を歩き出した。
その時、不意に姫香が声を発した。
「最後にもう一つ! アンタ、昼食は食べてるわよね?」
問いに、護は首だけで振り向き、微笑を漏らした。
「一日の半分の時間だ。パン一つくらいは、口にしているのだよ。別に、何も食べられない訳では無いからね」
答え、そして前へと向き直す護に、姫香はもう問い掛けようはしなかった。