Answer.15:祭りの前夜
自宅に帰ってから暫く経ち、いつの間にか日が暮れていた頃。
僕は自室のベッドに大の字で寝転がり、天井を見ていた。
もちろん、ただ見ていた訳じゃない。
帰宅時に父さんから聞いた事を、一通り脳内で纏めていたのだ。
……とは言っても、結局のところ上手く纏まりはせず、頭を抱えていた。
いくら情報が衝撃的だからと言っても、自分が情けない。
と、その時だ。
不意に、充電中の携帯が独特の音楽を鳴らしながら着信を知らせてきた。
生憎、床に置かれたそれを気怠そうに手を伸ばして拾い、側面のディスプレイを見る。
表示されている名前はピッチピチの新入部員こと、那珂川 美咲。
それを見ると、そういえば部活中にアドレス交換したなぁ、という事を思い出す。
などと思っている間にも着信音は鳴り続け、よくよく考えれば美咲を待たせているという事に気付いた。
故に、すぐ携帯を開いて、通話ボタンを押し、上部を耳に押し当てる。
『あ、やっと繋がりました~。出てくれないかと思いましたよぉ。っと、こんばんわです!』
「ん、こんばんわ」
受信口から聞こえる声は、今日の部活時に聞いていた声と同じものであり、しかし何故か懐かしいという感じがした。
ただ、後ろが五月蝿い。
正確に言えば、彼女の周囲の雑音が五月蝿い。
色々な音楽や声が混ざり合った、耳障りな音。
いや、実際その場に居る時は気にならない音だが、電話越しだと気になって仕方ない。
それらが聞こえる場所と言ったら、かなり限られるだろう。
若者達が、良く遊びに行く場所だ。
「君の周囲が少し五月蝿いようだけど、もしかしてゲームセンターに居るの?」
『いえいえ、違いますよ。正解はカラオケです! 残念はずれっ、また来週~』
「うん、また来週」
『っとぉ! 危うく切りそうになっちゃいましたよっ! てかそうじゃなくてですね! 明日は空いていますか!?』
てっきり話はもう終わったのかと思って、電源ボタンを押しそうになった親指を止め、慌てた声の問いに耳を傾ける。
どうやら、明日に予定が入っているかどうかを聞いているらしい。
明日といえば、ゴールデンウィーク初日。
と言っても、ゴールデンウィークの五日間、まるまる予定が入ってないので、確認をする必要が無かった。
「空いてるけど、どうしたの?」
『本当ですか!? でしたらその、明日会いませんか? 新入部員歓迎会って事で』
新入部員の歓迎会かぁ……。
思えば、自分に後輩と呼べる存在が出来たのは初めてな訳で、そのようなイベントの事など全く頭に無かった。
先輩として、恥ずべき事だなぁ。
「わかった、良いよ。それじゃ、何時に何処で集合するの? 集合って言っても、二人だけだけどね」
『んとですね……それじゃ、渋谷駅にてお昼に落ち合いましょう。昼食は現地で取るって事で!』
「休日に渋谷ってのも、かなり度胸があるね? しかも連休に。ま、いっか」
『あ、そういえば混みますね、休日は! ん~……十一時?』
いや、時間の問題じゃないんだけどね。っと、そんな事を言おうとした口を紡ぎ、考える。
ある意味、十一時は妥当なのかもしれない。
「……そうだね。それじゃ、十一時に渋谷駅で落ち合おうか。その時間に、僕から連絡を入れるよ」
『お~、ありがとうございます。ではでは、明日の十一時に会いましょー! ふぇーどあうとっ!』
威勢の良い声と共に、通話は切れた。
同時に、ツーツーっという、通話終了の音が聞こえる。
……で、何をするんだろう?
そういえば、どんな事をするのかを聞き忘れていた事に気付き、もう一度、コールしようと着信履歴を表示した。
が、そこで指を止める。
思えば、彼女はカラオケに居るんだった。
だとすると、女友達と一緒に居るのだろう。だったら、邪魔しちゃうな。
と言う訳で、僕は携帯を閉じ、床に戻す。
次いで天井を見上げ、脳内で明日の予定を復唱した。
そこで、ある事に気付く。
……鹿嶋先輩以外の知り合いと二人で外出するのは、初めてだなぁ、と。
どれだけ僕はインドアなんだよっ、と自分に突っ込みを入れつつ、勢いをつけて身体を起こす。
「さて、コンビニでも行こうかな」
まるで自分に言い聞かせるかのように呟き、机の上にある財布をポケットに突っ込み、携帯も充電ケーブルから外して、同じようにポケットへと突っ込む。
そして、クローゼットの中から薄手のコートを取り出し、袖に腕を通す。
フード付きのこれは色が黒く、安易に闇に紛れる事が出来る代物だ。そんな機能、必要無いけどね。
ともあれ、小腹が空くと、少し離れた場所にあっても行きたくなるのがコンビニだ。
生憎、今日は親の帰りが遅い為、夕食がお預け状態なのである。
そんな事なら、事前に作っておくか、お金を置いて行って欲しいものだ。おかげで自腹……。
などと考えながら玄関へと向かい、ドアノブを捻って外へと出る。
五月に入ったばかりだというのに、まだ肌寒い外を歩き、僕は駅前のコンビニへと向かった。
人が行き交うビル街の裏路地。
月光どころか、ビルの光さえもほとんど差し込まないその場所を、一人の少女が歩いていた。
一六〇センチ前後の背丈の彼女は、その身体を簡単に隠すように黒い薄手のコートを羽織り、セットになっているフードを深く被って、俯きながら歩いていた。
どう見ても場違いな雰囲気ではあるが、まるで何度も来た事があるかのように、角を何度も曲がって行く。
そして、唐突に立ち止まった。
周囲を見渡す事無く、その場で停止した状態でいる。
まるで、誰かを待っているかのように。
すると、それに答えるかのように、彼女の前方の角から数人の少年少女が出て来た。
まだ幼さを残している彼らは、おそらく中学生だろう。つまり、未成年だ。
彼女は、彼らを見て口の端を吊り上げる。
「ようこそ、〝コーギー〟たち。無限の快楽を配る君達が、今宵も集まってくれた事に、僕、〝羊飼い〟は心から感謝するよ」
羊飼いと名乗った少女の口からは感情の無い声が発せられ、彼女は両手を広げる。
まるで歓迎しているように。
「今宵も君達に、毛の無い可愛そうな〝羊〟達へプレゼントする、素敵な物を配るよ。――でも、その前に」
いつもとは違う言葉が発せられた事に、コーギーと呼ばれた少年少女達は疑問の表情を浮かべる。
それを見て、羊飼いは頷き、言葉を続ける。
「最近、僕の存在に気付き始めた奴が現れたんだ。狙い通りだよ。だから、僕は君達にお願いするよ? ……もっと、派手に吠えてくれ。散らばった毛の無い〝羊〟達を一点に誘い込むように。大丈夫、法が君達を守ってくれるさ」
その言葉は、彼らに決定的な安心を与えた。
実際、犯罪と知っていて薬物を売る事は重罪だが、彼らは結局の所、未成年なのだ。
数年前から、未成年の犯罪に対する罰が軽くなったのを、彼女は上手く活用して、コーギー達に売人をやらせている。
しかし、どれだけ軽くなろうとも、罪は罪。
彼女はそれを承知している上で、彼らを利用しているのだ。
便利な飼い犬として。
「さぁ、明日からゴールデンウィークだ。黄金の五連休を、最高の五連休にしてね?」
刹那、押し殺した声で返事が返ってくる。
はい、という声が、いくつも重なって羊飼いに届く。
それを聞いた彼女は、心底嬉しそうな笑みを浮かべ、横に最初から置かれていたダンボールを開け、中の物を皆に配り始めた。
小さめのウェストポーチ。
その中には、多くの麻薬とお金が詰まっている。
麻薬は羊の餌に。お金はコーギーの餌に。
彼らはそれを貰った者から順に大事そうに抱え、その場を去って行く。
その途中、不意に羊飼いは呟く。
「……さて、榊 護はどう手を打ってくるかな? 凄く、ワクワクするよ……!」
言い終えるのと同時、彼女は笑った。
腹の底から笑いが込み上がり続け、声が路地裏に響き渡る。
だが、誰も止めず、気に留める者もおらず、ただただ彼女は笑い続けていた。