Answer.13:下校時間のある風景
放課後の帰り道、ひっそりとした廊下を女子生徒と歩く。
それは、青春男にとっては最高のシチュレーション……らしい。
僕の場合は、全く気にしていない事柄なのだけれども、果たして現実は皆そうなのだろうか。
ちなみに、隣を歩く女子、美咲は鼻歌を歌って上機嫌だ。
あれ、鼻歌を歌っている人が居るのなら、ひっそりという表現は難しいんじゃね? なんていう問いはこの際、無しの方向で。
でも本当、鼻歌が無ければひっそりなんだ。
生徒玄関まで後、半分の距離なんだけども、その途中には人っ子一人居やしない。
校内に居る生徒は大抵、部活動をしているから仕方無いだろうけど、せめて教師一人くらいは居てほ……居た。
現在地は職員玄関付近なのだが、そのエリアにある来客者の対応に使われるソファに、白衣を着た女先生が座っていた。煙草を銜えて。
茶色い髪の後ろをおさげにし、前髪を数本、派手に固めて伸ばした髪型は、あまり見たことは無いものであって、まるで変人。
しかしこの変人、残念ながら顔見知りだ。
とりあえず他人のふりで素通りを試みるが、多分逃げられないだろうなぁ。
「ん? あ。秋葉ちゃんじゃなーい! やっほー」
ほら、駄目だった。
その変人の方へと向くと、泣き黒子を右下に装備した目が、弓のようになって笑顔を見せた。
同時に、煙草を指に挟んだ状態の右手で、僕を手招きする。
「こらこら、煙草の灰が落ちて危ないよ、二口先生。手招きするなら左手でっ」
注意の言葉を掛けながら、二口 佐湯へと近付いて行く。
途中、横の美咲を一瞥するが、別に不快には思っていないよいうだから、一安心。
とりあえず、目の前で踏ん反り返っている二口先生を見下ろす。
「こんな所で喫煙してるけど、保健室はどうしたの」
「鍵は開けておいたから、別に良いんじゃない? それよりも、先生のニコチン補給が最優先よ」
さも当然のように言う二口先生は、最後に長く吸って、白衣のポケットから携帯灰皿を取り出し、短くなった煙草を押し込んだ。
そして、その携帯灰皿をポケットに戻し、深く深呼吸。
「で、何の用?」
「何の用って聞かれても、帰りに偶々見かけただけだし。第一、呼んだのは二口先生の方でしょ」
「んあ~、そういえばそうだったわね。先生も偶然、見かけたから呼んだんだけど……聞きたい事かぁ……」
呟きながら、天井を見上げる。
すると首筋に、赤い痕があった。
何の痕だろうか。
位置的には、吸血鬼に噛まれるような場所だけど、歯形が無い為に論外。
まぁ、原因が何かは知っているから、この思考はここでお終い。
丁度良いタイミングで、そうだ、と言った二口先生は何か浮かんだようだし。
「そうだ、あのじゃじゃ馬は元気かい?」
「じゃじゃ馬? 一体、誰の事を指してるの」
「惚けるんじゃないわよ~。秋葉ちゃんが面倒を見ている鞘華ちゃんよ。今日は休みだったらしいけど、何かあったの?」
「なんだ、鹿嶋先輩の事か。別に、面倒を見てる訳じゃないよ。ってか、そんな風に見られていたんだ」
苦笑混じりに言うと、不意に二口先生は不気味な笑みを浮かべた。
まるで全てを見透かしているとでも言うかのように。
しかし、そんな表情はすぐに消え、凛々しい表情になった。
全く。ずっとその表情で居れば、格好良い人なのに。
「さ、下校時刻は過ぎたわよ。ここから先は、オトナのじ・か・んっ」
「職員会議ですか」
「ご名答~」
良い加減、誤解されるような発言は止めて欲しいものだ。
横の美咲は小首を傾げているし。
いつの時代も、純粋な子は下ネタを理解出来ず、また理解する必要が無いのだ。
いや、そもそも下ネタを言う人に近付くべきでは無い。
「それじゃ、頑張って下さいね二口先生」
「はいは~い、秋葉ちゃんの応援パワーを糧に、いっちょ頑張るわよ~」
その暢気な声を背に受けつつ、僕達は生徒玄関への歩みを再開する。
途中、袖が軽く引かれたので横を見ると、美咲が小首を傾げて問い掛けて来た。
「先輩はあの先生とかなり仲が良いんですか?」
「ん? いや、そこまでだよ。ただ、入学早々お世話になった先生だから、気楽に話せるんじゃないかな」
言いながら、少し思い出す。
春休み中に街の裏路地で、変な奴に絡まれて。
けれどもそこを、噂の男に救われた。
強く、何より尊敬したくなるようなその人は、まるでヒーローのようにその場を去り、入れ替わるように近寄って来たのが、二口先生だった。
彼女は慌てる様子も無く、僕を車に乗せて傷を手当してくれた。
それから数日後、入学したこの学校で再開した時は、二人とも大笑いしたっけ。
あの人は、二口先生は偶に茶化すけれども、親身になって相談に受け答えしてくれる、生徒思いの先生なのだ。
下ネタだけは、勘弁して欲しいけども。
学校から外に出た現在。
今もなお、横を歩く美咲は、時折後ろを振り向くなどして、どこかそわそわしていた。
なんかこう、恥ずかしい物を買えたは良いが、帰り道で知り合いに会うのを恐れている子供みたいな感じ。
この場合、普段とは違う物というか者といえば僕なのだが。
生憎、僕が一緒に居て困るような事は何も無い気が……しないでも無かった。
あぁ、鹿嶋先輩と一緒に居る人ってので知れ渡っているからなぁ。
「なんかごめんね」
「へ? どうしたんですか、いきなり」
後頭部を見せていた頭は一瞬にして百八十度回転し、疑問の表情が僕に向けられた。
が、しかし、それと同時に車道からクラクションが響く。
聞き覚えのある音だなと思いつつ、音のした方向を見れば、白のセダンが停まっていた。
そして、助手席の開いた窓から見える運転席には、父さんが座っていた。
いつにも増して真剣な表情の父さんは、数秒置いてようやく口を開く。
「秋葉。話があるから、乗っていけ」
声には、深刻さが感じ取れた。
けれども一応、後輩が一緒に居る為、聞くべき事は聞いておく。
「後輩も一緒に乗っても良いかな? 駅までで良いと思うんだけど」
「すまないが、彼女には一人で帰って貰ってくれ」
無口な父さんが、珍しく冷たい言葉を放った。
その口調は、警察でいる時の父さんだ。
どうやら、関係の無い者には聞かれる訳にはいかない話らしい。
僕も関係の無い者なんだろが、そこはほら、家族補正としてね。
ともあれ、残念ながら承諾されなかったので、美咲の方へと向く。
「と、言う訳なんだ。ごめんね」
「いえいえ、別に気にしてませんよ! それじゃ先輩、ゴールデンウィーク中に縁があれば、よろしくです。ではっ!」
虚空に突っ込みを入れる勢いで、ビシッと片手を上げる。
そして、そそくさと早足で帰って行った。
僕はその後ろ姿を見届けた後、後部座席のドアを開けて車に乗り込む。
程無くして車は動き出すが、無言の空間が続いた。
とりあえず、左の窓を見ていると、普通に歩いていた美咲が見えた。
だが、それも一瞬。
後は右から左に流れる人工物の景色だけである。
「お前は」
不意に、沈黙が破られる。
言葉を放った父さんをバックミラーで見ると、雲がかかっていた。
暗いその表情は、まるで怖い何かを見たかのよう。
「お前は、例の行方不明事件を、調べていたりするのか……?」
ゆっくりとした口調で問われた僕は、内心でドキッとした。
ここで、何にもしてないよ、なんて言えばこの会話はここで終わるだろう。
しかし、本格的にでは無いが、探り始めているのは事実。
だからこそ僕は、嘘は言わない。
「うん。まだ、ほんの少しだけなんだけどね」
言うと、バックミラーに映る父さんは苦笑した。
次いで、赤信号で車が停まると、バックミラー越しに僕と目が合う。
「関わるなと、忠告した筈だろ?」
「そうなんだけど、なかなかどうして、父さんの血が疼いてね」
「なら、仕方ないな」
実際、事件に持ってしまうのは、父さんの血が流れているからだろうなぁ。
だが、それが良い。
「お前の意思なら、俺がどうこう言うものではないな。なら、忠告を追加しておく」
瞬間、父さんは眉を顰めた。
僕を睨むように、けれども心配するように、バックミラー越しに視線を向ける。
「今日、この事件に関わろうとした俺達に、圧力をかけてきた者に会って来た」
「会って来た? 警視庁長官に会ったの?」
「いや、警視庁長官に同行して、別の者にだ」
警視庁長官と同行って、相手は大物なのだろうか。
ちなみに、父さんの地位は警部補らしい。
その地位がどれだけのものかは詳しく知らないが、部下を持てる程であるという事は知っている。
だからなのだろうか。警部補は、行方不明事件の纏め役になる筈だった人だから。
「その者は、今まで会って来た者とは全く違う空気を持ち合わせていた。お前の一つ年下の少年なのだが、一部地域の裏社会の頂点である三家中の一家、榊家の現頭首なんだそうだ」
「僕の一つ下で、榊……? ちなみに、名前は?」
「榊 護」
瞬間、全身の肌が鳥肌となって総立ちした。
痺れるような、久々の感覚。
まるで、僕が喜びに浸っているかのように。
だってそうだろう?
一つ年下の少年が、しかも同じ高校であり、僕がさっき知った存在が、それ程までに大きな存在だったなんて、思いもしなかったから。
しかも、わざわざ頭首本人が圧力をかけに、ついては何かしらの交渉・取引の為に出向いたのだ。
榊家ってのがどれだけ凄いのかは分からないが、裏社会の頂点だってくらいで、途轍もなく凄い人だって事は分かる。
例え一部地域だけだったとしても、だ。
だって、いくら一部と言っても、ここは東京だからね。
東京での頂点は、多分関東での頂点。
ともあれ、そんな大物が関わってくる程の事件だったのか? これは。
興味が益々沸いてきた。
「……ねぇ、ちなみにどんな話をしたの?」
問いに、父さんは顔を顰めた。
しかし、何故かすぐに破顔する。
珍しい表情だ。
こんな表情を過去、最後に見たのは、僕が警察に興味を持った時だったっけ。
「血は争えないな。では、話そう。場所は、招待状通りに行った所にある、高級料亭だ――」