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 アンジェは帰り際に、不思議な話を残していった。


『鐘塔には、願いを叶えてくれる天使様がいるのよ。だから毎日、父親の幸せを祈ってきました』


『優しい天使様なら、私のこれからの人生にも、少しぐらい幸せを分けてくれるわよね?』


 晴れやかな笑顔で、そんなことを話していたと思う。


 シェラミはガリガリと頭をかく。

 ここに天使がいるなんて、聞いたこともない。それに、そんな夢物語は、到底信じられなかった。


 だって、ここを見守る天使がいるなら、真っ先にジルの願いを叶えるだろうから。


 朝の一仕事を終えた鐘は、先ほどまでの騒がしさが嘘のように、無言を貫いている。


 汚れた手をぬぐい終えたジルは、そばにやってきた女性を見て、わずかに目尻を下げた。


「ずいぶんと久しぶりだな、シェラミ」


「ああ。あんたもすっかり、おっさんくさくなったもんだね。ジル」


 彼は静かに踏み台から降りると、苦笑いを浮かべながら額の汗を拭き取った。


「そりゃそうだよ。君と僕が出会ってから、どれほど経ったと思ってるんだい」


 そしてジルは、静かにこちらを見つめた。長い間、接触を避けていたシェラミが姿を見せるほどには、差し迫った要件があると察してくれているようだ。


「あのさ、これだけは教えてやるよ。今日の正午、アンジェはこの街を出るんだ」


 シェラミの言葉に、ジルは戸惑いの表情を見せた。


「なんの冗談だ?」


 その短い呟きには、疑いの色が隠れている。


「いや、本当だってば! 本人に教えてもらったんだ。別の街に嫁ぐって!」


 必死の訴えを受け止めたジルは、床の上へ腰を下ろした。

 落ち込むのも無理はない。どのように声をかけるべきか、考えのまとまらないまま彼に近づいていくと、なぜかジルがくつくつと笑いだす。


「お、おい? 大丈夫か?」


 呆気あっけに取られるシェラミをよそに、ジルはひとしきり笑い転げたあと、潤んだ瞳をこすりながらこぼした。


「結婚? ははっ、そうか。めでたい話じゃないか。僕はてっきり、彼女の身になにか悪いことでも起こったのかと」


「なに呑気のんきなこと言ってんだ、ジル。これでいいのかよ! 何年もずっと見守ってきて、なにも言わずにお別れだなんて、寂しすぎるだろ!」


 シェラミの噛みつきに、彼は首をかしげる。


「お前こそなにを言ってるんだ? あの子が幸せを手に入れたなら、それでいいじゃないか」


「違うよ! アンジェが言ってたんだ、この結婚には事情があるんだって」


「事情?」


 それまで、にこにこと明るい顔を見せていたジルが、笑ったまま、その目を大きく見開いた。


「ああ。自分の父親は犯罪者で、母子家庭になってから、生活が苦しくなったところを、相手の家に助けてもらった恩がある。だから結婚話を呑むしかなかった……そんなところさ。あの子は、優しい子だから」


「本当に、彼女がそう言ったのか」


 言葉を選ぶように、ゆっくりとジルは呟いた。もはやその表情からは、笑みが消え去っている。


「あたしが嘘をつく必要があるかよ!? なあ、あんたなら、相手の出自なんか気にしないだろ。あの子の親がどれだけ悪いやつだとしても、まるごと受け入れるぐらいの気合いはあるよな!?」


 詰め寄られたジルは、しばらく悩んでいたが、伏せた目を上げることなく、言葉を漏らした。


「……僕には仕事があるんだ。正午ぴったりに鐘を鳴らすのが、ここでの決まりだから」


「この馬鹿ジル! 鐘撞きなんて、あたしにだってできるんだよ。さっさと行って、あんたの気持ち、全部伝えてこい!」


 叫びながら踏み台を登ったシェラミに、ジルは小さく首を振る。


「お前には無理だよ、シェラミ」


「やってみなきゃわかんねーだろ! あんたも同じだ。どうせもうすぐ、離ればなれになるんだ。せめて、最後ぐらいは直接ぶつかってみろ」


 それから大きく息を吸い、なおも逡巡しゅんじゅんしている相手に向かって吠えた。


「諦めるな、ジル!」


「……すぐに戻る!」


 きびすを返したジルは、あっという間に石段を駆け降りていった。

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