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久しぶりに鐘塔へやってきたアンジェは、開口一番にこう切り出す。
「ねえ、シェラミ。私、この街を出るのよ」
その唐突な申し出に、思わず声を張り上げてしまう。
「まさか! なんでいきなり」
彼女は顔を紅潮させながら、艶やかな髪を撫でる。
「結婚することになったの。今働いている、隣街の洋裁店のオーナーと」
シェラミの胸は早鐘を打っていた。ジルはこのことを知っているのか?
いいや。あいつのことだから、この数ヶ月の間、相も変わらずここから一方的に、彼女を見つめていただけだろう。
「それはおめでとう。でも、あんたはそれでいいのかい?」
「ええ。ありがたい話だと思っているわ」
「そうじゃなくてさ。アンジェは本当に、その人のことを好きなのか?」
恐る恐る尋ねると、彼女はしばらく目を閉じ、それからゆっくりと話し始めた。
「ねえ、驚かずに聞いてくださいね。実は、私の父さんには前科があるの」
「は?」
突拍子もない話題に、シェラミは混乱する。
「とはいえ、父が刑務所に入ってからは、ただの一度も会えていないのですけれども。残された母と幼い私は、誠実に生きようと努めましたが、世間の風当たりは強く、なにかと苦しい時期もありました」
「そんなの、ちっとも知らなかったよ」
愕然としているシェラミへ、アンジェは優しく笑いかける。
「シェラミに出会ったのは、家が落ち着いてからのことでしたので。黙っていてごめんなさい」
「いや、それはいいんだけどよ。その、苦しい時期ってのは?」
「そうですね……。父親が連れて行かれ、私たちの暮らしは変わりました。悪い噂がすぐに広がって、家にいたずらをされたり、面と向かって悪口を言われたり。でも一番大変だったのは、母がいくら頑張っても、家族が犯罪者というだけで、定職に就けなかったことです。貯金も底をつき、諦めて夜の仕事を探しだしたころに、手を差し伸べてくれたのが、当時洋裁店を経営していたおかみさんでした」
アンジェにしては珍しく、まくし立てるような話し方だ。それほどまでに、抱え込んできた想いがあるのかもしれない。
「それが、今のオーナーのお母様なのよ。おかみさんは父の犯罪歴を知ったうえで、母を受け入れてくださったわ」
「そうか、それはよかったな」
シェラミの首肯に、アンジェも歯を見せて応えた。
「真面目に仕事へ打ち込む母を見て、街のみんなもだんだんと、私たちを認めてくださるようになりました。本当におかみさんには、いくら感謝してもしきれないぐらいです。そして、私が大きくなってからは、母と私が一緒に働けるように、手配りまでしてくださったの」
「そうだったのか。じゃあ、そこでオーナーさんに出会って、恋人になったってことか?」
軽い気持ちで問いかけると、アンジェは少し困ったように眉を下げた。
「おかみさんの息子ですから、オーナーも昔からお店には出入りしていて、私にもよくしてくれていたわ。ただ、七つも歳が離れていましたから、私にとってはいいお兄さんという印象で。だから、お付き合いをしていたわけではなく、この結婚話も降って湧いたようなご提案だったのです」
「えっ。そうなのか?」
「ええ。なので、あの人を愛しているかと聞かれると、今は返事が難しいかもしれません。けれども、これから育むことはできると思っています」
「でもよ、それってさ、」
言葉が続けられずにいるシェラミに、アンジェはゆっくり近寄り、その手を取る。
「週明けの正午に、私はこの街を発ちます。できればここを去る前に、おじさんともお話ししてみたかったので、それだけは心残りですけれど」
そして、両の手にぐっと力を込めた。
「あなたに出会えてよかった。シェラミ、これからもお元気でね。離れていても、あなたの幸せを願っているわ」