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それから、いくつかの季節が巡った。
この街もずいぶんと様相が変わり、近ごろはジルも、無遠慮な態度をとるようになってきた気がする。
シェラミ自身には、それほど変化はない。けれども、あの時のアンジェの言葉が、なんとなく心に引っかかったままになっていた。
『愛とは、そばにいるだけが全てではない』
それは、恋愛感情に物理的な距離は関係ない、ということだろうか。
もちろん、発言の意図は分かる。遠距離恋愛という言葉があるくらいだから、離れていても互いを想い合える関係性は、確かに存在するのだろう。
けれども、ジルがアンジェへ好意を抱いているとするならば、なぜそばに行きたいと感じないのか。
彼女の瞳を見つめ、その頬に触れてみたいと願う夜はないのだろうか。
シェラミは黙ったまま、晩鐘を鳴らすジルの姿をぼんやり眺めていた。
一日の仕事を終えた彼は、お決まりのストレッチを始める。汗ばむ背中へそっと手を伸ばすと、疲れた顔をしたジルがこちらを振り返った。
「なにか用かい?」
正気に返ったシェラミは、ジルから急いで離れ、首を激しく横に振った。
まったく、なにをしてるんだい、あたしってば!
ジルはしばらくこちらを見つめていたが、なにもないと分かったのか、静かに柔軟体操を再開させた。
「ところでシェラミ。君はまだ、あの子と会っているのか」
彼は腕を伸ばしながら、不意にそう尋ねてくる。視線の先には、祈りを捧げるアンジェの姿があった。
初めて出会ったころの、幼い少女の面影を残しながら、彼女は美しい女性へと成長していた。
しなやかな手足に艶めいた唇。なによりも、その晴れ晴れとした笑顔が、アンジェの魅力を引き立たせている。
「そうだけど。それがどうしたんだい」
さらりと答えたところ、ジルは長いため息をつく。
「好奇心だけで、人の生き方に首を突っ込むのはやめなさい」
「はぁ?」
不満声を上げると、ジルは姿勢を整えてこちらに向き直った。
「君は一人で暮らしているから、分からないのかもしれないけれど、年ごろの女性にいつまでも余計な世話を焼くものではないよ」
直接的な物言いに、さすがのシェラミも苛立ちを覚える。
「なんだよ、それ」
「あちらのご家族にもご迷惑がかかるだろうから」
それからも話は続いたものの、シェラミの耳にはほとんど届かなかった。
あたしはジルが、孤独を知る人間だと思っていた。
仕事以外ではろくに家から出ることもなく、人と関わることもない。それは、ここから見守っていたあたしが、一番よく知っていた。
だからこそ、あたしたちはうまくやれていたはずなのに。
結局、こちらの気持ちに、ジルは関心を持ったことすらなかったのだろう。
好きこのんで、こんなところに一人で暮らす者などいないだろうに。そんなことも理解されていなかったとは。
「……黙れよ」
「なんだって?」
ただ単に、ジルはこちらの言葉を聞き返しただけだろう。煽っているわけではないと、シェラミも理解していた。けれども、どうしようもない焦燥を、ぶつけずにはいられない。
「てめぇこそ家族でもないくせに、偉そうな口を叩くんじゃねえよ!」
シェラミの激昂を受け、しばしの沈黙ののち、ジルは重い口を開いた。
「そうか、そうだよな。確かに僕は、家族ではないもんな。悪かったよシェラミ」
それから一度も振り返ることなく、彼は塔を後にした。
この日を境に、シェラミは『お告げの祈り』の時間に、鐘塔を離れるようになる。
勢い任せの言葉が、彼の心を傷つけたことには、さすがのシェラミも気づいていた。あの日の、物悲しさを感じさせる背中が、目に焼きついて離れない。
鐘撞きを終えた彼が、ここを去るまでの間、別のところで適当に時間を潰す。いつしかそれが、当たり前になっていった。
二人が仲違いしている間にも、時は容赦なく流れていく。
街の樹木からは葉が落ち、雪が積もり、そして再び暖かな季節が訪れた。