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その日から、アンジェと名乗る少女はたびたび鐘塔を訪れた。
かといって、特別なことはなにもない。世間話をして帰るくらいだ。
ただ、朝昼晩の鐘撞きの間は、変わらず祈りを捧げているようで、仕事が終わればすぐに塔を去ってしまうジルとは、いまだ会うことができずにいる。
抜け駆けをしているようで、なんとなく居心地の悪くなってきたシェラミは、腹をくくって全てを打ち明けることにした。
「なあ、ジル」
「なんだ?」
ジルは持参した皮袋から、勢いよく水を飲んでいる。
「一応、伝えておいた方がいいと思って。あたし、あの子と知り合いになったから」
「あの子って?」
「あんたがそこから毎日見つめてる、あのお嬢ちゃんだよ」
予想外の返しに、ジルは口に含んだ水を吹き出した。
「うわ、きったねぇ!」
「ゴホゴホ……な、なんでそんなことになってるんだよ!?」
たくし上げた袖元で顔を拭いながら、彼はこちらを睨みつけてくる。
「あいつが勝手に、ここへ登ってきたんだ。あたしに文句言うんじゃねーぞ! もう少ししたら、アンジェ……ああ、あの子の名前な。アンジェが塔へくると思うから、よければ一度会って……っておい。なにしてんだよ!」
なぜだかジルは、シェラミの話している途中から、帰り支度を始めた。
「勝手なことをしないでくれ。僕はただ、彼女を見ていただけで、直接話したいなんてみじんも思ってないんだから」
「はぁ?」
ジルは荷を担ぐと、きっぱりと言い放つ。
「とにかく、僕は彼女に会わない。そして、これからも会うつもりはない。じゃあ」
階段を降りていく後ろ姿に、シェラミは怒号を浴びせかける。
「勝手にしろよ。もう二度と、仲を取り持ってやったりしないからな。臆病者め!」
シェラミはすぐに自分の発言を後悔した。
実は昨日、アンジェがこう話していたばかりだったのだ。おじさんとも話をしてみたい、と。
ジルと入れ違いでやってきたアンジェも、挙動不審なシェラミを見て、なにかを察したのかもしれない。
「ねえ、シェラミ。もしかするとおじさんは、私に会いたくないのかしら」
その悲しげな表情に、こちらも動揺してしまう。
「いや、そういうわけじゃないよ! あいつ、変に頑固なところがあるから、あんたの前に顔を出しづらいだけさ」
慌てて取り繕うと、アンジェはふっと顔を緩めた。
「そうよね。だっておじさんは、変わらず私のことを見ているもの」
あの阿呆め。
本人にここまでバレてるってのに、今さらなにが恥ずかしいんだ。
「あたしには分かんないよ。勇気を出せばすぐ会えるのに、なぜそうしないのか」
「あのね、シェラミ。むかし母さんが話していたのだけれど、好き同士だからこそ、一緒にはいられないこともあるらしいわよ」
「はあ? なんだい。子どものくせに生意気なこと言って」
眉を寄せて見せると、アンジェは口元に手をあて、表情をなごませた。
「ふふっ。私もよく分からないのだけど、どうやら愛っていうものは、そばにいるだけが全てではないそうだから」
「どういうことだ?」
彼女はうーん、と唸ってから、ふわりと微笑む。
「遠くで見守るだけの『好き』も、この世には存在しているってことよ」