かはたれどき
駅から出て、家路に就く頃には、わらわらと降りてきた人たちがいつの間にか消えている。
太陽が薄れてゆく頃には、もう誰もいない。
このあたりは閑静で、車も人通りも少ない。
散歩をするには心地よい場所だが、陽が傾いてくると、時が止まったように音が消え、少し怖くなった。
僕はいつも、寄り道をせずまっすぐ家に帰る。
周りには大して店もないので、そもそも寄り道する理由がなかった。
ただ1つ、気になることがあった。
駅から少し歩くと、ぽつぽつと家があって、どの家もお揃いの赤い花が植えてある。花は、草臥れたように首を垂らして、先端についた赤く細長い花弁を時折揺らした。
この辺の文化か何かなのだろうが、僕は何となくその花に対し、気味の悪さを感じていた。
手を触れれば、毒に侵されそうだった。
…今日も、もう終わりか。
歳を重ねる度、一日一日があっという間に過ぎていく。
まるで別世界に迷い込んだかのように世界は静まり返っていた。
最近、人の姿もあまり見ない。
村の過疎化が進んでいて、若者はほとんどいなくなり、伝統的な祭りや行事も消滅を免れなくなった。道端にはただ、枯れかけの雑草と例の奇妙な花だけが、鬱蒼と茂っている。
僕は、何故だか妙に、この花が気になって仕方がなかった。花弁が桃色や黄色であれば、もっと愛らしい姿になったろうに、やけに目立つ真っ赤な先端は やはり毒々しく、触れることさえ躊躇われた。
*
最後に花を見たのはいつだったろう。
最近は何を見ても感動しなかった。
どんな花を見ても同じようなものにしか見えず、花本来の美しさや季節を感じることもなかった。
…そうだ、2年前の4月には、梓と一緒に花見に行った。あの桜は美しかった。世界の景色は、重いほど花を実らせて風に揺れる桜に埋め尽くされた。
梓とは最近話していない。彼女はよく俯くようになっていたから、隣で励ましているのだが、なかなか元気にならない。今度、帰り道に神社の近くのケーキ屋に寄って、梓の好きなレモンケーキを買って帰ろう。
*
もう夜になってきた。
古い道は薄暗く、人も鳥もいない。
早く帰らなくては。
歩き出したその時、ふと横を見ると、あの花があった。
僕は、花を凝視した。
花の先端が今にも刺し殺すように僕の方を向いている。
前を見ても、後ろを見ても、四方八方にあの花が現れる。
嗚呼、邪魔だ!
なぜ僕の邪魔をするんだ!
僕が何をしたって言うんだ!
悪事を働いた記憶はない。
僕はこの帰り道が好きだったし、今だって毎日ここを通る。
それなのに、この花を見ると、僕の存在を咎められている気がする。
嗚呼忌々しい!
呪われた花が!消えてしまえ!
そうだ全部抜いてしまえばいいんだ。
僕は赤い花に手を触れた。
すると花が炎に変わり、右手を焼き始めた。
手が燃えた…!
手が!手が!
花は血のように赤く燃え盛って、とうとう僕を包み込んだ。
痛い!痛い!
帰る!
帰るんだ!
邪魔するな!
帰……
*
「芳、おかえり」
「あ、おばあちゃん!」
「ぼちぼち暗うなる、おてて繋いで帰ろか」
「なぁおばあちゃん、この辺の人ら、皆あの花植えちょるな。何で?」
「あー、あれな。昔からあるなぁ。
魔除けみたいなもんじゃ。」
「魔除け?」
「ほうじゃ。お日ぃさんが沈んできたら、鬼とかお化けとか、くわい(怖い)もんが来るき、飾っとくんや。」
「ふーん、ほんなら僕も早う帰ろ。」
日が暮れると幽鬼が現れる。
生命が燃え尽きたことも気付かず、哀しい魂が彷徨い歩く。
夏が近づくと、赤い花が川沿いに生い茂り、周辺の家々はその花を門に飾る。魂が迷わないように、そして幽鬼を入れないように。
忘れられた空き地の、赤い花が静かに揺れる。
淋しそうな青年の影法師は、夕闇に包まれた道路の淵に溶けて、道端には、ただ枯れた花束だけが残った。
この物語のシンボルである赤い花は、作者が実際に駅からの帰り道でよく見かける実在の花です。(花にとっては風評被害ですが…)個人的にいつも不気味で毒々しい見た目だと感じていたので、今回の物語のテーマとしました。
(実際にこの花を飾っている家もあります)
恋人の待つ家に帰ることもできず、幽鬼と化して永遠に帰り道を彷徨い続ける青年。
彼の帰り道に何があったのかは、読者の方のご想像にお任せします。
時は過ぎ、捧げられた花束もいつしか枯れて、彼は淋しそうに姿を消します。