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四、

 みつが戻ってきたのは、一時(約二時間)ほどしてからであった。

 暖簾を潜るなり、みつはにこりと笑った。


「只今戻りました」

「おかえり、おみつ。どうだったの?」


 なんとなく、表情からまったくの空手ではない気がした。

 みつは土間に立ったまま話を続ける。


「私の描いた絵は案外似ていたようです。三人に一人は同じ名前を口にしました」

「へぇ、すごいじゃないか」


 権六も興味津々である。仙吉もじれったそうにみつの周りをうろついた。


「で、どこの誰なんで?」

「狸長屋のおときさんって娘さんじゃないかって。狸長屋、おわかりですか? 蛤町のでございますよ」

「蛤町の狸長屋――」


 千世はその言葉を反芻する。そう時を要さずに思い出した。

 その途端、あぁっと大声を上げてしまった。丁度客がいなくて助かった。


「友蔵さんたちの長屋じゃないの? 迅之介さまがお気に召してよく足を向けられている」


 満足げな笑みを浮かべ、みつはうなずいた。


「その長屋でございますよ。おときさんってのは、その狸長屋に住んでいる娘さんだそうで」

「おみつは会いに行ったの?」


 すると、みつは首を振った。


「いいえ、まだでございます。長屋へ行かれるのなら、馴染みの迅之介さまにご同行頂けた方がよろしいかと思いまして」


 迅之介は長屋の大家にも挨拶をしているはずだ。以前、破落戸から長屋を守った恩もある。怪しまれはしないだろう。


「迅之介さまがどこかで見たと仰ったのは、長屋でのことだったのね」

「そうでしょうね。挨拶くらいは交わされたのではないでしょうか」


 権六と仙吉も腑に落ちたようだ。しきりにうなずいている。

 狸長屋にその、ときという娘がいるのなら、会って話を聞き、確かめたい。少しでも早い方がいいだろう。


「狸長屋へは私が行くわ。おときさんと話してみたいの」


 千世がそう言い出すことなど、みつにはお見通しだったのかもしれない。


「迅之介さまとお出かけになるのですから、当然千世さまが行かれるべきです。では、私はお店に残りますね」


 仕方なく、千世は段梯子を上がり、その途中から迅之介を呼んだ。しなを送ってからとっくに戻ってきている。


「迅之介さま、迅之介さま」


 すると、障子を開く音がした。そこから迅之介が半身を覗かせる。


「どうした?」


 表情の乏しい迅之介を見上げながら千世は言った。


「申し訳ありませんが、私を蛤町の狸長屋まで連れていってくださいませんか」


 すると、迅之介は、えっ、と小さくつぶやいた。その様子が少し引っかかる。


「お嫌なのでございますか?」

「そうではないが、何故なにゆえにだ」

「道中お話致しますので、今から参りましょう」

「――わかった」


 迅之介は一旦部屋に戻り、大小を差して出てきた。千世は段梯子から下りて土間でぽっくりを履いて表に出た。迅之介も続いて出てくる。


「では、参りましょう」

「うむ」


 隣を歩くつもりはなかった。三歩とまでは言わないが、少しくらいは下がって歩くつもりをしていた千世だったが、話しづらいと言って迅之介は千世の横に来た。道中話すと言った以上、仕方がない。


 千世は手短に、文芝堂の若旦那が一目惚れした娘が狸長屋のときであるかもしれないということを告げた。この時になって、迅之介はようやくその娘のことを思い出したようだ。


「ああ、そうか。それで見覚えがあったのだな」

「迅之介さまはそのおときさんという娘さんのこと、何かご存じでございますか?」


 しかし、迅之介は歩きながら首を傾けた。


「詳しくは知らんが、身寄りがないというようなことを聞いた気がする」

「身寄りが?」

「まあ、俺よりも佐藤殿に聞いた方がよかろう」


 迅之介が懇意にしている浪人である。いきなりときに会うのではなく、まずは事情を聞いてからでもいいかもしれない。もし、本当に身寄りがないのであれば、裕福な若旦那のところへ嫁入りするのもそう悪くないと思ってくれるだろうか。


「わかりました。ではその佐藤さまにお引き合わせくださいませ」

「うむ」


 うなずいた迅之介が妙に嬉しそうにしている。そんなにも佐藤という浪人が気に入っているのかと、千世は不思議に思った。


 初夏の、風のない日だ。

 町の活気はそれでも衰えることなく、熱気を感じながら千世は迅之介と連れ立って歩いた。蛤町まで、そう遠くはない。


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