♡第一話:というのも、プロローグと呼ぶにはあまりにも幼馴染過ぎるのである♡
「―――よっしゃー、終わったぁ!」
父親から出された課題を終わらせると、榮倉右代はリビングのソファーで飛び跳ねた。今日は土曜日だが、バスケットボールの練習が休みで、右代は一日自由に過ごせるのだ。
普通の小学生であれば、外に飛び出し、友達とサッカーやゲームで遊ぶところかもしれないが、右代の場合、考えるまでもなくやることは既に決まっていた。
―――料理である。母親が料理する姿をずっと見てきた右代は、興味こそあれ、父の許しが得られず見ているだけだった。しかし、最近は父親がいない時間帯に、こっそりと母親から教わっている。
この前は一緒にカレーを作り、その前は肉じゃがを教えてもらったが、一人で作るのは今回が初めて。そういう事情で、右代は多少緊張していた。
「えーと・・。」
冷蔵庫を漁り、思考を巡らす。
この間食べたシチューに入ってたのは・・・にんじんと、ジャガイモ、鶏肉と、それから・・・。必要なものを並べてみるが、いまいちしっくりこない。何かが足りない気がした。
(たまねぎだ!)
右代がそう気が付くまでそう時間はかからなかったが、冷蔵庫に玉ねぎはなく、肝心な場所が分からなかった。
(お母さんに聞いておくんだった・・・)
後悔しつつもそれらしい場所を捜索していると、玄関のチャイムが来客を知らせた。母親から誰か来ても出なくてよいと伝えられていたが、右代は少し考え玄関に向かった。
というのも、彼には来客の心当たりがあったからである。
「よっ!うーちゃん~?遊びに来たよ~~!」
玄関先でそう叫ぶ声で、右代の考えは確信に変わった。迷わず鍵を開け、扉を開く。立っていたのは虫かごと網を持った、かわいらしい少女だった。
彼女の名前は甘沢咲菜。隣の家に住んでいる同級生で、右代とはいわゆる幼馴染という間柄だった。
「何の用だよ、さき。俺今忙しいんだけど。」
「ふっふっふ~、右代に今日習い事無いの、私知ってるもんね~。」
「・・・誰から?」
「うーちゃんママ」
「・・・・・・・」
それを聞いて、右代はもはや彼女から逃げられないことを悟った。今日は一人でゆっくりと過ごしたかったが・・・。
「・・・遊ぶのはいいけど、虫取りは駄目。家の中でやることがあるからさ」
「いいよ、じゃあ人形で遊ぼ?」
「え~またかよ・・・。」
持ってきたものは玄関に置いてもらい、咲菜を家の中へと招き入れ、言いつけ通りに鍵を閉める。
(とりあえず料理の間だけは静かにしておいてもらおう)
リビングに戻ると、右代はさっそくキッチンへ向かった。
さっき見たとき、冷蔵庫の中にオレンジジュースがあったはず。それを出してドラえもんの録画でも流しておけば、向こう一時間くらいは夢中になって見ているはずだ。
そんな右代の様子をソファーから眺めていた咲菜も、キッチンの普段と違う雰囲気に気が付いたようだ。
「うーちゃん、もしかしてお料理するの?」
「ああそうだ。だから静かに・・・」
「じゃあ私も手伝う!!!」
(―――言うと思った)
「あのなあ、料理って見た目ほど簡単じゃないんだぜ?俺だって、お母さんに教えてもらって、最近ようやく包丁使って良いって言われたんだから」
勇みたつ咲菜をそうなだめると、彼女はぷくっと頬を膨らませて答えた。
「私だって、たまにママのこと手伝うし!包丁だって使えますぅ。
・・・もしかしたら私の方が上手かもね~」
「―――俺、カレー作ったことあるけど?」
「私もあるよ?カレー、一人で作った」
(――え?一人で⁇)
右代は明らかに動揺した様子で、玉ねぎを探している手を止めた。
「あ~、いつか作った肉じゃがはおいしかったな~~」
「肉じゃがのジャガイモはやっぱり男爵だよね~」
「・・・・・・⁉」
流れるように会話を進める咲菜を見て、右代は目を丸くした。
「―――ぷふっ、あはは!うそうそ、冗談!今の適当に言いました。うーちゃん、ほんと、面白!!」
目の前で笑い転げる咲菜を見て、右代は自分がからかわれたことにようやく気が付いた。
「お、驚かすなよ。てか、くだらないことしてないで、たまねぎ探してくれよ!」
「赤くなってる~。かわいい~~」
右代は、にやけながら、ほっぺたをつんつんと突く幼馴染などもはや無視してたまねぎを探す。すると、満足したのか、咲菜は洋服をめくり、球形の根菜を取り出した。
「じゃーん!」
「うそ!どこにあった⁉」
「そこの戸棚の奥の方にあったよ。だめだな~ちゃんと探さないと。私が来てよかったねぇ」
「・・・」
右代はたまねぎを受け取ると、先ほどの食材の列に並べ、誇らしげにうなずいた。
想定していたよりも少し、大きめの鍋に油を敷くと、ぎこちなくもカットした野菜を投入していく。咲菜は本当に料理の経験がないのか、たまに簡単な手伝いをしながら、ジュース片手に俺の手際を見つめていた。
肉に火が通ったのを確認し、水を投入する。牛乳は、あらかじめ咲菜が計量カップで適量を図ってくれていた。家で手伝いをしているというのは本当のようである。
(あとは、ルウを入れて・・・)
「「・・・・・・・・・」」
「できた!」
そう呟くと、すぐ横から拍手が巻き起こった。
「お~なんというか・・・・おいしそう!」
「・・・無理してほめなくていいって」
完成したシチュー(仮)は、確かにシチューではあったが、途中火加減を間違えたのか、黒い焦げが浮いていた。
「別に無理してないし、普通においしそうじゃん?焦げもなんというか、オリジナル感あってさ~」
「・・・・」
咲菜は必死にフォローするが、右代は意気消沈という感じでシチュー(仮)を見つめていた。
「と、とにかく食べてみようぜ!ほら、私がよそるから、うーちゃんはジュース用意しといて?」
右代の手を引き、テーブルまで誘導すると、適当なお皿を見積もってシチュー(仮)を盛り付ける。なるべく焦げがないところを選んで盛り付ければ、ほとんどわからない。
「いーただっきまーす!」
皿一杯に盛られたシチューを慎重に運ぶと、咲菜は右代を待たずにさっそくスプーンを突っ込んだ。
「・・・うーちゃん!これ、おいしいよ!うちのお母さんよりお料理上手だね!」
「いや、でも結構焦げちゃってるし・・・無理して食べなくていいよ・・・・」
咲菜がお世辞を言ってくれていることは分かっていた。しかしそう言いつつも、右代もシチューを口に運ぶ。
「―――どお?」
咲菜は手を止めて、興味深そうにこちらを見つめる。
「・・・・悪くは、ないかも。」
「でしょぉ!だからおいしいって言ったじゃん!」
咲菜は足をばたつかせながら、満面の笑顔を作った。これじゃ、もはやどっちが作ったのかわからないが、褒められた右代はなんだかこそばゆく感じた。
「こんなに上手なら将来はコックさんになれるよ!」
「・・・コック?」
「うん!そしたら私が今日みたいに手伝ってあげる。絶対人気になるよ!」
(―――楽しそう)
瞬間、右代はそう感じた。父親から自分のあとを継ぐよう言われていた右代は、自分の夢など考えたこともなかった。しかし、このとき初めて自分でなにかになりたいと思った。
「考えとく」
照れ臭くなったのか、右代はどっちつかずな回答をしたが、この日は二人でずっと将来出す予定の店の話で盛り上がった。場所はどこが良い、とか、そもそもどんな料理を出すのか、とか。
「お店は絶対海の近くがいいよ、新鮮な魚が採れるもん。」
「いいや、絶対山だ。海辺は地価も高いし、何より新鮮な山菜とかキノコがある。」
「分かった、じゃあうーちゃんママに決めてもらお?それならいいでしょ?」
「絶対山だね。どう?お母さん。」
お互い譲れないものがあるのか、白熱した議論の決着は、病院から帰ってきた右代の母親にゆだねられた。
「うー困ったなぁ。どっちも好きだけど・・・私は――――――――――」
―――――――――どっちだっけ?
肝心の結果を聞く前に、俺はおよそ一時間にも及ぶ居眠りから目覚めた。教室の正面に敷設された安っぽい時計は、17時半を少し回ったところを指している。少しずつ日が伸び、春の夕日が差し込む教室には、俺を除いては数人で構成された女子グループが一つと、あとは懸命に課題を終わらせている男子生徒が一人残っているだけだった。
机に付したままだった体をゆっくりと起こすと、肌の露出した手首のあたりに紙の感触が伝わった。それをきっかけに、俺は完全に現実に帰される。
今日が締め切りの進路希望調査票を書くために、わざわざ放課後居残っていたのだ。偏差値が60そこそこの自称進学校、県立秋畑高等学校では、二年生に入ったらすぐ進路指導が始まる。希望する進路がはっきりしている生徒にはありがたいが、俺のように、家から近いとういただそれだけの理由で選んだ生徒には少々酷なスケジュールである。
(希望する進路を記入せよ・・・か)
俺は用紙に記載された文字をそのまま読み上げた。
まだ二年の春ということもあり、フォーマットは簡素に、第一から第三までの志望を書くというものだった。就職か進学か。もし進学するなら四年制の大学にするのか、あるいは短大か、はたまた専門学校か。
様々な選択肢が頭の中をめぐるが、どれも結局、ぴんと来ない。さっきもこんな感じで眠ってしまったんだろうな・・・。
「―――じゃあいっそのこと甘沢咲菜さんの家に婿入りします、っていうのはどう?」
ひとつ前の席から、幼いころからもはや聞き飽きた声が耳に届く。
「びっくりした、いたのかよ・・・」
「いや~~廊下から教室見たら珍しく右代がまだ残ってたから、面白そうだなって思って。本当は部活中だから内緒だよ?」
咲菜は椅子の背に腕を乗せ、楽しそうにこちらを覗いている。
「ていうか、咲菜さんからのすばらしい提案に、なんかコメントは⁉」
咲菜は右手でグーを作り、俺の口元に近づける。インタビューかなんかのつもりだろうか、こっちが本気で悩んでるっていうのに、まったく。
「・・・今日中に出さないといけないのは咲菜も知ってるだろ?手伝ってくれるならまじめに考えてくれよ・・・」
「私としては、結構まじめだったんだけどな~~。ほら、うちはお母さんもお父さんも右代のこと大好きだし」
確かに、両親が家におらず一人暮らし状態の俺は、咲菜の両親にとてもよくしてもらっている。この前もおじさんに東京湾に釣りへ連れて行ったもらったっけ。部活で行けなかった咲菜には、あとでこれでもかというくらい文句言われたな・・・。
俺が黙って考えていると、咲菜は、にたっと表情を緩めた。
「なになに?もしかして脈ありな感じ⁇ほんとにうちの子になっちゃう⁉」
会話の内容が内容なだけに、一週間前に発足したばかりのクラスメイトの視線が集まる。一年生のころからこんな調子でからんでいるせいで、やれバカップルだのと、あらぬ噂も流されたものだ。
二年生からはそんなことにならないよう気を付けるつもりだったが、とりあえず状況をこれ以上悪化させまいと俺は話の軌道をもとに戻した。
「もし手伝ってくれたら・・・街道沿いのラーメン屋、今日学生替え玉無料の日だから、おごってやってもいいんだけどなぁ・・・」
「・・・!まったくしょうがないな~。右代は私がいないと本当に何もできないんだよね、昔から」
そう小突きながらも、ラーメンが効いたのか、やっと真剣に考えてくれる気になったようで、咲菜はポケットからスマホを取り出しなにやら操作を始めた。
「じゃーん!AI進路指導~!」
こちらに向けられたスマホの画面には、いかにもっていう感じのロボットが映し出されている。どうやら高校生向けに模試などの事業を行っている会社が提供しているコンテンツのようだ。
「なんかうさん臭くないか?」
聞いたことのない会社ということ以上に、咲菜が持ってきた話題という事実が頭に引っかかった。
「じゃあやめる?私は別にそれでもいいけど、優柔不断な右代くんが一人で今日中に決められるかな~~」
「・・・・くっ」
「さあさあ、どうする~?」
俺をおちょくるようにして、咲菜のスマホが目の前で左右に揺れる。
「わかった、好きにしてくれ。」
「そう来なくっちゃ。じゃあ私が質問するから、正直に答えるんだよ?」
「ああ、わかってるよ」
咲菜は画面を自分の方に向けると、何回か操作した。なにやら陽気なBGMが流れ始め、ほどなくして咲菜が最初の質問を口にする。
「第一問!:今現在あなたには興味がある学問や、やってみたい仕事がありますか?」
「うーん、物理の授業は面白いけどな・・・ただ卒業してからまた四年間も勉強したくないし・・・かといって働くのもなぁ」
「・・・“いいえ”ってこと?」
俺の言葉を聞き、咲菜はそう問い返す。どうやら質問はイエスかノーで答える形式になっているらしい。
「どちらかと言えばそうなるな」
咲菜はうんうんと頷いて「なるほど」とつぶやいた。今の返しのなにが「なるほど」なんだか。
「じゃあ第二問ね!」
「お、おう」
――――AIからの質問は、休む間もなく続く。
いつまで続くのかと、いい加減ツッコミを入れたくなったころ、六問目に達したところで咲菜が急に笑い出した。
「ぷはは!『あなたはニートになりたいですか?』だって!
ぷふふ、あははははっ!右代、AIに呆れられちゃってるじゃん・・・。」
「うるせーな・・そんなに笑わなくってもいいだろ。」
「だって・・・ぷはははは!」
どうやら咲菜さんのツボにすっぽりとはまってしまったようだ。左手で腹部を押さえながら、もう片方で俺の机をバシバシと叩く。
俺は放り出された彼女のスマホに表示された“いいえ”のボタンをタッチした。
「ほら、続きを読んでくれよ。」
「え?ああ、うん。」
笑い涙をスラっとした人差し指でぬぐってから、咲菜はスマホを手に取った。
「えーっと・・・最後の質問です。この中であなたが一番大切だと思うものを選んでください。A・お金、B・友情、C・愛情、D・快楽。」
「・・・・・ちょっと待て、最終問題おかしくね?」
「いや、だってAIが聞けっていうんだもん。」
これはもはや、AI適当に言ってるだろ、としか思えないのだが。進路指導というよりも、占いとかそういう域に入ってないか?
しかしまあ、ここまで進めると結果が多少は気になってくる。一応最後まで自分に正直に答えてみるか。もし変な答えが出てもどうとでもなるんだし。
「・・・C、かな。迷ったけど、これが一番無難じゃないか?」
「へ~え、そうなんだ。ふ~~~ん。右代ってば、やっぱりさみしがりだよね~~」
「言うと思ったよ・・。ほら、早く結果教えてくれ。」
「はいはい、ちょっと待ってね・・・・・」
スマホの画面に目を移した咲菜は一瞬硬直する。
「・・・?
どうした?」
「う、ううん?やっぱり右代みたいな煮え切らないやつは、大学行って将来のことをよく考えたほうがいいってさ。」
「そうか・・・ひどい言い分ではあるが、割とまともな答え出すんだな、それ」
「ほらほら、今日のところはAI先生のいうこと聞いておこうよ。第一志望は、一番近い黒岡大学なんてどう?」
咲菜のやつ、急に焦ったように態度が変わったけど、そんなに腹が減ってるんだろうか?
(まあ、よく考えたら別に今日で決まるってわけじゃないんだしな)
気が付けば時刻は18時を回っていた。俺は少し焦りながら言われるとおりに調査票を埋める。
「じゃあこれ出しに行ってくるから少し待っててくれ」
「あ、じゃあ私も行くよ。職員室の方が生徒玄関近いし」
「そうか」
俺は進路調査票を細かくたたんでポケットにしまうと、机のフックに掛けられたリュックを持ち上げる。そこに咲菜も自分の席から荷物を持って合流した。
「重そうだな。」
「部活着とか入ってるから。」
「・・軽い方、持ってやってもいいぞ。」
俺はそう言って左手を差し出す。
「まじで⁉いや~、やっぱり持つべきものは優しい幼馴染だよね」
「はいはい・・・ってちょっと待て。だから、そっちの軽そうな方くれよ!」
「・・・・」
「・・・?」
咲菜から手渡されたのは布製の手提げ袋ではなく、ずっしりとしたスクールバッグの方だった。咲菜は察してほしそうに、少しの間黙っていたが、やがて口を開いた。
「いや~なんというか・・・相手が右代でも、さっきまで着てた服渡すのはちょっと恥ずかしいかも・・・今日結構暑かったし・・・」
「・・・すまん」
顔を赤く染めた咲菜を見て、俺は思わず目線をそらした。幼いころから一緒にいる咲菜だからこそ、羞恥心のボーダーが分からん・・・。
もし、これがいつものように俺をからかうための演技だったら、俺はもう人を信じられない。
結局俺が重い方を持って職員室へ足を運んだ。
*