95 月五つ
サリーと天体観測に行っています。
そう書き置きを残して、静かな眠りの中にある海の家を抜け出した。
教官だけは目を覚ましたが、隣にサリーがいるのを見て納得したのか小さく手を振って許可をくれた。
寝ずの番の駅員と門番のメイドさん、それぞれに手を挙げることで挨拶してから外に出る。
夜狩は日付が変わってからまだ後の、深夜に始まる。
まだしばらく海は静かだ。
外に出て潮風を浴びる。
この時間はライトも設置されていない。暗い海から潮騒が立つ。
星明かりを頼りに歩こうとすると、サリーが手を引いてくれた。
佐里江さんの指はしなやかで細かったが、サリーの手は大きくてしっかりしている。ただ両方とも掌は固く、同じ位置にたこがあった。特にこちらのサリーは美貌に似合わぬ武骨な手だ。
「サリーは『夜目』が利くんだな」
その足取りには危なげがない。
ヨウルみたいに夜は瞳孔が丸くなったりしてないから、『猫目』ではなく『夜目』か、もしくは『魔眼』だろうか。
「『魔眼』の方ですね。『鑑定』を集めると便利ですよ。
夜に好きな人の手を引いて歩けますし」
サリーは、卑怯だ。
あんまりドキドキさせられると、小さな心臓が破裂してしまう。
オレと佐里江さんも、学生と、社会に出ている立派な大人で差があるが、リュアルテくんとサリーじゃ年も倍も離れている。
だからか、むこうばかり余裕のようでなんか悔しい。
リュアルテくんの心の動きが、またいけなかった。
2人きり、特別な人に手を繋がれる。ただそれだけで、緊張してしまう純真さだ。
その初な心に引き摺られる。
今までどうしてサリーと一緒にいて平気だったのか、わからなくなる。
体の中の泡がぱちぱち弾ける心持ちだ。
逃げだしたいような、うっとりしてしまうような複雑さで、思考と体が固まってしまう。
「外階段の整備はまだですので、失礼」
ひょいと軽く抱き上げられる。子供だっこの体勢だ。
とん、とん、と何度かジャンプして、ダンジョンモニュメントの上に登る。
「どうぞ、こちらに」
床に下ろしてくれるやいなや、ぶるりと、サリーが『転変』した。
月光に輝く一匹の獣。サリーがモニュメント屋上に寝そべって、腹の間を鼻先で示す。
わあ。なんて!
「特等席だな!」
「背後からなら、大丈夫そうですので。
どうぞ、遠慮なさらずに体重を掛けてください」
そっと寝そべるように腰かけると、柔らかで滑らかなサリーの毛皮に包まれる。
この世で一番素敵な寝椅子だ。
「わたしは幸せ者だな。でも、サリーは苦しくないか?」
体重はさておき体質的に。
「気になると言えば、気になりますが。
背中側からの接触ですし、不安感と同時にひたひたとした喜びもあるような?
しばらく試してみてもいいですか?」
「辛くなったら教えてくれ。サリーに無理させるのはわたしも辛い」
普通のわんこ相手でも、気乗りしない時に触るのはNGだ。
ましてサリーほどの繊細さならば、側に寄ってくれるだけで御の字だろう。
月明かりに浮かび上がった白銀に染まる毛皮とか、筆舌にしがたい魅力がある。
正直撫でまわしたくてうずうずするが、ここはじっと我慢の子だ。
「今日は1の月が満月ですね」
空を見上げれば、小さく煌めく月がある。
撹拌世界の月は、遠く、小さい。
ただ月は5つもあって、空に月のない夜はない。
「1の月と2の月は分かりやすくていいな」
1の月は青い月。
2の月は赤月だ。
3、4、5は地球と同じく天候によって色を変える馴染みのものだ。
「私は3番目の月が好きです。貴方と同じ目の色なので」
撹拌世界には星を冠する神話がない。
神さまの概念はかろうじてあるが、恐ろしいものが確固とした姿で祀られる前に他所の世界から技術流入があったせいで彼らの存在は希薄だった。
リアルではお目に掛けられないような星降る夜空を見ていると、それが残念に思える。
特に多神教の神さまは、いい加減で乱暴者の身勝手揃いだ。人間臭くて面白いのに。
でも月ばかりは別格で、幾つか伝承は残されている。
3番目の月は恋人たちの願い星だ。
「それなら、わたしは北極星を推そう。
北点にありき不動の星。
あれは地図に青く描かれていることが多い」
青月は不吉かつ、不実な伝承が多いし却下だな。
色合いもそう似ているものでもないし。
「北極星、ああ【導き星】の称号ならありますよ。
レイド戦で一番槍をすると貰えます」
「…そういうことじゃないんだが。
サリーの瞳は星のようだと、ずっと前から思っていた」
ああ、こういうのが馬鹿っプルっていうんだな。
でも誰も見てないんだ、滑稽を嗤うものはいないだろう。
今まで好意を告げるのに、恥ずかしいと思ったことがなかったのは、オレの情緒が未発達だったのかもしれない。
どうしたらいいだろうか。今は恥ずかしくてサリーを見れない。
脳が痺れたように愚かになる。
つまりだ。
凄く、凄ーく、いい雰囲気だったのだ。
だというのに、まさに出歯亀。
「…なんか、島が動いていないか?」
沖合いを指す。
黒い波間に反射するなにか。
大きさ的には島に見えるが、島なら闇に溶けて見えないだろう。
あそこになにかありますよ。そう、ゆんゆんと『探索』さんが仕事をしている。
夜間の視界に自信がなくて、サリーに尋ねる。
「奇遇ですね。私の見間違いだと思いたかったのですが。
こんな時に限ってなんで」
サリーは深い溜め息をついた。珍しくやさぐれている。
その姿で拗ねられると、可愛らしくて堪らない。
オレが立ち上がると、渋々ながらに『転変』を解いた。
その袖を引く。
「ボス戦の前に。わたしが頑張れるよう、まじないが欲しい」
目を閉じて待機のポーズだ。
ええい、これくらいは許されよう!
クエスト達成!
【暗き夜にありて輝くもの】
【導き星】
【一騎当千】
【ジャイアントキリング】 他。
強敵に挑む、勇士 サリー エリステル に【無事を祈る恋人より】、【初めての口づけ】が贈られました!
上記の祝福により サリー エリステル の全能力値がボス戦終了まで10パーセントのブーストされます!
※【初めての口づけ】これは初回特典です!
次回のボス戦からは【無事を祈る恋人より】のみ5パーセントのブーストになります!
ワールドクエストに進捗がありました!
南海にて、女王の産卵が確認されました!
いざ海の勇士たちよ、声をあげろ!
今こそ宿敵を打ち破る時ぞ!
報酬
称号 ワールドクエストホルダー。
※そは、世界を変える戦いに参加した証。
このクエストは成功報酬の加算があります!
なんてタイミングだ。
やめて、こんなとこでクエスト出さんで。そんな打算なかったから…!
いや、サリーにボーナスついたのはいいことだけど!
「その、わたしの報酬でサリーに対する能力ブーストが出たのだが」
仕方ないので口ごもりながらホウレンソウをする。
運営AIは人の羞恥にも配慮してくれるといいのに…!
「奇遇ですね。私も短時間ではありますがリュアルテさまに好きな能力をひとつお貸しすることが出来るようになりました。
家亀を殴るのに役立つので、『部分破壊』をお持ち下さい」
そうか。『貫通』無効持ちにも対抗しうる破壊技なら、女王にも手が届く。
これは『エンチャント』して皆に配れとそういうことだな。
「借りるのは、いいが。そうしたらサリーが使えなくなるのでは?」
これからボス戦なのにそれは困る。
「いいえ。それは大丈夫のようです。…皆も気づいたようです。行きましょう」
39日目。
駅を急遽開いて、ギルドに緊急依頼を提出した。
日が変わったばかりの深夜だったが、1チームに1つ『部分破壊』の発動体を支援する。気に入れば後日買い取りも可と出したせいか、緊急連絡を受け取れたサリアータ在住の高位グループは纏まった数で参加してくれた。
もちろん先のワールドクエストが発布していたこともある。
サリアータには、フットワークの軽い他所のプレイヤーが、様子見に集まってきていた。
連絡先の宿舎に話しを通すやいなや、深夜だというのに、よしきたとばかりに快諾の返事がある。
レイドボス狙いにこれから動く者もいるだろうから、人はもっと増えるだろう。実に頼もしい。
そんなわけで女王の産卵中、オレはヨウルを伏し拝んで発動体のガワを作って貰ってる。
オレはひたすらタイムアウトまで『部分破壊』の『エンチャント』だ。
私財を叩いて素材の魔石を買い漁る暴挙に出たから、今のオレは素寒貧だ。
とうとうダンジョンマスターの財力が火を吹く時が来てしまったようだな。
喰らえ女王!オレ渾身の札束アタックを!
人の恋路を邪魔してくれやがったんだ、当然だよな?!
「リュアルテさま、これは」
場所は臨時作戦本部と化した海の家。
その隅っこでヨウルと2人して細工仕事だ。
掛けられた声に、頭を上げる。
「来たか、オルレア。
早速だが、ひとつ持っていってくれ。この『部分破壊』はサリーのスキルだから、効果のほどは保証する」
若い女性を深夜に召集して、本当に済まない。
「…リュアルテさまは、サリーの忠誠の義を受けられたのですか?」
「え」
なにそれ、恋人のイベントじゃなかったのこれ。
「忠誠の口付けを手に受けられたのでは、ないですか。
とりわけ親しい相手と、特別な意味の身体接触があると、そういうことが起きる場合もあると聞いています。
ごく稀に」
「ああ、なるほど。そういうことか」
心臓に悪い。一人相撲だったら泣くに泣けんとこだった。
「この世界、不思議なことって多いから、つい流しちゃうよなー」
うんうんとヨウルが合いの手を入れる。
「流し………彼にしたら場を選んでの一世一代の誓いでしたでしょうに、女王に邪魔されたわけですか。
なんて憐れな。
……。
それにしても大盤振る舞いですね、あいつ。女王憎しにもほどがあるでしょう。
サリー、自棄になってませんか?」
うん。ものはサリーのスキルだ。
改めて許可を取ったらそれはいい考えです。と喜んでくれた。好き。
緊急時に物惜しみしないとこ、粋だよなあ。
「わかった。サリーとはちゃんと話す」
なんかオルレアは違った意味で心配してくれているみたいだから、安心させるために頷いておく。
「星8のスキルをそのまま借りれるっていうのは、確かにすげえな。
ダンジョンマスターだと自力で『精製』を賄えるから、発動体にえぐい効果がつきそう」
「んん、頑張って半分ってことだぞ?」
「充分すぎるわ。付与アクセつけただけで一人前一歩手前のスキル使えるようになるとか舐めとんのか」
サリーの『部分破壊』は星8つ。それをそのまま借りているので、自力で『精製』を賄えるオレは星4相当の『部分破壊』を付与している計算だ。
オレが『精製』した石で他のエンチャンターが星8のスキルを付与した場合は、1か2かだ。
術師の腕が凄く良ければ、ギリギリ3に届くかどうかで。
つまり星4の発動体は極上品扱いだ。無償配布は真顔の教官に止められてしまった。
「こうなると、皆で冒険者資格とって良かったな」
中級の冒険者免許は、攻撃スキルの付与道具製作資格がついてくる。
この手の資格はピンで取るつもりだったが、この前赤本を読み直したらちゃんとしっかり書いてあった。
前回は生産と縁が遠すぎて、頭に残ってくれなかったらしい。
やはり本は繰り返して読むべき財産だな。うん。
「面白そうだよなー。ロッドとか自力で作れるようになるのって」
「作る時間はあるのか?」
「趣味の工作のほうな!
体制がきちんとした工房には、質や生産性で勝てるわけないじゃん。
尖ったデザインとか試したい」
「いいな。わたしはしばらくレシピ頼りだ。
素人には充分だが」
白玉スタンプのご褒美用に、売店に置いてある発動体はコンスタントに捌けてくれる。
皆頑張っているんだなあと、つい、いそいそと補充してしまう。
ダンジョンマスターの密かな楽しみだ。
「レシピ多いもんなー。オレも全部は試しきれてねーもん」
「マスター、女王の産卵はまだ終わっていませんが、他の第1陣らは後30分ほどで終わりそうです。
女王戦の前に肩慣らしをしたい組もいますので、備品の貸与契約をそろそろ始めてもいいですか?」
「頼む。わたしは女王戦までは、生産に回る」
ざらりと出来上がりの品物を渡すと、ひえって顔をされてしまった。
ヨウルチョイスの生産レシピは夢見貝モチーフ。
海らしいデザインだが、知ってる人はそこに怨念を幻視しそうだ。
それを銀盆に山盛りに渡されてしまったメイドさんの心境や如何に。
「これさー。時間があったら、斧とかハンマーに付けたかったよなあ」
「採用。多めに石を作って、後日専用武器を作ろう。そして水麗人チームの強化を図ろう。
……わたしが『HP強化』をものにしてたら、全員に配布したかった」
昨日の狩りではHP管理が甘くて、怪我人をちらほら出してしまった。
怪我をしてしまうと冒険者のコストパフォーマンスが下がるから、安全マージンはたっぷりとりたい。
『異界撹拌』が普通のゲームとは違うのはこのあたりだ。
ギリギリの戦いは基本しないし、人命はかなり尊重される。
純粋なゲーム性では堅実すぎて、面白味にかけるかもだ。
…そうやってロストを避けることを強く推奨している割に、通りすがりのレイドボスに理不尽なひき逃げをされたりすることも、野良ダンジョンでは多々あるのが嫌らしいけど。
どないせいっちゅうねん。
そのユーザーの怒りは、『異界撹拌』がリアルダンジョンの切符になってから、やや下火になりつつある。
まあ、なにも知らずリアルで酷い目に合うよりは、一度経験をしてたほうがすぐに逃げられて助かる可能性は高そうだもん。
感じて、政府ちゃんの親心。
おかげで教材になっている撹拌世界は、ひでえことになってるけどな!
なんとかしないと。
一先ず女王は完封してくれよう。
南海がオレのテリトリーになったからには好き勝手させてやらん。
誤字報告、いいね、評価ありがとうございます。
コメントは貰える度にうれしくなります。心がピョンピョンします。ありがとう。




